その他二次創作の部屋
P3Re(ペルソナ3) 2
『真夜中 25時 モノクロの街』


何処からこの話を始めよう。
誰からこの話を始めよう。
そうだ、始める前に言っておく。この話は甘くない。これでもかと苦い。
悲しいくらいに切ないし、美しいぐらいに残酷だ。でも、一つだけ約束しておく。
最後には皆を最高の笑顔で笑わせてみせる。
コレは唯、其の信念だけを持って織り紡がれる物語だ。

「本日は人身事故の為に大幅にダイヤが乱れており……」
ヘッドホン越しに聞こえる車掌のマニュアル化された無感動な声に少年は溜息を吐いた。本当ならば9時過ぎには今後世話になる学生寮に着いていた筈だ。其れが如何だろう。ケータイに映る角ばった数字は大分前に23を継続表示して久しい。
車窓からは暗闇。灯りはぽつぽつとしかなく、既に街は眠りについている。
「初っ端から、門限ぶっちぎりか……」
少年は呟く。其の声はしかし、内容ほど悲観な響きがこもってはいない。
言うなれば先ほどの車掌のアナウンスの様な、無関心の冷たさを持っている。
「まぁ、どうでもいい」
そう言ってヘッドホンの音量を上げる。全てを拒絶するが如く、天井知らず。シャカシャカと雑音が外に漏れるが、知った事ではない。彼は世界と自分を隔絶することを選んだのだから。

少年……有里凪は世界が嫌いだ。

窓に自分の顔が映りこむ。其の肖像の奥に流れる灯りは、まるで自分を切り刻んでいるような。いくつもの光のラインが彼の虚像に残響を残して後ろに消えていく。
其処に少しだけ切なさを覚えるのは、世界との隔絶が巧くいってない所為だ。少年は更にヘッドホンから流れる音を上げようとリモコンをいじろうとした。

其の手の上に手のひらを被せられる。勿論、自分のものではない、誰かの。

唐突に其れまで鼓膜をつんざいていた音楽プレイヤの爆音が消えた。彼は非難を言おうとヘッドホンを外し、俯いていた顔を上げる。

そして、其処に居た青年の顔を見上げ、彼は凍りつく。

「そんな大音響はダメだ。ヘッドホンがすぐに調子を悪くするし、何よりもナギの耳に悪い」

有里凪は目の前に居る男性を良く知っている。だから、驚いた。この場に居る筈の無い人間だったから。もっと言えば「いてはいけない」人間だったから。

青年……有里湊は驚いている自分の弟を見て、まるで生きているみたいに微笑んだ。

驚いて声が出なかった。無理も無い。葬式にこそ出なかったと言え、凪は兄が死んだ事を知っていたのだから。
「久しぶり、だね。8年、いや9年振りかな。大きくなったね、ナギ」
青年は笑った。
「本当は話したい事が色々有るんだけれどね。そうも言ってられない事情が有ってさ」
喋る青年の姿が陽炎の様にぐらつく。
「今日の俺は綾時の代役だから」
また、ぐらついた。其れは立体映像を見ているような光景だったが、だがしかし目の前に居る青年には実体しか持ち得ない存在感のようなものが有った。
「だから、言わなくちゃならない」
何を。問おうとするも喉から言葉が出てこない。
「長い間……そう7年も待っていた。ナギがこの街に来るのを、待っていたよ。署名は此方でしておいた。君はこれから俺が言うことに頷いてくれるだけで良い」
署名?何の話だ?何を話そうとしているのだ、兄は。
「怖がらなくても良い。当然の事しか契約には必要無いから」
そう言って湊は手の中から一枚の紙を出してみせる。まるで魔法のように。
実際には手品か何かなのかもしれない。凪はそんな現実じみた思考をしてしまう。
今、自分に起こっている事が現実では起こりえない出来事だと、頭の隅で気付いているのに。
これは夢だ。でなければ死んだ兄が自分の前に現れるわけが無い。
紙には凪の知らない文字が並び、最後のサインをする場所にだけ知っている文字、有里凪の3文字が書かれていた。

「そう、当然の事なんだ。『自分のした事に責任を持つ』なんて事は」
湊は悲しそうに笑った。それは自嘲の笑みだったが、凪は気付かない。
「でも、あえて聞くよ、ナギ。君はこれから自分のした事に須らく責任を持つ事が出来るかい」

