その他二次創作の部屋
キョン「戯言だけどな」2
俺といーさんと井伊崩子さんは揃ってファミレスのドアをくぐる。カラリカラリと小気味の良い来客を告げる鐘が鳴った次の瞬間、いーさんが小さな声でぼそりと言った。

「……伏せるんだ」

俺は何を言われたのか分からなかった。そりゃそうだ。「伏せろ!」なんてアクション小説なんかじゃよく見かける台詞ではあったが、それは所詮フィクションの中ばかりであり、真っ当に生きてきて自分が言われる対象になるなんざ夢にも思っちゃいなかった。
けれど体はそんな俺の混乱をあっさりとシカトして地面に倒れこんだ。隣から誰かによって突き飛ばされたのだと気付くにも、それはそれで一秒弱の時間を必要とする。何が起こったかを理解するよりも早く、俺は喚いた。

「痛ってえな、コノヤロウ!! 一体、なんだってんだよ、チクショウ!!」

「敵襲です」

いつの間にか、俺を目前の何かから庇うように戯言遣いの娘が傍にしゃがんでいた。顔が近い。しかし、整ったその日本人形のような顔に俺が見とれている暇も無く正面では「物語」が始まっていた。
ぱっと身で高級なのが分かり過ぎる黒スーツを着込んだ男。そして毅然と相対する戯言遣い。二人はまるで何もなかったかのように。攻撃なんてただの冗談だったとでも言うように自然体で立っていた。
だが、いーさんの立っているすぐ脇、コンクリートで舗装された道路は夜の明度少ない視界でも分かるほど明らかに陥没している。
こんなものはここに来た時には無かった。こんな大きな穴を、きょろきょろと視点を落ち着かせずに歩いていた俺が見過ごすはずはない。
ならば、人為的。たった今、作られたクレータ。

「……やるとは思っていたけど、本当にとはね。『この場では』なんて言うから怪しいと睨んでいて正解だったな。ああ、貴方とは多分初見だよね。良かったら名前を教えてくれるかな」

「構わない。こちらも最初から名乗るつもりだった。だが、今の不意打ちが避けられたのは少し驚きだな。いや、不意打ちは予測されていては不意打ちではないか。なら、この場合は俺の予想よりも場数を踏んでいたという、それだけだ」

ソイツはスーツ姿に似合わない、鈍器を肩に掛けていた。暗くてよく分からないが野球バットのようなシルエットをしている。

「初見なのは確かだが、俺はお前を知っている。戯言遣い。この名に聞き覚えは有るか?」

野球バット(状の金属塊)を肩から地面に落ち着けた、男の足元でカラカラと音がして。

「十三銃士。第九席。式岸軋騎。二つ名は」

その音は徐々に大きくなっていく。地面に金属バットを押し付けているのだと俺は気付いたがそれで何を言えば良いのかが分からない。
注意を促すのも、素人の俺では的外れになりかねないからな。

「『街(バッドカインド)』」

ソイツがそう言った次の瞬間地面が、爆ぜた。一瞬にして視界をもくもくと白い煙が覆い隠す。だああっ、さっきから超展開の連続で付いていけてねえぞ、俺! 途中下車させろ、こんな暴走特急!

「走ります。私の背中に付いてきて下さい、キョンさん」

少女の声が耳元で聞こえるが、背中なんてどこにも有りゃしねえっつの。言っただろうが。視界は真っ白で頭も真っ白なんだよ、こっちは!
なんてボヤくよりも早く、コートの袖を引かれ無理矢理に立ち上がらされる。ああ、くそ。こうなりゃヤケだ。状況に流されるのは悲しいかな俺の十八番だって、はい、諦め完了。服を引っぱられるままに走り出すしか選択肢は許されちゃいねえ。

「ああ、チクショウ。今日、俺何回『チクショウ』って言った!?」

「そんな事一々数えていません」

「だよなあ!」

時間にして一分ほど走った所でようやく白煙の中から脱出する。振り返れば俺たちが走ってきた道すがらをずっと煙が守るように覆っていた。
逃走しながら煙幕を撒き続けた結果だろう。少女の仕業か戯言遣いの仕業かなんてのは知らん。知る由も無い。
あれ、そういや戯言遣いはどこへ行ったんだ? 前にも後ろにもその姿は見えず。余りの展開に付いて行けず置いてけ堀になったんじゃないかと俺が不安になった頃、並走する少女が直角に路地を曲がりわき道へと滑るように進入した。慌ててその姿を追う俺……の服が後ろから掴まれる。
汗が一気に冷えていく感覚。
捕まった。脳裏にクレータと化したアスファルトの映像がフラッシュバックする。ほとんど半狂乱になって俺は叫んだ。

「オイ、放せよ、テメエ!」

けれど返ってきたのは落ち着き払った男の声。

「……静かに」

「……え!? あれ!?」

「声を荒げないで。静かにしてくれないかな」

路地に入り込んだ、すぐその脇で腰を下ろしているのは誰あろう戯言遣いその人だった。

「いや、え? え?」

二度三度、走り去っていく崩子さんの後ろ姿と座り込んだいーさんを見比べる。

「追わなくて……いいのか? 一人で行かせちまって?」

「大丈夫。崩子ちゃんなら大丈夫だよ。闇口は……彼女の実家はどうも忍者に源流が有るらしくてね。遁走術でのみ語るなら同姓相手でもない限りは安心していい。彼女にはこういった場合に備えて逃げ込む場所もきちんと教えてあるし、もう少し囮になっていて貰おう」

「忍者? この平成の世にかよ?」

「殺人鬼だって闊歩する世の中さ。忍者が居たって別に不思議は無い。囮にするのは心苦しいけど、まあ、闇口ではなく井伊として戦うのだからそんなに無茶はしないかな」

いーさんはパンパンとコートに付いた埃を叩き落しながら立ち上がる。

「さて、ぼくらも行こうか」

「行くって、どこにです?」

回れ右するのもなんだかさっきの野球バット黒スーツが待ち伏せていそうで気持ち悪いし、とは言えそうなると崩子さんの後を追う以外に道は無いのだが。

「もう少し戦い易い場所さ。さっき、狐さんは六人呼んだって言っていただろう? となると後五人、ぼくらは今夜中に相手にしなくちゃならない」

……おいおい、冗談だろ。いや、理論立てて考えたら戯言遣いの発言に間違いは無いのだが。
それにしたってどこにでも居るただの男子高校生にあんなのの相手が出来る訳がねえっつの。ライトノベルの読み過ぎを疑った俺を果たして誰に責められよう。

「大丈夫。安心していいよ。もう手回しは済んでる。ファミレスを出た時点から戦争が始まるのは予想が付いていた。ぼくはそう言ったはずさ」

いーさんはそう言ってニヤリと笑った。

「君の力も貸してもらう事になる」

俺の力? そんなん有ったら逆に教えて貰いたいくらいだ。戯言にも程が有るだろ、戯言遣い。


気付いた時、既にいーさんは隣から消えていた。唐突にこんな事を言っても理解が難しいとは思うが実際そうだったのだからそうとしか言いようが無い。ついさっきまで今後どうするかを話していた……はずなのに。で、ありながら。
二分前か、三分前か。五分前か十分前か。まるで神隠しにでもあったみたいに忽然と。
辺りを見回してみても一本道の裏路地である。ここを二人で並んで歩いていたはずなんだ。さっきまで。
おいおい、レベルの高い迷子能力だななどと、皮肉を少しばかり響く声で口走ってみても音沙汰無し。
……これはもしかして、敵の攻撃ってヤツか?
どうやったのかは知らんし見当も付かんが、しかし離れ離れにして各個撃破は戦術の基本……だな。なるほど、さっきの式岸なんとかといい哀川さんといい実戦要員だけかと思っちゃいたが、そんなん以外にも十三銃士ってヤツは居るらしい。
しっかし、となるとどーすっかな。頼みの綱であるはずの戯言遣いもどっかに行っちまったし、今夜は大人しく家に帰るべきか?

「寒いしな……下手の考え休むに似たりって言うし、そうだな。帰って寝ちまおう、もう」

呟いて路地を進む。一本道の突き当たりを右に折れた。
そこに居たのは女性。真っ白な、雪のようなウェディングドレスを着たすっげえ美人。……ウェデイングドレス?

「オデットと申します」

「……はあ」

自己紹介をされても生返事を返すしか出来ない俺。だが、理解していた。今夜、この状況下、このイレギュラーな服装。
どう考えても敵でしかない。……勘弁してくれ。

「十三銃士、第十二席。オデットと申します」

「いや、名前はさっき聞きました」

その女の人の眼はずっと、俺を見ていなかった。いや、眼は俺の方を向いているんだ、しっかりと。けれど視線は合わない。
彼女は俺のずっと後方、そこに何かが、誰かが居るようなそんなうつろな眼をしていた。けれど、そこに有るのは壁ばかり。

「貴方ならば切り刻んでも構わないと聞きました。狐のお面をした人から聞きました。オデットと申します。貴方ならば切り刻んでも構わないと聞きましたオデットと申します切り刻ませて頂きます切り刻ませて下さいませんか切り刻みますと申します」

……うわ、この人、マジモンの電波さんだよ……。
その余りのアレっぷりにじりじりと後退を余儀なくされる俺。いや、誰だってそうだろ? そうなっちまうだろ? だってもう、目付きが泥酔した親父様並に怪しいんだぜ? 加えてウェデイングドレスだぞ? 無理だって! 流石にこれは相手出来ないって!

