その他二次創作の部屋
キョン「戯言だけどな」5
「さあ、どうする?」

一歩、踏み出す。そこに有る筈の見えない死線はどっかからのネオン灯に照らされて蒼白い。

「さあ」

一線、踏み越す。見えないものなら信じない。見えてるものなら先ず疑え。

「さあ」

一切、踏み潰す。信じるだけじゃ救われない。救われたいなら信じ抜く事。

「さあ」

――合切纏めて、踏み鳴らせ。俺がここにこうして立っている、その証を響かせろ。

「さあ」

歩き、迫る。一歩一歩、ゆっくりと。こつり、こつり。革靴がアスファルトにぶつかる音は、まるでオペラハウスか何かに居るみたいに駅前大通りで反響する。つまりはそれだけ静かって事なんだろう。物語の登場人物以外は存在を許されていないような夜の世界。
月すらも雲に覆われて舞台に出て来る事がままならない、ってーのに俺みたいなのがその主役的な位置に立たされているのはミスキャストで多分、間違いは無いよな。脚本家出て来い。危険手当は出るんだろうな?
ああ、そうだよ――ブルってるさ。正直、戦々恐々の心持だ。殺し屋へと向けて出す足は重く、屍山血河を歩いているようにすら思える。だが、あんまりにも困難な状況で……まあ、恐怖から気が狂っちまったのかも知れないが、事ここまで至っちまうと心から笑えてくるってんだから人間ってのは不可思議だ。
マジでくたばる五秒前。本気と書いて帰りたいと読ます。いや、だからこそなのか。正しくこれが「笑うしかねえ」っつー言葉の意味なんだろう。
笑いながら右足を前に出す。ここが地獄の一丁目。左足を前に出す。そんならここが二丁目か。……一丁目二番地かも知れんな。どっちでもいいさ。道化もここまで来ると本物だ。
地獄だろうがなんだろうが、大切なヤツがそっちに行っちまったってんなら足だって踏み入れようよ。ダンテ先生って前例が居る事だし、別に人類未踏の地じゃあないだろ。
地獄だって地続き。取り返しに行くのは残念、善良可憐なベアトリーチェって訳には行かないが。

「さあ!」

取り戻したいのは俺たちの日常。ただそんだけ。だったら高望みじゃ、決してないはずだ。
なら、歩こう。地獄への道を。
一笑、しながら。
歩き行く。俺とソイツらとの距離はもう目と鼻の先にまで差し迫っていた。……実際は八メートル程だったかもな。ただ、プロのプレーヤってのにとって一息で詰められる間合いに足を踏み入れたかどうかなのは経験則から理解出来た訳で。
つまり――正真正銘、限界ギリギリぶっちぎりのデッドライン。俺が左足を上げる命令を脳から太腿の筋肉へと伝達する、その直前に殺し屋は口を開いた。
殺し屋達は口を揃えた。

「理解した」
「理解した」
「理解した」
「理解した」
「理解した」

それは全く同じ声で、全く平坦な声で。しかし不協和音染みて聞こえたのは余りにも整い過ぎていたからだ。
機械よりも精密緻密に。同じ音を別々の人間が、しかし揃って刻む。有り得ない話だった。匂宮シスターズ(修道服だしこう呼んだ所で誰からも非難されんとは思う)は、当然の話だが立っている位置が一人一人違う。それぞれの口の位置は目算二メートルってトコだろうか。
だったら、耳に届く声にはズレが生じる筈だろ。普通に考えて。だけど、それが無い。
つまり、零コンマの世界で発言タイミングをずらしているんだ、コイツらは。それに気付いた時、俺の背筋をおぞましいものが走り抜けていた。
偶然、なんかじゃない。
それを――そんな事を出来るようなヤツが俺の相手をしている。俺を敵と認識して立ち塞がっている事実。今更な話だったが、俺が今立ち向かっているものはそういうものなんだ。
果たして、俺になんとか出来るのか……いや、そうじゃない。
なんとかするんだ。
俺達で。

「敵として認めよう」
「障害として排除しよう」
「例外として処理しよう」
「災害として処分しよう」
「人外として弾圧しよう」

五人の修道女は一斉に胸の前で十字を切った。次の瞬間、背後からうめき声が、って朝倉!? 振り返って何が起こったのかを確認したいが断片集(フラグメント)から目を逸らせば……次の瞬間には閻魔大王の御前に間抜け面して突っ立っていそうなのが分かっているから振り向く事も出来やしない!

「目には目を」
「歯には歯を」
「裏切りには復讐を」
「人でないものならば、同じく人でないものに任せておけば良い」
「さあ、これで一対一だ、『裏も表も』」

……最悪の展開。でもって、一対一とかどのツラで言いやがるよ、こんちくしょう!
勿論、俺だってこの展開を予期してなかった訳じゃない。姿形こそ見えやしないが、多分どっかに九曜が待機していやがったんだろう。もしも俺が狐面の立場だったとしたら、やっぱり同じような配置をしたんじゃないかと考える訳で。
まあ、先に言った通り最悪の予想図なんだが。くそっ、いーさんの言った通りだな。最悪の予想で最善の予想。ここまで徹底してやがると逆に清々しさを……覚えるか、そんなもん!

「何が一対一だよ! 誰がどう見たって五対一だろうが! お前ら数も数えられんのか!? いやいや、五までなら片手の指で足りるし、ほら、悪い事は言わんから一本づつ指を折ってみろ。点呼でも良いぞ?」

言いながら背後の気配に耳を欹(ソバダ)てる。朝倉の息遣いは決して荒い訳じゃないが、だがさっきまでは靴音が反響する程気配という気配を消していた。それに比べたら呼吸音が聞こえてくるというその時点で既に尋常ならざる事態が少女の身に起こっている、その事は理解出来た。
あの長門にさえも「今は何も出来ない」と言い切らせた天蓋領域の攻性なんたら。朝倉が長門に劣るなんて失礼な考えは流石に持っちゃいないが、それでもバックアップが第一線よりも勝るって事は無いだろう。
良くて同等。ならば朝倉はもう戦力として数える事は出来やしない。バタフライナイフなんて持っちゃいても、それでも只の女子高生に一瞬にして様変わりだ。
「殺し屋 ABCDE が あらわれた!」ってメッセージが出てるのにパーティの方は一般人が二人って、おいおい、状況を整理したらコレ洒落になってねえぞ。

「全は一。一は全」
「我らの世界は我らのみで閉じられている。ならば全は我ら。我らは一」
「五対一とは笑わせる。我らは『五体で一人』」
「五体満足な貴様と五体満足な我」
「条件は互角」

