お供え物
古泉一樹と僕
 今日、塾を初めてサボった。
 ずっと両親の言うとおりの良い子ちゃんを演じてきた僕にとっては天地がひっくり返るほどの反抗だったが、時間が経って冷静に振り返ればそれは反抗という字をあてがうほど立派なものでは無くって。
 そんな程度のものに一々鼓動を早めている自分の、なんて言うのか、小ささ? みたいなものに溜息と失望は隠せない。
 どこへ逃げるでも遊びに行くでもなく、こうして結局、塾の入っているテナントビルの屋上で星を見てるのは、臆病者の証明。いつ親が気紛れに迎えに来たっていいようにして。
 ……なんだかなあ。
 本当はもっと遠くへ行きたい。誰も僕を知らないトコロに行きたい。ううん、旅行がしたいって言ってるんじゃない。僕はこう、レールから外れてみたいのだ。
 退屈は心を殺す。でも僕は日常から抜け出す術を知らない子供。親の庇護下にいなければ生きていく事は出来ないだろうなんて、分かってた。
 ひんやりと月の光に照らされる手すりに両腕を預けて。一時だけの、ほんの些細な非日常。今日だけは気の迷い。明日からはいつもの自分。そう言い聞かせて。
 退屈な日常が一番のしあわせなんだって、ポップスの歌詞を無理やり信じ込んで。そうやって今まで生きてきたし、これからだって生きていく。
 ただ、そこに空しさを覚えるのだって、きっとみんな一緒なんだ。みんな一緒で、僕はみんなと一緒で、それは安心と安定の位置取り。
 一括りにされてしまう一山幾らの安い生き方に迎合している自分に……失望の溜息。

 そんな時だった。彼が僕の前に現れたのは。

 とても非現実的だった。おとぎ話みたいだった。映画みたいだった。絵画みたいだった。
 まず僕は自分の眼を疑った。なぜなら彼は何も無かった空間に突然現れたからだ。まるでどこかから瞬間移動してきた超能力者のように……いや、「まるで」でも「のように」でもない。
 本当に、偶然向けていた視線の先に、夜の空気が占領していた空間に、その少年は目叩きする間にそこに立っていて。
「ふう、今回はそこまで苦戦もしませんでしたね」
 聞いた事の有る声。誰だっけ? 少なくとも最近、聞いているのだけれど。僕は耳を澄ます。
 彼は僕に気付いていないようだった。僕は誰がいつ登ってきても良いように屋上の隅っこに居たし、街明かりも月明かりにも照らされない場所を選んでもいた。
 そうでなくとも、こんな時間に雑居ビルの屋上に人が居る事自体が希少だっていう常識は彼の頭にもきっと有るのだと思う。辺りを見回す仕草を彼はしたが、そこに身が入っていないのは僕に気付かなかった事からも明らかだった。
 ……それとも僕、気付いてないだけで忍者が天職だったりするのかな? いや、鈍臭いし無理か。
 手摺りへと歩き寄った彼はさっきまでの僕と同じくそこに両腕を乗せて上半身をもたれ掛けた。ビル下からの明かりにその顔が照らし出される。僕は息を呑んだ。
 アイツ、古泉じゃん!
 実はも何も知った顔。北高に通う女子生徒の間に知らぬ者無しと言われる超美形少年、でもってクラスメイト。直接の接点は特に無いけど。同年代の男子に比べて影の有る感じは確かにちょっとかっこいいと僕も思う。
 ファンクラブの立ち上げが進行中とも言われ、僕も友達に誘われた事が有る――丁重にお断りしたけど。
 ……もしかして僕、クラスメイトの決定的瞬間を見てしまったのではなかろうか。
 何やってんの、と声を掛けようか本気で思案する僕の視線の先で古泉は電話を掛け始めた。
「もし………し。あ、……うも。それ……ですね。森さん、……場所は……すか? ……ええ、そうです」
 途切れ途切れにしか聞こえない。かと言って近付けば僕の存在がバレてしまいかねないし……耳に手を当てて何とか声を拾えないかな。
「いえ、迎え……ません。……ら導入したGPSお……存確認が正常に動作……を知りたかった……して」
 効果無し。でも、なんだろう。ムズムズする。
 何かが劇的に変わりだしている、そんな気がして鼓動が加速を止めない。
 古泉一樹。
 君は何者ですか?
 今すぐ飛び出して問い詰めたい衝動と、得体の知れないものへの言い表せない不安感が僕の中でせめぎ合う。足は震えていた。歩き出せそうに――無い。
「……ですね。では、今晩はこの……はい。お疲れ様でした」
 用件は済んだらしい。古泉は電話を服のポケットにしまい込んでこっちまで聞こえてくる大きな溜息を吐いた。
 でも、それは。僕のものとは決定的に違って。
 彼の溜息は一仕事終えたぞっていう達成感に溢れた清々しいものだった。僕には無いものだった。どころか同年代の誰からも聞いた事が無いくらい。
 すごく優しい溜息を吐く人なんだって、僕はこの時初めて古泉一樹というクラスメイトを知った気がした。

