その他二次創作の部屋
キョン「戯言だけどな」1
さて、一年ももう残すところ後わずかとなった十二月某日。
職員室前に貼られた「廊下は走るな」の標語も師走のこの時期には、なるほど気の利いた冗談だなどと冷たい手を擦り合わせながら感慨に耽ってしまいそうになっていたのはつい先日まで。
クリスマスおめでとうテストなどというありがた迷惑な儀式も終了し、俺達高校生も晴れて冬休み突入と相成った。晴れてとは言ったものの低気圧様が冷たい空気を伴って日本列島上空を漂っているのにはどうか目を瞑って貰いたい。
年末にかけて荒れ狂う予報とはうってかわって俺の心は近年稀に見る開放感でいっぱいなんだ。
部屋で一日中ゴロ寝していようがエアコンの効いたリビングでパジャマのままテレビを流し見していても誰にも何も言われないとか、最早気分は南国である。ちょっとしたリゾートだ。冬なのに。
今日ばかりはいつもうだつの上がらない親父様に感謝しちまうね。
勤続何年だったか忘れたが、なんかそんなので会社からペア温泉宿泊券だかを貰ってきた時の「さあ、俺を褒めろ」的なしたり顔こそ見るに耐えないものではあったが。
そんな訳で今朝から両親は妹を引き連れて年越し温泉旅行に行っちまっている。俺? 察して貰えば余り有るだろうが、なんでこの年になって両親と旅行に行かねばならんのかとつまりはそういう事だ。

「やばいな……今なら新世界の神とやらにもなれそうな気がするぜ」

いささかオーバーかも分からないが、しかし年末という事もあってSOS団関連の呼び出しも無いと来てみれば、果たしてここ一年半これ程までに何にも束縛されない時間が俺に与えられた事が有っただろうか。
いや、無い。
1.5リットルのペットボトルコーラとポテトチップス、それに昨日ミスドで買った山の様なフレンチクルーラetcetcが俺の目の前、リビングの低いテーブルに整然と並べられている。
これが極楽か。天国か。
どうやら人間は神様なんぞに縋らなくても自分で天国を作り上げちまえるらしい。……ハルヒ形無しだな。

「この世で神様が創ったものなんてのは整数とフレンチクルーラだけだよなあ」

何を隠すでもなくミスド信者な俺である。勿論、ポイントカードだって持ってるぜ?
さてさて。そうは言ってもたった三日である。神様とやらが世界を創るのにも一週間(流石に日曜は休んだけどな)掛かった事を考えると決して長い訳ではない。
日ごろ積もり積もった鬱憤を晴らすにはただじっとしているだけともいかないのである。ああ、悲しきエコノミックアニマルよ。
とりあえず、一人で家に篭っていてもつまらないと判断した俺はここで誰か気心の置けない相手を巻き込む事とする。
谷口か国木田辺りが捕まらないだろうか。……少し話が急すぎるかも知れんが、国木田はともかく谷口なら捕まるだろ。
アイツはそういうキャラだし。

「今から? それはちょっと無理だよ、キョン。だって僕、今、父の実家に向かう電車の中だからね。ごめんよ」

「はあ? 何、言ってやがるんだよ、キョン。お前と違って俺は忙しいんだ。あん? デートだよ、デート! 駅前ですっげー綺麗なお姉さんをゲットしたんだ。うらやましいか? いや、妄想でも幻覚でもねえっつの!」

ああ、新学期初日に谷口がどんな沈んだ顔をしているのかが今から楽しみでしょうがない。
相手の「お姉さん」とやらにとっては只の暇潰しでしかないに来年のお年玉を全額賭ける事も辞さない俺だった。
しかし、こうなってしまうとせっかくの休みもなんとも味気ない。国木田と谷口しか友人がいないと思われるのも癪だ。
誰に対して癪なのかはこの際脇に置いておくとしても……とは言え、他に誰を誘おうかと思案して出て来る選択肢は数少ない。
佐々木……いや、アイツが友人なのは間違いないが、それにしたって俺一人しか居ない家に異性を呼び込むのは流石に気が引ける。
そもそも、アイツの場合は予定が空いていそうにないしな。
ならばハルヒか? それこそ本末転倒な選択肢だろう。日ごろの横暴、暴虐、虐待からの一抹の清涼剤であるこの休みになぜにその元凶を呼び込まねばならんのか。
大体、アイツだって異性には違いない。同様の理由で朝比奈さん、長門も却下だな。複数人を呼べば男女云々そんな心配とも無縁なのだろうが、大勢で騒ぎ立てる気分でもないのだ。
となると……選択肢ってヤツは大概は消去法で選ぶものなのかも知れん。

「よお、古泉。今、暇か?」

「おや、貴方から電話とは珍しいですね。明日は雪でも降るのでしょうか?」

「俺に聞くな。お天気お姉さんがその方面は詳しいだろうよ」

「ふふっ。そうですね。後で天気予報でも見る事にしましょう。それで、今日はどうかなさいましたか?」

まあ、たまには古泉と差しでダベるなんてのも良いかもなどと、この時の俺はなんとはなしにそんな事を思っていた。


「どうも。お招き預かりまして光栄の至りです」

三十分程してやってきた古泉は玄関口で黒コートを脱ぎながら俺に笑いかけた。その両手にはコンビニで調達してきたものだろう、ビニール袋がぶら下がっている。

「悪いな、突然で」

「いいえ、滅相も有りません。貴方の要望で有ればそれは全てにおいて優先させて良いと、そう機関からも言われていますし」

「あんまり堅くなんなよ。只の暇潰しで呼んだだけだぜ?」

俺がそう言うと、古泉はいつもの顔で微笑んだ。畳んだコートを小脇に抱えて逆側の手に握っていたビニール袋を差し出す。

「構いませんよ。僕も年末年始は機関に行動を縛られっぱなしになる所でしたから。良い息抜きと、そう思わせて頂いても?」

「お前も大変だな。ああ、コートはその辺に掛けておいてくれ」

言いながら受け取った、袋の持ち手は思いの外ずっしりと俺の手のひらに食い込んだ。何が入っているのかと中を覗けば、未成年では購入出来ない筈の品々がこんにちは。

「アルコールは確かお嫌いではありませんでしたよね?」

超能力少年の笑顔に胡散臭さを拭えない俺がそこにいた。

「いや、嫌いじゃないが取り立てて好きでもないぞ?」

靴を脱ぐ古泉にスリッパを出しつつ、そう言ってみる。もしかして、コイツが呑みたいだけなんじゃないかとそう思わないでもない。

「そう言わないで下さい。折角買ってきたのですから。それに年の暮れ、明けには日本人ならお酒を嗜むものでしょう。厄払いだと、そう思って頂けませんか?」

「の割に袋の中身はビールとカクテルとしか俺の目には見えないんだけどな」

「日本酒がご希望でしたら届けさせますが?」

「そういう事を言ってるんじゃねえっつの」

古泉を先導するようにリビングへと向かう。俺に続いてドアを潜った古泉が後ろから声を掛けてきた。

「貴方とは趣味が合いそうに有りませんね」

聞こえる溜息。首だけで振り向くと超能力者は苦笑いを浮かべていた。

「いきなりなんだよ」

「ミスタードーナツと言えばゴールデンチョコレート一択だと、僕は思っていました」

ああ、そいつは分かり合えそうに無い。

「悪いな。フレンチクルーラこそ人類の至宝と教えられて育ったんだよ、俺は」

我が家では朝食にミスドが並ぶ事が極稀に有るが、その時は例外無くフレンチクルーラが八個用意されて一人二個と宣告されるハウスルールが設けられている。
このサクサク感を出すまでにどれだけの苦労が有ったのか、それを考えたならばフレンチクルーラ以外を選ぶのは最早ミスドへの冒涜と言えないだろうか?