どんな歪んだ物差しで世の中を測ってやがるんだ、お前らは。エジソンじゃねえんだぞ? 泥団子を一足す一したら大きな泥団子になるからやっぱり一だ、とかは偉人のエピソードであるからこそ微笑ましいのであって現実じゃそんな事言い出しゃ只の捻くれモンだ。
五人で一つ。そんな戦隊モノは流石にもう卒業してるんであって、たった一人で立ち向かわなきゃならん怪人の気持ちもそろそろ鑑みてやるべきだと俺なんかは思うね。ああ、こうやって怪人の側にマッチメイクされると尚更そんな事を思わざるを得ん。
とは言え……ここで朝倉を頼る訳にはいかねえよな、やっぱ。
武器は戯言だけじゃない。後は勇気でカバーする。そういうシナリオを書いちまったのは他ならぬ俺自身だってんだからお笑いだ。

「一つだけ確認させろ。お前らが殺しを頼まれてんのは俺だけなんだな?」

勇気なんざ持っちゃいないが、背水の陣と来れば死に物狂いにくらいはなってやるさ。……まだ死にたくはないからな。
修道女達は答えない。それがどういう回答なのか俺には分からなかった。沈黙は肯定ってのを真に受けて朝倉に危害を加える気はないと見るか、乗りかかった船って具合に十把一絡げの一網打尽か。
もしくは兎吊木(だったよな? どうも人の名前ってのは中々覚えられん)みたいにどうでもいいのか。ああ、この可能性が一番アリだな。ま、どれであっても俺の行動は変わらんのだが。

「朝倉に危害は加えるなと言いたい所だが、大人しく殺されてやるからとも言えん俺が居るんで……仕方ない。あまり気は進まないが相手をしてやるぜ、匂宮五人衆」

俺の言葉を受けてそれぞれにファイティングポーズを取るシスターズ(修道女だけに)。もしかしたら五人どころじゃなくて一万人くらい居たらどうしようとか下らない事を考えるが(シスターズだけに)、まあその時はその時だ。
行き当たりばったりはハルヒに出会ってから留まる所を知らん。
なんて言ってはみたものの、しかし流石の俺でも無策じゃここまで横柄な態度に出れはしない。そうさ。策師を気取る気は無いが奥の手くらいはちゃーんと持っている。抜け目の無いヤツ? それってーのは褒め言葉だろ。

「ただし、楽に殺して貰えるとは思うなよな。こう見えて俺はフェミニストなんだ。女子供は殺さない。そんかし『死んだ方がマシ』って目には仕置きの意味で遭わせる事に決めてんだ」

コートのポケットに手を突っ込んで殺し屋達の位置からは見えない所で携帯電話を開く。残念ながら仮面ライダーに変身するって展開ではない。念の為。
一言で言えば……あー、別にバラしちまっても良いか。そんなに大袈裟なモンでもないしな。
俺の持っている切り札ってのは只の「瞬間移動」だ。
朝倉の能力が封じられる前に、その朝倉の情報操作能力によってプログラミングされた宇宙的魔法パワーが俺のケータイには仕込まれていた。
備え有れば憂い無し、ってな。何? 他にもっとマシな切り札は無かったのか、って?
有るには有ったさ。宇宙人とは別に独立して成立する不思議能力。例えばビルを片手で持ち上げられるような腕力を俺に付与するだとか、例えば長門お得意の透明になるヤツだとかな? 
他にも超速再生だとか目からビームとか加速装置だとか……人を改造人間かなにかと勘違ってるんじゃないかといったラインナップの中から俺が選んだのは「瞬間移動」って事になる。いや、表現がマズいな。それしか選べなかった、ってだけの話なんだ。
選択肢ってのは基本、消去法。
ビルを片手で持ち上げられる腕力なんかがあってもパンチが当たらなきゃ意味が無いし、俺みたいな素人のパンチが当たるとは幾ら楽観的な俺でも思えなかったんだよ。透明になったって当てずっぽうにマシンガンでも乱射されればそれでアウト。
再生能力は怪我をするのが前提だし、目からビームは網膜がかなりヤバい事になるらしい。加速装置を足に搭載すりゃ、有機体では燃え尽きるのに三秒と掛からないってんだから大気圏突入機能も無い俺にとっちゃ只の自殺行為だろう。
……なんか羅列したら本気でロクな提案されてないな、俺。朝倉のヤツ、急進派とは縁を切ったっていつぞや言ってたがこの分だとかなり怪しいぞ、おい。
そんなこんなで唯一(と言って良いだろう)まともな事前策が「瞬間移動」だったってワケだ。
なんだったかな……朝倉の説明によるとそれが「瞬間移動」となるのは結果論で、俺の座標軸を一旦非侵食性融合なんたら空間へとズラし、そしてまた現実世界へと復帰させるとか、まあ詳しい話は忘れた。
俺にとっては実害の有無が問題であって、その内容なんかは二の次なんだ。その辺りは言わんでも分かって貰えると思う。うむ。
まあ、つまりはこの能力で飛び掛ってきた殺し屋の背後を取り「遅いぜ」とかなんかそんな事を呟いてやれば相手は戦慄して手を出しづらくなるだろうと考えた訳だ。浅知恵って言うんじゃねえ。猿知恵も却下。
だが。ここへ来て事態は思わぬ方向へと動く。殺し屋の足元がミシリと呻いた……その刹那。俺とソイツらの間の闇が、不意に人の形を取った。

「……こんな所に居たんですか」

闇は段々と少女へと変化していく。輪郭が街灯に照らし出されるところまで来た時、俺は彼女の名前をようやく思い出した。

「井伊崩子、さん?」

「はい。遅れて申し訳有りません。てっきり戯言遣いのお兄ちゃんと一緒に居るのではないかと見当違いをしてしまいました」

いや、この時分ならどっちにしろいーさんとは逸れているんじゃないかと考えるのだが。まあ、そんな事は言っても分かっては貰えないだろうし説明している時間も無さそうだ。

「ですが待たせた分は取り返せば済む……汚れた名前は濯げば良い。かつてお兄ちゃんが私にしてくれたように」

闇の姿をした少女は、なぜだろうか、少女の姿をした闇のように俺には見えた。

「全ての名誉は捧げた身なれど、我が身を一介の奴隷に窶(ヤツ)す事すら許されぬ闇口のなり損ない。けれどその技と業(ワザ)はなくなりはしない。ならばここは私が……人肌脱ぎましょう」

