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寺に暇を告げ、迎えに来た秀吉と共に長浜に向かう日のこと。

慎ましやかに下山してきた佐紀を麓で迎えた秀吉はとにかく上機嫌だった。

それはもう、部下を遣わせばいいものを自ら馬を引いてくるほどの鍾愛ぶりだった。

「宜しくお願いします、殿‥?」

金髪を市女笠で隠して現れた佐紀は、秀吉の名を呼びながらおずおずと首を傾げた。

「はは、そう固くなるな!お前は家族になるんだからな、名前で良いさ」

「はい‥秀吉さま」

安堵に満ちた可愛らしい声が名を紡ぐ。

秀吉の脳内で花でも開くような良い音がした。

そうそう、こういうのを求めていたんだ。

夜紗には物凄く申し訳ないが、こういう甘ったるい声の華奢な娘に主よ父よと仰がれるとやはり気持ちが良い。

秀吉は浮かされたまま、佐紀に背を向け、先立って歩き出した。

「向こうに馬を留めてある、共に城に帰ろう」

鞍の前に乗せて何くれと武勇伝でも語ってやるつもりだった。

しかし、その妄想はひどい豹変によって無惨に破られる。

「ふん、駒など好かぬわ」

「‥はっ?」

秀吉は一瞬硬直した。
木で鼻をくくったような愛想のない声音。

「妾は馬鞍になど乗りとうない。そうよな‥牛車がよい、引いてまいれ」

御者をさせてやってもいい、とでも付け加えられそうな口振りだった。

ぎくりと振り向くと、先程のしおらしさを何処かに投げ捨てたような驕慢な表情の佐紀が、市女笠を雑に脱いでひらひらと扇いでいた。

「噂のお狐かい」

しげしげと興味津々に視線を向けた秀吉に、佐紀は殊更に肩をそびやかして歩みよった。

「ただの野狐ではないわ」

幼げな雰囲気は目元も声音も掻き消えて、袖で隠した口元からは悪戯っぽい笑みがこぼれる。

「妾は妖狐ぞ?貴様等が憑いた落ちたと喚く野狐とは格が違う」

頭一つ分差がある秀吉の顔に指先を突きつけて佐紀は彼を見上げた。

「貴様の如き大器でなくば佐紀にああも軽々しく頭など垂れさせぬわ」

「大器?この俺が?」

大それた一言に秀吉は困ったような、照れくさいような表情になる。

「左様‥妾は幾千の昔より国を統べる者にしか近づかぬ、いずれ貴様もそうなる」

きょとんと瞬きを繰り返す秀吉に佐紀は艶やかにうっとり目を細めた。

「まあよい、我儘を言うなら貴様が天下人とやらになってからの方が面白いじゃろうて‥精々佐紀を巧く使いこなしてみよ、この娘は聡い」

佐紀は呟いて、おもむろに腰の辺りで小さく手を払った。

秀吉が見ている目の前で、風を梳くような指先の間にさらさらと淡い色が現れる。

透明な風に色を付けるように、手を振る動きに合わせてその淡色は薄手の羽衣に姿を変えた。

「な‥これは」

秀吉の驚愕を佐紀はにやりと歯を見せ一笑に伏せた。

驚くのはまだ早い、とばかりに後ずさろうとした彼の肩を掴む。

「佐紀の為であらば妾も貴様に力を貸さぬこともない‥まぁ貴様は一人でも力を得られようがな」

肩に置いた手を支えに佐紀がふわりと飛び上がった。

何をするのかと仰げば、佐紀の身体は秀吉の視線の上に至り、しかもそのまま宙に留まったまま。

ほらほら、驚いただろう?
佐紀の笑顔は如何にもそう言いたげで、見下ろされた秀吉はまさに魅了、という言葉そのままに全神経を吸い寄せられるような錯覚を覚えた。

「参ろうぞ、佐紀の主」

音もなく、佐紀の身体が空中を滑る。

わずかな桜色の微風が秀吉の頬を撫でた。


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