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(これはもしや聚楽の真下だけに地鳴りでも起きたと言うのかな。政庁にうっかり爆ぜる火薬庫がある訳でなし‥いや、隠されていたのかも知れないが、そうだとしたら地震どころの騒ぎじゃない)
御殿に連なる廊下の奥、飾られた陶器が無惨な死に体を晒す先に、お探しの火薬庫はあった。
明らかに爆心地らしく襖から屏風まで吹き飛んで、所々に燻煙が上がっている。
「これは関白の名にひびが入ったかな」
ふっと肩を竦め、高虎は部屋の前で自失している小姓の肩を掴んだ。
おそらくは純粋な忠誠心から秀次を案じて駆けつけたのだろう少年は、高虎を向くとがたがたと震えながら部屋の中を指差した。
「か、関白殿下が‥」
人差し指は切れて血が滲んでいたが、動転して赤色にも気付かないのだろう。
高虎ははいはい、と気のない返事を返しながらその指の鳴る方へ顔を向けた。
そこに広がっていたのは血と煙に染まった無粋極まる殺人未遂の現場と、今を時めく二人のある意味あられもない姿だった。
「‥素晴らしい」
高虎の表情には目一杯の驚喜と興奮が沸き上がった。
(これは豊臣家の天下に亀裂がいった、それも致命的な)
高虎は辺りに散らばる鋭利な破片や消し炭を物ともせずに部屋の中に踏み込んだ。
向かい合って倒れる秀次と佐紀の間に佇み、矯めつ眇めつ二人を眺める。
顎に手をやったまま暫く唸っていたが、佐紀の腹部から広がる血溜まりが自身の足元まで濡らしているのに気付くと思い出したようにその救助にかかった。
勿論、その目の本質はあらゆる箇所に向いて情況の分析にかかっている。
膝をついた先で横たわる佐紀は気を失い身動き一つしない。
装束から滲み出る赤色を訝しみ、腹部に触れた。
「‥おや」
正直な話、血潮以外の物まで「割られて」いるんじゃないかと覚悟は決めていたが、実際は予想ほど惨くはないようだった。
改めて抱き起こしてみれば、露わになった顔色に高虎は不覚にも安堵してしまった。
幾度も戦の死地を潜り抜けてきた彼にとっては、尋常ではない出血量よりも、その感覚的な生気の方が彼女の生存をあっさりと確信させた。
(この分では首でも切らないとくたばりそうにないな。血が抜けてへばってはいるだろうが、死相の欠片も出ちゃいないとは)
心の内に独語しつつ、高虎はちらと背後を顧みる。
佐紀と同じように気を失っている秀次は、外傷こそないものの血刀を掴んだ中々壮絶な姿になっていた。
(見たところ殿下は刀を逆手に持たれている。不逞を働いた治部少輔をとっさに成敗したとは到底考えにくい)
そこまで思い至り、くすりと笑みがこぼれるが、俯いた彼の素顔は目を覚まさない佐紀からしか伺うことは出来なかった。
「これより聚楽に参られる大名方はおられるか?」
高虎は恐る恐る歩み寄ってきた小姓に尋ねた。
「は、はい‥前田大納言様が」
「殿下は体調を崩して伏せられた。お目にかかれないと伝えてくれ」
正気を取り戻したとはいえ、政務の壟断にもとれる高虎の言い様に尋ねられた小姓はあからさまに眉を顰める。
「しかし‥」
「いいから早くしろ!」
尚も言い淀む小姓に声を荒げる。
怒声に急かされるように走り去った小姓の背中を見送ると、残された高虎の口元からは、今度こそ堪え難い笑い声がもれた。
「殿、ご無事ですか」
「‥ああ」
入れ替わるようにひっそりと一人の男が姿を現す。
聚楽第にありふれた家人の姿をしているが、その実は高虎が以前から送り込んでいた麾下の細作であった。
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