一対五。その事実に気付いていないとは思えないのに。それでも彼女は逃げなかった。俺を、見捨てなかった。
これが戯言遣いの娘。いーさんは俺が思っていた以上にかなり凄い人なのかも知れないと、伊井崩子さんを見ながらそんな事を思った。

「闇口の小娘か」
「しかし、闇口は姿が見えぬが脅威」
「その身を晒せば、生き恥よ」
「生き恥ではない。ここで死ぬのだ」
「ならば精々、辱めて殺すとしよう」

口々に勝手な事を言いやがる匂宮五人衆。……ああ、そうか。コイツらにとって恐らく「闇口」ってのは知った口なんだろう。俺みたいな正体不明は警戒するが、しかし中身が推測出来る相手なら怖くは無い。
恐怖ってのは未知から来る。良く聞く話だな。「闇口」……よく分からんが武術の一派か何かか? そう考えればシスターズが口にした台詞も頷けなくは無い。手の内がバレてるとなると戯言は通用しないな。いや、戯言遣いの娘とくればその辺りをリカバリするスキルでも持っているのだろうか。
ううむ、興味深い。……って、観客モードになっててどうする、俺。しっかりしろ。なんで一対五前提で考えてんだよ。二対五だろうが。早速人任せにしてちゃ世話無いぜ。

「いいえ、貴方は何もする必要は有りません」

「おいおい! 一対五でなんとか出来る相手かよ!?」

伊井崩子さんや。アンタは朝倉か? 宇宙人レベルなのか? いやいや、そんな訳は無し、そもそも女の子一人で戦わせるなんてそれは男としてどうなんだ、って感じじゃねえか。

「一対五?」

おい、なんでそこで疑問系なんだ。アレか。アンタも数が数えられないクチか。だったら今、この場で即席の公文塾を開いてやる。いいか、右手を開いて指を親指から一本づつ閉じていくんだ。さて、リピートアフターミー。いーち。にーい……。

「三対五の間違いでしょう?」

なんてこったい。朝倉が伊井さん(戯言遣いは「いーさん」)の中では戦力として数えられちまっていた。確かにバタフライナイフを携えちゃいるさ。だがな、アイツは目に見えないだけで今、正に敵の攻撃を受けている真っ最中であってだな……ん?
いや、でもおかしくないか? 俺は既に戦力外通告を受けてんだろ? あれ?
俺の頭でクエスチョンマーク量産工場がおっ建てられるよりも一秒ほど早かっただろうか。その声は上から聞こえた。

「参っちまうよなあ、自分でも。知らぬ間にエントリされてるとかマジ有り得ねえ。傑作だぜ」

「ちょっと人識くん、折角の登場シーンなんだからもうちょっとこう、ばばーん! って感じで格好良く行きましょうよう!」

……駅ビルの屋上ってどうやって登るのかちょっと聞いてみたい。
俺が唖然とするのが分かっているのかいないのか。多分、分かってないんだろう。駅の上にくっ付いている協賛会社の看板の脇でその男女二人組はまるでこっちになど関心が無いかのように会話を続ける。

「いや、そうは言うけどよ、伊織ちゃん。正直、こんな所に登る意味が先ず俺には分かんねーんだよな」

ヒーロー物のお約束……いや、画面外でやってるのは遊園地のショーぐらいか。その煩悶は理解出来るぜ、人識クンとやら。

「そんな事言って、でも登ってる時には何も言わなかったじゃないですか。そういう事はもっと早く言ってくれなきゃ撤回はききませんよう」

「何か理由が有って登ってたのかと思ったんだよ……」

「理由なら有ります!」

腕を振り上げて息巻くニット帽の女性。なんだか独裁者の演説でも見てる気分だ。

「一応聞いておいてやる。ホワイ?」

「私達は正義の味方、だからに決まってるじゃないですか! 頭悪いですねー、人識くんは」

遠目であっても小柄なのが見て取れる男が肩を落とす。その気持ちは分かる。分かるぞ。なんかハルヒを相手にしてる俺を他人の目から見ているような気がしてとてもじゃないが他人事には思えない。なんだ、このシンパシ(共感)。鏡でも見てるようだぜ。

「俺さあ……何がどう転んでも正義の味方にだけはならないでおこうって決めてたんだわ。格好悪イとか漠然と思ってたんだが、今夜、伊織ちゃんのお陰で俺がどうして正義の味方に嫌悪感を抱いてるのかの疑問が氷解したぜ。ありがとうよ……」

「えへへ、褒められました」

おい、そこのニット帽。アンタ、頭でも膿んでんじゃないのか? 脳外科に今すぐ行く事をオススメする。いや、この時間はやってないか……なら救急車だな。即時入院は間違い無い。なんなら俺が診断書を書いてやってもいい。

「って、なんで正義の味方がダメなんですか! 良いじゃないですか! 格好良いじゃないですか! 一緒にやりましょうよう、人識くん。通り魔戦隊ゼロザキジャー! あ、決めポーズを考えないと。むむむ……」

「字面も語感も最低な上にそんな戦隊はPTAが許さねえよ! 子供に見せられる通り魔なんてどこの世界に居やがる!」

いや……どっちかって言うと最低じゃなくて最悪だな。もしかしてあのニット帽、狐面を脱いだ人類最悪なんじゃないのかと訝しむ俺を一体どこの誰が責められようか。

「PTA!? おおっ、悪の組織ですね! ゼロザキジャーに早くも敵が現れました。立ち塞がりましたよ、人識くん! どうしますか、って決まってますよね。零崎に仇成すものは一族郎党皆殺しです。老若男女の区別無く善人悪人の分別無く殺りまくりですよう」

「おい、伊織ちゃん。もしかしてPTAってのがどういう団体か知らないんじゃないだろうな……?」

「え? 悪の組織ですよね、私達の活躍が地デジ発信されるのを邪魔するのが目的の?」

いや、少なくとも通り魔戦隊を止めようとするのは悪い組織じゃないと思う。まあ、PTAじゃなくてそういうのは警察の領分なんだろうが。

「あのな。PTAってのは学童保護者の集団なんだよ。その一族郎党ってのはつまり戦隊モノの視聴者だ。自分から視聴者皆殺しにしてどうすんだよ、伊織ちゃん……」

「分かってませんねー、人識くんは。最近の戦隊モノは大きなお友達向けに創られているんですよ? だったら伊織ちゃんが際どいスーツ着ていれば何も問題有りません。むしろ視聴率は鰻上りで映画化決定ですよ」