「……どうしてそんな眼でオデットを見るのですか、イリア姉さま?」

俺はイリア姉さまではありませんっ!!

「姉さまが提案した遊びではありませんか。キラキラ光るものを体中に埋め込んだらきっと綺麗に、もっと綺麗になれるでしょうって。だから、今度はオデットが姉さまを綺麗にしてあげる番」

その考え方は余りに猟奇じみ過ぎちゃいませんか! ねえ、聞いてる!?

「たくさん、たくさん、たくさんたくさん、たくさんたくさんたくさん、綺麗になって欲しいのです。オデットの愛する姉さまにはいつも、誰よりも一等綺麗でいて頂きたいのです」

言いながら、ウェディングドレスの裾から取り出したのは……ああ、やっぱり刃物ですよね、そう来ますよねえっ!?
ゴテゴテと柄に宝石で装飾が施された西洋風の剣。RPGとかでよく出て来るアレがレイピアってヤツか? うわあい、こんな所でその本物が拝めるたあ、ツいてる……訳が無えよなあ!!

「ちょっと待て! そんなモン体に差し込んだら出血多量で死んじまうぞ!」

「そんな事はありませんわ、姉さま。オデットはあの時たくさん、たくさん、たくさんたくさん、たくさんたくさんたくさん姉さまに綺麗にして頂きましたけれどこうしてちゃんと生きていますもの。冗談がお上手ですわね、イリア姉さま」

口元に手を当てて上品に笑う。その様は良家のご息女様がしなければ決して絵にはならないが、つまりこのオデットさんとやらは良家のご息女様なんだろう。だが、それがどうした。
窓辺でまどろんでいてこその美貌が、その左手に物騒なモンぶら提げてちゃこりゃもうホラー映画以外の何モンでもないっつーの!

「えーっと、ああーっと……オデットさんや?」

とにもかくにも話し合いを試みる俺。そうだ、きちんと向かい合って話し合わないからお互いを理解出来ずに戦争が始まってしまうのだろう。であるならば、言葉が通じる以上無用な血を流す必要なんてどこにも無いんだ。そうだろ?
人間関係は信頼関係。きっと電波さんとだって分かり合えなくとも共存の道は有るはずさ、どこかに。
……どこかとは言ったものの窓やらに柵の付けられた病院しか想像出来はしないのだが。

「嫌ですわ、姉さま。さん付けだなんて。いつものようにオデット、と。そうお呼び下さい」

ね? と可愛らしく微笑みながら念を押す。ああ、左手に刃物さえ持っていなきゃコロっといっちまいそうないーい笑顔なんだけどな、チクショー。

「あー、そんじゃ、えっと……オデット?」

「はい、なんでしょうイリア姉さま!」

……名前を間違えられるのはともかくとして性別まで無視とか、この子の眼はガラス球か何かで出来てんのか?

「なんでも仰って下さい、姉さま。オデットは姉さまに尽くす事こそ至上の喜びです。オデットは姉さまのためにこそ生きているのですから!」

何食ってたらこんな歪んだ性格になるのだろうか。ちょっと親の顔とお抱え料理人の顔を見てみたい気もする。

「その左手に持っている刃物をとりあえず捨てないか?」

「……え?」

女性の顔から一瞬にして笑顔が消え、能面のような無表情がそこに現れる。真っ白な肌の色も合わさって、その様からは生気がまるで伝わってこない。幽霊のような、という比喩がとてもぴったりとそこにあてはまった。

「姉さま……どうしてですか? どうしてオデットを傷付けるのですか? オデットは痛いのです。痛いのです。オデットは泣いているのです。見えませんか、イリア姉さま? 愛しているのです、イリア姉さま」

女性の首がガタガタと、発条仕掛けの人形のように動く。横顔は、それこそヨーロッパ辺りの絵画のように非の付け所の無い造詣をしていたが、残念ながら彼女が美人であればあるほど状況はホラーでしかないのであるからして。

「姉さま、どうかオデットに切り刻ませて下さいませ。私は見たいのです。姉さまの体が真っ赤に染まればそれはそれは美しいと私は何度も夢に見るのです。ですから、どうか。お願いですイリア姉さま」

お願いされたって無理なものは無理なのだが。生まれが良いとお願いすれば何でも許容して貰えるものなのだろうか。
いや……流石に死んで下さいって言われて首を縦に振るヤツはいないだろうなあ。

「そんなん頼まれたって無理だろ、無理。考えるまでもないとは思わんかね、オデットさ……オデット」

「私は姉さまに同じ事を願われて了承致しましたでしょう?」

うえ、マジかよ。つか、オッケー出してんじゃねえし、そもそもそんな事をお願いしたそのイリア姉さまとやらもどんな頭の構造してやがるんだ?
姉が姉なら、妹も妹って事だろうか。

「だから……姉さま」

純白のウェディングドレスが狭い路地に翻る。その不思議な光景に一瞬見蕩れてしまい、そのせいで反応が遅れた。しまったと思った時にはもう遅い。瞬く間に六メートルは有ったはずの俺との距離を詰めた美女は、その握る剣の切っ先を俺の胸に押し付ける。
ぷつり、服が裂ける音が聞こえた気がした。

「一緒に、真っ赤になりましょう?」

殺人鬼の口から漏れたその声は、とても甘い、甘ったるい響きを含んでいた。
まるで愛する恋人にベッドの中で睦言を囁くような。
ああ、これで終わりか。こんなトコロで終わりか。人間ってのは死ぬ時はやけにあっさりと死んじまうモンなんだなと俺の頭が諦念でいっぱいになるまでには一秒と掛からなかっただろう。
多分、走馬灯みたいな感じで時間が圧縮される現象がそこには起きていたんじゃないかと思う。なぜかっつーとそれは美女が俺から飛びのく様がスローモーションで見えたからであり、また俺と彼女との間に飛んできた刃物の軌跡がやけにはっきりと見えた事から俺はそう思ったのだが。
……助けに来るのおせーよ、ったく。

「その人は赤神イリアではありませんよ、赤神オデットさん。よく見て下さい。そもそも彼は男性です。その人を赤く染めたところで貴女の本懐は達成出来ません。悪しからず」

刃物が飛んできた方を見れば……よう、数時間ぶりじゃねえか、超能力者。

「古泉! 助かった!」

「まったく、貴方という人は本当におかしな人に好かれる体質なのですね。ああ、後、礼を言うのならば僕よりも彼女に言ってあげて下さい」

「……彼女?」

その言葉に、古泉の背中に隠れるようにして縮こまっている影の存在に気付く。

「ひ、一つ一つのプログラムが甘いですう。く……空間製作技術や情報統制もまだまだこの時代に行える域を出ていませえん。だから私に気付かれるんですよお。古泉くんを呼んで……うええん、キョンくうん。間に合って良かったああ」

涙をぽろぽろと流しながら俺に駆け寄ってきたのは、我ら! SOS団が誇る癒し系メイドキャラ、朝比奈さんだった! って多分一々説明入れなくても声聞きゃ分かって貰えるような気もするけどな

「朝比奈さんがこの場所まで誘導してくれたんですよ。僕だけでは先ず救援は手遅れになっていたでしょう。プロのプレイヤの仕業ですね。ただの路地裏を迷路迷宮へと仕立て上げる、そんな魔法のような事をやってのける方には……まあ、二人ほど心当たりはありますが」

びっくりホラー美女からは決して目を離さず、古泉は言葉を続ける。

「しかし、所詮は現代の技術です。GPSはジャミングが可能でも、我々にとって未知の技術にまでは対応していなかったようですよ」

「そうか。ありがとうございます、朝比奈さん。ああ、それと一応お前にもな。礼を言っておく。古泉、さんきゅな」

「いえ、わたしは当然の事をしただけですっ」

「僕の方は一応、ですか? 困りましたね……いえ、貴方が無事であっただけ良しとしましょう。朝比奈さんを連れて、僕から離れて下さい。ですが離れすぎないように」

そう言って真打ち、超能力者にしてSOS団の頼れる副団長は赤神オデットに向けて右手を伸ばした。
おい、今「頼れる」って言ったのは誰だ? 俺か? 本当に俺がそんな事を言ったのか?
しまったな……今の部分、カットで頼む。何? 出来ない?