「頷けるかい」
湊は優しい声で弟に問う。
対する弟はいまいち兄の言いたい事が分かっておらず、また、驚愕が尾を曳いている事もあって何のアクションも取れない。
無理も無い。
一向に要領を得ない顔の弟に、湊は言葉を続けた。
「君の選択に対して責任を取る、取らされるのは今まで君じゃなかった。君は幼かったからね。選択に必要な判断を行う為の経験量が絶対的に不足していた。これは子供では仕方の無い事だよね」
台本に無い言葉を紡いだ為に湊の身体は歪む。其れは精神を引き裂かれるがごとき苦痛を伴った。しかし、目の前に居る弟の選択を邪魔しない様にと彼は決して其れを表情には現わさない。
弟にはどうしても此処で頷いて貰わなければならなかった。

全てを終わらせない為に。

「ならば自分の選択に責任を取るとは、言い換えれば大人になるという事だね」
兄が何を言わんとしているのか、やはり凪には分からなかったが、しかし彼は兄の言葉を懸命に聞こうとしていた。少なくとも兄が自分に何か大切な事を伝えようとしている事くらいは、幾ら鈍感な凪でも理解出来た。
兄の額に脂汗が浮かんでいる。
「君は今、子供と大人の境に居る。此処で僕の問いに頷けば、これから君が進んで行く道に如何なる出来事が有っても、誰のせいにも出来なくなる」
凪は漸く兄の言いたい事を理解し始めていた。だが、彼は知る由も無い。兄が其の言葉の裏に込めた過去と真意を。

其の契約の真なる残酷さを、少年は未だ知らない。

「其れはとても怖い事だ。其れはとても苦しい事だ。けれど、僕はナギに敢えて其れを強いる」
湊は悲しいとも嬉しいとも判かない、薄笑みを浮かべる。
「僕の弟はそんな事から逃げる臆病者じゃない筈だから」
兄の言葉には弟への力強い信頼が有った。凪は其れを受けて自分の中から自信が満ちてくるのを感じた。
顔を上げる。

世界で一番凪が信じられる有里湊の、其の弟は兄の信頼に足る。其れを見せ付ける為に。

弟の強い意思の籠った眼差しを受け、再度湊は問う。
「君はこれから先自分の選んだ道に責任を持てるかい」

凪は兄の言葉に力強く頷いた。
「ナギが良い子で良かった」
湊は満面の笑みでそう言った。凪は少しだけ気恥ずかしくなって頷き俯いたまま顔を上げられなくなる。
「タイムオーバーだ」
ノイズ混じりの兄の声が凪の身体に降った。
「時は、待たない。全てを等しく終わりへと運んでいく。たとえ耳と目を塞いでいても」
其の声は何故か「さよなら」と同じ響きを持って凪の耳には聞こえ……
「待って、兄さ……ん!?」
凪が顔を上げた時には既に向かい合って座っていた筈の湊の姿は無かった。

「次はー、岩戸台ー、岩戸台ー。お降りのお客様は……」
「何だったんだ、今の。……夢?」
分からない。兄が出て来て、妙な事を言って、其れに頷き返して……。
「兄さんの居た街に来て、自分でも気付かない程、感情が昂っていたのかな……」
凪は少し考えようとしたが直ぐに止めた。有里家不動の精神、『どうでもいい』は例外無くこの少年にも受け継がれていたからだ。
ケータイを開く。時計は日付を変えて、0時2分を指している。
「初日からどんだけ遅刻だよ、って話だな」
凪はケータイをズボンのポケットに押し込む。と、其の時違和感が有った。
「何? 何か入ってる?」
凪は慌ててポケットの中身を取り出す。其れは見覚えの無い、やけにごてごてと装飾の施された鍵だった。

彼は知らない。数分前、およそ7年ぶりに25時がこの街……岩戸台に訪れた事を。

全てが始まる。


『振り返らない 嘆く 背負う』


古今東西、死んだ妻神を夫神が迎えに行く話は数多くそして、誰一人成功者がいない
結局、冥府の扉が見せる希望は幻でしかなく
死者は甦らない。故に神でさえ死を恐れる
命を賭して迎えに行った愛する者の怯える声に
振り返らない事など誰に出来ようか