まだ放送も何も始まってないのに映画化決まっちゃったよ、おい。

「あー、そうですね。人識くんもお姉さん受けしそうかも。こう、ちっちゃくて生意気ってよく分かってますよう」

「あーあー、聞こえねえー。身長の事なんか俺は何も言われちゃいねー」

「人識くんは良い歳してショタです」

「なんっ……で、そこまで! 的確に人を傷つける台詞が言えるんだよ、お前はあああああっ!! 言うに事欠いてまさかのショタだと!?」

あ、男の方がキレた。蹴った。落ちた。……そして十点満点の着地、と。

「うなっ!」

ポーズまで決める余裕が有るとか、なんだかコイツら人生楽しそうだな。一触即発の戦場だなんてきっと思ってもいないんだろう。……俺もそういう生き方が……いや、辞めておこう。謹んで辞退させて貰う。一歩間違えれば病院行きの人生なんて真っ平ご免だ。

「ちょっと、酷いですよ、人識くん。いきなり蹴り落とすだなんて、伊織ちゃんだったから良かったようなものを」

……登場からずっとお馬鹿な台詞しか吐いてない彼女だったが、しかしやっぱりコイツもプロのプレーヤとか言われる類で有るらしい。常人は十メートルは下らない高さから落とされて無傷じゃいられない。少なくとも俺ならば良くて骨折。悪けりゃ死んでる高さ。
それがどうだ? ビジネススーツに身を包んだ伊織ちゃんとやらは空中で猫を思わせる一回転を披露して足から着地。スーツには土一つ付けちゃいない。アスファルトだから土じゃなくて石ころだろ、って? いや、そんなツッコミはするだけ野暮と言わせて貰う。

「大丈夫だ。伊織ちゃんじゃなかったら先ず蹴る行為に及ばなかったからな」

「ああ、それなら安心ですね……ってちょっと!? ええっ!? それってどういう事デスカ!? 愛が! 家族愛が足りない!」

「あー、愛してるよ。うん。多分。恐らく。楽観的に見て」

言いながら人識と呼ばれた青年もまるでエスカレータに乗るような気軽さで屋上から足を出す。当然だがそこに床なんてモノは無い。だが、そんな事はどうやら彼には関係ないらしく、「何も無い」場所を平然と徒歩で下ってソイツはニット帽の横に並び立った。
……どうなってやがるんだ、世界の常識はどこで崩れた? またハルヒが何かやらかしたのか? それとも古泉みたいな地域限定じゃないモノホンの超能力者がついに登場しちまった?

「だからスキンシップってヤツだ」

「うなー。そりゃあ、伊織ちゃんが着地失敗しそうになったら人識くんは曲弦糸で助けてくれるのは分かってますけど。それでもやっぱり女の子は蹴っちゃダメです」

「かはは。そりゃ悪かった。今後肝に銘じとくわ。伊織ちゃんの相手はすんな、ってよお」

言って。そして青年は向き直る。俺を見据えるその顔半分を彩るのは刺青。生きづらそうな顔面刺青はトライバルだったか。確かそんな名前の模様だった。

「で、俺としちゃ次の相手を探してる訳だが、どいつが俺の相手をしてくれるんだよ、崩子ちゃん。そこのなんちゃって戯言遣いか? ……それとも」

ニタリ、笑う。ナイフの様に怜悧に鋭利に、眼を細める。

「よう、久し振りだな、断片集(フラグメント)。またセクハラさせて貰えねえ? 俺、あれから修道服萌えに目覚めちまってさあ」

そう軽口を叩きながらも、その眼は決して軽くない。ああ、シスターズに睨まれた時に「これが殺気か」みたいな事を言ったような記憶が有るが、悪い、撤回させてくれ。
本物の殺気ってのはこういうのを言うんだ。気圧されるってのは、ああ、言葉の通りに圧力を感じるものなのか。
俺の体は、まるでプールに浸かっているように動きを阻害されていた。錯覚でなく、そうなっている。物理的に、と言っちまえそうなそれは圧倒的な「質量」を伴った存在感の楔。

「先ずは手を握るところから始めようぜ、お互い」

手を繋ぐ。そりゃ確かにスキンシップの第一段階だろうよ。後ろから蹴り落とすよりもよっぽど健全だ。ただ、俺だったらこんな怖いお姉さん相手も顔面に刺青ぶち込んだお兄さん相手も丁重にお断りさせて頂く。
だって、次の瞬間に死んでそうだし。断りの文句をしくじってもそれで人生がゲームオーバになりそうじゃねえ? そんな綱渡りはスキンシップとは言わん。ハルヒ相手の方がまだ可愛らしいぜ。
……何でも無い。今のは只の妄言だ。忘れろ。忘れてくれ。

「ふん、世迷言を」
「ふん、痴れ言を」
「ふん、寝言を」
「ふん、戯れ言を」
「ふん、虚言を」

「おいおい。痴れ言も世迷言も寝言も虚言も看過してやるが、しかし戯言ってのは無しだろ。あんなのと一緒にすんなよ、えけてちゃん。あんな欠陥品と同列に扱われたら幾ら懐の深い俺でも傷付くってなモンだ」

戯言。ああ、いーさんの事か。どうやらこの男は戯言遣いとも面識が有るらしい。よく分からんがそれはつまり味方、援軍だと……いや、でもいーさんを「あんなの」扱いしてるし微妙だな。何にしろ今ここで敵味方の結論を出すのは時期尚早と言える。

「そんな事言って、人識くんと"いーちゃん"さんは仲良しじゃないですか。いっつも悪口ばっかり言ってますけど、この伊織ちゃんに嫉妬させるんですからただならぬ仲なのは間違いありません」

「うげ……おい、伊織ちゃん。その『ただならぬ仲』って表現は流石に勘弁してくれるか? 俺とアイツはそんなんじゃない」

顔を顰(シカ)め、吐きそうな声で顔面刺青はそう振り絞る。

「似たもの同士とか思われてたんなら有り得ない話だぜ。俺とアイツは正反対だ。アイツが右を向いたら俺は左を向くし、俺とアイツで似てるのは一点だけだ。つまり――どっちも『終わってる』んだよ」