「分かっていませんね。ゴルチョコ……失礼、ゴールデンチョコレートに辿り着くまでの歴史をご存知であればこのような愚かしい選択は有り得なかったと言うのに。無知とは、これは罪でしかないという事でしょうか」

古泉は首を振る。俺たちが互いに譲り合えない信念を持ち併せている事はその悲痛な物言いから理解出来た。そして、もう一つ理解出来た事が有る。

「古泉、ミスドのポイントカードは好きか?」

「僕の財布には二枚しかカードは入っていません。クレジットカードと……そしてミスタードーナツのポイントカードです」

すっ、と古泉が手を差し出す。俺はそれを無言で握り締めた。
ミスドを慕う男がここに二人居る。男が甘党で何が悪い。俺たちの間に言葉は、要らなかった。

「ところで、今日はどういった風の吹き回しですか?」

古泉がテーブル上のゴールデンチョコレートに手を伸ばしながら聞いてくる。どういった……? いや、質問の対象が曖昧で抽象的だな。返答に困る。

「いえ、平生(ヘイゼイ)であれば僕が、それも一人で貴方の家に招かれる事など無いような気がしましてね。ちょっとした好奇心です。お気を悪くなさらないで下さい」

「気紛れだよ、気紛れ」

「そうですか。ふむ、深い追求は止すべきでしょうね。折角のアルコールが不味くなっては興醒めですし。それに僕としてはこのように暇潰しの相手に選んで頂けた事は嬉しいのですよ。例えそれが、国木田君、谷口君に次ぐ優先順位であったとしても……ええ」

うげ。なんでコイツ、そんな事を知っていやがる。盗聴か? 盗聴してやがったのか?

「機関ってヤツはどこにでも居る一介の男子高校生の電話の中身を詮索するのが仕事なのか? 羨ましいこったな」

「そう、皮肉を仰らないで下さい」

「誰だって自分にプライバシーが無い事を知ったら皮肉の一つだって言いたくなるっつーの。トゥルーマンショウじゃねえんだぞ?」

釈然としない胸の内をフレンチクルーラにぶつけ、スクリュードライバで飲み下す。それでも消えないモヤモヤを視線に乗せて古泉を睨み付けると、少年は「申し訳ありません」と頭を下げた。

「しかし、それでも貴方にはその事実を許容して頂かなければなりません。貴方はどこにでも居る一介の男子高校生などでは、間違ってもないのですから」

「だから、その認識が間違ってんだよ」

「間違っているのは僕ら、ですか。かも知れませんね。もしくはこの世界の在り方か。ああ、僕らは何と言われても構いませんが」

古泉は手の中のローズなんとかってカクテルをわずかに口にして唇を湿らせて、そして言った。

「それでも、涼宮さんだけは否定しないであげて下さい。僕からの、お願いです」

「分かってるさ」

ああ、そんな事は言われなくても。
ハルヒによって創られた破天荒な俺の世界。不可思議な日常。
そういうのを受け入れて、俺は去年の冬こっちの世界へと帰ってきたんだから。
だから、俺に文句を言う筋合いは無い。だったらこれは、そう。きっとアルコールのせいで古泉に絡んでいるだけなのだろう。
どうやらそういう「愚痴を聞く」のも古泉の仕事の一部らしいから俺が罪悪感を抱く必要も無いし、それにこれくらいは言ってやってもバチは当たらないだろう。
ヒーローだっていつもヒーローではないしな。舞台裏では愚痴の一つも零しているに決まってる。俺なんざヒーローでもなんでもないからそこに輪を掛けてってな具合。

「愚痴ならお前が引き受けてくれるんだろ、古泉?」

「勿論、喜んで」

「そうと決まれば今日は溜まりに溜まったハルヒへのやり切れないあれやこれやをぶつけてやるよ。覚悟しとけ」

スクリュードライバの残りを煽る。アルミ缶越しに見えた少年は苦笑していた。

「どうかお手柔らかに」

俺の扱いがもう少し柔らかくならない限り、そいつは無理な相談だぜ、超能力者?


深夜。古泉を送り出した後。日中だらだらと食べ物を口にしていたせいで、変な時間に腹が減って起きてしまった。携帯を開けば時刻はAM二時。こんな時間ではどこの店もやってはいまい。
空腹をやり過ごして寝てしまおうかとも思ったが、しかし今日ばかりは何も我慢するべきではないと俺の中の誰かが囁きやがる。悪魔とかそんなんかね?
まあ、何でもいいさ。どうせ、着の身着のままで寝ちまったんだ。外出に際して着替える必要も無い。コート一枚羽織れば俺@コンビニ突撃仕様の出来上がりだったしな。
おっと、財布財布……はコートのポケットに入れっぱなしか。寒いし、おでんかカップ麺だな。あったかい食物を胃が欲してぐるぐると唸りをあげていやがるぜ。
コンビニに置いてある食い物その他を頭の中で物色しながら玄関を出、最初の十字路を右に曲がり……

街灯の下に、ソイツは居た。
まるで、舞台劇でライトアップされた役者のような、しかしどこにでも居そうな取り立てて特徴の無い、しかししかしソイツが纏っている雰囲気だけは役者、それも主演役者のような。
視界に浮かび上がって見えるとでも表現すればいいのだろうか。俺にはちょっとその男を形容する言葉が出て来ない。
それでも。
それでもあえて足りない語彙で表現するとしたら。
位置外。
そこに居てはならない。
世界にそんな人間が存在していてはいけない。
なぜか、そんな感情をこちらに抱かせる、ソイツはそんな男だった。

ソイツをこちらを真っ直ぐに見つめ、そして右手を上げる。

「やあ」

さて、ここで俺から質問だがもしもアンタが深夜二時、閑静な住宅街の、他に人気の無い道で知らない人に親しげに声を掛けられたらどう思うだろうか?
ちなみに俺の答えはこうだ。
無言で回れ右。君子危うきに近寄らず。
知らない人に声を掛けられても付いて行ってはいけません。しかもそれが得体の知れない雰囲気を醸し出しているようなら尚更だ。
ふむ、そう考えると幼少期の教育ってのはほとほと大事だと思うね。

「いやいや、無言は無いんじゃないかい? 他に誰もいないのだからぼくが声を掛けたのは君以外に居ないだろう? それとも、ぼくには人に見えない何かが見えていて、その何かに向けて親しげに挨拶したのかな?
 なんてね。残念だけど、いや残念でもなんでもないけれどぼくにそういったものは見えないよ。君の友人と違って」

ピクリ、俺の耳がソイツのその言葉に反応する。歩き出そうとしていた足が、止まる。

「大体さ。君、自分の価値みたいなものをきちんと理解していないんじゃないのかな? ぼくみたいなのが君と出会う、君の前にこうして立つ事がどれだけ高難易度か少し考えれば分かると思うけどね。
 首領蜂って往年のシューティングゲームよりもまだハードなんだよ、本当。ああ、君の世代じゃ知らないかな? クインティの裏ステージって……こっちも多分通じないだろうなあ」