21時を少し過ぎた頃、伊織順平は昔住んでいたほぼ其の侭の姿で建っている学生寮を目を細めて見つめていた。
街頭に照らされる煉瓦の壁は、其れが確かに新造された建物で有る事を裏付ける様に鈍い照り返しを放っていたが、しかし其れでも順平は其の建物に懐かしさを感じずには居られなかった。
桐条さん、此処まで徹底してくれたんだな……。
順平は心の中でかつての仲間に感謝すると、扉を二度叩いた。
「はーい、ただいまー」
中からする声は懐かしい、自分達の戦いを支えて共に戦ってくれた女性のものだ。其の何処か少し緊張感を欠いた癒しボイスは健在で、順平は少しだけ表情を崩す。
「はいはい、お待たせしましたー。ってあれ、順平クン?」
「よっ。久しぶりだな、風花。ガキさんとは上手くいってっか?」
順平は軽口を叩きながら女性の開けてくれた隙間から建物の中に入る。女性……山岸風花は彼の言葉に赤面して縮こまってしまっていた。
「えっ、あの……」
一寸したフリーズを彼女は起こしていた。もうアレから七年も経つのに今でも彼女は自分の軽口に一々初々しい反応を返してくれる。こんな時、順平は「変わらないな」と思う。其れが柔らかく、苦い。
自分は、この七年でこんなにも変わってしまった。
隣を通る時、ちらりと脇でフリーズ継続中の風花を見る。其れは太陽を背にして飛ぶ鳥を「何故自分は空を飛べないのだろう」と見つめる少年の様な眼差しだった。
「変わんないな、何も」
「えっ、何ですか?」
「何でもねー」
順平は風花の肩をトンと叩くと懐かしい匂いのする、其の寮へと足を踏み入れた。

「順平さん、遅いですよ」
順平に向かって脚立の上から青年が声を掛けた。見れば、彼は「歓迎!有里凪!岩戸台分寮一同」と書かれた幕を壁に吊るしている最中だ。
「おう、天田。久しぶりだな。……あれ?お前もしかしてまた背ぇ伸びたか?」
「え?ああ……もしかしたら伸びたかも知れませんが、測っていないので実際の所は分かりませんね」
「何時まで成長期続ける気だよ」
「知りませんよ。ああ、一寸待って下さい。今、コレを取り付け終わりますから」
天田乾は言葉通りにさくさくと張り幕を吊り終えると、順平の所まで歩いてきた。昔少年だった彼は、今では順平よりも頭一つ分背が高い。
順平は其処に時の流れという奴を感じずにはいられない自分を見つけ、少し憂鬱になったものの、其れを顔には出さずにかつての戦友に笑いかけた。
「久し振りです」
「おう」
天田はへらへらと笑いながら片手を挙げる。順平も其れに習って同じ様に手を挙げた。瞬間、二人の手が交差するように動き、パシンと響く音を打ち鳴らした。
「一年振りですか?」
「前に会ったのがお前の入学式だから……きっかりじゃないが一年振りだな」
「会いたかったです」
「気色悪い事言うなよ」
口では否定しながらも順平は自分よりも背の高い天田の頭を強引にわしゃわしゃと掻き回した。二人して顔を見合わせて笑う。
懐かしい、感じがする。置いてきた時間が再び流れ始めたような。
「懐かしいな、この感じ」
順平は自分でも気付かず、声に出していた。
「あの人がいなくなってから、何と無く……ホントに『なんとなく』なんですけど、顔を会わせ辛かったですし……ね」
「そうだな」
「やっぱり順平さんもですか」
二人は微笑み合う。
「こうして笑い合えるって事は『なんとなく』の理由は分かったのか?」
順平は聞く。天田は切な気に笑い、首を振った。
「いいえ。でもコレは『分かる』事じゃない。其れに『吹っ切る』事でもない気がするんです。何でしょうね……今でも、よく分かりません」
「其れでも、こうして集まって笑える、か」
「はい」
天田は顔を上げた。
「僕は……薄情者ですかね」
「気にすんなよ」
順平は天田の、額を指で弾いた。
「痛っ」
「こうやってお前に会えて笑ってる、俺も同類項だ」
そう言って順平は『表面上』笑った。

