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真寿は即座に一言指摘すると、ふっと目元を緩めた。

「‥何だか私より若い紫苑殿にこんな事を思うのはおかしいのでしょうが、あなたを‥特に、みあん殿の話をする紫苑殿を見ていると日頼公を思い出します。くどくどと長い説教をされましたが、私や兄達を常に気遣って下さっていたからなのだと‥今になれば思いますよ」

「元就公と並べるとは酷なことをしてくれる‥」

「茶化さないで下さい」

唇を尖らせた真寿に、そんな気はないさと如水は笑った。

「人っての呼ばれる肩書きで容赦なく老いさらばえていく残念な性があるからね、あたしはあの馬鹿娘の母と呼ばれて老いていくより、太閤秀吉の参謀の肩書きで死ぬまで呼ばれてる方がいい。そんな片手間の馬鹿親を三矢の国母と並べるのは礼を失するさ」

「日頼公も似たような御方でしたよ。戦姫の母親とは、ご当人の思う以上に子に物を教えて下さいます。‥その代わり、まともな姫君の作法はからきしでしたけどね。五龍家に輿入れした姉は大層苦労したと聞きました」

真寿は指先を髪飾りに伸ばす。

毛利家の家紋を模した珊瑚と貝細工のそれは、細い指の間でちりちりと澄んだ音を立てた。

毛利本家から養子に出され、戦姫として小早川本家の当主になった彼女は、瀬戸内を占める村上・来島水軍の元締めも務めている。

そのせいか真寿には陽射しと潮風の染み着いたような、明るく寛容な雰囲気があった。

日頼公元就を語る彼女の表情は懐かしく遠くを見ているが、いま紫苑の目に映る真寿には、記憶にある毛利家一門の色や雰囲気は殆ど感じられない。

或いは、紫苑の知らない元就の姿にはよく似ているのかも知れなかったし、今の毛利家の方が彼女が語る頃のそれとは一変してしまっているのかも知れなかった。

「‥同じ戦姫の道を歩んだ私にとって、日頼公は本当に良き師でした。そういう意味では‥みあん殿は良き御母堂を持たれましたね」

「そうかい?だったら良いけど、日の本の賢人たる真寿殿の如くうちの馬鹿娘が育つかと言われると怪しいさ」

「もう‥紫苑殿」

「ま、あんたに太鼓判を貰えるんなら、上出来か…安心して隠居できるよ」

顔の半ばを隠すような長い前髪を梳きながら紫苑は嘯いた。

真寿は思わぬ言葉にはっと顔を上げる。

「え、また隠居なさるんですか‥?」

小さく頷いた紫苑が再び髪を顔に掛けるような仕草をする。

その狭間に覗いた横顔には、爛れたような痘痕が残っていた。

「今度は本格的に、ね‥厄介払いされる前に退散するのが利口だろ」

そういえば、と真寿はある噂を思い出した。

秀吉が紫苑を危険視しているらしい、という噂が近頃大名達の間で語られていた。

秀吉は周囲の人間に対し、
「如水に今以上の高禄を与えたら俺の天下を奪いかねない」だとか、
「徳川内府より加賀大納言より、痘痕顔の女史に寝首を掻かれないかが心配だ」だとか語ったという。

その噂の真偽はともかく、不穏な空気を察知した時点で紫苑は最悪の事態を想定して動いたのだろう。

彼女は幕が上がる前に自ら舞台を降りることで、自分に繋がる疑惑の糸を切り落としたのだと真寿は覚った。

だが紫苑自身はそんな素振りも全く見せず、楽隠居に期待しているような表情で真寿を小突いて笑った。

「これからは中津暮らしだからさ、あんたの城にも遊びに行かせてもらうよ」

真寿は一瞬眉根を下げたが、それを苦笑いに紛れさせて皮肉っぽく返した。

「紫苑殿を城に入れると後が怖いですからね‥私のいない時は突っ返すように言いつけておきましょう」

「あはは、怖いねえ。でもその言葉は草葉の陰にいる半兵衛に言ってやって欲しいね‥奴の方が城に関しては節操ないから」

暫し破顔した紫苑は、不意に鋭く目を細めた。

「‥半兵衛には及ばないが、あたしも少しばかり手癖が悪いってのをうちの主人はよく分かってたのさ。さすが、あたしが見込んだ男だよ‥相手にするならああいう怪物じみた男でないとね」

「紫苑殿‥?」

「ん?なんて事もないさ、ただの戯言」

その時紫苑が刹那に垣間見せたぎらついた感情に真寿は何とも言えない熱っぽい物を感じた。

だが真寿の気付いた茫漠としたそれが形になって顕れるのは、彼女が亡くなってなお数年の後の事になる。




如水姐さんと隆景姉さん。
黒田家っていいよね(´・ω・`)
2010/01/29 劉斗

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