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「ああ、そうです。藤吉郎さん」

ねいは思い出したように声を上げる。

「佐紀に尋ねられました、「世継ぎはどう作ればいいのか」と真面目な顔をして‥。
正直私も困りましたよ、あの子本当に奥方と子を作るつもりなのかと。勢い奥方より紀之介とあなたが一度床を共にした方が手っ取り早く出来ますよ、なんて言ってしまいそうでした」

頬を押さえてはぁ、と息をつくねいに反して、秀吉は膝を叩いて呵々と笑うばかりだった。

「そりゃ本当か、全く佐紀も愛いところが抜けてるな」

「笑ってる場合じゃありませんよ‥」

一足先に城持ちになった佐紀は早々同い年の正室を迎えている。

佐紀は律儀に縁談を受けるに当たって夫婦とは如何なるものか書を読み漁って調べたらしい。

そして「まず夫婦は世継ぎを作らねば」という至極真っ当だが説明に困る結論に至り、ねいに助けを求めてきた。

『玉藻は馬鹿も休み休み言えなんて言うけど、何事もやってみないと分かんないじゃないですか!』

あなたが休み休み言いなさいよ、狐に嘘を吹き込まれるどころか諭されては様ないじゃないの。

九州で神業に近い兵站管理を見せた秀才の言葉とはどうしても信じられなくて、ねいは思わず頭が痛くなった。

「じゃあここはひとつ俺が佐紀に閨の指南をだな‥あだだ」

「藤吉郎さん‥?」

にっこりと青筋を立てたねいが冗談を叩く秀吉の耳朶を抓りあげた。

万事に明朗なねいは唯一夫の女癖にだけは苛烈だった。

「ま‥まぁ、佐紀も分かって言ってるだけだと思うぞ?奴は抜けてるが馬鹿じゃない。特に、人間の限界‥みたいなもんには、俺らよか聡いさ」

秀吉はそう言って痺れる耳をさすった。

彼は何とも悲しげな何かを想う一瞬を見せた。

それは佐紀に関する何かなのだと察して、ねいは自身の知らぬ何かに胸を痛めた。

「佐紀は遠回しに俺らを詰っとるんだろ。好きなだけ言わせてやればいい」

それだけで済むなら安いもんだ。

言った秀吉の目はとっくに明後日を向いているらしく、ねいの想像以上に深く読み難い色をしていた。





情けない溜息が一つ。

むせ返るほど豪勢な大坂城の中で、しょんぼり歩く正則の周りだけは雨模様だった。

(結婚‥結婚ねぇ)

花の色をした幸せの単語のはずが、その実物はどうしても重い響きを伴った。

秀吉とねい、或いは利家とまつの姿を見てきた正則は、もっとその言葉に幻想めいたものを抱いていた。

本当に花の色をして甘い匂いがして、紋付き袴にもたつく足取りも軽やかになるような、そんな幻想。

「夜紗は絶対白無垢なんて着てくれないだろうな」

何故かそれだけは早々確信出来たから、頭の中で白無垢を着て自分の胸に飛び込んでくるのは夜紗ではなく佐紀だった。
(そしてそれは恐ろしく鮮明に想像出来てしまった)

だが現実の彼の胸に飛び込んでくる事になったのは、顔も知らない一つ下の姫君。

‥致し方ない事なのかも知れない。

そも尾張の桶屋が大名に成り上がった事自体凄すぎるのだ、他の夢が一つ二つ破れたからって文句を言うのは贅沢だろう。

ただ、その夢が見せた幻がちょっと魅力的すぎただけだ。

正則はそういう結論で自分の中に渦巻くごちゃごちゃした鬱屈に蓋をした。

鍵でも掛ければ最高なのに、生憎今の彼はそこまで自制の効く言葉を持ち合わせていなかった。


「市、お前も来てたのか」

不意に正則の肩が跳ね上がった。

背後から掛かった凛と涼やかな声に、あぁやっぱり白無垢は似合いそうにないなぁと思ってしまったのは、彼女を地味に傷つけるだろうか。

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