「……誰? 私と姉さまの間を邪魔する、貴方は誰?」

「そうですね。名前の方は言っても心当たりが無いでしょうし、所属を言っても四神一鏡の貴女には無縁でしょう。ですのでもし覚えていて貰えるのでしたらば二つ名だけ、心に留めておいて下さい」

古泉が右手を振る。たったそれだけの動作にしか俺には見えなかった。が、赤神オデットは立っていたその場を飛び退く。闇に慣れた眼を凝らせばさっきまで美女が立っていたその場所にはキラキラと光るものが……アレはカッターナイフの刃、か?

「『優しい嘘(ブラフイズブラインド)』。そう、呼ばれています。どうぞ、お手柔らかに」

言いながら古泉が背中から出した左手には無数のカッターナイフの刃が、握りこまれていた。

「カッターナイフ? の刃?」

「ええ。ほら、一応僕って機関の構成員と学生っていう二束の草鞋な訳じゃないですか。となるといざという時に武器に出来そうで持っていられる物は筆記用具関係しかないんですよ」

なるほどなるほど。つまり、コイツは常在戦場って感じなのか。不味いな。そんなの知っちまったら迂闊にからかう事すら出来ねえじゃねえか。あー、知らなきゃ良かった。

「一応、拳銃なんかも持っていますけどね。音が五月蝿いですし、サイレンサを取り付けるのも手間ですからどうもこういった文房具で済ませてしまう……癖のようなものですね。悪癖です」

おおい!? 文房具で戦うのが癖になっちまうって一体日頃お前はどんな殺伐とした生活を送ってるんだ、古泉!?

「イリア姉さまと私の間を、貴方は邪魔をするの? お父さまのように? お母さまのように?」

「ええ。申し訳ありませんが、ここで僕に出会ってしまった以上、赤神オデットさん。貴女の道は行き止まりです。赤神家では既に貴女は死んでしまった事になっているので、持ち帰るのもそれはそれで火種、でしょう?」

古泉が右手を、左手を交互に手首のスナップを利かせて振る。それに併せて左右に飛び回る純白の美女。ぼけっと見ている俺はまるでソイツがダンスでも踊っているように錯覚してしまう。指揮者が古泉で。

「ふむ、なるほど。赤神の鬼子と、かつて呼ばれたその異才……異彩は健在ですか。飛び道具のあしらいはお手の物ですね」

落ち着き払った声で古泉が言う。手のひらからカッターナイフが無くなったのを俺が視認したのと同時に、美女が超能力者向けて駆け出した。

「邪魔ですわ、貴方」

「おやおや、嫌われたものですね」

レイピアの先が直線距離、矢のような速度で古泉に迫る。

「ですが、僕もどちらかというと飛び道具は苦手でして」

言うが早いか古泉の姿が消えた。目に見えて動揺したのは赤神オデットだ。しかし、突進は止まらない。そのスピードは、矢に例えて遜色無いその加速は最初からブレーキングを考えられている速度ではない。

「消え!?」

「消えてません、よっ!」

古泉の右足がコンパスを使って書いたような綺麗な弧を描く。狙いは……足首。消えたように見えたのは、眼にも留まらぬ速さでその長身を縮めたのか! 
必殺のタイミングと思われたその刈り足は、しかし宙を切った。

「あのタイミングで跳びますか!?」

少年が驚愕の声を上げる。その頭上を飛び越える美女。しかし、空中で何かに当たったようにその体が背後に引っ張られる。ウェディングドレスの、その先を握っているのは超能力者!
そして、それがラスト。

「チェックメイト」

地面に無様に尻餅を着いた美女のその左腕を踏み付けて古泉は、その顔の中心にどこから取り出したのかピストルの銃口を突きつける。

「ウェデイングドレス。戦闘に出向くものの服装ではありませんでしたね。最近のプレーヤはいけません。戦場はファッションショーではないのですよ」

ゴキリ、何かが折れる音。赤神オデットが痛苦の声を挙げる。剣を握っていた女の左手を少年は踏み付けるままに折り壊していた。

「古泉、やり過ぎだ!」

「何がですか?」

副団長はこちらを向いて笑った。まるでいつも通りの似非スマイルも、拳銃を構えているその姿には全然似合ってない。それは……男子高校生とは、俺にはとてもじゃないが見えやしない。
ってのに。
古泉の手の中から、パンというやけに軽い、軽くけれど響く破裂音が聞こえたのはその直後だった。

「古泉!」

非難の意味を込めて少年の名前を呼ぶ。しかし、ソイツは無言で足元を見ていた。その視線の先には物言わぬ屍が転がっている、はずだった。
だが、俺の予想はここでも外れる。「それ」は口を聞いた。最早物言わぬはずの「それ」は、物を言った。

「銃はいけません。銃ではいけません。それでは美しくないでしょう。そうは思いませんか、『優しい嘘』?」

顔の真ん中に銃口は突き付けられていた。それはブレず狙いが外れた訳でもない。そして、火薬の爆発する音がした。これだけの条件が揃っていて普通、人間は生きていない。普通は。
俺の中の常識を照らし合わせて、撃ち出された弾丸を食い止める術なんてそんなものはない。
その美女は、けれど汚らしい裏路地でウェディングドレスを着ていても周りの景色をすら背景として取り込んでしまうような、非常識。
普通は生きていられないけれど女は普通ではない。
異常者。

「私を彩るつもりならば、どうかイリア姉さまと同じようにやって下さいまし」

そう言って、美女は唇から真赤な舌を取り出す。その上にはまるでシロップ漬けのブラッドチェリーのように、弾丸が乗っていた。

「まさか……奥歯で『喰』い止めたとでも言うのですか!?」

古泉の顔に浮かぶ一瞬の動揺。そりゃそうだ。そんなモン想像の範疇外、人間技では有り得ない。至近距離で放たれた弾丸を歯で噛み、更に止めるなんて……まるで、化け物だ。
ウェディングドレスを着て、左手に剣を携えた女殺人鬼。都市伝説であったとしても嘘臭過ぎてけっして噂にはならないだろうに。
事実は小説よりも、奇なり怪なり。

「これは、お返しします」

スイカの種を飛ばすのと大差無く見えた、たったそんだけの所作でも超能力者の右肩に真赤な華を咲かせるのには十分だった。
少年の手から、拳銃が取り落とされる。思わず俺は叫んでいた。

「古泉!」

ウェディングドレスの上からバックステップで距離を取り、しかし俺たちの方へは決して近寄らずに古泉は右肩を押さえる。指先からはぽたりぽたりと赤い滴が落ち続けて。それがやけに鮮やかな色をしていたから、こんな事は全て夢だと現実逃避する事すら俺には許されない。

「しくじりました……格好悪いですね、僕」

こちらをちらりと横目で見て、そして薄笑いを浮かべる少年。その笑顔に俺は血の気が引いた。なぜ、ここで笑えるんだよお前は?
格好悪いとか格好良いとかそういうのを気にしていられる状況じゃねえだろうが!

「……きゅうっ」

可愛らしい鳴き声が隣で聞こえ慌てて古泉から視線を移せば、そこでは朝比奈さんの上体が今にも地面に後ろから倒れこむ所だった。間一髪俺の手は間に合って少女の後頭部に大きなたんこぶを作ってしまう事態だけは回避する。
顔を覗き込めば、まあ分かっていた事だが余りの展開に意識を手放し、未来人少女は可愛らしい眠り姫モードである。
……スリーピングビューティ、ってか。だが、起こすのはどうにも気が引けた。

「格好悪いとかそんな馬鹿な事言ってんじゃねえ、古泉! こんな化け物相手にしてられるか!」

「化け物? ……イリア、姉、さま?」

赤神オデットの首がぐるりとこちらを振り返る。その顔には爛々と、無表情の中で眼だけが憎悪と歪んだ愛情に満たされていた。
それが、こっちを見ている。こっち見んなよ……チクショウ、直視出来ねえ……。

「おやおや、随分嫌われましたね赤神オデットさん。いえ、赤神イリアの幻想を追い求めるだけの殺戮貴婦人……『心中強要(ハネムーンストーン)』。どうなさいます?」

古泉が嘲笑う。赤く濡れた肩口を押さえたままの、その額には玉のような汗がぽつぽつと浮かび上がり街灯の明りを反射していた。
その光は俺に分かり易く少年の現状を教えてくれている。

「いいえ、姉さまはちゃんと分かって下さいます。貴方さえいなくなれば、邪魔者さえいなくなれば、紅茶とスコーンを用意してゆっくりと話し合えば優しいイリア姉さまは私の事をちゃんと受け入れて下さいます」

ですよね? と同意を求められても俺に頷ける訳が有るかよ、オイ? こんな妹持った覚えは無いし、本物の妹は今頃、兄の不遇も知らずに温泉旅館で夜もぐっすり熟睡モードだ。ああ、こんな事になるんだったら俺も一緒に温泉に行っておくべきだった!
誰だ、後の祭りであるとか後悔先に立たずとか上手い日本語作りやがったヤツは。大きなお世話にも程が有るだろ。そんなんは言われんでも今、骨身に染みて理解してるっつーの!

