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終幕(金土)
目の前のローテーブルには一枚の紙とペン、印鑑。そして高級感の溢れる小さな箱。顔を上げるとよく知った男が一人、真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「さあ、選べよ」
ぎらりと光ったその目に、ごくりと喉を鳴らした。


出会ったのは高校時代だった。
不良という程ではないものの、授業をサボったり寝て過ごしたり行事すらもまともに参加しない俺に食って掛かった風紀委員、それが土方だった。いちいち突っかかってくる相手を鬱陶しがるよりも面白がっていて、そうして関わっている内に気づけば縁が腐っていた。
高校を出てからもその縁は不思議と続き、互いがほぼ真逆ともいえる職に就いても途切れることはなかった。
縁が腐っていただけでなく複雑に絡まって遂に解けなくなったのは、就職してから暫く経った頃だった。
自覚した俺は逃げ回った。よく顔を合わせる飲み屋にも寄り付かなくなったし、送られてきたメールにも一切の返信をしなかった。解けなくなってしまった末に生まれた心の底の塊を知られたくなかった。それをうざったいと切って捨てられるのも恐ろしかった。顔を合わせないだけならば、忙しいと勝手に推測してくれるだろうと思っていた。絡まった糸など引き出しの中にでもしまいこんで忘れてしまうことが最良の選択に思えた。見通されていることなど、気づきはしなかった。

「てめえ、いい加減はっきりしやがれ」
仕事終わりの空も白んでいないような街で、いきなり現れた土方はそう言って詰め寄った。何事かとざわつく野次馬も仕事仲間たちも、一言も発さずにそのぎらりと鋭い視線で追い払い、どうなんだ、と俺を睨んだ。
そこで、もう降参、と絡まった糸に完全に繋がれてしまったのも、もう数年前のことだ。

懐かしさと少しの既視感が滲む中で、何呆けてやがるんだ、聞いてんのか、と土方は眉根を寄せた。
恋仲にある人間から、話がある、と久しぶりに家に呼び出され、顔を合わせた途端に目の前に突然婚姻届を叩きつけられる。そんなことをされれば呆けたくもなるだろう。
「あ、のな、土方、」
「書くのか、書かねえのか。どうすんだ」
「だから、ちょっと待てって」
「待たねえ」
土方は向かいのソファから一歩も動いてはいない。動いてはいないが、あの日のように詰め寄られ襟を掴みあげられているような気になって後退りする。瞳は俺をしっかりと見据えまったく動かない。
「いや、婚姻届っておかしくね」
「何処が」
「何処が、って、明らかにおかしいだろ……」
頭でも打って法律をぽろっと落としたか、と軽口を叩いてみるものの、土方は無言でこちらを見ているだけだった。なんだってこんな行動に出たんだ。ここ数日の言動には普段と変わったところなど見受けられなくて、理解のできないこの行動に首を傾げるばかりだ。
「厭だと思うなら、別にそれでも構わねえよ」
元々、お前は束縛すんのもされんのも嫌ェな質だろ。おもむろに土方は煙草を取り出し慣れた動作で火をつけた。お前以外にはね、と返すと、鼻で笑って流される。これは完全に本気に取ってねえな。
溜息を吐いて、ペンを握った。さらさらと一息で記入してしまうと、それを望んでいた筈の当の本人はほんの少し驚いたような表情でこちらを窺っていた。
中身など問わずとも分かる小箱を取る。開けてみるとそこには予想通り、シンプルな銀色が行儀よく収まっていた。
「ほら、出せよ、手」
言いながら台座から指輪を取る。差し出された手は勿論左手。
きっとこいつのことだから、大して変わりはしないだろうと自分の指を基準にして選んだに違いない。だから、入らないわけがないのだが、不思議と不安と焦燥が指先を震えさせる。針の穴に糸を通すように慎重に指輪を滑らせ、ぴったりと付け根まで嵌まると肺から息が抜けていった。無意識に息を詰めていたらしい。
つけるの俺かよ、と今更言う土方に、俺は職業柄つけらんねえだろ、とこたえた。
「しかしまあ、これでお前は俺に繋がれたわけだ」
満足そうに土方はそう呟き、平然と再び煙草を吸い始めた。指輪は最初からそこにあったもののように、我が物顔で薬指に居座っている。
改めてよろしくな、ダーリン。
気色悪ィ、と言いながらも上機嫌な土方から煙草を取り上げ、その捻くれた唇にそっと口づけた。


END.


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