 近付きたくて、近付けなかった。

 その夜は切っ掛け。結局、僕は古泉に超能力者なんでしょうと問い詰めたりはしなかった。でも、明らかに彼を見る目は変わった。
 少なくとも僕にとって、ただのクラスメイトではなくなった。普通の少年ではなくなった。
 眺める回数が増えた。席替えでは視力の弱い人にわざと席を譲って古泉を後ろから見ていられるポジションを手に入れたりもした。視線の先を追い掛ける事が癖になって。
 ああ、そっか。
 僕は彼を――好きになったのか。
 どこかへ連れ出して貰えるんじゃないかって淡い期待を入り混ぜて。みんなが知らない彼の顔を僕だけは知っているって小さな優越感を育んで。
 一月も経った頃、どうして僕はあの時古泉の前に出て行かなかったのだろうと、臆病者の自分をとても後悔するようになった。それは彼と話す機会が多少なりとも増えたからだと思う。
 文化祭の準備が始まっていた。
 僕のクラスは一学年に一クラスしかない特進クラスで、つまりクラスメイトはほぼそのままの顔触れが繰り上がっている。だから去年好評だった出し物をそのまま繰り返すことに対してどこからも異論は出なかった。
 ちなみにその出し物とは演劇だ。
 まだ演目は決まっていないが(さすがに演目は変えようという話になっていた)、演者は決定しているも同然だった。僕のクラスはとても舞台映えする男子生徒を有しているからだ。
 そう、古泉である。
 演目が決まらなければキャストの数も決まらないため、まだ投票こそされていないが前年度の実績を考えれば主演男優に限って出来レースなのは誰の目にも明らかだった。
 さて、これがどうして僕と古泉の会話が増える事に繋がるかと言えば。
「大変ですね、主人公さんも」
「ううん、そうでもないよ。去年だって古典を舞台用に台詞だけ抜き出したようなものだったし」
「ですが、脚本家という職業が世の中に成立している以上、それが労働ではないと僕には思えませんね」
「そっ……かな。でも、古泉だって大変じゃない? 主役、君でほぼ決まりでしょ?」
「え? そうなんですか? ですが、投票が……」
「女子票総取りだって。これでもし古泉を主役にしなかったら他のクラスからウチの全員が反感買うから男子だって君に入れるよ」
「……なんだかすみません」
「君が気にする事じゃないって。で、主演男優の意見を脚本家としては尊重せざるを得ないからさ。好きな古典文学とか教えてよ」
 と、こういう事だった。ああ、自分を褒めてあげたい。よく古泉の前で舞い上がらずに自然に振る舞えた。偉いぞ、僕。
 脚本家と主演男優。本決まりになっているのは僕と古泉の二人だけで。後のクラスメイトはまだ文化祭の準備に一つも取り掛かっていない。文化祭実行委員すら、だ。僕だけが働かされている気がしたけど、でも誰を悪く言う気にもなれなかった。
 だって、そのお陰で僕はこうして古泉と不自然でなく話す事が出来るのだから。
「古典、ですか」
「一番受けが良いっていうかね。無難なトコロでしょ。俳優が良いんだから僕が奇をてらう必要は無いんだ」
「あまり買い被らないで下さいよ」
 苦笑する古泉はなんだか可愛い。年頃の少年をこう形容するのはきっとダメなんだろうけど。でも、思ってしまったものは仕方が無い。
「僕など大根と言っては大根を作っている農家の方に怒られてしまうくらいなのですから」
「大丈夫だって」
「それよりも僕は主人公さんのオリジナル脚本を見てみたいですよ」
 笑顔で言う。うっ……コイツ、無自覚にこっちの心を揺さぶってくるのが上手いなあ。
 古泉に言われたら「よし、なら書いてみようか」ってなってしまいそうな自分をすんでで押し留める。危うい。危ういぞ、自分。
 僕なんかが前に出て行ってもお呼びじゃないんだ。みんなが見たいのは格好良い古泉。僕だって見たい。
 ……弁慶と義経とか見たいなー。勿論、古泉が義経で。和服……着流しの古泉……うわ、いい!
「……えっと、主人公さん?」
「あ、ごめん古泉。ちょっと想像に浸ってた!」
「はあ。別に良いのですが。ところで授業のチャイム鳴りましたよ」
「うわっ。準備しないと」
 慌てて席に戻る僕を古泉が笑う。うう、恥ずかしい……。でも、収穫は有った。後はクラスメイトの了解を取るだけだ。
 授業中、クラスの一人を除いてノートの紙片が教室中を回覧した。内容は分かると思う。僕の手元に返って来た時には全員分の閲覧済み&了承を示すサインがそこにはびっしりと書き加えられていた。
「よしっ」
 僕は思わず小さな声を出す。見回せばクラス中の女子が僕に向け教科書で隠した親指を立てていた。
 美少年の和服姿が嫌いな女子などいない。
 宇宙の真理とは意外と身近に有るものなんだなー、なんて僕は下らない事を考えていた。