「そうですか。では、僕としてはどこまでも邪魔者を貫くしか有りませんね。やれやれ、これは重労働ですよ? 機関に特別手当を申請するにしろ書類が多くていけません」

右肩を撃ち抜かれた古泉と左腕を踏み砕かれた殺人鬼。条件は互角に見えなくもなかったが、にしたって苦しそうに見えるのは古泉ばかりなのはどういうこった?
残った片腕を自由にするのは赤神オデットばかり。古泉はさっきからずっと左手で負傷した肩を握り続けていやがる。

「では、続きと」

「まいりましょう?」

二人が同時に動く。だが、やはり眼に見えて古泉の動きが悪い! 右半身を庇っているのは明らかじゃないか! 一体なぜ腕を……あ!
弾丸。
舌で「撃」ち出された弾丸が、けれど火薬なんかで撃ち出された訳じゃないから、もしかして体内に残っちまってるのか!?

「……マズいかも知れませんね、これは」

呟いた、珍しいと言わざるを得ない余裕の無い弱音。それでも超能力者は立ち向かうのを止めなかった。
それは俺たちが後ろに居るから。
気絶した朝比奈さんを背負って逃げ切るなんて体育会系な真似が、それもあの化け物から、許される可能性は零に等しい。きっと少年は、副団長はそれより少しでも高い可能性に賭けたんだろう。なんて気付いた時、俺は肺の奥から声を絞り出していた。

「負けんな、副団長!」

エールを、送るしか出来ない俺を……けれどソイツは前を向いたままに微笑んだのだった。
副団長らしく、いつも通りに笑って見せたのだった。
走り寄る勢いと美女が飛びかかってくる勢いを利用するように、少年の長い右脚が空手のお手本のような回し蹴りを放つ。タイミングはばっちし。避けられる道理も無く、今度は上に跳ぼうがそれすら叩き落とすハイキック。
赤神オデットは、避けなかった。とは言っても防いだ訳でもない。一度砕かれたその左腕はされるがままに古泉の脚と衝突し、二の腕がひしゃげる。
だが、そこまでだった。女性の体くらいならばきっと簡単に吹き飛ばすであろうその一撃を、赤神オデットは有ろう事か動力として利用した。
右足を軸に、ワルツのように。裾の長いウェディングドレスが夜の中に大輪の白百合を咲かせて、回る。
そして一度古泉から背を向けたその美貌が舞い戻って来た時、その右手に握られていたものは……さっきまでずっと左手に携えていたレイピア。
正しく、言葉通りの「剣の舞」。

「常に美しくあれ。可憐であれ。イリア姉さまが私に教えてくれた事です」

夜に白銀の刃が舞う。少年の右方から容赦なく襲う狂気の凶器。その速度は回し蹴りを終えたばかりの古泉には後退すら許さない。

「彩ってあげましょう」

そう、例えば。古泉の右腕が使えたのならばまだ防ぐ手段は有ったのかも知れない。
もしくは、左腕で右腕を庇ってさえいなければ何かが出来たのかも分からない。だが……だがそんなのはもしも、でしかない。
実際に古泉の肩口は血だらけなんだ。コートの上からでも分かるほど、それは出血を強いられているんだ。
古泉は悔しそうに歯噛みして、残念です、とそう言った。弱音はハッキリと、俺の耳に届いた。
残念? 何が!? 俺たちを守れなかった事か? そんなんはどうでもいいから、こんな時まで自分の事より団員の事を優先させてんじゃ……格好良過ぎんだろうが、副団長テメエ!

「すいません、オデットさん」

迫り来る刃を受け止めて、古泉は言った。
「血の滴る」「負傷したはずの」「右腕を上げて」、古泉は言った。

「痛がっていたのは全部、演技でした」

笑う。それは『優しい嘘』、その本領発揮の微笑み。
よく考えれば。あんな小さな弾を撃ち込まれただけで血があそこまで噴き出すだろうか。冬に、コートを別にしても三枚は着ている服を抜けてコートの外にまで血が滴るものだろうか。
そして、なぜ古泉はずっと右肩を左手で押さえていたのか。俺はそれをずっと出血を抑えていたのだと勘違いしていたが。それが。
血糊を肩口で押し潰しているだけだったとしたら、どうだ?

「え!?」

「まったく、夜で助かりましたよ。流血に不自由しない貴女ですから、日中の明りの下でしたら本物の血液ではない事に気付かれてしまっていたでしょう」

どこからが演技なのかは俺には分からない。痛がっていたのが演技なのか、撃たれたのすら演技なのか。いや、古泉はさっきそういやこう言ってやがったっけ。
「全部、演技でした」ってな。
だとしたら……なんて役者だ。なんて道化だよ、あの超能力者は! ハルヒの前での嘘吐きっぷりすらその才能の片鱗でしかないんじゃないだろうかと俺は勘繰っちまうぜ?
ああ、そうだ。それこそが古泉一樹がハルヒの隣に居る人間として選ばれた理由なんだろう。誰が付けた呼称か知らねえが、上手い事言いやがるモンだと俺は感心しちまうじゃねえか。
「優しい嘘」。
ああ、すっかりしっかり騙されちまって逆に清々しい気すらしてくるっつーの。

「そん……な」

「コートを着ている時点で怪しんで下さいよ。これだから最近のプレーヤは困ります。大戦争の頃ならば防弾装備なんて必要最低限だったというのに」

ドサリ、美女の上半身が力を失って古泉に凭れかかる。その腹部には少年の左手が突き刺さっていた。よく分からんが格闘漫画なんかでよく見る当身ってヤツだろうか。

「戦場でファッションを楽しむのは、僕に言わせればプロとは言えません」

古泉は赤神オデットの体を地面にゆっくり横たえると、こちらを振り向いて俺に笑いかけた。

「まあ、僕はどこにでも居るちょっと神に選ばれただけの男子高校生ですけどね?」

お前、ここまでやっといてその言い草はちょいと嘘吐きが過ぎるんじゃねえの?


以前気絶しっぱなしの朝比奈さんを背に負って歩く俺の、隣を古泉は歩いていた。
いわく、心苦しいがいざという時に自分は戦わなければならない為に朝比奈さんを背負っては歩けないとの事だ。いや、今しがたまで謎のホラー美女と大立ち回りやらかしてたヤツにそこまでさせるのは流石に俺だって出来ねえよ。
それに、ま、これはこれで役得ってヤツだしな……現状が緊急事態でさえ無ければ表情筋を一筋残らず弛緩させていてもおかしくはない。
しっかし、去年の七夕(正確には四年前の七夕になるのだろうか)以来だよな、こうやって朝比奈さんを背負うのも。
なんかちょっとした既視感だぜ。

「なあ、古泉」

「はい、なんでしょう?」

「さっきの、赤神オデットさんだっけ? あの人はあのまま放置しといて大丈夫なのか? ウェディングドレスっつーのは着たこと無いが」

着た事が有ってたまるか。着る予定も無い。

「どんくらい暖かいか知らんし、真冬に放置して凍死されてたりしても寝覚めが悪いんだが」

俺がそんな事を言うと古泉は笑った。

「ふふっ。貴方は本当にお優しいのですね」

「そんなつもりはねえけど。だが、少年Aにはなりたくないぜ?」

今しがた殺されかけた相手に対して何言ってんだ、ってのは分かる。分かるけど、それにしたって……なあ。殺されるのも嫌だが殺 すのだって同じくらい嫌だ。普通の感覚だよな、コレ?

「機関には連絡してあります。空間製作……今、この裏路地は少々特殊な状況になっているのですが。しかし、それにしても魔法ではありませんので彼女が凍死する前には回収も済むかと」

「そうかい。ああ、そうそう。その空間製作ってのに関して俺はまだ聞いてないぜ?」

一体どんなシロモンなんだ? やっぱり閉鎖空間だとか局所的非侵食……なんだったかな、ごちゃごちゃした名前の長門が創るアレ。あんなんの類似品か?

「空間製作……そうですね。どうやって説明したものでしょうか。貴方は富士の樹海ではコンパスが狂うという話をご存じですか?」

「あー、聞いた事くらいは有るな」

確か、その樹海の土やら石やらが磁力を持っていてそれでコンパスがぐるぐると迷子になっちまうんだっけか。

「ええ。同様に磁力は人の方向感覚にも微細にでは有りますが作用します。ただ……微細ではあれ微に入り細に入りすればそれは十分に人から方向感覚を失わせる事が可能です」

「つまり、磁力が原因なのか」

そりゃまた学園異能バトルみたいな話だな。磁力怪人でも出て来るのかよ、次は。

「原因の一部、ですね。他にも色々な技術を用います。例えばあのゴミバケツ。一見何の変哲も無いものですが道を二度曲がって、その後にアレと同じものを同じ配置で見たら人はどう思うでしょう?」

「自分が同じ所をグルグル回ってると、そら思うわな」

俺が答えると古泉は一度指を鳴らして、そしてピストル型にした内の人差し指を俺に向けた。芝居掛かってるにも程が有るだろ、その仕草。

「ええ。実際はまったく同じものが二つ用意されていただけにも関わらず。そういった人間の錯覚心理、その他諸々を利用して人を遠ざけ人を誘導し、自分の思い通りのシチュエーションを創り出す。それが空間製作技術です」

なるほど。魔法じみちゃいるが、その中身はどっちかっつーと粋を凝らした手品の枠内ってこったな?