自分たちは同じ傷を負っている。心の奥深くに。其れを舐め合っているだけだと、順平は思ったが自分の心の中に仕舞い込んでおく事にした。

「ところで……」
順平は鼻をすんすんと動かす。
「この良い匂いの出所は?もしかして……」
「え?ああ……ああ。御察しの通りシンジさんですよ」
天田は順平の背後にちらりと目を向けた。釣られて順平も振り返る。
視線の先は寮のバーカウンター。そこに造られた簡易キッチンの中では黒いエプロン(出来が良いとは決して言えない「しんじろう」のアップリケが付いている)を付けたコワモテの男(漢)がテキパキと、皿の上にまるで手品の様に湯気の上がる料理を出現させていた。
先ず間違いなく、寮内にそこはかとなく漂う香しい匂いの源はそこだ。
順平は目を輝かせた。
「久々の荒垣ブランド!うっひょ〜!マエストロAのこだわりメインディッシュがこんな所でまさかの再来!? いや、再会!?」
天田はいきなり順平が見せたハイテンションに少々驚いていた。そして思い出す。ああ、この人はこういう人だったな、と。
「順平さん、良い大人なんですから。『うっひょ〜!』は幾らなんでも見苦しいですよ」
苦々しく呟く天田。しかし対する順平は平然としたものだった。
「ばっか、お前!美味い物食える喜びに年齢制限なんか無いんだよ!」
順平の狂喜の雄叫びはマエストロA……荒垣の元まで届いていた。
「てめぇの分は無ぇ」
荒垣が冷酷に言い放った一言は順平の胃袋を的確にクリティカル&1more。
「な、な、な……なんですと〜!?」
「聞こえなかったか?もう一回言ってやる。お前の分は無い」
クリティカル&1more。
順平は倒れた。ぴくりぴくりと身体が引きつっている。
いちいちリアクションが大袈裟だなぁ。天田は思った。が、そこが順平の魅力である事も彼は知っている。
順平とは周りを明るくさせる、気配りの男なのだ。
天田の沈黙を余所に荒垣は続けた。
「大体、今日誘ったのに『来れない』って言ったのはテメェだろうが。風花から聞いたぜ」
「いや、ま。其の時は行けないだろうなと思っていた訳なんですが。当日を前に予想外に仕事が終わってしまいまして……って、ガキさんも知ってる筈じゃないスか!」
「ああ。だがな、『来れない』って一度言ったんだ。一人分の胃袋満たす手土産なり酒なり持って来るのが礼儀だろうが。違うか?」
「あ……後でコンビニ行ってキマス……」
「ビール6な」
「はい、スイマセンデシタ……」

「ところでさ」
順平はパーティの開始を待つ間、手近に居た天田に話しかけた。
「俺の可愛い妹は何処に?」
「自分の妹を『可愛い』って……まぁ、いいでしょう。杏子さんなら自室にいらっしゃいますよ」
「?……リビングに居られない理由でもあるのか?まさか、天田!お前が俺の知らない所で杏子に気を使わせるような事を」
「していません」
天田はやれやれと首を振る。
「僕に対して杏子さんが何かしらの複雑な感情を抱いている場合は別ですが」
天田はそう言って口の端を上げた。
「オマッ!……マジか?」
「冗談です」
順平は胸を撫で下ろす。
「今の所はそういった様子は全く観察されていません。彼女も普段ならばリビングでゆったりと過ごされています」
「さっきの冗談、性質悪ぃぞ」
「すみません」
天田はくすくすと笑った。対する順平は機嫌が悪い。
「で、今日は何で」
「理由ですか。僕には思い当たる節は無いのですが……恐らくはシンジさんの所為かと」
天田はチラリと荒垣を見た。マエストロは無心に極上の料理を作り続けている。
「ガキさんの所為?」
「いえ、直接的にでは有りませんが」
「其れはアレか、お前。ガキさんの見た目が怖いとかそういう事を言いたいのか。父さん、見損なったぞ。人を見かけで判断するような人間に育てた覚えは無い」
「育てられた覚えもありませんし、大体、順平さんのほうが失礼です。僕はシンジさんの見た目に関する事なんて何一つ言っていません。順平さんが常日頃そう思っている所が少なからず有るから、今の様な発言が出るんでしょう」
「何を……ガキさんだって此処数年で以前とは見違えるほど爽やかに……」
順平は横目で荒垣を見る。気紛れシェフは風花を隣に眉間に皺を寄せて料理に没頭している。よし、俺と天田の会話は聞かれてないな。セーフ。
爽やか……?
「多少なりとも取っ付き易くなったって言うのに」
「言い直さないで下さい」
「ぐ……」
ちなみにこの二人の会話は途中から小声で行われている。念のため。
「誰もシンジさんの外見が理由だなんて言っていません」
「じゃあ、何でだよ」
「匂い、ですね」
天田が順平に顔を近づけてさらに小声になる。
「匂い?」
順平は意味が分からない。何だ、このカリスマシェフの奏でる極上の旋律に何の問題が有ると言うのか。むしろ、腹が減って仕方が無い素晴らしいオーケストラじゃないか。
顔中に?を浮かべる順平に、目だけで「横を見ろ」と天田が示した。指示の通り顔を横に向ける順平。視線の先には仲睦まじい荒垣と風花。アレが妹が部屋に引き篭もった理由だと言う。順平は考える
「ゲロ甘?」
「違います。まぁ、思わず目を背けたくなる情景である事は僕も認めますが……」
天田が横を向いた侭の順平に耳打ちする。
「最近、風花さんふとっ……血色が良くなったと思いませんか?」
「あ」

