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「なぁ、もしやそなた、石田家‥」

問いかけた秀吉の気配に、佐紀の肩がびくんと跳ねた。

かち合った瞳は獣のような鳶色でぱっちりと大きく、元より女好きの秀吉ははっと見惚れるほどだった。

「えっ‥‥きゃああぁ!!!」

数瞬の沈黙の後。

御堂には目一杯の悲鳴が響いた。

佐紀はあたふたと動転しきって、そのまま這って逃げ出しそうな雰囲気だ。

金切り声に圧倒された秀吉も何とかして話を聞かねばと慌てて手を伸ばし佐紀の衣の裾を掴んだ。

途端、佐紀の可愛い顔はみるみる蒼白に染まった。

「だーかーら、話を聞け、お前は石田正継の娘じゃないのか!」

全くと言っていいほど話を聞かない佐紀に苛立っていた節もある、秀吉は結構な大声で怒鳴りつけた。

だがそれが功を奏したのか佐紀はぱちりと瞬きをして秀吉を顧みる。

おそらくは正継の名に反応したのだろう。

その時足下に突如燃え立った火柱が彼を飲み込みかけたが、頬を灼くような熱さごと一瞬で霧散したのは‥知恵者と評判の彼をもってしてもさすがに思考が追いつかなかった。

ぽかんと口を開けたまま、上に下にと秀吉に視線を向けていた佐紀に、改めて問い返す。

「別にお前を取って食おうとはしてないからな、そんな鬼でも見るような目はやめてくれ」

「あ‥あなたは鬼じゃなくて人だと思います‥」

「そりゃ解ってる、ものの喩えだ。で、俺は正継殿に教えられてここに来た。佐紀‥だったな?お前と話がしてみたくてな」

はぁ‥と佐紀は不思議そうに首を傾げた。

「あの、つかぬことを伺いますがどちら様で‥」

「‥‥」

秀吉は頭を掻いた。

何かややこしいことになりそうな気がしたのだ。

とはいえ渋々ながら領主羽柴秀吉の名を口にすると、佐紀はまたしても悲鳴を上げて逃亡を試みた。

面妖な事に陽炎をちらつかせながら泣きじゃくる佐紀をどうにか宥め、再び捕まえるのに秀吉は更に相当な時間を費やすことになった。



「‥疲れた。茶でも淹れてくれるか」

漸く警戒を解き、まともな部屋に案内された秀吉はぐったり腰を落としながら佐紀に呟いた。

そんなこんなで奥に引っ込んでいった佐紀を待っている秀吉は、たった四半刻もしないうちに一戦終えた後のような壮絶な疲れを感じていた。

災いの元、ああ確かにあれはある種の災いに近いだろうな、と苦りきった目を縁側の外に広がる庭園に投げた。

「羽柴様、お待たせ致しました」

するすると襖を開き、佐紀が盆を持って現れた。

だが先程とは違い、白くゆったりした頭巾で金髪をすっかり隠している。

「随分幼い尼御前だな」

揶うような秀吉に佐紀はしゅんと眉根を下げた。

「先はお見苦しいものを見せてしまいました‥普段はこうするように言いつけられているんですが」

「あのままで構わんさ、俺は気にしない。むしろそんな格好では暑苦しいだろ」

「‥はい」

佐紀は戸惑いがちに苦笑いした。

ふにゃりと綻ぶ顔は意外に愛らしく、過分に幼いものであった。

ふと気付いたように佐紀が袂から袱紗を取り出し、それ越しに持った茶碗を秀吉に捧げ渡した。

熱い茶なのかと身構えてみれば拍子抜けするほど温く、結局一息に飲み干してしまった。

袱紗を持ったままの佐紀は、怪訝そうな視線に気付くとしどろもどろに口を開く。

「あの、えーと‥佐紀が直に触れると穢にあたるからと‥」

「言いつけ、か?全く面倒な暮らしぶりだの、お前は」

渋い顔で嘯くと、彼女の視線は苦く斜め下を泳いだ。

「でも、言いつけを守らないと狐憑きの佐紀は除け者にされますから‥」

変わった色の髪を隠し、素手で物に触れず、人に接しない。

災いを封じる為の最大限の譲歩の結果なのだろうが、まるで布に包まれた赤子のように不自由な人生だ、と秀吉は彼女の立場をごく純粋に憐れんだ。

「あ‥別に一人でも書は読めるし全然つまんなくないんですけどね!」

佐紀は強がるようににっと笑った。

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