「はい。閉鎖空間や長門さんお得意の局地的非侵食性融合維持空間とはまるで別物です。そういった理解でいいでしょう」

そっちはびっくりどっきりくっきりはっきり魔法の類だもんなあ。ま、どっちにしろ非常識なのは変わりない。

「ええ。非常識極まりありません。ちなみにこうやって貴方に種明かしをしている僕ではありますが、その道のプロではないので正直貴方と逸れないようにするのが精一杯なんですよ、これでも」

そうかい。そりゃ……って、おい、ちょっと待て古泉!?

「気付きましたか。僕たちは危機から逃れたつもりでいて実はまだ敵の術中、その只中に居るのです」

一難去ってまた一難は時間の問題と来たモンだ。いい加減にして家に帰しては貰えんだろうか。俺のウキウキ年越し一人っきりハッスルしてやるぜ計画をなんでこんな形で裏切られにゃならんのだ。

「ですが、ご安心下さい。僕が居る限りは貴方と朝比奈さんには……おっと」

古泉の出した左手が俺の歩みを制する。なんだなんだ。また何か出やがるってのか、コンチクショウ。出るなら出てこい。でも、出なかったら出ないでくれても構わない。いや、むしろ出ないでくれ。

「後ろに下がって下さい。敵との間に必ず僕を挟むように動いて貰えたら、非常にやり易いのでよろしく」

「オーケー」

朝比奈さんを背負ったままにムーンウォーク。なんだか厄介事を全部古泉に押しつけちまってるようで気分は悪いが、仕方ない。あんな人外魔境を相手にして俺なんかが何を出来るのかって言ったら両手を上げて壁を向く事くらいしか残ってないしな。

「……そこの角に潜んでいるのは分かっています。どうかお顔を拝見出来ませんか?」

優しげな響きさえ持った超能力少年の求めに応じて、道の影から一人の男が姿を現す。
まるで、舞台劇でライトアップされた役者のような、しかしどこにでも居そうな取り立てて特徴の無い、しかししかしソイツが纏っている雰囲気だけは役者、それも主演役者のような。
視界に浮かび上がって見えるとでも表現すればいいのだろうか。俺にはちょっとその男を形容する言葉が出て来ない。
それでも。
それでもあえて足りない語彙で表現するとしたら。
位置外。
そこに居てはならない。
世界にそんな人間が存在していてはいけない。
なぜか、そんな感情をこちらに抱かせる、ソイツはそんな男だった……って、アレ?
この説明文、今日二度目じゃね?

「やあ、奇遇だね。……いや、戯言だったかな。木の実さんの仕業だろうから必然と考えた方がいい」

「いーさん!」

朝比奈さんを背負っている為、走り寄る事こそ出来なかったが俺は心の底から安堵していた。去年の十二月、光陽園高校の前でハルヒを見つけた時のような心持ちだったと言えば俺がどれだけ心細かったか、どれだけこの再会に安心したかがお分かりいただけると思う。

「おや、無事だったかい。それは十全。人数も増えているみたいだし、流石は『鍵』と言ったところかな。ぼくが心配するまでも無かったみたいだ」

カツカツと歩み寄る戯言遣いに対して、しかし警戒を解いていないヤツが一人。古泉だ。そういやまだいーさんの事を説明していなかったな。

「……この方は?」

抜け目無く、いーさんからは死角に置いてある左手に拳銃を忍ばせながら副団長が問いかけてきた。俺はいまだかつてこんなに血生臭い展開には幸運にも出会った事がないので、そこに違和感を覚えちまう。
が、状況を考えればきっと古泉の対応は間違いではないのだろう。

「人に名前を尋ねる時は先ずは自分の名前を名乗るのが筋ではないのかい、古泉一樹くん。玖渚機関、弐栞所属の鬼札。ブラフイズブラインド。一番の切り札がブラフとは悪くないジョークだとぼくも思うよ」

一歩、また一歩と踏み出す戯言遣いと後ろ手で拳銃のトリガに指を掛ける古泉。場に緊迫した空気が流れるも、いーさんはどこ吹く風で歩みを止めない。

「……名前を知っている方相手に、自己紹介は時間の無駄でしかないでしょう」

「お、おい、古泉」

「貴方は黙っていて下さい」

ぴしゃり叱咤される。その男が味方である事を告げるタイミングが、ああ、切り出せる空気じゃねえ。

「君こそ黙るんだ、古泉一樹」

「なっ!?」

「弐栞は玖渚友に絶対服従しろ」

いーさんがそう言った、次の瞬間古泉が片膝立ちで頭を垂れた。まるで、ここが中世ヨーロッパで王の前に出た騎士のように。

「イエス、マイロード」

騎士、そのままに。

「良い忠犬ぶりだ。玖渚機関の『情報操作室』、弐栞らしい掌の返しようだね」

「勿体ないお言葉です」

古泉はその姿勢のままに動かない。頭を上げる事も無く地面に向けて言葉を発するが……どういうこった? 玖渚ってのはコイツが所属してる機関の正式名称で……ダメだ、分からん。

「だが、いけないな。古泉くん、君は間違えたよ。『玖渚友』の名に反応してはならなかった。君が弐栞なら尚更ね。トップシークレットはそれを知っているという事すら隠されねばトップシークレットとは言えないだろう。
情報操作、情報捜査が弐栞の仕事だけど、それは全てを知る権利を許されていると勘違ってはならないんだ。そうじゃない。そうじゃないんだよ。まあ、君の知るところだろうと名前を出したぼくもぼくだけどさ」

戯言遣いが古泉に近寄る。超能力少年は微動だにしない。

「以後、肝に銘じます」

「いいね。いい返事だ。ああ、顔を上げていいよ。ぼくだって玖渚の所属じゃない。壱外だから君とは同列だ。ただし、青色サヴァンの名を口に出す事がぼくには許されている。この事から大体事情は察して貰えるだろう?」

悪いが部外者の俺にはさっぱり分からんぞ、いーさん。第三者置いてけ堀ってそれは……まあ、そんなん今更か。

「はい。……もし宜しければ、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

顔を上げる事を許されたにも関わらず地に視線を落とし続ける古泉が言う。それにいーさんは一つ頷いた。

「名前は知らない方が良い。弐栞に戻ってからも詮索は控える事をオススメするよ。君の為にね」

ビクリ、古泉の肩が震えた。

「……もしや、貴方の二つ名は」

「『なるようにならない最悪(イフナッシングイズバッド)』。いや、『戯言遣い』と、こっちの方なら聞いた事くらいあるだろう?」


戯言遣いを先頭に歩く俺たち四人。道すがら俺は古泉に耳打ちした。

「なあ、あのいーさんってのはお前が畏まるくらい凄い人なのか? 正直、俺にはその辺に居る普通のヤツとあんまり変わり映えしないんだが」

白ウェディングドレスの殺人鬼に黒スーツでめかし込んだ金属バット、着流しに狐面を付けた長身痩躯や全身真紅の人類最強と今日見た「そっち側の人間」っていうのはどいつもこいつも服装からしてどっか螺子が吹き飛んでいた。
そこに来て戯言遣いはどうだ?
どこにでも売っていそうなちょっと値の張るだけの灰色のロングコートに大型量販店で幾らでも掛っているだろうブラウンのスラックスパンツ。どっからどう見ても一般人にしか見えやしない。
どっちかと聞かれれば俺は間違いなく「こっち側」判定してしまう。
ぶっちゃけ、古泉が傅(カシズ)くようなオーラが見えない訳だが。いや、むしろオーラが無い感じ?

「僕らの業界では生ける伝説ですよ」

どこの業界だ、どこの。いや、やっぱいい。そんなん聞きたくねえ。
深入りしたら今でさえ日常と非日常の境ギリギリに立ってるっつーのに、戻ってこれなくなっちまいそうだし。

「僕らの所属する玖渚機関……壱外(イチガイ)、弐栞(ニシオリ)、参榊(サンザカ)、肆屍(シカバネ)、伍砦(ゴトリデ)、陸枷(ロクカセ)、染(シチ)の名をとばして、捌限(ハチキリ)を束ねて玖渚(クナギサ)。
その全て……世界の政治力の全てをかつて相手取ったただの一般人が居ました。それが、彼。戯言遣いです」

「悪いが、そんな風に言われても正直ピンと来ない。なんか凄いんだな、ってくらいの認識だ」

「そうですね……分かり易く言うならメジャーリーグのオールスターチームを相手にたった一人の野球少年が試合を創り上げたような感じとでも言えば分かって頂けますか?」

……いや、野球は一人じゃ出来ないだろ。ピッチャーやれてもキャッチャーいないんじゃそもそも試合にならん。

「それを試合にしてしまったのです。そこが彼の恐るべき所ですよ」

なんだ、そりゃ? 分身でも出来るってのかよ、いーさんは。いや、さっきから有象無象を見てるから今更驚かんけどな!