男はそんな意味の分からない事を言って、上を向いた。その方向には空しかない。曇っているのか、星も見えない空しかないのに男はそれでも眩しそうに目を細めていた。

「ま、戯言だけどね」

この時の俺は、目の前の男が正義の味方だなんて夢にも思っちゃいなかった。

「……アンタ、何モンだ?」

俺の問いかけに、ソイツは鼻を鳴らす。今、俺は何か面白い質問をしただろうか。そんなつもりはないのだが。
しかしてよくよく自分の発言を思い返して、それは確かに漫画かアニメのような気取った発言に聞こえなくも無い。やっちまったか、俺? 自意識過剰か非日常にどっぷり肩まで浸かり込んで日常パートにまでそういうのが侵食してきたのだとしたらコイツはもう笑えない話だ。
アンタ、何モンだ?
ああ、こんな台詞が一介の男子高校生から出て来たらそりゃもう大分危険な兆候だ。
だが、そんな俺の煩悶とは違った場所で男は面白みを感じていたようだった。

「何者……いや、本当ぼくは『何物』なのだろうね。君たちみたいに生き物を名乗ることすらおこがましいと、以前誰かに言われたよ。ただ、そんなぼくにもレッテルみたいなのは有るんだ。
『人類最弱』
まったく、人を馬鹿にするにも程が有ると、そうは思わないかい?」

「人類……最弱?」

「そうさ。ま、ぼく自身も認めるに吝かではないけれどね。脆弱で軟弱で惰弱で零弱で、総じて最弱。でも、このままだと呼びづらいかな。君とはこれから先も縁が『合』いそうだし。もう少し呼び易い呼称を教えておくよ」

その立ち姿は、とても俺には弱そうには見えなかった。どちらかと言えば芯の有る、強い針葉樹のように見えた。

「立てば嘘吐き座れば詐欺師、歩く姿は詭道主義。口を開けば二枚舌。舌先三寸にて行いますは三文芝居」

男はスポットライトの下、まるで映画のような見事なお辞儀を俺に向けて披露したのだった。

「戯言遣いとは、ぼくの事さ」

ソイツは言う。

「世界の危機が迫っている。だからぼくがここに居る。ああ、そうは言ってもぼくはどこかの『女の子の間でしか噂にならない殺人鬼』とは違うのだけれどもね」

何を言っているのかはよく分からなかったが、それでも「世界の危機」という下りだけは俺の心に引っかかった。普通に生きていれば、どこにでも居る俗っぽい男子高校生であり続けたならばきっと「戯言」の一言で片付けられた筈で。
今更ながらに自分の立ち位置が日常と非日常の狭間、とても不安定なステージである事を思い出す。

「……世界の、危機?」

「食いついたね。その目は聞き捨てならない、っていう眼だ。ああ、これで確信が持てた。君が、『鍵』か」

貴方が、鍵です。いつだったか古泉が俺にそう言った。
俺を指してそんな世迷言を言うのだから、目の前のこの男は真っ当な人間では、無い。咄嗟に俺が考えたのは古泉と同種の可能性。機関の工作員か何かか、コイツは?
いや、それにしたって機関のスポークスマンは古泉じゃなかったのか?

「ああ、そんな疑惑に満ちた目を向けないでくれないかな。男の子にそんな眼で見られても何も嬉しくないじゃん。そんな眼は三つ子のメイドさんがやってこそだとぼくは思っているからさ」

どうも話が噛み合わない。いや、煙に巻かれているような、捕らえ所が無いこの感じ。……率直に言って気持ちが悪い。

「あの……スマンが話がさっぱり掴めんのでこの辺で俺はお暇させて頂いてもいいだろうか?」

言いながらも俺は後ろ足に重心を掛け始めていた。男に隙を見つけたらその時点でマイケルばりのムーンウォークでもって逃げ出す気は満々だ。

「いや、ぼくは別にいいけどね。ただ、ここでぼくとの間にフラグを立てておかないと多分、君の友達はみな死んでしまうと思うけど」

死んじまう? 何、物騒な事言ってやがるんだ、コイツは!?

「涼宮ハルヒ……ね。ぼくもその存在を知った時には正直驚いたよ。そんな、それこそ戯言みたいな存在がこの世界に居るものか、居てたまるか、ってさ」

「ハルヒ!?」

「そう、涼宮ハルヒ。彼女と、彼女の周り、そして世界に危機が迫っている。つまり、君にも例外なくだ」

そう前置きして、ソイツは喋り始めた。長くなるので仔細(ソイツが言う所の「戯言」)は割愛してここでは俺に出来る限りの要約をしてみようと思う。

あるところに、世界の終わりを求める男が居た。ソイツは俗に言う所の天才だったが、しかしそれはスペックに関してでありそこに搭載されているソフトウェア、つまりは人格の方が破滅的に壊滅していた。
天才で、天災。
その狂気の男は考えられうる限りの方法をもって世界の終わりを模索したそうだ。そして、それは確かに何度となく世界の終わりを呼び、「いい所」まではその都度行ったそうだ。
そして、その過程で「戯言遣い」とも戦争を繰り広げたとの事。俺には目前の男に戦争なんて真似が出来るとは思えなかったからこの辺りは話半分である。
結果として世界の終わりを目論む男、戯言遣いが言うところの「狐さん」とやらは未だもって生き永らえ、そして未だもって世界の終わりを捜し求めているという。

「まるで悪の秘密結社だな」

俺の感想に対して戯言遣いはこう応えた。

「まるで、ではなくそのものだし、それに悪でもない。『最悪』なのがあの人の最悪な部分でね」

話を続ける。
そしてソイツ……狐さんとやらは世界を終わらせる方法を探す過程で、一人の少女について知る事になった。
それが、ハルヒだ。
神様の創った世界を壊す、一番手っ取り早い方法。世界における唯一のリセットボタン。それの存在を俺は痛い程知っている。
ただ一人、たった一人の少女に絶望を教えてやれば、それでいいという事。
一通り話が終わった後で、戯言遣いは俺に向けて何かを投げて寄越した。

「長話で体が冷えただろう?」

それを受け取って、手の中の温もりに愕然とする。缶コーヒー。それはいい。これ自体はどこにでも有る市販のものだ。だが、今コイツはこれを懐から出したんだぞ? たった今!
それがなんで、どうして温かいんだよ!? もしもこれが人肌、戯言遣いの体温なのだとしたら今すぐ病院行きを俺は薦めざるを得ない。

「手品師かよ、アンタ」

「ぼくは戯言遣いさ。戯言以外は、遣えないし遣わない」

「だったらこの手品の種を教えて欲しいモンだね。なんでこの缶コーヒーは熱い?」

「たった今買ってきて貰ったものだからさ。本当はもう少し早く持ってきて貰う予定だったんだよ。寒い中立ち話だしね。ただ、お使いを頼んだ子が自動販売機にお金を入れるのに躊躇ってしまって今になったと、そういう事」

まただ。よく分からない発言でこちらの脳みそをクエスチョンマークでいっぱいにしてくるのは、これが戯言ってヤツか?

「それだと懐から出した謎が解けないし、そもそもそのお使いをしてきたヤツってのに俺は気付かなかったぜ?」

「ああ、良い着眼点だね。そしてぼくにはそれに対してこう応えるしかない。それくらいの事をどうして疑問に思うのか、ってさ」

「それくらい、だと?」

「それくらい、だよ。ぼくは何も必要とせずに自分のその体だけで空を飛べる人を知っている。
 ぼくは素手でアパートを五分も有れば更地に戻してしまえる人を知っている。
 ぼくは目に付いたというそれだけの理由で人間を細切れにする人を知っている。
 ぼくはたった16ビットのプログラムで世界中のコンピュータを支配下に置いた人を知っている。
 ぼくは三百年以上生きていた人を知っている。
 ぼくは口を開くだけで人を壊す事が出来る人を知っている。それに比べれば……崩子ちゃん、これ、ちょっと甘いや」

戯言遣いは缶コーヒーをすっと前に出すと、それを意図的に取り落とした。自然、俺の視線はその缶に集中する。

「勿体無いから残りはあげる。甘いもの、好きだよね?」

ソイツがそう言った、その瞬間に俺が注視していたはずの缶コーヒーが……消えた!?