世界の終わりを止めようとする戯言遣い。だが、旧知の仲だろう青年はその彼を「終わってる」と表現する。なんだ、この違和感。
……終わりってのは……狐面が望む、いーさんを表現する、「終わり」ってーのは一体なんなんだ?
俺には……俺には分からない。自らをヒトとしての終着点、「人類最終」と呼んだ想影真心。世界という物語の終着点を探し続ける「人類最悪」。終わり。おわり。オワリ。
どうしてだ? どうしてどいつもこいつも終わりたがる? 違うだろ。そうじゃないだろ、人間ってのは。
人間ってのは……ああ、なんでアイツの顔が頭に浮かぶのか。ここでもアイツの顔が頭に浮かぶんだ。
アイツは「終わり」になんか関心を持っちゃいない。アイツは探してる。閉塞的な毎日の突破口。打開策。
涼宮ハルヒ。
世界の終わりへのアンチテーゼ。思い起こすまでもない。高校に入って間もない頃に訪れた世界改変の危機に遇って、それでもアイツは未知の世界にわくわくしていやがったっけ。そんな厄介な女神様が今回は世界を終わらせる道具にされようとしていやがる。
……終わらせてなんか、やるものか。

「かはは。まあ、いい。心底憎いが、これも同類嫌悪ってヤツだと言われりゃ俺には撤回しようもないしよお。崩子ちゃんの要請に乗って、ここで戯言遣いに恩を売っておくのも悪くはねえさ。ま、アイツが恩を仇で返す性格なのは自分の事のように知っちゃいるが」

苦々しく、でありながらも楽しそうにそう言って哄笑する男。丁度、俺や井伊さんから見て反対側、匂宮五人衆を挟撃する位置のソイツと伊織さんを警戒するように、シスターズの内の三人は俺たちに背を向けている。
とりあえず戦力の分散には成功したらしい。

「では、お兄ちゃんではなくこの井伊崩子にその恩は貸しておいて下さい」

「冗談だろ。俺は年上が好きなんだよ……って、ああ、残念だったな崩子ちゃん。俺が年上趣味って事は水面の向こう側、戯言遣いも同じくだろ。年下に妙に好かれるくせに年下には興味が無いとか罪作り、じゃねえな。俺もアイツも生きてるだけで大罪だ」

「人識くんもちっちゃい子に好かれますよねえ」

言いながら、謎の助っ人その二。ビジネススーツにニット帽というファッションセンスに一抹の不安を持たざるを得ない彼女――伊織さんはそのスーツの胸元からギラリと光るものを取り出した。あれは……刃物なのは間違いない。
だが、その形状は「鋏」。そう形容する以外にどうしようもない。とは言っても比較的物騒ではない刃物である筈の鋏を想像されてはそれはNGだ。物騒極まりない鋏、なんて言われてもピンと来んだろうが。
見ただけで目を背けたくなる禍々しいナイフを二つ、罰点に組み合わせて無理矢理に鋏の形状に仕立て上げた……そういう凶器。

「『殺人鬼』は廃業して『年下キラー』で華々しくデビュしたらどうですか?」

ああ、確かに。そんな代物は殺人鬼にこそ相応しい。納得したくないが、納得だ。ジェイソンを例に挙げるまでもない。古来、殺人鬼ってのは奇抜な道具を使うからこそ、恐ろしいんだ。

「殺人鬼と殺し屋と暗殺者が一堂に会するか。大戦争を彷彿とさせるな」
「だが、我らの敵ではない。たかが三人」
「あの頃とは違う。『零崎』は絶滅した。そこに居るのは生き残りよ。いや、死に損いだ」
「零崎は一賊であればこその脅威。二人で我ら匂宮の頂点に挑もうとは、それこそ狂気」
「死に損いに、何が出来よう。死に花などは咲きはせぬ」

口々に呟く断片集。場の空気が更に重たいものとなった。ここら一帯のヘクトパスカルを観測したらきっと前例の無い高気圧だろうぜ。だが、雲が晴れる様子は一向に無く、どちらかと言えば暗雲立ち込めるって表現が似合うのは正直頂けない。
太陽の神様が姿を隠した――そんな神話をふと思い出した。確かにハルヒにはこんな夜空は似合わないな。

「三対五ねえ。確かにちっと分は悪いか」

舌打ちの音が響く。それに触発されたように動く影が有った。

「一人くらいなら、まだ回して貰っても構わないわ」

声は後ろから……って、朝倉! お前、大丈夫なのかよ!? 見た感じ足元がフラついてる様子も無いが、それにしたって人間に例えるならインフルエンザに罹ってるようなモンなんだろ!?

「大丈夫な訳ないじゃない。でも、折角の出番なのにまるで私を無視される方がよっぽど堪えるわよ」

「にしたって!?」

俺が続きを口にするよりも早く、朝倉は笑った。裏も表も無い笑顔で。

「そんなに心配しないでよ、嬉しくなっちゃう。言ったわよね。今、私の『機能』は八割が制限されているんだけど……それってつまり二割は余裕が有るって事。十割の状態でそこの五人の相手は出来たのだから、後は単純な割り算よね」

十割なら五人。二割なら一人。ああ、確かに計算式は間違っちゃいない。それにただでさえ三対五の劣勢なんだ。戦えるヤツは一人でも多い方が良いのは分かってる。だが……だが。

「だったら朝倉の分は俺がやる。だから、お前はお前の戦いをやってろ。それはお前にしか出来ない。俺には肩代わりしてやりたくてもどうしようもない類なんだ。だったらそっちに集中するのが筋だ」

どこからか揶揄するような口笛が鳴るも、そんなのは知った事か。

「……恰好良いわね」

どこか虚ろ気に朝倉はそんな事を言ったが……戯言だ。俺は恰好悪いよ。一人でなんて戦えない。今だって、井伊さん達に一緒に戦って貰う事が前提で話してるそんなヤツが恰好良いだなんて、ある訳無え。

「でも、ダメ。約束だもの。貴方は私が守る。貴方が戦うのならば、その前に私が戦う。そういう契約でしょ? 破ったら条件の方も破棄されちゃいそうじゃない。それは困るの」

条件付きで助けてあげる。朝倉は最初にそう言った。でもさ、そんなのは条件でも何でもない。俺は――俺は。
一緒に戦ってくれる戦友を、いつまでも懐疑の眼で見るようなしつこい人間じゃない!