「そういう訳ではないのですが……いえ、彼の遣う『戯言』を説明するのは難しいですね。そも説明出来るようなものではありませんし」

「そうかい」

古泉のような説明好きキャラがキャラ放棄をしてまで説明を諦めるっつー事から、俺にもなんとなくではあるがいーさんの遣う「戯言」ってヤツがどんくらい高度な技術なのかはちょっとばかし理解出来た。
果たしてそれは長門の使う情報操作能力とどっちが難解なんだろうね。いや、多分どっちも俺には理解出来はしないんだろーが。

「ああ、そういえば。いーさん」

前を歩く戯言遣いに声を掛ける。彼は足を止めて振り向くと俺を見つめた。

「何かな?」

「俺達の方はさっき『敵』に襲われたんだけどさ。いーさんは大丈夫だったのか?」

俺たちばっかり襲われてそっちが襲われてないとはどうも思えないし。いや、今回の標的は俺(俺たち?)なのだからそっちにはノータッチなのかもしんないけど。しかし個別撃破は戦術の基本だとはさっき言ったよな。
敵の味方はやっぱり敵でしかないだろ。うむ。

「ああ、追い返したよ」

いーさんはあっさりと、至極あっさりとそんな事を……おいおい、マジですか? あんなけったいな集団の一人をそんなティッシュをゴミ箱に捨てるような気軽さで「追い返し」ただって!?

「藤原くんとか言ったかな。十三銃士の第九席。『辻褄併せ(イレギュラーペイント)』なんて名乗っていたっけ」

藤原……藤原。どっかで聞いたこと有るな、その名字。「落ちない落書き(イレギュラーペイント)」……ん? 落書き?
「わたしという存在はこのパラパラ漫画の隅っこに描かれた落書きのようなものなんです」。
あれは、誰のセリフだった!? 思い出せ、俺!

「未来人って本人は言ってたけど、もしかして知りあいだったりする?」

藤原。
佐々木団(仮)における未来人で、SOS団における朝比奈さんのポジションにある少年。ソイツの事をようやく俺は思い出す。
アイツまで出演して来てんのかよと愚痴りそうになって、しかし思い直した。
未来人その二の思惑、目的の一部が狐さんのそれと合致していないとは必ずしも言い切れない事実に思い当ったからだ。

「……知り合いですね」

「ええ、残念ながら僕らの知り合いですよ、戯言遣い」

「そう。その様子だと余り良い知り合いではないようだけど、まあいいや。彼には以降、今回の一件には関わらないと約束させてきたからさ。気にしないでもいいと思う」

どうやってそんな約束をさせてきたのかが俺には非常に気になったが、しかしそれよりも口約束くらいで安堵出来るはずもない事の方が先に問い質したかった。なにせ、相手は藤原。未来人だ。
俺の言う事なんか「現地人が」とかなんとか言って取り合う相手にすらしやがらねえぜ?

「信用していい。ぼくはね、伊達や酔狂で戯言遣いと呼ばれ、また名乗っている訳じゃないんだ。ぼくの戯言は言葉の通じる相手でありさえすれば平等に作用する。それが未来でも過去でも。そんなものは関係ない」

言い切るのは、それだけの修羅場を潜っていることの証明なのかも分からん。なんにしろ、いーさんの言葉にはなぜだか信じられそうな圧力っつーか匂いみたいなモンが有った。

「流石です、戯言遣い」

「褒めても何も出ないよ、古泉くん。ぼくは言葉の通じない暴力相手にはとことん無力だからね」

いーさんがしみじみと言った。次の瞬間、俺たちの眼の前の路地が爆発した。
突然の事に目を瞑る。砂煙がもうもうと辺りを覆い尽くしているのが肌に当たる砂の感触や口の中の異物感から分かった。なにが起こったってんだコンチクショウなどと口を開けて抗議する事すら躊躇われる。そんな俺の耳に届いたのは笑い声。

「げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら」

そんな身の毛もよだつ、血の気を与奪自在な、笑い声。

「げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら!」

ようやく目を開けた時、一番に視界に飛び込んできたのは地面に倒れ込んだ古泉の姿だった。

「古泉!!」

叫んで、しかし駆け寄っても朝比奈さんを負ぶっている状況では咄嗟に手を差し出す事すら出来やしない。何が起こったのかといーさんの方を見れば、いーさんは立ち尽くしていた。いや、立ち竦んでいた。
その向こうには夜の中にあっても輝くような橙色の髪を注連縄の様にぶっとい三つ編みにしたツインテール。アイツが古泉をやったってのか?
音も無く!?

「喧嘩しにきたぞ――友達」

挑発的にそう言って。すっくと立ち上がる。身長は古泉と同じくらいか? 男にも女にも見えるが、それよりなにより「人類最強」によく似ていると。俺はなぜだかそんな印象を受けた。

「……真心」

いーさんが呟く。苦々しく、痛々しい響きを伴って。

「おう、いーちゃん。久し振りだな」

「喧嘩しにきた、ってどういう事だい?」

「ああん? 決まってんじゃね? 俺様気付いちゃったんだよな。まだ戦ってない相手が居るってさ。いっちばん拳を交えるべき相手とまだ戦(ヤ)ってねえよな、って。そこにタイミング良く請負仕事が入っちまったら、これはもう運命だろ、ウンメー」

とりあえずは以前意識の戻らない朝比奈さんを壁に寄り掛かるように座らせて(すいません、朝比奈さん)、古泉の様子を窺う。口元に手を当てて呼吸は……とりあえず息はしてるな。辛そうな感じもない。
古泉のコートにも裂けた感じはない事から外傷もどうやら無さそうだ。

「人類最終ばーさす人類最弱。今までずっと有りそうで無かった対戦カードだろ。げらげらげらげら!」

人類最終。オレンジ髪のツインテールはそういう二つ名なのだろう。人類最弱ってのがいーさんを指すのは何度か聞いたし多分間違いあるまい。だが。問題はそこじゃない……よな。
人類最弱ってのはいっちばん弱いってこったろ。人類最終ってのがどれだけ強いのかなんてのは知らないが、しかし最弱よりも弱かったらそれはそれで問題有りだと俺は思う。そんなんなっちまったらいーさんは看板の付け替えが必要だ。
「弱い」とは「勝てない」ってそういう意味だ。喧嘩であれ、なんであれ。勿論、この俺に古泉を音も無く昏倒させたような化け物を相手に出来るような度量もスキルも有りはしない。
あれ? 詰んだんじゃねえの、この状況?

「真心、君、本気で言ってる? 君とぼくが本気で戦ったら無事じゃ済まないよ?」

「そりゃあ、いーちゃんは無事じゃ済まねえだろうけどよ。俺様だって別に無事で済む気もねーし、むしろいーちゃんがそこまで善戦してくれたら俺様にしてみりゃそっちの方が面白いからどんどんやれっての」

「そっか。それじゃ、もう一つ。君、何しに来たの?」

「喧嘩」

「いや、そうじゃなくて。質問が悪かったかな。誰に頼まれて来たの?」

「そんなん俺様に仕事をさせられるって言ったら人数は限られてくるだろ。いーちゃんなら大体察しは付いてんじゃねーの?」

「ふーん。なるほどね。そっか。分かった。なら、戦(ヤ)ろう。ぼくは今日中にもう三人ほど相手にしなくちゃいけないみたいなんだ。残念だけどね、君に時間を割いてはいられないんだよ」

いーさんは、人類最弱は平然と宣戦布告を口にする。俺にはその発言が自殺志願にしか聞こえない。けれど。
何も言えないのは、いーさんが自信たっぷりにそれを口にするから。戯言遣いの言葉は、なぜだか信じてしまいたくなる不思議な力に溢れていて。俺はそこに賭けてみたくなる。

「余裕じゃねーか、いーちゃん。綽々じゃねーか、いーちゃん。だがな、始まった途端に『参った』なんて戯言遣っても、それこそ許さねーかんな俺様は」

「分かってるよ。君を退屈させたりはしない。友達だからね」

「げらげらげらげら! 戯言だな、いーちゃん」

「ああ、そうさ。だけど君の存在も大概戯言だよね。考えてもみなよ。ぼくが、この無力にして卑劣な戯言遣いが人類最悪を相手にするって言うのに友達に助力を請わないと思うかい?」

オレンジ髪の挑発的な太い眉がへの字に歪む。

「……何が言いたいんだよ、いーちゃん」

「友達のピンチには友達がやってくるものなのさ、そうだろ、想影真心?」

応える声は、遥か上空から聞こえた。

「げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら!」

その笑い声は、彼方上空から響いた。

「げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら!」

着地する。今度は砂煙は上がらない。本当に、本当の「なんでもできる」とはこういうものなのだと俺は知る。
どれだけの高さから落ちても、地球の重力をすらなかった事にして自身も地面も無傷で降り立つ。それは最早非常識なんて言葉すら使うのが安っぽ過ぎて躊躇われる、異次元の生き物の在り方。

「誰の求めも無視して友達の危機に馳せ参じるのは、類友なのかな、これは」

「戯言だぜ、いーちゃん。げらげら!」

夜の中にあっても輝くような橙色の髪を注連縄の様にぶっとい三つ編みにしたツインテール。ソイツは馴れ馴れしく戯言遣いを後ろから抱きすくめて、そして言った。

「喧嘩しにきたぞ――友達(ディアフレンド)」

鏡映しの想影真心。二人目の人類最終の登場だった。って、これどうなってんの!? やっぱ分身!?