「こういう事。手品じゃないのは分かって貰えたかな?」

いや、何が「こういう事」なのか。俺にはさっぱり意味が分からない。先ず第一に缶コーヒーは消えたりしない!

「こんな事は驚くに値しない。それよりも、こういった事を平気で行えるような人間が君の前に現れた、その事をこそ君は驚愕するべきだとぼくは思う」

「どういう意味だよ」

「君は知らないのかな? それとも知っていて考えないようにしているのか。別にどちらでもぼくはいいけれどね。『鍵』。宝物の鍵。それは宝物に次ぐ優先順位で守られるべきものだ。
 つまり、宝物についでリスクが高い……次に狙われるのは、まず君だ」

知ってか知らずか知らないが、その台詞は実は一年以上遅い。

「悪いな。そういう話なら俺はもう聞いてる」

「そうかい。では、君に機関の護衛が四六時中、二十四時間付いている事もぼくが今更口に出す必要も無い訳だ」

「へ?」

「おや、こっちは初耳だったかい?」

男は言って、髪をかきあげた。

「君の前にこうして得体の知れない人間が立つというのは、実は骨の折れる、これだけで一つの仕事なのさ」

……いや、考えてみれば確かに男の言うとおりなのかも知れん。俺がもしハルヒの力を狙っていたとしたら、ハルヒに絶望を強要するつもりならば、最初に狙われるのはアイツの身内。
SOS団だ。
そして、その中でもっとも攻略が容易な、言い換えるなら特殊な背景を持たない人間。
そいつは俺で、間違いない。

「まあ、その気になれば玖渚の名前を出して穏便に済ませる事も出来たけどね。しかし、それだと友の耳にまでこの事件が伝わりかねないから。
 機関……同じ玖渚機関でありながら所属が違うだけでこうも秘密主義なのはどうかと思うけど、まあ仕方ないか。壱外も体質は同じだ」

「玖渚、機関?」

……機関? どっかで聞いた事が有る単語じゃねえか?

「ああ。トップシークレットらしいけれどね。この件に関しては玖渚機関の弐栞が管轄らしい」

「それってーのは、古泉のヤツが言う『機関』ってヤツの事かよ、戯言遣い?」

俺の問い掛けに頷くソイツ。

「古泉一樹。一の名を隠れ蓑に遣う弐栞を代表するプレイヤー。『優しい嘘(ブラフイズブラインド)』……そうかい。彼が涼宮ハルヒにおける責任者か。やりづらいけれど、しかし話の分からない人じゃなくてぼくはほっとしたよ」

……なんだ? 今のブラなんとかっていうのはもしかして古泉の事を指してんのか?
しまった。もっとちゃんと聞いておけばよかった。あの似非スマイルをおちょくる材料を聞き逃すなんてあるまじき失態だぜ、チクショウ。

「……彼一人では狐さんの相手は難しいだろうな。とは言え、壱外の人間がのこのこと出て行けば玖渚機関における火種になりかねないとか、ああ困ったものさ。そうは思わないかい?」

「アンタが一人で勝手に納得してるだけで俺にはちっとも話が見えてこないから、同意も否定も出来ん。戯言遣いさんや。アンタはもう少し人に理解を促すような喋りは出来ないのか?
 それともそいういう事が出来ないって意味で戯言遣いなんて言われてんのかよ?」

そう言った、瞬間だった。俺の首筋に何か冷たいものが当たる、感触が有った。

「戯言遣いのお兄ちゃんを嘲る事は私が許しません」

目の前の闇が、女の子の声を発する。それは夜の闇にしか見えなかったし、闇が人の輪郭をしているようにしか俺には思えない。それも目を細めて、そこでようやく分かるほどおぼろげな輪郭。
人間はここまで夜と同化出来るのかと、そんなどこか見当外れな事を俺がぼんやり思っていると、背中に更に二つ何かが当たる。

「"いーちゃん"さんの敵はぼく……私たちの敵だ」
「"いーちゃん"さんの敵はぼく……私たちの敵だ」

サラウンドで聞こえる少女の声。何が起こっているのかと振り向く……事も喉に突き付けられたバタフライナイフがそれを許さない。
おい、何がどうなっていやがるんだ!?
なんで深夜にちょっとコンビニに出掛けただけで三方を少女に取り囲まれなければならない!?
一体、俺が何をしたってんだ! どこに居るか知らんがこの世界の責任者、ちょっと出て来い!

「崩子ちゃん、高海ちゃん、深空ちゃん、止めるんだ」

……この女の子達はアンタの子飼いかよ、戯言遣い。とんだ猛犬を飼ってやがるじゃねえか、このやろう。躾をちゃんとしないとペットは飼っちゃいけないって教わらなかったのか?

「彼は敵じゃない。彼は世界の……敵じゃない」

俺の喉、そして背中から違和感が消える。それと同時に目の前に有った人の形をした夜も、見回せば背後に確かに居たであろう少女の姿も正しく言葉通り影も形もなくなっていた。
奇術集団かよ、お前らは。

「悪く思わないでくれると助かるな。彼女たちはちょっと……職務……うん、職務に忠実なだけなんだよ」

「アンタの部下の職務ってのは人の頚動脈スレスレにバタフライナイフを持っていく事なのか? 世間一般じゃソイツは真っ当な職業とは言えないぜ?」

「そうだね。まあ、仕方ないよ。君の目の前に居た女の子、井伊崩子(イイホウコ)ちゃんって言うんだけどさ。彼女は元暗殺者だから」

サラリと物騒な単語を吐く男。暗殺者? なんだ、それ? ここは現代日本だぞ?
いや、宇宙人未来人超能力者に比べればまだ現実に則していると言えない事も無いが、それにしたって無茶苦茶だ。
俺の日常はどこへ行った?

「なあ、頼むから日常を返してくれ、戯言遣い」

「選択肢は二つだよ。二つしかなくて、二つも有る」

ソイツは俺に向けて逆向きでピースサインを示した。

「一つはぼくと協力して世界の敵から世界を守りぬくか」

人差し指が折られ、戯言遣いの中指だけが街頭に照らされる。それは世界で一番物騒なハンドサイン。

「涼宮ハルヒとこの世界を見捨てるかだ」

ファック。くたばっちまえ。


「十三銃士」

戯言遣いに促されるままに道を歩く。その俺に向かってソイツは肩口にそう言った。

「じゅうさん……じゅうし? 突然数を数えだして何がしたいんだよ、戯言遣い」

「狐さんお得意の言葉遊びさ。三銃士。名前くらいは聞いた事が有るだろう? あの物語では三人だったが今回、ぼくらの敵に……いや、世界の敵に回るのは十三人だから」

「十三銃士、って事か?」

「そういう事さ。ああ、余談だけど、ぼくと初めて敵対した時にも同じような組織が有って、その時は十三階段っていう名前だったんだ」

これまたワンパターンなヤツだな、その狐さんとやらは。

「いや、異例の事なんだ。あの人は二つポリシーを持っていてね。それは同じ事はしない、というのと、ポリシーを持たない、っていうのなんだけれど」

おい、その発言矛盾だらけじゃねえか。ポリシーを持たない事がポリシーなら、他にポリシーなんか持っちゃダメだろ。違うか?
後、戯言遣い。お前は俺をどこに連れて行こうとしていやがる。

