3
夜紗ははぁ、と息を吐くと、残った濃茶を一気に飲み干した。
「わぁ‥苦くない?」
「‥苦いよ馬鹿」
茶碗を畳に置いて、愚痴るように続けた。
「なのにあんな顔して‥引き留めてくれなんて言いやがって‥」
彼女の口振りの割に、表情は腫れ物を持て余すように弱々しいものだった。
(‥市のことかな)
ろくに空気の読めない佐紀だったが、この時ばかりはうっすらよぎる連想に大人しく口を噤む。
「本当に馬鹿、人の気も知らないで‥」
夜紗は自嘲するように肩を竦めた。
行かないで欲しいと縋り着く、女々しい気持ちが、あの時はどうやっても形に出来なかった。
出てきたのは、自身と彼を納得させる理屈っぽい言葉だけ。
自分の隣をすり抜けていった何かは、もたもたしている内に手の届かない所まで吹き飛んでいってしまったらしい。
「でもお陰で余計に諦めが付いた‥かな。あの馬鹿を誰かに任せるのは危なっかしいけど」
そう言って他人事のように笑う姿は、佐紀には寧ろ痛々しくすら映る。
その顔に浮かぶ憐憫が、夜紗には少しむず痒かった。
でももう今となっては吹っ切れて笑うしかないじゃないか。
執念深く追いかけるのも、やっぱり生粋の戦姫の自分には表現出来そうにない心意気なのだし。
「‥悪い、佐紀」
「いいよぉ、夜紗さっきから愚痴りたい顔してたもん」
こそばゆいような表情の夜紗がぽつりと告げた一言に、佐紀はおっとり首を傾げた。
「紀之介だったら優しいこと言って慰めてくれるんだろうけど、佐紀そういうの全然思いつかないの。ごめんね」
「佐紀には初めから期待してない」
「あぁ、ひどいそれ」
むくれる佐紀に夜紗は心地よい頭痛を感じる気分だった。
彼女の余計な一言に膝を折られるような空気は普段なら苛々する筈なのだが、何故か今日ばかりは懐かしかった。
「そうだ、ちょっと待ってて」
佐紀はおもむろに席を立つと、障子の向こうにちょっぴり顔を出して何事かを言いつけた。
小姓が廊下を走っていった音を聞きながら、佐紀が振り向く。
「夜紗にね、加増祝いって訳じゃないけど‥贈り物があるの」
「それの為に呼んだんだろ?」
「うん、手渡ししたかったから」
障子の前にぺたりと座り込んで小姓の帰りを待ちながら、彼女はにっこり笑った。
巷の噂では「妖狐憑きゆえに不老なのだ」などと囁かれる、数年前から殆ど変わらない幼さの残る表情だった。
「佐紀様、お待たせ致しました」
「ひなが持ってきてくれたの?」
「はい、主計様のお顔をもう一度拝見しておきたくって」
「もーしょうがないんだから‥」
顔を覗かせたひなは、口元に手をやって夜紗に色めいたウインクなぞ投げる。
当の夜紗は戸惑ったように苦笑いを返すしかない。
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