思春期の女の子に美味しい物を作る男は敵でしかないという話。


私、岳羽ゆかりは目を覚ました。泣いていたのかも知れない。枕が濡れていた。
夢の内容なんて覚えていない。だけど自分が泣くような夢なんて一つしかない。
きっと私は湊クンの夢を見ていたのだ。
そう断ずるのは私にとって簡単だった。其れ以外の全てを許していたから。
そっか、夢の中で会えたんだ。なんで覚えてないのかな。こんな大切なこと。悲しい夢でも良いよ。彼に会えたのなら。
なんで覚えてないのかな。
枕に染みが出来る。涙が零れる。零れる。
一人で居る時抑えられなくなる感情。誰にも見られないから、抑える必要の無い感情。涙となって溢れ出す。
7年も経っているのに今でも時々、君の事を思い出すんだ。
君の姿を夢に見るんだ。
君と居た苦しくて幸せな時間はもう二度と戻ってこないって分かっているけど。
私には今の生活が有って、生きていて、もう其処に君は居なくて、君が居なくても私は生きているけれど。
生きている? 本当に?
色を無くした世界を歩く、これを生きていると言えるの?
今でも時々、君の事を思い出すんだ。
夢に出て来てくれたんだね。嬉しい。そして悲しい。
 と て も 悲 し い 。
私は岳羽ゆかり。貴方の仲間で友達で、恋人。
貴方を世界の全てと同義と定義した女。
何で覚えていないのだろう。最後に見た君は後姿で私たちを置き去りにして。
今ではもう、顔もはっきりと思い出せないよ。
私の中の君が薄れていく感覚。頭の隅にこびり付く思いはひしゃげて。
たった一年間の思い出。なのに私の全て。
あの日々は私にとって、私の大切な仲間たちにとって、悲しく美しい時間。
でも、過去。
今じゃない。今には其の中心が居ない。
彼が居ない。
 た だ も う  一 度 会 い た い 。
キミに会いたい。

ねぇ、そんなにどうしようもない願い事?
ねぇ、こんなのちっぽけな願い事だよ?
せめて、キミの夢を覚えておきたかった。夢の中のキミがどんな風に私の前から去っていったとしても。
キミの顔を、体を、声を、匂いを、体温を、この頭に焼き付けておきたかった。
焼き付けておきたかったよ、湊クン。
7年という時は残酷で。待ってはくれなくて。
あの日、屋上での君の寝顔を頭に焼き付けた筈なのに、上手く思い出せなくなっていって。
脳は勝手に君を「要らない情報」と決め付けて。瞳や、唇や、指先や。そんな断片的な情報に君が分解されていく。
このまま、君が思い出となる。其れが分かる。
涙が、流れなくなるまでの時間がどんどん短くなっていく。
ねぇ、湊クン。君は其れで良いの?
23時53分。唐突に私の部屋のチャイムが鳴った。
過去からの招待状が、私の元に届くまで後7分。

