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まだ秀吉が織田家臣として転戦し、長浜城を与えられたばかりの頃。

新領のある地域でとある噂を耳にした。

そこの住人達は口々に「名主様は狐に祟られた」と話し合っているという。

主君・信長がその手の話を毛嫌いし、普段中々口に出すことも出来ない反動もあったのだろう。

秀吉はほんの興味で、その名主を訪った。


「まさかまさか、狐の祟りなど迷信です」

そういって名主は困ったように笑った。

顔は若く見えるが、髪や口髭に混じる白い物からして秀吉より年は上なのかも知れない。

石田正継と名乗った名主は、賢さと素朴さが相まった何とも安らかな雰囲気を持っていた。

「郷の者は私どもに近年とんと子が出来ないのを狐のせいだと勘違いしておるのです。狐に化かされずとも、既に立派な跡継ぎはおりますし、この年で子を為そうとは思わんのですがねぇ‥」

困った困った、と溜息混じりに苦笑する正継に、彼が点てた茶を啜りながら秀吉が眉を上げた。

「だが何の因果もなく噂は立つまい?そちは狐の恨みを買ったことはないのか」

「実は‥」

正継が言うには14年前、宿した子供に狐が憑いていたという。

十月十日を経ずして生まれたのは小さな娘子で、鳶色の目と金色の髪を持っていた。

一年経たずして流暢な京言葉を話し、正継が見た事もない唐の史書を諳じて見せた。

一族は神童ともてはやしたが、噂を聞きつけた郷の住民達は金髪の彼女を一目見るなり異形と怖れて一切近づこうとしなかった。

彼らの陳情に負けて名高い学者に彼女を見せたら、
「娘には禍を呼ぶ狐が憑いている、物心が付く前に松葉で燻すか犬に噛ませて殺した方が家の為だ」
そう告げられたという。


「後の災厄になると言われようが、我が子をおいそれと殺める事など出来ませぬ。ゆえに、燻し殺したと郷には触れて‥」

正継は声を低く潜め、申し訳なさげに告げた。

「娘は縁ある寺に預けております」

「ほう」

秀吉は瞠目した。

悲しい思い出話と思いきや、秀吉の興味は一気にその狐憑きの娘に向いた。

「恨まれる心当たりなら、その狐でなくむしろ十年以上独りにしてしまった娘の恨みなのでしょうなぁ」

悔恨混じりの正継の述懐を秀吉はきっぱりと否定した。

「そのようなものか!」

秀吉は何とも明るく声を荒らげて正継の両肩を掴んだ。

「妖の禍を怖れず親子の情を重んじるとは見事!信長様が聞いたら必ずそちをお褒めになられ‥‥まぁ聞いたらその娘の命が危ういが‥。だ、だがそちはまこと親の鑑だぞ、うむ!」

「はぁ‥あ、有り難いお言葉にございます‥」

困ったように眉根を下げた正継に、秀吉はその娘の居るという寺の場所を訊ねた。

実娘とはいえ「災厄の元」と呼ばれた存在を領主に会わせる事を正継は渋ったが、秀吉の強い興味と懇願に折れ、密かに寺への絵地図を認めて渡した。



それから間もなく、日を改めた秀吉は知らせも無しにその寺を訪れた。

家族の手で静かに隠されたその存在は、まだ誰にも知らせてはいけないような気がするのだ。

行き先も告げず、独り城を抜け出す主君に家臣や近従達は何とも怪訝そうな顔をしていたが。

聞いたこともない存在に抱く秀吉の心情は、秘密の場所を探す子供の高鳴る緊張感にも似ていた。


教えられた寺は、小高い山を登った中腹にあるひっそりとした古刹だった。

躊躇無しに境内にずかずかと踏み入った秀吉は、これまた遠慮無しの声を上げた。

「誰か居らぬか、こちらに所用にて参った者ぞ!」

森に囲まれた寺院に、よく通る声ばかりが響く。

修行にでも出ているのか返事はなかった。暫く辺りを歩き回ったところで、まるで感じない人の気配に腕を組み溜息をつく。

(時期が悪かったか‥?)

目に付いた堂の濡れ縁に腰掛けた直後。

ちょうどその御堂の中から、小さな声が掛けられた。

「御客人の方でしょうか‥?」

「ん?」

少女の声に秀吉は振り向いたが、ちょうどその仕草と同時に彼女は驚いたような小さい悲鳴を上げて御堂の柱に隠れてしまった。

「ここの寺の者か?何をそんなに隠れて‥」

「ごめんなさい、言いつけで顔を見せちゃだめなんです!でも今ここには佐紀しかいないから‥ごめんなさい‥!」

秀吉の言葉を遮るように、佐紀と名乗った少女の懇願が御堂に響いた。

その時ふと、佐紀の隠れる柱の袂に、幾筋かの光がきらきらと揺れているのが秀吉の視界に留まった。

着衣の袖のように見えるそれは、よく見ると金糸‥いや、金色の髪だった。
はっと秀吉は瞠目する。

(まさか‥狐‥)

思い立った刹那には、既に立ち上がって御堂に上がり込んでいた。

履物もそのままに大股で歩み寄り、柱の後ろに丸くなって隠れる姿を覗き込む。

「どうしよう、ねぇどうしよう‥黙ってないで答えて」

顔を両手で覆いかぶりを振る佐紀は、その傍らで後退りする程驚愕している秀吉に気付いていない。

まるで誰かに助けを求めるような口振りで譫言を繰り返していた。


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あきゅろす。
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