「許す。朝倉。過去の事は全て許すよ。だから、戦うな」

「あら」

少女がバタフライナイフを取り落とす。慌ててそれを拾い直し、そして――そして俺は見た。初めて見た。朝倉が眼を閉じている所なんて。

「あら。あら。そんな事を言われたら……前払いされちゃったら、私は殊更貴方を守らざるを得なくなっちゃうじゃない」

「え? ……いや、違う! そんなつもりで言ったんじゃない! そう聞こえたんなら撤回……は出来ないけども、だけど!」

「勘違いしないでよね」

バタフライナイフは、それはかつて狂気染みて見えたのがまるで嘘のように鮮やかな光を照り返す。笑ってくれてもいい。俺にはそれが騎士剣のように見えた。主にその命を捧げた、凛とした女騎士のように朝倉涼子は俺に、そう、見えた。

「もう約束なんて関係ないの。貴方を守りたいから、貴方を守る。それだけよ」

情報生命体になんて、彼女はもう、見えない。そこに居るのはただの、誇り有るただの人間だ。ちょっとツンデレな、生まれがちょいと地球外なだけの、クラスメイト。
ポニーテールの女騎士。
朝倉を説得しようとしている合間にも、当然の話だが俺たち以外は息をしてるし会話だってする。描写を省いているだけでシーンが進んでいるのは、これはまあ一人語りで物事を伝えようとする限り限界ってのが有る訳なのでご理解頂けたら助かる。
人識さんと匂宮五人衆は、なんとなく分かって貰えたとは思うが既知の仲であるらしい。既知でも仲良しとはいかないようだが。続く軽口の応酬……喋っているのは顔面刺青の彼がメインだったが、それは挑発にも懐柔にもどちらにも取れる台詞ばかりだった。
場を濁す、ってのが一番ピッタリ来る表現だろうか。人識さんはどうも戯言遣いを嫌っている節が有ったけれども、しかし口から出る言葉はどれもこれも本意の読めない「戯言」だ。
断片集がいずれ痺れを切らせるのも分かり切っていた。

「大体、不公平だよな。いや、数の話をしてんじゃねえよ? お前らの知った話でもねえんだが、それにしたってよお……『殺せない』ってのは大分縛りレベル高いんだぜ? 低レベルクリアを狙ってる訳でもないのに、でもって俺らの職業(アーキタイプ)はキャラメイクから一貫して『殺人鬼』だってのに、その殺しを許されてないってんだからドMプレイにも程が有るだろ」

戯言遣いもそうだったが、なんで一々ロープレを比喩に用いて会話するんだろうか。なんだ? プロのプレーヤの間でロマサガでも流行ってたり? 今更?

「そうですよお! 哀川のおねーさんは今回そっち側に付いてるっていうのに、私達がどうしてそっちのルールに縛られなくっちゃいけないんですかあ! 横暴です! 人類最強は暴君です!」

「いや、そりゃ伊織ちゃん。俺が言うのもどうかって感じだが、ぶっちゃけ怖えからだろ。この戦争もどきであの哀川潤が死んじまうってんなら思う存分殺してやれるが、しっかし……そう簡単に死ぬタマかよ、あの女」

なるほど。哀川潤……人類最強ともこの男女は縁が有るって事。でもってその哀川さんに「殺したら殺す」なんて脅されてるんだろうってのは文脈から理解したぜ。後……この二人組が「殺人鬼」だって事も。

「泣き言を言わないで頂けますか。何の為に私が零崎を呼んだと思っているのです」

井伊さんは言ってファミレス仕様のナイフを左手に構えた。ああ、そうか。時系列的にファミレスで哀川さんにバタフライナイフ(この人もバタフライナイフ愛好者かよ……)を取られたっきり、返して貰えてなかったな。にしたってそれは凶器じゃなくて只の食器だ。
そんなのを構えた井伊さんは、傍目になんだかのほほんとした絵に見えちまう。一触即発の状況にはそぐわないが、だが物騒なのはその手に持った獲物よりも、扱う人間に由来するんだろう。カッターの刃だって飛び道具になる世の中だ。

「ああ、分かってるよ。気はあんま進まねえけど、だがアイツの顔を潰すのは大好きだからな」

軍用ジャケットに果たしてオレンジなんて奇抜な色が有るのか俺はとんと存知あげないが、とにかくその服の前を開く青年。内側に収まっていたのはナイフ。ナイフ。
ナイフ。ナイフ。ナイフ。ナイフ。ナイフ。ナイフ。ナイフ。ナイフ。……今、俺何回「ナイフ」って言った? 色取り取り、形も様々。ただ一つそれらに共通している点と言えば……それは日常使いとは決して相容れない類だって事。

「……殺人鬼っ」

奥歯に力が入る。伊達や酔狂で名乗れる通り名じゃあ、なかった訳だ。

「どれにすっかなー。俺、こうやってどれを使うかを考える時間が好きでよお。殺しはその楽しみに付随してくる面倒事でしかねえんだよな。
ああ、話は変わるがスーパーなんかでお菓子を一個だけ買っても良いって言われた時にどうしても一つを決められない子供だったんだが、俺。候補を三つくらいに絞り込むんだが、その先が決まらない。ってんで最終的に『神様の言う通り』にすんだよ」

アスファルトにざっくりと柄まで三本のナイフを埋め込んで、それぞれに人差し指を向ける殺人鬼。アスファルトに易々と突き刺さる時点でナイフの切れ味から持ち主の性能まで分かっちまって正直俺は気が気じゃない。

「ただ、最近気付いたんだよな。お菓子は三百円まで。ってー縛りはもう俺には縁の無いルールだったんだよ。かはは。これでもうバナナはおやつに入るのか否か論争は決着だ。迷ったんなら全部買っちまえ、ってな」

右手に一本。左手に一本。そしてまるで手品か何かのように中空に浮く、もう一本。どんなタネかは分からんし、ぱっと出てくるのが極細の糸を使って浮かせているアイデアくらいの俺なんかには聞いた所できっと理解出来んだろうよ。

「さて、そんならあんまりグダグダし過ぎても飽きられそうだし、戦るかい」

男の一声で、場の重圧が更に悪化する。井伊さん、伊織さんはそれぞれに構えを取った。匂宮五人衆それぞれの足に体重が掛かりアスファルトが軋む音が聞こえてきそうだ。が、流石にこれは幻聴だな。対して、人識さんは……一人だけ構えない。
両腕を重力にされるがままにだらりと垂れ下げ、ナイフの刃は揃って下向き。やる気の無いその姿は戯言遣いにそっくりだが、これは口に出すと何をされるか分からないので自重。
ただの一般人で何の抵抗手段も持たない俺でさえコートのポケットの中では携帯電話のボタンに指を掛けているってーのに……余裕? いや、虚勢か? 虚仮脅しなのか?
俺のそんな煩悶を嘲笑ったのは、殺人鬼の一声。