「あの人の最悪たる所以(ユエン)はそこに尽きるよ。直訳するとやりたい事をやる。それだけだから。他人の迷惑なんて考えた事も無いんだろうさ」

「そりゃまた、迷惑な大人も居たモンだな」

俺がそう言うと、そこで初めて戯言遣いは笑った。

「ああ、そうか。そういう考え方も出来るのか。なるほどね。勉強になったよ」

「何がだ? 戯言遣いさんよ。アンタ、コミュニケーション障害の気が有るんじゃないか? 人に分かるように物事を喋らないってのは、ウチの団長を引き合いに出すまでも無く悪癖だぜ?」

「いや、ね。ぼくの周りには迷惑じゃない大人っていうのが居ないんだよ。過去も。現在も」

そしてきっと未来も、とソイツは付け足して。そして笑った。俺からしてみればこの男も十分に大人と呼べる年齢だったりしたのだけれども、その時ばかりはなぜだろうか、同年代のように見えた。

「なあ、そう言えば戯言遣い。アンタ"いーちゃん"って呼ばれてたよな」

「ん? ああ、そうだよ。いーちゃん、いっくん、いーたん、いの字、代表的なのはこんな所かな。何? 戯言遣い、って言いにくいかな? だったら好きなように呼んでくれていい」

名前なんて所詮ただの識別信号だしね、とソイツは言うがその台詞も俺はどこかで聞き覚えが有るぞ、オイ。

「どれも戯言遣いよりは呼び易いだろうけどよ。そうじゃなくて、俺はアンタの名前を聞いてるんだが」

人に名前を聞く時は先ず自分から。恐らくコイツは既に知っているだろうがそれでも俺は自己紹介をしようと口を開き、しかしそれよりも早く戯言遣いは言い切った。

「ぼくの名前なんて知らない方が君の為だよ」

「どういう事だよ、そりゃ」

「その若さで死にたくないだろう?」

どうも文脈に異次元空間が発生するというか、脈絡なんて言葉を知らないかのように戯言遣いの台詞は前後に流れってモンが見えちゃこない。

「意味が分からん。なんで名前を聞いたら死ぬんだ?」

「ぼくを名前で呼んだ人は今までに三人居るのだけれどね。その三人は」

「三人は?」

「例外なく死んでいる」

絶句する。言葉が出てこない。何も、言い出せない。俺は戯言遣いじゃないから戯言すら、出てこない。

「だから、無用な詮索は君自身の為にも止めておいたほうがいいよ。こっち側は君みたいな人が生きていられるほど、優しくない」

戯言遣いの背中は、俺よりも小さなその背には、俺なんかよりも余程重たいものが乗っているのだと知る。人の死の重さなんて俺には分からない。
分かりたくも、ない。

「さっき」

戯言遣いは話し出す。

「君の喉にナイフを突き付けていた娘、居ただろう?」

「ああ、えっと……井伊崩子ちゃん、だったか? ん? 井伊?」

「ぼくの娘だよ。とは言っても養子だけどさ。血の繋がりはないんだ。代わりにぼくと崩子ちゃんの間には流血の繋がりが有る」

血の繋がりは無い。流血の繋がりが有る。
その言葉の意味するところを鑑みる間も無く、答えは戯言遣いの口から出た。

「彼女のお兄さん、ああ、こっちは実のお兄さんだけど。石凪萌太くんは、ぼくのせいで死んだんだ」

まただ。また「死」という単語がソイツの口から当然と出てきた。

「ぼくのせいで、崩子ちゃんの目の前で、萌太くんは死んだ。だからという訳じゃないけれどそれ以来ぼくが彼女の面倒を見ている。
真っ当な人生を彼女には歩んで貰いたいから、三年ほど前かな、彼女には無理を言ってぼくの養子に入って貰ったって訳。暗殺者に戸籍なんて無かったし」

「よく分からんし、なんだか俺の中の何かが深入りは止めておけと言っていやがるから考える事を放棄させて貰っていいか?」

他人の家の事情には無闇に首を突っ込むものじゃ、ないと思う訳だ。

「構わない」

「それで、話は戻るが戯言遣い。アンタの苗字は『井伊』で俺は"井伊さん"って呼んで良いのかい?」

いーさん。なんか、外人みたいだな。

「さっきも言ったと思うけど。好きに呼べば良いよ」

前を歩く、ソイツの歩みは止まらない。遅くも速くもならず、一定のリズムで歩き続ける。
井伊崩子さんとやらの兄が死んだ話をした時も。
自分の名前を口にした三人が例外なく死んだ話をしていた時も。
その足は淀み無く。その唇は淀み無く。
どこか自分の事じゃないような、誰かから聞いた話をそのまま口に出しているだけのような印象を俺は受けた。

「なら、いーさん」

果たして人とはここまで「死」に対して無反応になれるものだろうか?
一体、どんな経験を、人生を歩んでいればこんな無感情になれるのだろうか?
不感症と不干渉の二つの言葉がそのまま人間になったような、ソイツ。戯言遣い。

「何かな?」

「俺たちは今、どこへ向かっているのかだけでも教えて貰えると助かるんだが。アンタに付いて行ってるのは別に世界の敵云々の話を信じた訳じゃなくて、どっちかと言うとあのバタフライナイフっ娘が怖いってファクタが大きいんだ」

「なるほどね。崩子ちゃんは確かにぼくも怖いな」

いーさんは振り返ると俺に向けて携帯電話を見せる。最新式のヤツだろうか。見た事が無い型だぜ、これ。

「それのGPSを頼りに歩いてるんだ。行き先は」

ピコピコと点滅する赤い印には「人類最悪」と地点名が付けられている。

「悪の秘密結社さ」


悪役のアジトを話が始まった途端に強襲する正義の味方サイド。
そんな話聞いた事ねえよ。

「よお、よく来たな、俺の敵」

「どうも、ご無沙汰しています、ぼくの敵」

「フン、『ご無沙汰しています、ぼくの敵』か。その様子だと涼宮ハルヒの事をどこかで聞きつけたらしいな。また邪魔しに来たか。
 毎度毎度のご都合主義。俺は飽き飽きしてきたぜ。そろそろこの辺で超展開が有ってもいいもんだとは思わねえか、"いーちゃん"」

「いいえ、ぼくは貴方と違って王道が好きなんですよ、狐さん」

「フン、つまらなくなってきやがった」

「どう転んでも貴方にとって面白い展開にはさせる訳にはいかないでしょう」

何も言葉を挟めないのはいーさんと狐さんの雰囲気に飲まれているというのも大きいが。しかし、それよりも。
狐さん。
その人のファッションに絶句していたというのが概ねにして正しいだろう。
少なくとも二十四時間ファミレスでする格好ではない。それは間違いないと断言出来る。
長身痩躯に藍色の着流し。これが最早違和感しかないのだが。季節感をまるで無視した軽装は、しかし寒さ暑さを引き合いに出してはファッションは語れないと聞いた事が有るし目をぎりぎり瞑れるレベルだとしても。
狐のお面。
それはない。
それはねえだろ、おっさん。
こんな格好、夏祭りか何かですらギリギリ見た事ないぞ、俺。

「おいおい、"いーちゃん"。それにしたってこれはねえだろ。まだ物語は始まってすらいねえんだぜ? ちょっと長いプロローグってなモンだ。
 せめて十三銃士のお披露目までは手を出さないのが王道ってヤツだろうよ。それがどういう事だ? 闇口のお嬢ちゃんまで引き連れやがって」

「うおっ!?」

いつの間にか、俺の座っている席からいーさんを挟んで向こう、窓側の席に少女が座っていやがる、だと!?
なんだなんだ、ドッキリか!?