 事件は唐突に起こる。

 文化祭の本番まで一週間を切った。大道具は技術室で、小道具は衣装部と一緒に空き教室である進路相談室を根城に大混乱と聞くが去年の事も有り彼らなら当日までにはしっかりと仕上げてくる事を疑いもしていなかった。
 問題はそちらではなく。
「……古泉、お前なあ」
 弁慶役の少年がこめかみを押さえる。彼がギリギリ一杯々々なのは僕にも責任の一端が有った。
 今回、僕が作った脚本は有名な「牛若丸」と歌舞伎の名作「勧進帳」の二本立てである。一部の女子(衣装部)が「絶対に服は作ってみせるから」と頑なに僕へと申し出てきた為……ゴメン、お色直しと言われて即了承したのは他でもない僕だ。
 好きな男子の色んな格好を見てみたいと思うのは仕方の無い欲求だと思う。
 だが、果たして。それがトラブルの種となったのもまた確かだった。五条大橋で立ち回る義経と弁慶はアクションが中心だから良いとして、勧進帳には弁慶の長台詞が幾つも存在する。
 弁慶役の田中がピリピリするのは当たり前の話。最低限まで台詞を削っても、それでも義経の倍は喋らなきゃいけないのだから。
 そんなこんなで弁慶には責任感の強いこのクラスメイトしか適役は居なかったし、そしてその責任感が仇になってしまうトコロまで僕は頭を回さなければいけなかったのだ。
「いい加減にしろよ。どんだけ練習サボれば気が済むんだ!」
 放課後の練習中、古泉の携帯電話が鳴り和やかなムードは一変。申し訳なさそうに彼が切り出した、何度目かの「バイトが入ってしまいまして……」にとうとう弁慶田中のフラストレーションは爆発して今に至る。
「この期に及んで文化祭よりバイトかよ! 今まである程度は大目に見てやってたけどな! だがもう本番まで一週間しか無えんだぞ! バイト先に断り入れておくのが筋じゃねえのか、オイ!」
 顔を真っ赤にして怒鳴る少年と胸倉を掴まれた古泉を僕たちは立ち尽くして見守る事しか出来ない。
「そうですね。ですが、どうしても外せないそうなんです。埋め合わせは後日必ずしますので、今日は行かせて頂けませんか?」
「言われて『ハイ、分かりました』ってなるようなら初(ハナ)っからキレてねえんだよ!」
 マズい。凄く気まずい。田中の言う事は一理有るし、田中以外のキャストも多少なりと思っていた節の有る内容だったがために誰一人古泉の味方に回ろうとしない――古泉シンパの女子すらも。
 やきもきしていると男子エキストラの内の一人が仲裁に入った。クラス委員長だ。
「ハイハイハイ、落ち着け、田中。でもな、古泉。田中が言ってる事は恐らくみんな思ってる。そのバイト、なんとか断れないのか?」
「……いえ、無理ですね」
 搾り出すような古泉の否定。いつも人当たりの良い彼がクラス中の反感を買ってでも通さなければならない内容。
 そこで僕は気付いてしまった。一月前の夜を思い出してしまった。あの夜を、古泉の持つ影の根底を僕以外は誰も知らない。
 勿論、僕だって古泉が何をやっているのかを知っている訳じゃない。だけど、のっぴきならない具合が僕ら普通に普通の高校生の考える「それ」とは一線を画す事くらいはなんとなくだけど分かるんだ。
「あ、あのさ!」
 気付けばらしくもなく、声を挙げていた。
「なんだよ、主人公」
「……主人公さん、どうしましたか?」
 うう、田中の目が怖い。でも、傍目にはいつも通りの古泉の目が、助け舟を求めているのに気付けたのは僕だけなんだ。
 僕だけ。だから。
「古泉の代わり、今日だけ僕がやるよ! ほ、ほら。僕って台本書いたじゃん! 台詞と動き、全部覚えてるのって僕だけでしょ! だからっ! 行ってきなって、古泉!」
 僕にある精一杯のちっぽけな勇気を振り絞ってみた。