「そろそろ、時間稼ぎも十分だろ」

時間稼ぎ。戯言が一番得意とするジャンル。

「ったく、ドイツもコイツも集まりが悪くていけねえよな、ウチのヤツらは。一応『家賊』って事になってんだからよお。だったらもっと絆を意識しろ、ってんだ」

顔面刺青がそう溜息混じりに言った、声に応えたのは上からだった。

「そりゃあ、言いっこなしでしょうよ、大将!」

一人。

「そうだよ、人識センセ。これでも非常召集掛かってから全速力だったんだよ!」

二人。

「兄さん、連絡はメールじゃなくて電話にして下さいと言ったでしょう。ただでさえ迷惑メールばっかなんですよ、僕の携帯」

三人。

「あいらーびゅー、人識ちゃん! 零崎疚織(ヤマオリ)、ただ今さんじょー!」

四人。

「……たった五人相手なのにこの僕まで呼び寄せたのですか? 殺死ますよ?」

五人。

「親分のピンチってんじゃ、子分が出張らにゃー訳にゃーいかにゃあにゃー」

六人。

「あー、めんどくせ」

七人……っておいおい、まだまだ出るのか? 桃鉄で埋蔵金発掘してんじゃねえんだぞ、おい! ぱっと見でも二十は居るぜ!? 奇々怪々なファッションセンスの軍団は先程彼らの「大将」がそうであったように駅の屋上にずらり勢揃い……戦隊モノにしちゃ数が多過ぎる!

「なん……だと……っ!?」
「零崎一賊は全滅した筈では無かったのか!?」
「……これ……は……!?」
「有り得ない。このような事は、有り得ない!」
「幻術……くっ、いつの間に!?」

幻術? いや、違うだろ。幻術だったら俺にまで掛ける意味が無い。あれは現実だ。
現実に、援軍だ。

「おい、匂宮。お前ら情報化社会って言葉舐めるのもいい加減にしろっての。零崎が全滅したって、そりゃあ何時の話だ? 遅え遅え。乗り遅れ過ぎ。ネクストジェネレーションってヤツは待ってくれないっつー話」

思い思いのタイミングで飛び降りる「殺人鬼」達は、人識さんの後ろに並ぶ。肩を寄せるような近さは、なるほど家族としか呼びようがない。

「二十八対五。これで、条件は互角だろ?」

……どの口が言うのか。この人識さんは、間違いない。戯言遣いの同類だ。
状況は、引っ繰り返った。そりゃもう見る影も無く、跡形も無く、為す術も無くな。二十八対五。多分、この勘定に俺と朝倉は入っていないだろうから、実質三十対五。ってな訳で戦力差は六倍。
一人に五人で襲い掛かるのが匂宮五人衆の勝ちスタイルなのだろう事は朝倉相手でのチームワークっぷりからなんとなく想像は付いたさ。二本の手で五対十本の手を捌く。そりゃ宇宙人でなきゃ出来ない大道芸だ。例えばこれが三対五のままだったのなら、一対五を三回繰り返すのだろうとは俺も思っていた。
断片集の五人にはそれを為せるだけのチームワークが有る。
だが……三十人を相手にして、そんな真似が出来るなんて俺には思えない。それこそ宇宙人にしか出来ない大道芸。

「五人で一人の匂宮五人衆。二本じゃ十本の手を止め切れないからこその必殺。お前らが一番分かってるよな。戦争は数だぜ?」

人識さんが一歩前に出れば、その後に続く二十六人が一斉に足を前に出す。その音はバラバラで、チームワークなんて言葉はそこから感じ取れなかったが、それでも分かる事は有る。大泥棒が人類最終を愛し子と呼んだように。
そこにあるのは信頼なんて言葉じゃまだ足らない、家族愛。

「十本で必殺か。だったら……えーと、二十八割る五だから、五.六か。かはは、必殺の期待値越えだぜ! おっと、一対五を二十八回繰り返せば良いなんて甘い考え持ってんなら、悪い事は言うから捨てとけ。捨て置け。生憎、ウチのヤツらは俺以外デフォルトで家族思いなんだよ」

いや、現実に出来っこないんだ、一対五なんて芸当は。三人相手ならまだバラけさせる事も可能だろうよ。だが……二十八ってのが包囲に足る数なのはこうして目の当りにすれば良く分かる。

「お前らがどんだけチームワークに優れていようが、俺達は傷付けられそうな家族が居れば介入するぜ? 零崎はビンカンなんだよ。家族って性感帯を弄られれば否が応でも反応しちまうように体が出来てる変態揃いなのは……今更言うまでもないよなあ」

やれやれだぜ、と頭を振る。その光景に俺の喉がグビリと鳴った。
これが……「戯言」! どんだけだよ! どんだけ……どんだけ敵も味方も小馬鹿にして思い通りにしちまえるんだよ、この人達は!
さっきまで絶体絶命大ピンチだっただろ? なのに……この人識って顔面刺青はそんなのは知った事かと場を引っ繰り返し、いや! 場をぶち壊しやがった!

「女の子に一方的に色々出来るって、僕ちゃん初めて」

殺人鬼代表がそう言うと、駅前大通りは笑いの大合唱で覆い尽くされた。
匂宮五人衆がジリ、と後退する……がその方向には井伊さんが居る。俺と朝倉もだ。退路は無い。もしもそこまで計算しての駅ビルからの登場だってんなら……ちくしょう、恐れ入ったぜ。人識さんと伊織さん、二人での馬鹿馬鹿しいやり取りすらも時間稼ぎの一端。
全て計算尽くでの、あの余裕。

「それじゃ、いっちょうまとめて」

両腕に逆手で持ったナイフが上がる。零崎一賊は声を揃えた。

「零崎を始めます!」
「あー、めんどくせ。さっさと零崎して寝よ」
「ま、たまには零崎すんのもね」
「一日一殺。一人一殺。零崎はこれだからやめられない」
「OK! Zerozaki family!! Here we go !!」
「おいおい、零崎しちゃうよ、アチシ?」
「それでは、零崎のお時間です」
「あらら、残念。零崎スイッチ、入りまーす!」
「零崎をしちゃったりなんかして!」
「ひゃっほー、れでぃ零崎っ!」
「おっしゃあ! 全力で零崎してやるぜえっ!!」
「まったく、もっと静かな零崎が好きですよ、私」
「零崎……解放」
「零崎してもいいんですか?」
「走り出した零崎は、止まらない」
「あー、なんか零崎な気分」
「チャンネルはそのまま! 零崎が始まるよっ!」
「イッツショータイム! さあ、零崎によるとびっきりのパーティーナイトだ!」
「僕の零崎、見せてあげるよ」
「あ……アタシに零崎させたアンタが悪いんだからねっ!」
「殺す殺さば殺して殺せ。さて、零崎らしく殺そうや」
「零崎の敵が俺の敵なら、俺も零崎って事になるんだろうねえ」
「ここで突然ですが、零崎です」
「殺すなら、即座に殺せ、ホトトギス。零崎の生き様さ」
「殺死屋相手に零崎とか、死たくないんだけどね」
「殺される準備はいい? それなら零崎、スタートです!」