真夜中に突然のインターホン。当然私だって女な訳だし、怪しむ……って言うか驚いた。喉から変な声が出てたとしても笑わない、そこっ!
これでも乙女なんだから。
まぁ、でも……インターホンが鳴っていて其れを無視するわけにもいかないじゃない。まぁ、こんな時間に訪ねて来るような非常識な知り合いは……わりかし結構居る気がするなぁ……。
取り敢えず、私は防犯用のカメラから外に居る人物を確認することにした。画面に映っているのは……高校生くらいの、可愛らしい女の子? 誰? 少なくとも私の知り合いじゃない。
「どちら様ですか?」
私の声に画面に映っている女の子は「あ、カメラこれですね?」と言うとカメラ目線で微笑んでみせる。
「夜分に申し訳ありません」
そう言ってぺこりと聞こえてきそうなお辞儀をしてみせる。如何でも良いがカメラに向かってお辞儀って面白い子だな。
「それで、どちら様ですか?」
私は声に棘を込める。まぁ、寝起きで機嫌が悪いのもそうなのだが、気を抜くと涙声が混じりそうになるからでもある。勘弁して貰いたい。
「あ、そうですそうです。自己紹介を忘れていました。わたし、伊織順平の部下で周防と申します」
「順平の、部下?」
「はい。いつも所長がお世話になっております」
「はぁ……」
私の頭の中はハテナマークでいっぱいだ。順平にこんな可愛い女の子の部下が居た事も初耳ならば、何故こんな時間に其の子が私の家を訪ねて来るのかも分からない。そして、なにより、
「今日は所長からの命令でやって来た次第です」
「んーと、話は分かった。分かったよ? でもさ、貴女と私は初対面で……実際にはまだ対面もしていないんだけど、そんな事は良いや。話を戻すわ。正直、私には貴女が本当に順平の部下なのか分からないの」
「なるほど」
画面の中の女子高生……実際には幾つか分かったものじゃないけれど一応見た目はそんな年頃にしか見えないからそう呼称しておいても問題は無いと思う……はカメラ目線の微笑を崩さない。
「本当は扉を開けてあげたいのも山々なんだけど、何しろ時間が時間だし不振人物だと私が思うのも無理ないでしょう?」
「そうですね」
やっぱり微笑みながら彼女は言う。いや、不審人物呼ばわりされて「そうですね」も無いだろ。
何処まで心が広いんだ、この娘。頭痛がしてきた気がする。順平の部下って言うのもあながち嘘じゃない気がしてきたなぁ。
「うーんと……私の知っている順平は、阿呆だけどこんな時間にアポも無しに他人を寄越す様な馬鹿じゃないと思っていたんだけど」
私がそう言うと、彼女は初めて顔を曇らせた。
「其れは仕方が無かったんです」
「仕方が無かった?」
「『今夜』、わたしが訪ねて来た事に本当に岳葉さんは思い当たる節が無いんですか?」
問われて私は考える。さて、今日は何が有っただろうか。学校は春休みで私は宿直ではないし、特に何か有った気は……?
「7年前の今夜はあなたと湊さんが初めて会った日です」
「はぁっ?」
順平の奴、そんな事ベラベラ喋ってんのかよ……。
「そして今夜は其の湊さんの弟さんが岩戸台にやって来るんです」
風花がそんな事を言っていた様な気がする。分寮で歓迎会をやるから来ないかと誘われて、私は断った。そうか、今日だったっけ。
「ああ、言われてみればそうだったかも。で、貴女……周防さん、だっけ。が私の部屋に突然来るのと何か関係が有るの? 歓迎会に誘って来いって順平にでも頼まれた?」
全く、そんな用事ならメールで済ませろ、っつーの。こんな可愛い娘に深夜のお使いだなんて、無用心にもほどが有るわ。
そんな事を思っていると周防さんが真面目な顔で首を振った。
「違います。私の用件は『ペルソナ』絡みです」
彼女の強い口調に、私は言葉を失った。

「え?」
私は言葉を失った。仕方が無いだろう。其の単語を聞くのは実に七年振りだった。
『ペルソナ』
「ちょ、一寸待ってよ! そ、そんな事突然言われても訳分かんないわよ!」
そう言う私に対して、画面の中の少女は少しだけ悲しそうに首を振った。
「説明してあげたいのは山々ですが、私は所長……伊織から貴女をある場所に連れて行くこと以外に殆ど何も聞かされていません」
「はぁ!?」
其の時、私の脳裏に嫌なビジョンが映った。
「貴女が順平の使いであるという証拠は有るの?」
そう。映ったのは最悪のビジョン。彼女が順平の部下でも何でも無く、単なる悪のペルソナ組織(自分で言ってて笑うしかないなぁ)の人間で、私をかどわかして人質やら実験材料やらにしないという保障は無いのだ。
「貴女の危惧は分かります。でも、貴女がこういった対応を取る事を所長は予期していました。所長は貴女が愚図る様ならこう言え、と」
「何よ?」
「三月三十一日の選択をやり直す機会が来たかも知れない、だそうです」
私は絶句する。
「残念ながら私には意味は分かりかねます。ですが、貴女になら意味が分かる筈だと所長は言っていました」
三月三十一日。其れは詰まる所『私達』しか知らない、あの事件を指し示している。
ストレガも桐条機関も知らない終わらない一日。其れを言うこの娘が順平の部下である事は最早疑い様が無い。そして、そんな事は既に如何でも良くなっていた。
『三月三十一日の選択をやり直す』其れの意図する所など一つしかない。
そうだ。これ以上に私達を……私を動かす言葉は無かった。順平の曲に冴えていると言わざるを得ない。
「分かった。もう良い。直ぐに玄関開けるから、詳しい話を聞かせて頂戴」
扉の前の少女は微笑んだ。
「私も貴女と色々と話をしてみたいです。ですが申し訳有りません。お邪魔している時間もお話しをしている時間も無いんです。直ぐに支度をして、出て来て貰えますか?」
「如何言う事?」
少女は時計を見た。私も釣られて壁に掛けてある時計を見る。そして悟った。
23時59分。もう直ぐ日付が変わる。
そして、カチリと時計が鳴った。其れきり動かなくなる。
余りにも懐かし過ぎる感覚に、私、岳羽ゆかりはその場に立ち尽くしていた。
窓から見える風景は緑の月光に照らされて。