「先日はどうも、ご迷惑をおかけしまして」
 文化祭の熱も引き、次のイベントごとである中間テストが差し迫ってきたそんな折、休み時間に珍しく古泉が僕の席までやってきた。
 ただそれだけなのだが僕の心臓はアクセル全開だったりする。
「いやー、いいよ別に。結局、劇は大成功に終わったんだしさ。知ってる? あの劇のお陰で田中に彼女が出来たんだって。僕、感謝されちゃったよ」
 声、上ずってないか? 顔、赤くないか? 大丈夫か、僕? 息を荒げてたりしたら一発で嫌われるんだからな!
「そうなんですか?」
「うん、そう。だから終わり良ければ全て良しにしよう。もう誰もなんとも思ってないよ」
「……主人公さんも?」
「勿論、僕も」
 というか僕から古泉への好感度は不動のマックスだったり……って言えるわけ無いし!
「嘘、ですね」
「へ?」
 ちょっと待って。どうして僕、古泉に睨まれてるの? どこで返答を間違えた? そ、そんな目で……いや、真面目な顔の古泉も僕的には当然アリですが。
「なんとも思ってなくはない人が一人、居るんですよ」
 よーし、古泉。僕がソイツの説得に行ってやるから名前を教えろ。あの義経を見てもなお不満が有るヤツなんて僕にはその存在が信じられないけどな。
 恋愛フィルター無しでも格好良かったのは評判が一手に集まるこの脚本家(ボク)が保証する。
 さあ、その頑固者はどこの誰だ?
「それは――」
「……それは?」
「他でもない――」
「他でもない?」
「僕です」

