オリジナルの部屋
うしみつっ!
どこの学校でも探してみれば案外簡単に七不思議なんてのは見つかるもので。
僕達が通っている何の変哲も無いごく普通の県立高校であっても、いや、何の変哲もないごく普通の県立高校であったからこそ「それ」は極々当たり前に存在していた。
七不思議。
チープな響きだ。
その言葉の持つ安っぽさとは裏腹に、けれどどこか不思議な魅力を僕だって欠片程度には感じていなくもなかった。
六ではなく、八でもなく、全国共通「七」不思議。
ラッキーナンバでありながら不穏な空気を醸し出す、一種独特の存在感を持つ四文字ではないだろうか。
さて、ではもしもこれが小学校や中学校での怪談話ならばどうだったのだろう。果たして僕はそこに興味を抱いただろうか?
多分、抱かなかったのではないかな、と思う。
くだらないと一蹴して、そこで話は終わっていたはずだったろう。
高校生。少しばかり大人の仲間入りをして、社会的にも大っぴらに仕事をする事が許される年令だ。言い換えれば、それは分別が多少なりとも身に付いた頃となる。
その、分別の無くもない年頃の間で語り継がれる「怪談」となれば、まあ、それなりのクオリティを伴って然るべきであろう。
有り体に言ってしまえば、僕は自分が通っている高校における七不思議に対して、「若干」に「薄口醤油で味付けをした程度」の興味を持った訳だ。
だが「持った」であり「持っていた」ではそれはない。つまり、この僕の関心にはそこに至るまでの契機と経緯が有るのはおおよそお察し頂けると思う。
契機。それは例えばこの春、学校において僕の所属する仲良しグループ六人が揃って高校二年生に進級した事や、そのグループの中でも男性陣と女性陣との間にいわゆる「恋愛感情」的ななんとも僅かな擦れ違いの空気が生まれてきた事とも、しかし決して無縁では無いのだろうと考えられる。
けれども、直接的な発端は僕らのいつものトラブル名家(誤変換ではない)、立てば芍薬、座れば牡丹、口を開けば「誰か梔子(クチナシ)持って来い!」でお馴染み、葛西有理(カサイユウリ)である。

「オイ、野郎共。つまらねえから面白い話しろやあ」
新年度の始業式から数日が過ぎた四月某日、午後五時半。喫茶店「後蜜月(ウシロミツツキ)」三番テーブルにそれまで滞留していた和やかな空気を一瞬にして急速冷凍たらしめた、それはそれはとても彼女らしい見事な一言である。
無茶振りにも程が有った。
無体も良いところ。
見事とは言ったものの勿論、褒めてはいない。お世辞にも褒められた物言いではないし。
「聞こえなかったか? アタシは面白い話をしろと言ったんだ。妙な顔して口を閉じろなんざ一言も言ってねえんだよ、野郎共」
……先ず「面白い話をしろ」と、そう前置きしてしまった時点で面白い話を披露するハードルの高さが選抜陸上クラスなのだが、有理にはまるでそれに気付く気配が無い。
学校指定の制服に身を包んだ彼女はテーブルに置かれたコーヒーカップを、まるで野原で白詰草でも摘むかの様に上品かつ優雅な動きで口に運び、そしてまた見惚れる程に美しい所作を持って音一つ立てずソーサーに乗せる。
仕草一つ取っても育ちの良さが窺える、何を隠すでもなく少女は本物のご令嬢であるのだが。
だからこそと言うべきか。僕達はいつまで経っても有理のそのパーソナリティに今一つ慣れない。
きっとギャップが酷過ぎるのだろう。
「なあ、おい。野郎三人雁首揃えておいて、小粋な話題の一つも出せんとかソレ、男としてどうなんよ。三人寄れば文殊の知恵とか素晴らし日本語知らんのかい。変な顔して黙っとらんと早(ハヨ)、誰でも良いからアタシを楽しませえや」
物言いは完全にヤクザ屋さんのそれである。しかもこれが地でデフォルトというのだから世の中色々と間違っている。
