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(モブ親衛隊隊員→副会長)



俺の朝は早い。
寮の中が静まり返っている午前四時半、自室の目覚まし時計が控えめな音で鳴る。音量が小さいのは、同室の吉川を起こさないためだ。
すぐに目覚まし時計を止めると眼鏡をかけ、うっすらと開けた視界に窓の外を映す。
今日は晴れだ。
まだ薄暗い世界の端には、淡いオレンジが広がっている。
そんな日の出とともに簡単に身支度を終え、俺は吉川を起こさないように細心の注意を払いながら部屋を出た。

エレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押す。
当然、エレベーターは動き出さない。
最上階は、生徒会役員と各委員会委員長の部屋のあるフロアだ。一般生徒は立ち入ることはできないフロアでもある。
しかし、俺が預かっているこのICカードを通せば、ピピッという機械音の後エレベーターは最上階へと動き始めた。
最上階に着き、まず目に飛び込んでくるのは赤い絨毯だ。一般生徒のフロアとは何もかもが違う。一般は一般なのだ、このフロアが豪華すぎるだけで。
俺が目指す部屋はエレベーター左の最奥。ちなみに右奥が生徒会長の部屋だ。
目指す部屋の前まで行くと、俺は先ほどのICカードをドアに取り付けられているカードリーダーに通す。緑のランプが点滅すると、ドアの鍵が外れる音がした。この瞬間が一番、緊張する。
ドアノブに手を掛け、非常に重く感じられるドアをそっと押し開けた。
ふわり、と香る匂いにはまだ慣れない。あの人らしい、大人でちょっとだけ甘い香り。あの人は香水をつけているわけでもないのに、どうしてこんなにいい匂いがするのだろうか。

「う、わぁ!!」

体を部屋へ完全に滑り込ませると同時、視界前方低位置から毛の塊が突進してきた。毛の塊とは言ってしまえばただの犬であるのだが、何度突進をくらっても声を上げてしまう。
これでは、いけないのに。

「やめろって、毎日言ってるだろ、レイ」

レイ、と名前を呼べば大型犬は一声鳴いた。彼の名前は正確にはレイではない。ただ、俺が本当の名前を呼び捨てることができないから、レイと呼んでいるのだ。
自分の兄の名前を、犬に付けるなんてどうかしている。そう思うのだが、そんなことは俺の中のあの人に1ミクロンも傷をつけない。そんなことはどうだっていいのだ。
俺はレイの、いや『レイジ』の頭を撫でながら、手際良く首輪とリードをつけていく。レイジの尻尾は今にも千切れてしまうんじゃないかと心配になるくらい左右に動いている。

「よし、行くか!」

立ち上がりしっかりとリードを握りしめると、レイジはワン!と鳴いて俺より先に部屋を飛び出していった。

早朝の空気は澄んでいて好きだ。多分、大抵の人間は眠気や気怠さを除けば、早朝の空気は好きなのではないか、と思うくらいには。少なくとも、嫌いだという人間にまだ会ったことはない。
レイジは犬特有の呼吸を繰り返しながら軽快に四足を動かしている。レイジの散歩コースは寮の裏手にある森に沿って歩く。森の中には決して入らない。もしレイジを森の中で見失いでもしたら大変だ。いや、大変どころでは済まない。何としてでもレイジを見つけた後、責任を取って腹を裂くことだってするだろう。もし、の話だが。
時刻はもうすぐ五時半を迎えようという頃。
寮に帰る途中で人の声を聞いた。この時間に誰かが起きていること自体はそう珍しくない。体作りに余念のない部活生や朝の散策を楽しむ爺のような奴だっている。しかし、彼らにレイジを見られる訳にはいかないのだ。

「こんな朝早くからメーワクなんだけど」

他に人の気配はない。どうやらその人物は電話をしているようだった。こんな時間に、こんな場所で電話をしているのだ。聞かれたくない話しに違いない。
それは好都合。俺だってレイジの存在が明るみに出るのはまずい。非常に。

「まあこっちは何とか。そっちは何か分かった?」

電話をしている奴はこちらには気づいていないようだった。良かった、レイジが賢い良い子で。
基本的に、寮で動物を飼うことは禁止されている。魚類や危険性のない爬虫類、ハムスターなどの小動物の飼育は黙認されているが、犬はそうもいかない。だが、もう飼うと決めてしまったあの人は、自分の意見を決して曲げることはない。柔和な顔をしているが、非常にしたたかである。
そうこうして寮の最上階の一室で飼われることになったレイジは、あの人自身が散歩を行うと非常に目立つ、という理由から俺が散歩を共にしている。
だから、俺はあの人からICカードを受け取り、最上階へ登れて、レイジを迎えに行くため部屋に入ることも許されている。
ただ、それだけだ。
俺はレイジのリードを握り直すと、なるべく足音を立てないようにしながらその場所を後にした。