 お 前 か 、 古 泉 。

「なあんだ。心配して損した」
 ほっと胸を撫で下ろす。
「おや、心配してくれたのですか?」
「クラスメイトだし、脚本書いたの僕だし、主演だしでこれで気にしない方が難しいよ、マッタク」
「そんなものですか」
「そんなものです」
 とにもかくにも、古泉を悪く言うクラスメイトが出なかったことは喜ばしい限りだった。好きな人が他人に嫌われて良い気がするはずもない。
 ……まあ、今回の劇でファンが増えたのは複雑な思いだったりするけどさー。
「という訳でお世話になった主人公さんに何か恩返しが出来ないかと伺った次第ですが」
「……え?」
「いえ、ですから恩返しです。言ったでしょう、埋め合わせは後日します、と」
 あー、そういえば言ってた気がするけど。それって僕個人に向けてのものだったりするの? 違うでしょ? クラス全体に向けての発言だよね?
「いや、突然言われてもさ」
 ……古泉、すっごいこっち見てるし。
 え? あ? あれ? なんか顔、どんどん近付いてきてない? 近い! 近いよ、古泉! 格好良いし! アップでもやっぱり美形だし! だし!
 はっ! 古泉がアップって事は彼から見たら僕がアップになってるのか!? いや、それはマズい凄くマズいって!
 今朝、寝過ごして手入れとかしてないよ!
「ちょ、近い近い!」
「あ……すいません」
 顔を背けてぐいぐいとその胸を押す。
 ……あ。
 触った、僕。触れてしまいましたよ。胸板に。故意ではないのですが。セクハラで訴えられたりしても弁解出来ないくらいしっかり触れてしまった……じっと手を見る。
 この右手になりたい。
「えと、つまり古泉は僕に迷惑をかけたから」
「何か僕に出来る範囲で恩返しをしようと思いまして」
 ……ヤバい。鼻血吹きそう。やらせたい事、やってもらいたい事はそれは勿論、たくさん有ります。でも、流石にやって貰えないお願いばかりで……。
「どうぞ、なんなりと」
 僕に向けて笑い掛ける美少年。って言うか正直この状況だけで僕はお腹いっぱいになれるのですが。
「じゃ、じゃあさ」
 頭を大回転させて、口実を作る。
「今度の日曜、空いてる? 行きたいお店が有るんだけど、一人じゃどうにも行きづらくて行けなかったトコロが有るんだ」
 顔を俯けて、あああ、好きだってバレてないよな! 声、ちゃんと普通に出てたよな、僕!
「ふふっ、僕でよければ喜んでお供しましょう」
 脳内で天使がラッパを吹き鳴らした。その日、どうやって授業を乗り切って、どうやって帰宅したのか、僕にはほとんど記憶が無い。
 舞い上がるという言葉の意味として広辞苑に載ってしまっていてもなんらオカしくはないオカしな挙動だったと、後日友達は僕に告げた。
 ああ、恥ずかしい!