零崎一賊。総勢二十六名。そしてそれを率いる、総大将。

「殺して解体(バラ)して並べて揃えて……晒してやんよ」

その一声を皮切りに戦闘……いや、虐殺は始まった。
それぞれに断片集へと飛び掛かる殺人鬼。先鋒を切ったのは伊織さんだ。

「零崎一賊の二代目特攻隊長! 零崎舞織です! よろしくっ!」

その右腕が修道女の一人へと迫る。シスターはそれを難なく避けるが、それも織り込み済みでの第一撃なのは見て取れた。既に両者とも、次に向けて動いている。殺し屋はカウンタを狙い、そして伊織さんは左手で迎え撃つ!

「駄目っスよお、舞織先輩。親分は一人に対して複数でボコボコしにゃーと言ったじゃにゃーですか。にゃーの見せ場、取らにゃーで下っせ」

だが、その二人の間に割って入る影一つ。猫耳がまるで似合っていない学生服の少年がその手に持っているのは……フリスビーに見える円盤状の刃物! 猫はフリスビーで遊ばねえとか、そんなツッコミを入れたくなるのをぐっと堪える。
ああ、そんなツッコミをしてる場合じゃないってのは流石に分かるぜ? 空気が読めるってーのは男子高校生なら必須スキルなんだ。

「そうです。姉さんは見ていて危ういんですよ。これ以上シスコンの僕をはらはらさせるのは止めて下さい」

猫耳少年の逆から飛び掛かるのは全身にマフラーを巻き付けたような服装の長身。こっちが持っている凶器は……これもマフラーにしか見えないが、しかし布は黒光りしたりしないだろうよ。誰だ、あんな首に巻いたら逆に寒そうなマフラー考え出したヤツは。

「ちっ!」

左右からの挟撃に堪らずバックステップで回避する匂宮……えっと、この人は誰だ? 閾値さん? 同じ顔してるから実況もままならんぞ、こんちくしょう。

「だめだってばー! 五人居るんだよ? 前後左右はカバー済みー!」

言葉の通りに。飛び退いたその先には四人目。眼に毒なシースルーのスカートで、まあ下にスパッツは履いているものの非常に(男性的に)危うい恰好なのは間違いない。悪いかよ。俺だって男の子なんだ。その彼女は……今度はフライパンですか!?

「葬らーん!」

思い切りの良い大振りは空振り。間一髪、修道女は上へと跳んでその攻撃から逃れる……なんだか、一方的に攻撃され続けている彼女を見ていると手に汗を握っちまうのは、これが日本人の悪癖、判官贔屓ってヤツかも知れん。
しかし……これはちょっとやり過ぎだとか思っちまうね。さっきまで殺されそうになっていた俺の感想としちゃきっと不適格なんだろうが。
なんだかなあ。上に飛び上がった所で、そこにはやっぱり殺人鬼が待ち構えている訳で。

「前後左右で四人なら、五人目は上だろ! 見てますか、大将! ここ一番の俺の大活躍!」

大柄なおっさんが宙を舞う図ってのはあんまり見ていたいものじゃない。でもって身の丈ほども有る大ハンマーを片手で軽々と振り被ってちゃ尚更だ。

「どっせーい!」

続く波状攻撃。これは正しく地獄絵図だ。彼女に限った話じゃない。他の四か所でも代わり映えしない戦いが繰り広げられている。

「おいおい、お前らちょっとは手加減しろよ? 殺したら一賊郎党哀川潤に皆殺しにされっからなー」

からからと笑う総大将、零崎人識の台詞は地獄の鬼を思わせる容赦の無さで……なるほど、殺人「鬼」かい。こりゃ納得だ。

「ま、新生零崎一賊の旗揚げだからちいっとくらいやり過ぎたい気持ちは分からなくもないが、半殺しくらいにしとけよ? 華々しい登場シーンはとっくに終わってんだからな……って、聞こえてねえだろうなあ」

肩を落とした顔面刺青は、とぼとぼという表現がぴったり来る感じで俺の所まで歩いてきた。戦場を真っ直ぐに突っ切って、まるで周辺が見えていないような気軽さの歩み。
両手に構えていたナイフも仕舞ったのだろう、とうに無く、両手をジャケットに入れて背中を丸めるその姿はどうにも威厳って言葉に欠ける。いーさんがそうだったように、その身に纏う雰囲気のオンオフが上手いんだろうな。
どっかに切り替えスイッチでも有るのではないかと一瞬疑った俺だ。

「おい、にーちゃん」

「あ? ああ、俺?」

びっくりだ。てっきり崩子ちゃんと話す為にこっちに近づいてきたんだと思ったら、俺かよ。

「他のどこに『にーちゃん』が居るよ? それともアンタにはそこの美少女二人が今流行りの男の娘にでも見えんのかい? 傑作だぜ」

「傑作? いえ、戯言でしょう……じゃなくって、なんすか?」

おっかなびっくり。敬語になっちまうのは一般人なので仕方がないと思って欲しい。殺人鬼相手にタメ口聞けるような度胸は持ち合わせて無えよ。そんな精神力が有るようなら、それだけで一般人の枠を越えちまうだろうさ。

「いやな。ここは俺達でなんとか出来るとは思うんだよな。だったらアンタがここにこれ以上留まる理由は無えだろ? 一言で言うとな。ぼけっとしてんじゃねえ」

言って、ナイフにも似た鋭い八重歯を見せる零崎人識。

「待ってるセリヌンティウスが居るんだろうが。ほれ。なら、さっさと行った行った」

セリヌンティウスじゃなくてベアトリーチェなんだが。しかし、言ってる事はもっともだ。道は開かれた。でもって俺にぼやぼやしてる時間は無い。せっかく時間を巻き戻したってのに、それを浪費してる場合じゃ、ねえよなあ。

「走れ、メロス」

「了解です。くれぐれも死人だけは出ないようにしてください」

じゃあな、この場限りのセリヌンティウス。後は、任せた。

「さって、それじゃ俺も解体(レンアイ)に混ざりに行くか。僕ちゃん、ねるとんパーティって初・体・験」


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