七年振りの影時間と共に、私達の知られざる物語は始まった。


「来ませんね」
「来ないな」
「来ねぇなぁ……」
天田、荒垣、順平は三者三様の呟きを漏らした。時刻は既に22時を回っている。今日、この寮に来る事になっていた少年……有里凪は21時過ぎには到着する予定だった。
テーブルにある三ツ星シェフによる料理が冷め、湯気を吐くのを止めて久しいが、しかしそれでも其の匂いはリビングに居る人間の胃袋を刺激して、此方は止まないのであった。
「其れなんですけど」
寮のコンピュータに向かっていた風花がリビングの男衆に声を掛ける。
「今、ネットで調べてみたんですけど……有里君」
其処まで言って風花は少しばつの悪そうな顔をする。当然だった。此処に居る全員にとって「有里」とは凪の兄である「湊」を指す言葉だったからだ。
「っと……凪君の乗っている筈の電車、ダイヤが大幅に乱れているそうなんです。其の……人身事故で」
「人身事故、ね」
順平はソファにひっくり返った。
「誰だか知らないが、厄介な事してくれたもんだぜ、全く」
「風花。それで何時頃こっちに着く予定なのかは分かるのか?」
「一寸待って下さい」
風花は再びPCとにらめっこを開始する。
「料理、冷めちゃいますね」
天田が溜息と共に吐き出す。順平がゾンビのような声で同意と思われる呻き声を上げた。

ぱたぱたと寮の階段から人が降りてくる音がした。
「おっそいよ! 未だ来ない訳!? 其れともアタシを呼びに来てくれるって言っておいて勝手にパーティ始めちゃった!?」
声の主は伊織杏子。苗字から分かると思うが伊織順平の妹だ。この春で高校2年生になる。
『それは無ぇ』
順平と荒垣の声が重なった。天田が気まずそうな微笑を杏子に向ける。
「見ての通りだよ、杏子ちゃん。未だ来てないの方で正解」
「マジで!? 有り得なくない!? 3階までこの匂い漂ってきてて、お腹もう我慢の限界なんだけど」
「気が合うな、マイシスター」
順平が杏子に呟く。すると彼女はちらりと順平を一瞥すると。
「あ、ジュンペー来てたの?」
さっぱりとしている。
「お前と言い、ガキさんと言い……本当に俺の身内は俺に容赦が無ぇなぁ……」
「人徳ですよ」
項垂れる順平に対して楽しそうに言ってのける天田。
「お前なぁ……もう一寸年上に対して遠慮ってモンを持とうぜ。別に良いんだけどよ……」
荒垣はそんなやり取りを尻目に風花の座るデスクに向かっていた。顔を下げて風花の耳元に問いかける。
「どうだ、見つかったか?」
「ひぃゃっ!?」
風花が飛びのいた。顔を真っ赤にさせて右耳を擦り、荒垣を上目遣いで見ていた。見ようによっては彼を睨んでいる様に見えなくも無い。
「驚かせちまったか……悪ィ」
「あ、ごめんなさい。突然だったから、油断してて……」
「油断? 何にだ?」
「……なんでもない…です…」
風花は荒垣に聞こえないように「耳元は卑怯です……」と呟き、そして表情を荒垣に悟られないように、きっと切り替える。
「凪君が寮にやって来るのは恐らく終電で……12時過ぎになると思います」
「んなっ!?」
「マジで!?」
思わずハモったのは伊織兄妹だ。
「何故です? 人身事故とは言っても電車が一本がずれた位ですよね。何でそんなに……ああ、そうか。乗り継ぎですね」
天田の問いに風花が頷く。
「うん。遅れた電車から乗り継ぎを計算してたから一寸時間かかっちゃった」
「流石、風花さん。抜け目無いなぁ」
「妹よ。其れは褒め言葉じゃない」
「あはは……」と乾いた笑いを見せる風花の隣に居た男(漢)が少し機嫌悪そうに呟く。
「待ってらんねぇ。食うぞ」
「へ?」
風花が間の抜けた声を出した。
「マジっすか!さっすが、ガキさん!話が分かるぅっ!」
「こら、お兄ちゃん! えっと……お腹はぺこぺこだから嬉しいんですけど、良いんですか、荒垣さん」
「構わねェ」
荒垣は言った。声にドスが利いている。荒垣以外の全員が一瞬で気付いた。間違い無く、今兄貴は不機嫌だ。
4人は目でコンタクトを開始する。
誰だ、ガキさんの地雷踏んだの!?(順平)
→違うって。アタシじゃないってば!つか、何でジュンペーこっち見んのよ!?(杏子)
→わ……私でも無いと…思いますけど……。(風花)
→皆さん、落ち着いて下さい。(天田)
→お前が風花の事を「抜け目無い」とか言うからだろうが!(順平)
→わ!え?何々?荒垣さんと風花さんって其処までラブラブなの?(杏子)
→ぷしゅうぅ……。(風花)
→別の意味で落ち着いて下さい、杏子さん。(天田)
→兎に角、俺たちの中の誰かが地雷踏んだ訳じゃないんだな?(順平)
→恐らく料理が冷める事に腹を立てたのではないかと推測します。(天田)
→あ、其れ有りそう。天田さん、アッタマ良い〜!(杏子)
→多分、天田君の推測で当たりだと思います。(風花)
→ガキさん最強の理解者が言うなら間違い無いだろ。(順平)
4人は胸を撫で下ろす。ちなみに此処まで0.2秒。サッカー選手もびっくりのアイコンタクトだったが彼らの絆の力が其れを可能にした、ことにしておこう。