 日曜日、待ち合わせ場所には既に古泉の姿が有った。彼が私服という、ただそれだけで僕としては何も言う事など無かったのだけれど、ジャケットにノーネクタイの開襟とかもう……首筋チラ見せとかもう!
 鎖骨が! 鎖骨が!
 あの場所に歩いて行くのか? 近寄っていくのか? 僕が? 近寄っていいのか、むしろ?
 待ちぼうけする古泉を遠目に眺めていたら、(いつまでも眺めていたいとか思っていたら)三分もしない内に気付かれてしまった。やはり僕に忍者の才能は無かったらしい。
 駆け寄ってこ……正直、堪りません。
「どうも、こんにちは」
「ん……ごめん、待った?」
「いえ、今来たばかりですから。お気になさらず」
 本当にテンプレート通りの美少年。古泉一樹、一々の仕草受け答えすらスマートでそつが無い。
「それで、前から行ってみたかった場所とはどちらですか? お昼時に待ち合わせとの事だったので食事関連だと愚考しましたが」
「流石、古泉。そのものズバリ。当たりだけど賞品は出ません。すぐ近くだから、早速行こう」
 僕が回れ右をすると彼は僕の左に並んだ。そのまま少し歩きながら話す。他愛の無い話。どうでもいい話。話している内容は二の次で。
 こうして一緒に歩けるだけでしあわせになれるのはなんでかな。話してるだけですごいよね。
 退屈な日常は。古泉を好きになっただけで。毎日が分割された。一日一日に区切りが産まれて、一日一日に意味が産まれた。少しでも近付けるように。今日はダメだった。明日頑張ろう。昨日はよくやったぞ、自分。って具合に。
 古泉が超能力者だから僕を退屈から連れ出してくれるんじゃないか、そんな風に思っていた。でも、違った。
 変わったのは僕だ。
「主人公さんも大分変わってますよね?」
「うわー、予想通りの反応だけど凹むなー」
「いえ、ですが……」
 僕らの目の前には全国チェーンで展開されるコンビニエンスな二十四時間牛丼屋。どこの駅前でも見かける類のアレ。
「まさかこんな変わり映えの無い牛丼をこうして食べる事になるとは思いませんでした」
「そうは言うけどね。なら、古泉。君、ここに女の子が一人で食事に来てるのって見たこと有る?」
「それは……どうでしょうね。そもそも僕はあまり来ませんから」
 それでも一度も来た事が無い訳じゃないんだろう。注文の仕方も分からない僕とは違い、彼はメニューを一瞥しかしなかった。
「でも、中々想像し難い画でしょ? 女一人で入り難いのは確か」
「では、初めてですか?」
「初めてですよ?」
 ちなみにデートっぽい、異性と二人でのお出かけも初めてだった。なのになぜ牛丼屋を選んでしまったのだろう、僕。いや、でも。なんか構えたりとかしたくないし。
 相手は美人さんだけど! でも、クラスメイト相手に畏まるのも嫌だから。そう思って最初で転んでみただけ……って友人の受け売りだけど。
「まあまあ。いいじゃないの。何もここだけ付き合ってくれって言ってるんじゃないんだからさ、僕も」
「おや、他にも有るのですか?」 
「あったり前じゃん。今日は一日連れ回すから、そのつもりでね」
「分かりました。どうか、お手柔らかにお願いします」
 カウンター席に二人並んで食べた牛丼の味なんてよく分からなくて。僕は終始箸の持ち方ばっかり気にして昼ご飯を食べた。
 
 日が暮れてきて、行きたい場所のストックも尽きて。それじゃそろそろ解散にしようかと言い出そうとして。そこで古泉の携帯電話が鳴った。
 着信画面を見て一瞬表情を強張らせる、その顔に僕は見覚えが有った。
「すいません、少し電話をしてきます」
「うん、いってらっしゃい」
 劇の練習をサボってでも行ったバイト先からの連絡の時と、古泉は同じ顔をしている。ああ、これで本当にデートは終わりなんだと僕は悟った。
 不思議と寂しくはなくて。
「申し訳ありません、バイト先からの連絡で……」
「いいよ。今日は一日お疲れ様。僕もそろそろ塾に行く時間が迫ってるんだ」
「大変ですね」
「お互い様でしょ? それじゃ、また」
「はい、また明日」
 言って、別れる。僕と彼は正反対の道を行く。でも、きっともう僕は日常を退屈だなんて思わない。

 夜。塾の入ったテナントビルの屋上。仁王立ちする僕の前に突如として人が現れる。
 まるで予定調和みたいに。
「おわっ!? え!? 主人公……さん? どうしてこんな場所に?」
「や、古泉。見るのは二度目とは言えさほど驚いてない自分にビックリしてるよ」
「二度……目? 主人公さん、貴女、何者です?」
 美少年が僕から距離を取るも、僕は無遠慮にその距離を縮めた。古泉との距離の縮め方は日中にちょっとだけど学習したんだ。
「君のクラスメイトだ」
 それ以上でも以下でもない……今は。
「僕も聞きたい。古泉。君は何者なの?」
 古泉は答えない。クラスメイトだって言ってくれるのを期待したんだけどな、僕は。
 まあ、仕方ないか。
「……みんなには言わないよ。言う気もないし。一つだけお願いを聞いてくれれば今まで通り何も変わらない」
 美少年の顔が近い。夜でよかった。顔がよく見える昼間にこんなに接近して素面でいられる自信なんて無いから。
「脅迫、ですか。ただの女子高生とは思えませんね」
「いやいや、そんなに立派なものじゃないよ、古泉」
 僕は笑う。
「ただ僕は」
 君を見つけた唯一の一般人として。
「君の理解者(トモダチ)になりたいだけなんだ」

 まずはお友達から。
 君の影に少しづつ踏み込んでみよう。


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