「ご苦労様です」

午前六時、レイジの散歩を終え、あの人の部屋へと戻り、レイジを綺麗にして自室に戻ろうかという頃。
いつもは会うこともしないでこっそり帰るのだが、今日は部屋の奥からあの人が出てきた。
俺は特に何もなければ玄関までしか上がらない、と決めているから、あの人からこちらに来てくれなければお目にかかることもできないのである。
嗚呼、今日はなんていい日だろうか。朝からその御姿をこの目に焼き付けることができるなんて。

「いえ、俺も散歩は楽しいですし」

顔がにやけてしまう。声を掛けられた。言葉を返した。
それだけで胸が焼けるようだ。

「……上がっていきますか?」
「えっ!?」

思わず大きな声が出てしまった。あわてて口を押える。
目の前のお方は、少し困った表情をしていた。あ、この顔は。

「あっ上がらせていただきます!」

レイジの散歩を頼まれた時と同じ表情だ。
頼みごとをする時の顔。
俺はこの顔が好きだ。死ぬほど好きだ。
自惚れだってなんだっていい。この顔は、俺だけが知ってるただ一つのものだ。

「今、お茶を淹れますね」

学園を統べる双子の片割れ。
三門 宗士副会長。
溢れるほどの尊敬や羨望。全てをその身に受けても尚、凛と立つその姿は眩しすぎる。
わふっ、とレイジが一声鳴き、部屋の奥へと行くあの人の後を追いかけていく。
朝日に向かい歩く後ろ姿は、光に溶けて淵が分からない。
これ以上先に、足を踏み入れてもいいのだろうか。

「何しているのですか。そこは冷えるでしょう」

副会長が振り向き、俺に声を掛けた。俺に。
逆光で顔は全く見えないが、柔らかく微笑んでいるようだった。
ゴチャゴチャ考えていることが全て吹き飛ぶ。もうなんだっていい。泣きそうだった。
未だかつて、こんなに気にかけてもらったことがあっただろうか。
差し出された右手に、自分の震える両手を恭しく添えた。

貴方の言葉だけに従おう。
貴方のためだけに動いて、貴方のためなら盾にも矛にもなろう。

貴方が好きです。

その言葉だけは飲み込んで。








「余計なことしないでください」

親衛隊委員が帰った後の宗士の部屋。奥の部屋から寝起きの宗士が上半身を覗かせた。
午前六時半を少し過ぎて、ようやく起きてきたのだ。
しかし、先ほど入れた緑茶をソファーにふんぞり返るように座って飲んでいるのも、三門宗士であった。
同じ顔が二つ、視線を交わしている異常な光景がそこにはあった。

「雑用押し付けてるんだから、これくらいのサービスしてやったって罰は当たらねえよ」

ソファーの方の三門宗士はそう言って、湯呑の中身を一気に煽ると乱暴にローテーブルに置いた。ガチッ、という陶器とガラスのぶつかる音が響く。

「割れてしまいます」
「割れたって構わないだろうが。お前に、こんな茶の湯呑は必要ない」
「確かに必要ありませんが、気に入っているのです。丁重に扱ってください」
「はいはい」

軽口を叩くと宗士は長い前髪を掻き上げた。三門宗士と全く同じ顔、しかし見せる表情は全くと言っていいほど違う。
三門宗士の双子の兄、三門令士がそこにはいた。

「お前の方は、丁重に扱ってるようには思えなかったけど?」

令士は先程までそこにいた宗士の親衛隊員を思い出しながらそう言った。
宗士の親衛隊をやっているくせに、自分が宗士のフリをしていることにも気づかない、哀れな信者。
人のことを言える義理はないが、日頃どんな扱いをしていれば、一声掛けただけであんな顔をするというのだ。

「気に入ったものであれば、丁重に扱いますよ」

のそり、と緩慢な動きで寝室から出てきた宗士は令士の足元に伏せる愛犬を優しく撫でた。
その動作とは裏腹な宗士の表情に、令士は顔をひきつらせた。
どんな色も映さない顔のまま、宗士は口を開いてこう言うのだ。

「あの彼も、もう使えませんね。次は誰と散歩したいですか、レイジ」







(ほら、所詮キミの目も腐ってる)






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