「悪いね、真心。仕事の依頼が有ったんだろ?」

目前の想影真心を見ながらいーさんは自分を抱きしめている想影真心に向かって言う。いや、だからこれどうなっちゃってる訳!? 双子!? ねえ、双子なの!? それともやっぱり今回も俺ばっかりが事情も分からず捨て置かれる感じでファイナルアンサー!?

「べっつにー。最近、小唄のヤツも俺様からのお願いを無視しまくってくれてたし、一回ぐらいこっちから無視してもいいんじゃね?」

想影真心はその髪と同色のオレンジをした瞳に想影真心を映しながらそう応え……ああ、もう説明したってごっちゃになってめんどくせえ! こっから想影真心(先)と想影真心(後)ってそう言う事にする! します!

「ふうん、今回真心に協力を要請したのは小唄さんか。そう言えば小唄さんにももう一年くらい会ってないな。でもさ、一体ぼくがこんな事に巻き込まれてる、世界が危機に陥っているってタイミングで小唄さんは何を真心に頼もうとしたんだろうね」

「そんなん俺様が知る訳ねーし。けど、そっちの俺様ならなんか知ってそうだな」

想影真心(後)といーさんの掛け合いは淀み無く。まるで事前に打ち合わせでも有ったみたいにするすると続く。

「そう思わねえ、いーちゃん?」

「ああ、同感だよ真心。にしてもライダーVS偽ライダーなんて古典中の古典じゃないか。誰がマッチメイクしたかは知らないけど、ソイツはよっぽど王道が好きなんだろうね」

ライダーVSライダーなら分かるが、偽ライダーってなんだ? そんなん仮面ライダーに居ただろうか。……分からん。

「いやいや、どっちが偽ライダーだよ、いーちゃん」

「そりゃ、負けた方に決まってるだろ、真心」

「違いねえな。げらげらげらげらげら! って訳で俺様のそっくりさん。どうもいーちゃんは忙しいらしいからピンチヒッターって事でおめーの相手は俺様だ。人類最終ばーさす人類最終。げらげら! これって戯言じゃね!? 生きてるのもそうつまんねー訳じゃねえな!」

そう言って想影真心(後)は、いーさんから手を離す。

「いーちゃんの友達はこれだから辞められねえ」

その笑顔は俺を敵と認めた時の人類最強にそっくりだった。

「……ふう」

想影真心(後)が出て来てから一言も喋らなかった想影真心(先)が口を開いて最初に出たのは溜息だった。

「まったく、そういう事だったのですね。人が悪いですわ、お友達(ディアフレンド)。最初から分かっていたのでしょう? こちらとしては真心に連絡が付かなかったからの苦肉の策だったのですけれど、はあ、まったくこんなものは十全ではありません」

その口から出てきた声は、先ほどとは打って変わっての美声。まるで歌うように想影真心(?)は続ける。

「いいでしょう。ここからでも挽回出来ない訳ではありません。それに……悪い子を躾けるのは母親の役目ですね。まったく、哀川潤も大変な子守をわたくしに押しつけたと思いません、お友達?」

「いいえ。一度引き受けた事を後から云々言うのは貴女らしくありません。そういう甘ったれた事を安易に言うのはやめたらいかがですか。みっともないでしょう、小唄さん?」

小唄、と呼ばれて想影真心(先)が顎の辺りを引っ張って皮膚をむしり取……アレ、見た事有るぞ、俺。ルパン三世がよくやる変装ってヤツじゃねえ? そうそう。あんな感じで顔の上に被ってた特殊メイクじみた顔をはぎ取って中から……中から出て来たのは眼鏡美人。
……いや、なんで眼鏡がマスクの下から出てくるんだよ。物理的に有り得ないだろ、それ。

「……戯言ですわね、お友達。屈辱ですわ」

三つ編みは変わらずだが、その色はアメジストを彷彿とさせる深い紫。その頭にハンチング帽を載せて彼女は、俺に、向き直る。

「初めましてですわね。自己紹介をさせて頂きますわ」

いつの間に着替えたのか。全身を動きやすそうなデニム地の服で覆い、足元は編上げの洒落た登山靴。恐らく、これが彼女の本来のファッションなのだろう。その格好は勝気そうな美女の強い意志を湛えた眼によく似合っていた。

「わたくしは石丸小唄。人呼んで『大泥棒』。お察しの通り十三銃士の、その第五席ですわ。よろしくお見知りおきを、私の敵(ディアエネミイ)」

大泥棒。耳慣れた単語のような気がするが、それは恐らく猿顔の某三代目が余りにも有名な為であり、しかして実際の現在日本にはそぐわない言葉なのは俺でなくても首を縦に振る所であろう。うむ。
暗殺者だとか殺人鬼だとか、なんかここに来てハルヒの願望実現能力が暴走を始めたんじゃないかと思う程の現実感の無さじゃないか。それとも、俺が知らなかっただけでこういう世界も粛々と存在してきた、っていうのか?
どこで「あちら側」と「こちら側」がクロスしたのだろう。ああ、考えるまでもねえ。交点はいつだって一つ。
涼宮ハルヒ。
「あちら」と「こちら」の橋渡し。今まで辛うじて保ってきた絶妙なバランスが、絶妙だったが故に崩れただけなんだ。
つまりこれは、紛れも無い現実。

「大泥棒……ですか」

しみじみと噛み締めるように口にした俺の言葉に、石丸小唄は満足げに頷く。

「ええ。泥棒ではありません。『大』泥棒です。お間違えなきように、私の敵」

どうやら彼女はその辺りに拘りをお持ちのようだ。機嫌を態と損ねる必要性も感じられない俺は言われるがままの呼称を利用して彼女に質問をした。

「それで、その大泥棒サンとやらが一体どうしてハルヒを狙ってやがるんだ?」

当然の疑問。俺と石丸さんの間で草むらから隙を窺う肉食獣よろしく臨戦態勢バリバリの空気を漂わせている人類最終、想影真心の肩がピクリと動いた。

「おい、お前。理由なんて聞いたら戦いづらくなるだけって知らねえのか? それとも俺様の楽しみを奪おうとしてるんじゃねーよなあ?」

滅相も無い。怪物クン同士の争いなんか俺に出る幕は無いだろうし、干渉どころか緩衝すらままならんだろうさ。
だが、それでも。目の前で血みどろの殺し合いが始まろうとしてるかも知んねえってのに、観賞するだけなんざ真っ平ごめんだ。
俺は、聞いておきたい。
なぜ、戦わなければならないのか。なぜ、涼宮ハルヒなのか。
話が通じるのなら、心は通じ合わなくとも、筋は通すべきだとは思うんだよ。

「真心。彼の言うとおりだよ。ぼくも聞いておきたい。小唄さん。貴女は……貴女みたいな方がなぜ『ならないようになる災厄(ナッシングイズグッドイナフ)』を欲しがるのか。その力を何に利用しようとしているのか。
望めばなんだって盗めるでしょう。それが大泥棒であると以前にぼくは貴女本人から聞きました」

nothing is good enough.(思い通りになどなりはしない)

「それがなぜです?」

眼を細めて、蟲惑的に大泥棒は微笑んだ。それは、「ハートを盗む」事すら容易に行えそうなうっすらとしていながらも力強い笑みだった。

「勘違いをしていますわね、お友達」

石丸小唄は言う。

「私は何も欲してはいません。ええ、お友達の言うとおりですわ。欲しいものが有れば盗み出せば良いのです。掠め取る事こそが大泥棒の誇りであり生業です。しかし、卑しい職業であるからこそ大泥棒には職務とも言うべきものが存在しています」