「この場で決着を付けちまう気、満々じゃねえか」

狐面の男、狐さんはそこで深々と溜息を吐いた。
はてさて、お分かり頂けたとは思うだろうが、それとも読み飛ばされただろうか。悪の秘密結社と言って俺が連れてこられたのはどこにでも有る二十四時間ファミレスである。
最近の流行か知らんが喫茶店を拠点にする正義の味方は聞いた事が有っても、流石にファミレスに寄生する悪役ってのは前代未聞だ。
少しづつではあるが、もしかしたらそんなにシリアスな話でもないのかもなと思えてきた。
そんな俺の醸し出す気だるい空気など最初っから、存在すらも無かった事にしてしまいかねない勢いでいーさんと狐面の男のやり取りは続く。

「回りくどいのは昔と違って嫌いなんですよ。哀川さんの影響でしょうね。今のぼくはどちらかと言うとやり込みプレイよりも早解きに主軸を置いていまして」

「製作者に敬意を払わないその態度はお前的には良いのかよ、ああん?」

「与えられた枠内で何をやろうとそれはプレイヤの自由でしょう。あ、崩子ちゃんさっきからデザートメニューをずっと見てるけど好きなのが有ったら頼んで良いからね?」

「うー……そうは言われましてもお兄ちゃん。これなんて六百三十円もするんですよ? これは私の一日分の食費に相当します。崩子は水で十分です。……お水は、無料ですよね?」

「フン、『与えられた枠内で何をやろうとプレイヤの自由でしょう』か。与えられた枠内で満足出来るような人間では俺もお前も有るまい。違うか、戯言遣い? 闇口のお嬢ちゃん、なんでも好きなものを頼むといいぜ。少しでもいいから"いーちゃん"に経済的打撃を与えてやれ」

「生憎ですが、ウチの財政は六百三十円くらいで傾いたりしませんよ」

「塵も積もればという言葉を知らんとはな。戯言ばかりが専門で格言は埒外か」

「いえ、私はお水で……」

……オイ、こいつらは一体何の話をしてるんだ? ゲームとか六百三十円とか……ハルヒの話はどこへいった?

「はい、ご注文のマロンパフェ、お待たせしましたー」

通路側、俺の後方からそんな声がして振り向く。
赤。
そこには真っ赤な、本来ならばそこは白いレースで仕立ててくるモンだろうと思われる部品まで赤く染めた、髪まで真っ赤なウェイトレスが居た。

「え? 私そんなの頼んでませんよ、お兄ちゃん!? マロンパフェって……それ八百二十円もするじゃないですか!? ごめんなさい、ウェイトレスさん、これ提げて下さ……!?」

「そんな事を言われましても、これはいーちゃんの奢りですから、ちゃんと食べて下さいね。と……猫撫で声はこれくらいでいいよなあ」

「フン、ようやく来たか」

「哀川さん!?」

いーさんが驚愕の叫びを上げる。深夜のファミレスだから客は俺たち以外にいないけど、しかし叫び声をあげていい場所では、ファミレスはないと俺は思う。

「おい、クソ親父。アホ戯言遣い。お前ら揃って何を下らねえ話をしていやがるんだ。それとな、いーちゃん。アタシの事を苗字で呼ぶのは……いや、今回に限って言えば敵同士だったな」

ニヤリと。野生の肉食獣を思わせる捕食者の目で、その赤い彼女は俺といーさんに笑いかけた。

「……敵同士、って!?」

「おうおう、動揺してる姿も可愛いねえ、いーちゃん。だが、幾ら可愛くても今回ばっかりはダメだ」

赤いウェイトレスさんはそう言って、狐面の男の隣にどかりと座り込む。え? 店員さんじゃないの?

「でもって、キョンだっけ? こっちはお初だな。アタシは哀川潤。潤さんって……ああ、敵だから苗字で呼んでくれりゃいっか。自己紹介はめんどくせーから簡単にな。アタシは」

赤い服に身を包み、赤い髪をかきあげて。赤い瞳で俺を射抜く、赤い視線。

「人類最強だ」

人類最強。それは、それも言葉通りに取るならば、一番強いという、それ以外の意味に取りようがない。

「つまり、アタシがこっち側に加担した時点でこのゲームはエンディングが決まってんだよ。悪いな、いーちゃん」

俺が隣を見れば、戯言遣いは絶句していた。
口を開いてこそのその人は。
けれど口を開く事さえ、忘れてしまっていた。

「……人類最強、ですか?」

質問する口調もなぜか敬語混じりになっちまうのは、この哀川さんって人がそれだけの存在感っつーか、なんかおどろおどろしい雰囲気を醸し出しているからであり。
例えるなら場末のコンビニでたむろしてるヤンキーを一万人束にしたような、そんなプレッシャを放っていたからだった。この女性の機嫌だけは何が何でも損ねてはならないと俺の中の生存本能が声高に訴えている。今更ながらハルヒの機嫌取りに奔走する古泉の気持ちが少しばかり理解出来た気がするぜ。

「よく分からないんですけど、それは一体どのくらい強いんすかね?」

絶句するいーさんに代わり俺が恐る恐るそう質問すると、哀川さんとやらはふふんと鼻を鳴らした。

「そうそう。そこなんだよ、そこ。良い質問するじゃねえか、キョン」

「良い質問?」

「アタシは強い。そりゃ分かり切ってるんだ。なんせ、誰よりも強いからな。だが、あんまりに強過ぎて実際今、アタシはどんくらい強いのかが分かんなくなっちまってんだよな。少年漫画風に言うなら『敵がいない』ってヤツだ」

いや、俺にしてみれば二つ名で呼ばれてたり、そのファッションセンスであったりとかがもう最初から少年漫画から抜け出してきたみたいに見えるんですけども。
宇宙人であってもそんな奇抜な格好じゃなくて、ごく普通の学校指定の制服だぜ?

「だから、アタシは欲してた。指標っつーか、物差しだな。都城王土は黒神めだかの何億倍凄い、って感じでさー。でもダメなんだよな、ドイツもコイツも。人類に敵はいなかった訳よ。だが……」

背中にゾクリと悪寒が走り抜ける。悪い予感……いや、悪い確信。急激に体中から熱が引いていく。

「宇宙人なら、もしかしたら物差しくらいにゃなるんじゃねえ? ってな!」

宇宙人。俺の大切なSOS団の団員の一人。
狙われているのは、ああ、クソ。本当に俺たちだったって訳だ。
哀川さんは豪快に笑う。ファミレス中に轟く、大音量でその人は笑った。

「正直、諦めてた部分も有ったんだよ。アタシらしくもないが、それでもちょっと強くなり過ぎたっつーかロープレでチートして途中からゲームをする事自体がダルくなる感じだな。やっぱ最初から勝敗が分かってるような敵じゃ、こう……燃えねえよなあ」

燃え盛る炎のような真紅で全身を染め上げて、立ち上る存在感は最早熱気としか形容のしようがない。炎と比喩して何の問題もないであろう人類最強の口から出た「燃えない」という言葉。
この女性は、俺の目から見れば人間ビル火災でしかない圧力を放つ彼女は、それでもまだ燃え足りないのだろうか。
熱血、なんてレベルじゃねえ。
劫火……劫血。
それはすなわち、豪傑。

「だが、やっぱり人生ってのは面白いねえ。諦めなきゃきっと道は開けるとはよく言ったモンだぜ。まさかこのアタシの為にモノホンの人外を用意してくれてるたあ、流石のアタシも恐れ入った!」