こうして主役抜きの歓迎会は22時半に始まった。
夜は更けていく。7年振りの「影時間」まで、残り90分を切っている事などおくびにも出さず。

主役不在の宴会は不在の主役には申し訳ないが、大いに盛り上がった。
元々気心の知れた仲間であり、また久々の再会という絶好の肴も有った為、これは必然といえるだろう。
時計の短針が11を、長針が3分の2を回り終えたころには既に立派に出来上がっていた。いや、表現に誤りがある。年少組である杏子に、つい最近酒を嗜み始めたばかりの天田、そして酒に弱い風花は見事に潰れていた。
「まぁ、計画通りって言ったらそうなんだが、実際此処まで簡単に行くとは思わなかったなァ」
順平は脇に置いてあった、今日持ってきた唯一の荷物である細長い肩掛け袋を手に取りながら言った。
「ハナから潰すつもりだったが、俺等が酒薦める必要も無いなんてな……」
「なんだかんだで、風花も天田も久々の再会が嬉しかったんだろうよ。で、ついつい飲み過ぎちまった。気持ちは分かるが」
誰が介抱するのかも分かっていて、安心して酔い潰れたのだろう。難儀な奴等だ。男は溜息一つ。
「其れで? どうすんだ? 行くのか?」
順平以外に唯一この場で眠りに落ちていない男、荒垣が問いかける。
「ええ」
順平は振り向いて荒垣に返答すると、隣のソファで眠りに落ちている妹の頭を撫でた。
「あいつが時間通りに寮に来てくれていたら、この予定はキャンセルだったんですけどね。ま、無いだろうとは何処かで思っていましたが」
順平は呟く。
「お前の予想通りか」
「悪い方の、ですが。此処までは大体」
「なら、可能性が有るって事だな」
「でしょうねぇ。そして其の可能性がある限り、俺は行かなきゃならない。そうですよね、荒垣さん?」
「順平」
荒垣が冷たい表情で呟く。
「お前は如何なんだ? アレがもう一度、有って欲しいのか? 其れとも……」
順平は複雑な表情をした。悲しいような、懐かしいような、嬉しいような。それらがない交ぜとなった、困惑の表情を浮かべて荒垣の問いには答えなかった。
沈黙は、何よりも複雑な順平の心境を語っている。
「荒垣さん、こいつ等を頼んます」
「ああ」
「さて、じゃぁ月夜の散歩と洒落込みますかァ」
順平はそう言うと袋を担ぎ直す。そして悪戯っ子のような顔で舌を出した。
「いけね。違った。酒買いに行くんだった、建前は」
「ビール6な。後、桐条と岳羽によろしく言っておいてくれ」
「了解で。ま、久々の再会がこんなんじゃ、ムードもヘッタクレも無いでしょうが」
言って順平は扉から出て行く。
「吉野に刺されるぞ」

消えていく後姿を荒垣は目で追って、そして其の影が消えた後、人知れず溜息を吐いた。
「さっきのは少しばかり意地の悪い質問だったか」
特に順平にとっては……。
有って欲しいものでは無論ない。しかし、ソレが有ると言う事はまた希望も有ると言う事に他ならない。
「タルタロス(冥界)、か。これ以上似合いの呼び名も無ぇな」
世界は残酷だという事を、荒垣は知っている。其れを再認識し、叫びだしそうな感情をビールで胃の中に流し込む。
隣で肩に寄り掛かり眠っている、風花の体温だけが彼を落ち着かせていた。
そして24時、果たして一部の人間の予想通り、其れは訪れた。
7年振りの「影時間」の再来。現実は、かくも残酷。



追記:黒歴史だけど、いつかちゃんと書いてあげたい

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あきゅろす。
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