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アンジェリークNOVEL
空の果て(セイコレ)
 宮殿の高い塔の一角へ、アンジェリークは呼び出された。
 もちろんエレベーターなどはなく、階段を一歩一歩上る。螺旋の階段を一周する度、窓から見える地上は低くなって行く。王立研究院の屋根が、森の向こうの湖が、小さく目に映る。
 アンジェリークは上に続く階段を見上げて大きく息を吐いた。あまり運動は得意なほうではないし、スタミナにも自信はない。長い階段を上る経験はあまりなかったので知らなかったが、どうやら自分は階段を上るのはそれ程好きではないようだ。
 ポケットから時計を出して確認し、アンジェリークは足を動かすスピードを上げた。約束の時間までもうあまり間がない。もう窓から外を見下ろす余裕もなく、アンジェリークは石畳の階段へ足を掛ける。

「やあ。アンジェリーク」
 アンジェリークを手紙でここへ呼び出した人物は、階段の上から涼しい顔で彼女を迎えた。最後の数段を、重くなった足を懸命に持ち上げて上り、やっとアンジェリークは塔の最上階へ辿り着いた。青い髪がさらりと頬へ掛かる彼の端正な顔を、アンジェリークはぜいはあと荒い息で見る。
「随分とまあ、息が苦しそうだね。若いのに君、不整脈の気でもあるのかい」
「そりゃ、こんな、階段ずっと、上って、来たら」
 途切れ途切れのアンジェリークの返事を、面白くなさそうにセイランは聞いて窓から外を見下ろす。アンジェリークは疑問に思ってセイランへ尋ねた。
「セイラン様、も、この階段を、上っていらしたんじゃないですか? どうして平気なんですか?」
 彼の同僚である精神の教官とは違い、セイランはあまり身体能力が高いようには見えない。それとも細い体躯は見せ掛けで、その体には強靭な体力が隠されているのだろうか。
 アンジェリークの言わんとしている事に気付き、セイランは、ああ、と眉を上げる。
「僕は、朝から二時間掛けて上って来たからね。と言うか、段々と上る事、それ自体が目的なんだから。そんな風に息を乱す必要はなかったよ」
 二時間……。アンジェリークはブルーグリーンの瞳を丸く見開いて言葉を失った。更に疑問をのせたアンジェリークの表情を見ると、セイランはくっと笑う。
「これだよ。見るかい?」

 彼が横の椅子へ置いていたのはスケッチブックで、アンジェリークはそれを受け取ってページを捲った。
 そこには、塔の窓から見える景色が何枚も描かれていた。ペン一本を使い、単純で少な目の線で描かれている風景画だが、それだけでも強い印象を見る者へ与える。
 そしてセイランが螺旋階段を何回か回る毎にペンを取り、窓から見える風景を写し取っていた様子が窺えた。後へ行くにつれて高い場所からのアングルになっているのは、アンジェリークにもすぐに分かったからだ。
「これを描くために、ゆっくり塔を上られて来たんですね」
 彼女の呟きに、そうだよ、とセイランは得意げに頷いた。アンジェリークが呆れたような目で見ている事は気にならないらしい。
「セイラン様って、変わってる……」
 もうひとつアンジェリークが呟きを付け加えても、セイランは気を悪くはしなかった。
「芸術家が凡庸でどうするの。ま、そんな普通の反応こそ、満足するべきじゃないとは知っているけどね」

 はあ。溜め息を吐いてアンジェリークはセイランへスケッチブックを返す。
「それじゃ、わたしをここへ呼んだのは、どうしてなんですか?」
 それまでの遣り取りのまま思った通りの事を口に出したのだが、急にセイランの視線が冷たいものになり、アンジェリークは首を竦めた。
「ゆっくり上ったとはいえ、僕にはなかなか有り得ない事なんだよね、こうして高い塔へ上る事なんてさ」
 はあ、でしょうね。アンジェリークはセイランに逆らわず神妙に頷く。
「だったら、上った先にちょっとした褒美があったっていいじゃないか」
 はあ。再び頷き、アンジェリークははたと固まった。褒美……まさかそれは、上った先で自分と会う事、だろうか。複雑な顔をしたアンジェリークの頬が段々赤く染まり、それを見たセイランは体を屈めてくくっと笑った。
「そうそう、そんな面白い顔を見られるなんて、期待以上だよ」
 アンジェリークはがっくり肩を落とし、いつも簡単にからかわれてしまう事で、セイランを恨めしそうな目で見るのだった。

「ほら。ご覧よ」
 塔の窓からの風景を、二人並んで見る。多分ここは、聖地で一番高い場所。一般の者が訪れる事など有り得ない聖地を、高い場所からも描いてみたいと、セイランの考えは至極真っ当なものだとアンジェリークにも思えた。
「この広さはどうだい。聖地って全く不思議な所だね。それともこの空は見せ掛けで、果てがあるのかな」
「昔のひとは、円盤の地面を象さんが支えてるって思ってたんでしたよね。聖地を支えるなら、女王陛下かな」
 二人の頭に、金の髪を乱して重そうに地面を支える女王陛下の姿が浮かび、セイランは吹き出すと腹を抱えて笑った。
「全く、君は……」
 セイランは薄いブルーの紙を一枚取り出し、窓の肘掛け部分で折り畳み出した。ブルーの紙には、何かセイランの文字で綴られているようだ。
 折り終わった紙は、紙飛行機の形になっていた。セイランは笑みの残る瞳でアンジェリークを横目で見る。
「さっきから君を待つ間に、君への僕の気持ちをこの紙に書いたんだ。どう? 読みたい?」
 その表情が艶を帯びていて、アンジェリークの胸を大きく鳴らす。魔法にかかったように頷くアンジェリークを意地悪そうに見て、セイランは窓から紙飛行機を飛ばした。
「ああっ!!」
 ブルーの紙飛行機は風に乗り、緑の木々の上を悠々と飛んで行く。驚いて窓から体を乗り出したアンジェリークに、セイランは声を上げて笑った。
「いいよ。読めばいい。空の果てまで飛ぶのじゃなければ、見つかるんじゃない?」
 小さくなる紙飛行機を、アンジェリークは目で追う。王立研究院の先、占いの館のもっと向こうの森の方角。
 機嫌よく笑うセイランを前に、自分がきっと必死に紙飛行機を探してしまう事を知りながら、アンジェリークはむむうと眉を寄せて唸った。

end



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