言ってバンバンとテーブルを叩く。その頬は高翌翌翌揚からか赤く紅潮していたが、それとは対照的にこっち側、いーさんと井伊崩子さんは顔面蒼白だった。恐らく、俺も同じような顔色なんだろう。そんなのは鏡を見なくても分かった。
宇宙人と力比べ!?
そんなのは常人が考え付く発想じゃねえ。そんなのは思い付いたって実行を口に出す事すら憚られる。
それを哀川さんは。
笑って。
心底楽しそうに。
笑って口にする。
俺にはその心境が、いや哀川潤という女性の存在そのものが理解出来ない。

「……本気、なんですか?」

「本気も本気。超本気だぜ、キョン。戯れでこんな事を口にするのはそこの戯言遣いくらいのモンだ」

「哀川さん。貴女は長門の……宇宙人の事を何も知らないからそんな事が言えるんですよ。俺はそりゃその力を見た事だってほんの少しだしアイツの事を全て理解してるとはとてもじゃないが言えない。だけど、それでもアイツには」

情報操作能力。動く事をすら不可能にして、机を槍の雨に変え、抵抗を許さず存在を光の粒に昇華する力。
哀川さんが、ゲームで例えるなら全ての能力値がカウンターストップしてる超絶無敵のキャラクタであったとしても、長門はそのゲームの枠組、システムの方をどうこうしてしまえる存在だ。

「人である限り、勝てません」

こう言えば、諦めてくれるだろうと思っての発言だった。実際、長門と戦って勝つ方法なんて俺にはてんで見当がつかん。しかし。
しかし、俺は間違えた。哀川潤という人の人となりを見誤った。
炎は、焼き尽くすまで止まらない。

「へえ! ソイツはいいな! 今までで最高に楽しい喧嘩になりそうじゃねえか!」

火は、油を注げば燃え上がる。そんな事に、なぜ気付けなかったのか。

「敵を知り、己を知れば百戦危うからず。だが、アタシは言ったよな。勝つ事が最初から分かってる喧嘩になんざもう、飽き飽きしてんだよ。未知との遭遇にワクワクしちまうのは孫悟空だけだと思ったか?」

オラ、ワクワクしてきたぞを地で行くその眼の輝きは紛れもない本心なのだろう。なんだ、この人。どんな図太い神経してやがるってんだ。

「つまり、アタシにしてみりゃクソ親父の世界の終わり云々なんってーのはどうでもいいんだよ。アタシは強敵と出会えればそれでいい」

格闘漫画みたいな事言い出しやがった。本当にこの人は現実に居る人間か、俺にはどうも怪しく思えてきたぜ?
立体投影とかじゃないだろうな?

「なんだよ、その疑惑の篭った目は。あのなあ……もしもアタシが本気でこのダメ大人に加担してんなら、この場でテメエといーちゃんをプチッとブチ殺してるよ?」

ブチこ……この女、何物騒なこと考えてやがる!?

「そんな事……こんな往来のファミレスで出来る訳が……」

無い。そう言おうとした俺の肩を隣に座っていた男が叩く。いーさんだ。

「有る」

「いーちゃんはちゃあんとアタシの事を理解してるじゃねえか。いいねえ、愛してるぜ。往来のファミレス? おい、キョン。だったらちょっと回りを一回見回してみろよ」

促されるままに首を左右に動かして、そして悟る。
客らしい客が俺たちしかいない店内。ガラリと静まり返った……ここには客体的な視線が存在しない事実。

「ここは悪の秘密結社。その総本山だぜ?」

「強襲をかけたつもりがぼくらは袋の鼠だった、という訳ですか。哀川さん」

「だな。急がば回れだぜ、いーちゃん。ま、一回目は見逃してやる。哀川潤の名にかけて、この場ではお前らに手出しはさせねえよ。勿論、いーちゃんのかわゆいかわゆい崩子ちゃんが手出ししなければの話だけどな?」

くひひ、と笑う。彼女は手の中でバタフライナイフを弄び……バタフライナイフ!? おい、あれ、どっかで見た事あるぞ、俺! それもつい一時間ほど前にだ!
その持ち主だったはずの少女を咄嗟に見れば、彼女は目の前の栗たっぷりスイーツに眼を奪われていて気付いていない。
……緊迫感ねえー。

「そんな事、最初からするつもりはありませんよ。この場に崩子ちゃんを連れて来たのはただの護衛です。いえ、本当は連れて来るつもりも無かったのですけれどね。しかし崩子ちゃんがどうしても、というものでして」

「相変わらずの溺愛ぶりじゃねえか」

「まあ、義理とはいえ娘ですからね、この子は」

「は? いーちゃんの話じゃねえよ」

戯言遣いが首を傾げる。意味が分からないといった様子だがしかし、俺にだって哀川さんの言った意味が理解出来るのにこの人は理解力が無いのか?
溺愛しているのは戯言遣いの方ではなくて、井伊崩子の方なのだろう、きっと。
他人からの好意に鈍い、ってのは傍で見ていてなんかこう、不愉快になるな。……やれやれ。

「話し合いで済むのならば、それに越した事は無いと思っていたんですよ。そういうのがぼくの戯言における本領ですからね。ただ……ただ、哀川さんがそちら側に回っているのは予想外でした」

いーさんは言う。

「貴女は、貴女だけは正義を間違えないと思っていましたから。どうやらぼくの買い被りだったようでほっとしていますよ。哀川潤も、人の子だったんだな、なんて。変な話ですけど」

戯言遣いの口振りから俺は理解する。この目の前に居る哀川さんとやらは、ちんけな言い方になっちまうが「正義の味方」ってどうやらそんな役回りらしい。本来ならば。
だが、世界の終わりに加担しておいて、それでも正義の味方だなんてそれは虫が良過ぎる話だろう。それとも。
本当に正義の味方なのだろうか。
それこそが正義なのだろうか。
俺だって疑問に思った事が無い訳じゃない。ただ一人の少女の掌の中に収められている世界。ソイツが健全なのか、どうか。
言い方は悪いかもしれないが、それは独裁ってヤツによく似てる気がしないでもないんだ。だったら、ハルヒの手から世界を零す事は、それを企む事は果たして悪か?
だけど、正義だなんて信じたくない。そんな俺が居る。
俺たちは色々やってきたけど、それでもそれなりに楽しい毎日を、非日常を日常として生きてきたはずなんだ。
それを。
悪。
だなんて一言で切り捨てられる事に、俺は首を縦になんて振れない。

「どっちが正義かなんてどーでもいい話だろ。ここのクソ親父の思想だって、誰かから見りゃ正義には違えねえ。だったらそれぞれが好きにやりゃあいい」

「好きに……貴女はただ自分の力を見定める為だけに結果として世界を危うくするつもりですか?」

「世界の危機と哀川潤の強さの見極めと。そのどっちがアタシにとって比重が大きいかなんてのは、何を言った所で結局アタシにしか分かんねーよ」

強くなり過ぎた人間しか知らない荒野。山に登らなければ、そこから見える風景なんてのは分からない。つまり、そういう事。

「その辺にしておけ、潤」

「……クソ親父。なんだよ、アタシのパートはこれで終了かよ。つっまんねえな」

頬を膨らませて立ち上がる赤い彼女。その鋭い眼光で睨み付けるのは、俺。……え? なんで、俺?
そこは今日ついさっき出会ったばっかの男子高校生じゃなくて、もっと因縁深そうな戯言遣いに視線を向けるべきじゃない? なあ?

