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『狸も狐も、動けなくなるまで噛み合わせておいで。馬鹿娘に期待なんざしちゃいないけど、先に死なれたら折角あたしが天下取っても跡継ぎが居なくなるからね。あんたは博打の為の大事な一粒種なんだから、寄り道しないで帰ってきな、みあん』
耳の奥に蘇る母親の声はひどくさっぱりした口調で笑っていた。
しかし彼女は天下取りの賭金にされた割に、非情とか屈辱どころか快感に近い感情で満たされていた。
‥だって紫苑は天下人の生も死も掌で踊らせてきた日の本最高の軍師なんだから。
そんな紫苑の策略の切り札になれるなら誇りってもんでしょ?
誰にともなく秘める矜持をくすりとこぼれた笑みに滲ませる。
そんな愛らしい顔を夜闇に隠して狩りをする黒猫の様に、みあんは間断なく次の暗躍に手を付けていた。
「市兄、結局どっちにつくか決めたの?」
「いや‥俺は」
「らしくないね。迷ってるんだ」
懊悩する福島正則の陣を訪れたみあんは、普段通りじゃれつきに来たような口振りで尋ねた。
みあんにとって正則は豊臣直臣の先輩にあたるのだが、相性でもよかったのか二人は兄妹同然の関係だった。
幼い頃‥それこそ彼女が織田家の人質だった頃からの長い付き合いである。
現に今も正則はぽっと飛び込んできた彼女を何の疑いもなく丸腰の自身の側近くに置いていた。
「もしかして佐紀姉さんに遠慮してる?」
床几に腰掛け、腕を組んで唸る正則の正面に立ち止まると、身を屈めて彼の顔を覗き込んだ。
「違ぇよ、佐紀とは‥もう関係ない」
「じゃあ何が引っかかってるのよぉ」
長政は焦れるように唇を尖らせた。
「奥方様なら大坂から離れてるし心配ないよ?てか、あの人なら危なくなっても戦姫ばりに返り討ちに‥」
言い掛けてはっと何かに気付いた。
みあんは声を落として小さく問う。
「‥‥夜紗姉さんのこと?」
正則は無言だった。
だが、その沈黙は何よりの肯定と映る。
「夜紗姉さん、最後まで結論出してなかったもんね‥やっぱり市兄は姉さんと敵対したくないんだ?」
地図や布陣が書かれた絵図の広がる机の端に凭れ、その呟きには仕方ないというか、慰めるような柔らかさがあった。
やはりみあんの姉貴分にあたる夜紗は、一連の戦役においてひどく中途半端に立場をふらつかせていた。
その迷走たるや、家康と縁組を結んだ直後、利家の家康打倒の檄に応える有様だった。
「特に姉さんは尊敬してた大納言殿の信頼裏切れないだろうし‥判断が甘いなんて言えないよね、あの立場じゃあ仕方ないかな」
ぼんやりと爪先で地面をいじりながらみあんはちらちら正則の内心を読みながら言葉を継いだ。
正直なところ、夜紗が奥方を抜け目なく大坂から連れ戻しているのも、
そのくせ彼女が密かに示した西軍参加の意志は佐紀に渡る前に内通者の手で握り潰されていることも、
九州にいる本人も紫苑の説得で「ほとんど落ちた」状態になっていることも、
みあんの元には密告されてきているのだが。
彼女も正則を「しっかり落とす」仕事を請け負う手前、素知らぬ顔で目を細めた。
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