ドロボウのお仕事。

「身に余る力に振り回されている少女が居れば、その少女から力を掠め取り普通の女の子へと戻してあげる」

石丸小唄はまるで歌うように、それが当然と言い放つ。

「これはみんな、ドロボウの仕事ですわ、お友達」

どうかこのドロボウめに盗まれてやって下さい。そんな台詞を俺が思い出すのに三秒とかからなかった。そして――そして。その台詞が使われた映画の主役である泥棒は誰が見ても正義の味方であった事をともに思い出すのも忘れずに。
もしかして、俺が悪役なんじゃないのかと。その疑念が寄せては返す波のようにぶり返す。

「ですので、私はいかに真心相手とは言え退く訳には参りません。私が私である為に。石丸小唄が大泥棒である為に」

足元を揺るがされている、そんな気がした。不思議を望んだハルヒと普通であり続ける日常と、宇宙人未来人超能力者なんて単語が飛び交う非日常とを天秤に掛けて後者を選んだ俺。
石丸さんは、大泥棒はその俺に突き付ける。言葉にせずとも詰問する。
そんな我侭が罷り通ると思っているのか、と。
そして今、目の前に展開されている非日常。人と人が殺しあっていてそれを当然と許容する戯言遣いの存在。これを……これが俺の選択の延長線上に有ったものだ。不思議を捨て、普通の高校生として、普通を求めていれば選んでいればこんな事態にはならなかっただろう。
古泉一樹。倒れている超能力者の本懐は涼宮ハルヒの願望実現能力の消失。そう言っていた。聞いていた。
聞いていながら。
あの十二月、「そっちの方が面白いから」と理不尽で驚天動地な世界に戻ってきた俺。
古泉のヤツも言っていたじゃねえか。血で血を洗う抗争が続けられている、って。そう言っていたじゃねえか。それなのに。
その不思議に何が連なっているかを考えもせずに俺はあの冬の日、エンターキーを押した。
つまりこれは自業自得。
ハルヒを長門を朝比奈さんを古泉を。
有象無象の振るう凶刃の先に置いているのは、置いちまってるのは。
誰あろう、この。
俺自身だったって事。
言われないと気付けないなんて。
最悪なのは。
誰よりも最悪なのは。
俺だったって、ははっ、なんだよ、このオチは。
知らず、俺の足は前に出ていた。本来ならば止めるであろう古泉は地に伏して。朝比奈さんは眠り姫だ。誰に阻まれる事も無く、俺はオレンジの髪をした人類最終、想影真心の横を素通りする。

「待つんだ」

「待たない」

戯言遣いの引き止めを一蹴して、前に出る。十三銃士、第五席。大泥棒と相対する。二人の間には、夜の闇以外、何も無い。
ハンチング帽の彼女がその気になれば、きっと俺の命くらい簡単に盗んでしまえるんだろう。それでもいい。いや、良くないが。だが、命云々言うよりも大切な事ってのは確かに存在するんじゃないだろうかと俺は考える訳で。

「教えてくれ、大泥棒」

命より重いものは無い、と言ったのはどっかの宇宙飛行士だったか。でも、それは違う。綺麗事で、戯言だ。
命よりも重いものを探すために、俺たちは産まれてきたんだろう。

「アンタは、正義か?」

「正義。正義ですか。何を言い出すかと思えば。『鍵』。そんな甘っちょろい言葉は子供しか使いませんわ」

正義はどこに有る? 正義はどこにも無い?

「私は私のエゴに従い盗みを行う。そもそも質問する相手を間違えているでしょう。泥棒に正義などと。縁遠いにも程が有ると言うものです」

「だけど、それにしたってアンタはそれが正しいと思ってるから泥棒するんだろ? なあ、俺にはアンタが不正を好んでやるようにはどうも見えないんだよ。話せば分かる、って思ってる訳でもない。だけど、自分にとってすら正しくないと思っている事をやらなきゃならない、そういう立場には俺には思えない」

それは俺が目の前の美人にワルサーP38を愛用するあの三代目を重ねちまってるからそう思い込んじまってるだけなのかも知んないけど。

「だから、聞くんだ。アイツの力を知りながらその傍に居て不思議を享受していた俺は」

一人でそっぽを向いてそんなのに興味は無い風を装って、その実しっかりと楽しんでいたこの俺は。

「取り返しのつかないくらいに『最悪』だったりするのかい?」

俺の表情から何を読み取ったかは分からない。石丸小唄は俺の眼を見つめた。紫水晶をそのまま填め込んだような透き通った眼で。
その濁りない眼は、その持ち主が決して話の通じない相手ではない事を俺に教えてくれている。

「……なるほど。私の敵。貴方は涼宮ハルヒの力の成り立ち、もしくはそれを消失させられるかも知れない機会に立ち会った事があるのですね?」

「ああ」

そしてたった一人、俺のエゴでそれをこの世界に遺した。遺恨、と言い換えても過言じゃあない。
誰かが傷つくような未来なんて、想像だにしなかったってんだからお笑い種だ。どこまで明るいんだよと嘲られようと俺には一言も返せやしない。ああ、俺は馬鹿だ。分かっちゃいたけど、大馬鹿野郎じゃないか。

「俺のエゴで、そのせいでこの世界じゃまだ不思議が存在し続けてる」

奇々怪々が闊歩してるのだって、俺に責を求めた所で間違いじゃあないんだろう。
気付いちまったら、後悔ばっかが湧いて出てくる。もしかしたら目前の大泥棒に断罪して貰いたかったんじゃあないかとすら思う。けれど、大泥棒は首を振った。

「それがどうかしましたか?」

至極、あっさりと。

「さっきから聞いていれば何様のつもりですか、私の敵。自分のエゴで世界が狂ったなどと考えているのだとしたら、人を馬鹿にするのもいい加減になさいと言わざるとえません。どこの誰がエゴに則った行動をしていないと言うのです。
社会とは誰か一人だけによって作られるものではない。その事すら分かってないのでしょうか? それぞれがそれぞれの行動で作り上げているのが社会です。誰か貴方に責任を求めました? 少なくとも私は私の世界の責任を自身以外に求めた事などありません。
自分のせい? まるで世界が自分のものであるかのようなその言い草。思い上がりも甚だしいとはこの事ですわ、私の敵」

「……え? いや、でも」

「でももヘチマもありません。貴方が後悔するのは大いに結構。ですが、その理由に他人を持ち出すのは止めて頂きたいものですわ。知らないところで勝手な理由で謝罪されても哀れまれても、苛立つだけでしょう。
私の前に出て来た度胸は買いましょう。しかし、そこまでですわ、私の敵。その様子ですと? 私に断罪されたかったようですが、生憎子供の相手を好き好んでするのは泥棒ではありません。そんな理由で戦われても迷惑ですわ」

安易に許してすら貰えない、って事かよ。

「いいえ。エゴは許容されるべきだと言っているのです。人に迷惑を掛けるなと言われて育ちましたか、私の敵? でしたら真理を教えてあげましょう。人の迷惑など顧みるな。意味が分からなくも、ないでしょう?」

大泥棒は無茶苦茶な事を言っている、言われているはずなのにそれがなぜこんなにも正しく聞こえるんだ? くそっ。
本当に迷惑ならば。例えば俺自身を振り返ってみれば。さんざハルヒに対して斜に構えていた俺だって、それを本当に許容出来ない程に迷惑だと感じていたのならいつだってアイツの隣を離れられたはずなんだ。その時間は幾らでも有った。
アイツが傲慢だってのも確かにその通りだよ。だけどさ。毎度毎度放課後に文芸部室に足を運んでいたのはどこのどいつだ? 死刑だからって脅されて、けど死刑どころか手を挙げられた事すら……そうだ、一度たりともハルヒはその一線は越えちゃこなかった。
暴力的ではあっても、横暴ではあったとして、けれど暴力は振るわなかった。
迷惑を被った、なんて愚痴った所で所詮、その迷惑はこっちが切り捨てなかったからであって。ハルヒに責を負わせる事なんて出来やしないんだ。
同じ事が俺にも言える。大泥棒はそう、言ってやがる。
だけど、本当にそうか?
俺は世界を否応無しに巻き込んだんじゃ、ないのか?

「……戯言だ」

「先ほど、貴方は自分のせいで不思議が存在していると言いましたね。それは恐らく『こちら側』を『不思議』と感じた上での発言でしょう。殺人鬼、人類最強、なるほど。確かに不思議かも知れません。ですが。
ですが、私達は自分でそうなったのです。大泥棒が現代日本に存在するのが不思議? 不思議と思われるのはそちらの勝手ですわ。私、石丸小唄は、自ら望み、欲し、得て、大泥棒になったのです。それは不思議でもなんでもありません」

不思議だと思われるのが不愉快だと、そう言って石丸小唄は……。

「……そっか。そうだよな」

「血の滲む努力をして大泥棒に『成った』私は不思議でもなんでもなく、そして貴方とは何の関係も、有りませんわ」

大泥棒は俺の中の罪悪感を「盗み」やがった。


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