「ま、最後にな。これは規定事項、ってヤツだよ。今回の『敵』に名乗りだけはさせてもらうぜ」

敵。
いーさんではなく。
涼宮ハルヒにとっての鍵に対しての、敵。

「十三銃士、第四席、哀川潤だ」

俺の顎に手が当てられる。火傷しそうなほど熱い指が俺の顔を抗えない力で上向かせた。自然、俺と哀川さんの視線が交錯して。
眼を逸らしたいのに、眼を逸らす事すら許されない眼力。今の俺はそのものずばり蛇に睨まれた蛙……いや、月に睨まれたスッポンってトコか。

「人呼んで『人類最強』だ」

眼で見るだけで人をぺしゃんこに出来ちまいそうな、圧倒的な存在感。赤いカリスマ。

「じゃ、そんな感じでよろしくな、アタシの敵」

そう挨拶された。次の瞬間、俺の唇に焼き鏝を乗せられたような熱量が押し付けられた。なんだ、これ? どんなイベントが起こってやがるってんだよ、コンチクショウ!
動けない。動かない。射竦められたように、身竦んだように、見竦められたように動けない。
朝倉との対峙を思い出す。あの時のは情報操作能力だったか!? だが……そういう物理的に動けないのとは違う! 全然、違う!
動こうとする意志力を、抵抗しようとする意識そのものをごっそりと奪われたようなこれは!
これは、ヤバい!!
長門に立ち向かうなんてそんな真似は人間に出来るモンじゃないと、俺は確信しているけれど。その確信をこんな簡単に揺るがされちまった。
少なくとも、この哀川さんって女は。ただ人を見るというそれだけの動作で。
朝倉涼子……宇宙人と同じ事をやってのけやがった!
振り……解けない!
ただ、このキスか捕食か味見かを人類最強が終えるまでじっとされるがままで居なきゃならないなんて、そんなのアリかよ! 反則だろ、こんなの!
たっぷりと、一分は過ぎたかと思った頃になってようやく、哀川潤が離れる。幻熱を伴う重圧から解放された俺は、ぜえぜえと無様に酸素を求める事しか出来ない。

「……っぷはぁ。はっはー。ちょいと少年には刺激が強すぎたかよ? ま、今のはアタシの前に好敵手を引っ張り出してきてくれた、そのお礼の前払いってトコだ。おいおい、咳き込んでんじゃねえよ、失礼なヤツだな、このやろう。ぶつぞ」

「こっちの意向を無視してキスするのは失礼って、げほっ、言わねえのかよ、くそっ」

「はあ? アタシみたいな超絶美人にキスされてその何が困るってんだ? アタシだったら喜んでおかわり所望しちまうぜ? おっと、アタシの出番はもう終わってんだよな。あんまりグダグダしてっと出待ち食らってるのに怒られちまう。
 ほんじゃな。キョン、いーちゃん、崩子ちゃん、あでゅーれじぇんど」

カツンカツンと赤い足音を響かせて大股で立ち去っていく人類最強。チクショウ、竜巻みたいな女だ。あれならまだハルヒの方が可愛らしい。

「良いんですか、狐さん。哀川さんを帰してしまって。これでもう、貴方を守る人は居ませんよ」

「『これでもう、貴方を守る人は居ませんよ』、フン。いいか、"いーちゃん"。潤はただの前座だ。お前も得意な時間稼ぎってヤツだ。時間が時間だからな。連絡が付いたのは六人しか居なかったが、それでもお前らを全滅させるには十分だろ」

十三銃士。あんな人が後十二人も居るっていうのかよ、おい。たった一人でも長門の相手を出来そうな規格外が他にまだ!?

「ま、高校生の女の子にこんな時間出歩かせる訳にはいかなかったからな。一番お前らに……キョンに逢わせてやりたかったヤツには連絡すらしてないが、しかし真心の一件を振り返るまでもなく切り札ってのは最後の最後に出すモンだ」

「……それで、狐さん。この場でぼくたちを殺 すつもりですか?」

いーさんがさも当然とそんな事を口走るが、いやいや勘弁してくれよ。覚悟も何も出来てねえっつの。
アンタたちはどうか知らんがこっちは完全無欠に一般人なんだぜ? 展開に付いて行くのすら正直厳しいんだから、もう少しこっちに気を配ってくれてもバチは当たらないんじゃないのかい?

「フン。そんな事をしてどうなる? 今回の一件は結構こっちにとっても条件がシビアなんだよ。分かんねえか? 涼宮ハルヒを絶望させる、って勝利条件を満たすにはどうすればいいか、俺は頭を捻って考えたぜ。
 それでようやく出て来たのが、自分でもいささか閉口しかねないやり方だ」

涼宮ハルヒを絶望させる方法?
アイツは結構頻繁に神人を産み出して世界を無かった事にしようとして……いたのは去年までか。今のハルヒは、こう言っちゃなんだが我慢強くなったからな。いや、前と比べてだぞ? 世間一般から見てみればまだまだ我が侭な女子高生なのは間違いない。

「その女の子が大切にしてるモンを目の前でぐちゃぐちゃに踏み潰してやればって、ああ、こんな方法しか思い浮かばなかった自分の頭が嫌になるぜ。人類最悪の名が泣くってな。もっとスマートに最悪なやり口が有ったら教えてくれないか、キョン?」

……ぐちゃぐちゃ。
大切にしてるモン……SOS団を、目の前で。
なんてコト考えやがる。なんてコトさらっと口走りやがるよ、コイツ……この狐面の男。
言うコト言うコト、「最悪」だ。

「とは言え、潤の顔を潰すのもマズいからな。後でなんとでもなるが、それでも俺の娘は人類最強だ。その娘が自分の名に賭けてまでこの場で手は出さない出させないと言ったとあっちゃ親としては手を出す訳にはいかないだろうよ」

「……懸命ですね。狐さんらしくもない。ぼくの知っている貴方は何もかもをやりたい放題にして後始末すら尻拭いすら出来ないほどに状況を壊滅させるのがお得意だったはずですが」

「フン、信じるも信じないも勝手にするがいい。俺は部下に恵まれるが、指揮官ではないらしいからな。ドイツかが勇み足を踏んだとしても知った事ではない。そして、そこで死んだ時は何をしてもソイツはそこで死ぬ運命だったと、それだけだ」

運命。それは神様の領分。
神様。それは……。

「では、今日は顔合わせ。宣戦布告で済ませましょう。ぼくとしてもこの場で貴方に手出し出来ない以上、もうここに用は無い」

「『用は無い』、フン。明朝にでもゲームのルールを決めて遣いを寄越してやる。今夜はもう、お開きだ。俺はこれでも忙しい身でな」

「ゲームのルールって、テメエ! 何がゲームだ! ふざけんなよ!」

ハルヒの絶望を、ゲーム感覚だと? ふざけるのも、大概にしやがれ!

「吠えるな、餓鬼。俺の娘ごときに射竦められて動けなくなるような小物と話す事は何も無えよ。もしも俺を本気で止めたいならテーブルに有るフォークでもナイフでも使って俺の心臓を貫けばそれで足りる話だ。違うか?」

バスケットに入ったナイフとフォークに瞬間、眼をやる。だけど、それに手を伸ばす事が俺には出来ない。
人を刺す事なんて、俺には出来ない。

「教えてやる、キョン。お前には覚悟が足りてねえよ。もしかして、お前。ここに至ってまでまだ自分は死なないとか思ってるんじゃないか?」

狐面が俺に向き直る。その面に空いた、二つの穴から覗き込む双眸。相貌。それは冗談を言っているようにはどうしても、見えなかった。

「そんなんだと、死んじまうぜ? なあ、戯言遣い? 俺たちの戦争はたっくさん死んで、殺して、死んでるよなあ?」

いーさんは何も言わず、ただ一つだけ頷いたのだった。


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