十人十色とは価値観の相違を表す上でよく使われる熟語ではあるが、しかして葛西有理という女、すれ違った十人が十人美少女認定をして内八人が「深窓の」という形容の存在を思い出し、内五人が「病弱」という属性を彼女に夢見、内二人が新婚旅行のプランを真剣に練り始めるという、これはもう冗談みたいに冗談抜きでとびきり可憐な美少女だったりする。
……但し、口を開くまでの話。
つまり「誰か梔子持って来い!」である。
残念な子なのだった。
見た目と中身が違う程だけあれば、それはまあ、ここまでの破壊力は持たないのであろうが、しかし有理の場合はそこに前述の洗練された立ち居振る舞いが加わる。
加わってしまう。
この、立ち居振る舞いというヤツが大問題で、実際、僕など高校入学当時、一年生の一学期の間中、完全に騙されてしまっていた。
あまつさえ……いや、止めておこう。トラウマを自分から掘り起こす自虐的な趣味は幸運にも持っていない。
「はーあ。がっかりだな、がっかり。誰一人、話の種すら持ち合わせが無いとかよお。何なの? お前ら揃って『種無し』とか?」
「……」
一同沈黙。いや、返す言葉が無いと言い換えるべきだな。
訝しむ。最早この女、存在自体が罪ではないだろうか。いや、別に美しさは罪とかそういう意味合いではなく。もっと具体的な――名誉毀損の上位互換とかこの国には無いのか。
僕が懸命にそんな語彙を脳内検索に掛けていると、隣に座る静間青(シズマアオ)が「種無しって西瓜だよね? でもなんで西瓜? どういう意味か分かる、シオちん?」などと僕に耳打ちしてきた。が、努めてスルー。
世の中には知らなければ知らないで良い事も沢山有るんだ。そんな事に使う空き容量は寧ろ学業にこそ充てるのが学生の正しい在り方だと僕は思う。
第一、その言葉の意味を知った所でげんなりこそすれ、これからの静間の人生で得する事は一つも無いと保証しよう。
ちなみに「シオ」とは調味料ではなく僕のニックネームである。
さて、どうやら度の過ぎた暴言にそろそろ誰かの堪忍袋の緒がピンチらしい。黙り込んでいた男性陣の中で最初に口を開いたのは、一等温厚な性格の持ち主である金子双一(カネコソウイチ)だった。
「葛西の言いたい事も分からないじゃないが、だが物には言い様が有るって事くらいはお互いいい歳なんだからいい加減に理解してくれ」
彼の隣で小刻みに肩を震わす少年がキレる前に、という極めて大人な判断が見て取れるナイスタイミング。
「ネコ」という可愛らしいニックネームに似合わない訓練されたドーベルマンの様な鋭い容姿なれど繊細な気配りの人、金子双一の本領発揮とこの場合は言えるだろうか。
「まあ、いい。……おい、シオ」
「はいな、なんじゃら双ちゃん」
「葛西に話してやれ。ほら、こないだの金曜日のさ。俺が喋ってやっても良いが、多分俺よりもお前の方が同じ内容であっても面白おかしく語れるだろうからな」
全幅の信頼は幼馴染として嬉しくない事もないが、しかし、双一に言われて僕は首を捻る。
この間の金曜日……とな?
……。
……いや、特に何も無いよね?
大体、その日は一日中、別クラスの双一とはまるで絡んでないし。共通の話題などがそこに産まれよう筈も無いのだが……。
眉間に皺を寄せて「何の話だっけ?」という思いを乗せた僕の視線に対し、双一が返したのは半笑い気味の気持ち悪いウインク。
たまらず回避したが、避け切れなかった。うええ、ウインクとか似合わない事するなよなあ。
それはさて置き。はて、本当に何の話だろう。金曜の放課後は六人それぞれがそれぞれに所用を持っていた為、珍しく集合も無く解散したような記憶が有る。
電話も夜に静間と少ししたくらいじゃなかったか。メールの履歴でも確認するべきかな、などと考え制服のポケットに手を入れた丁度その時、ついさっきまで眉間に皺を寄せて噴火寸前だった、テーブルを挟んだ僕の対面が一転、楽しそうに口を開いた。
「ああ、アレか。確かにアレならネタに厳しい有理からでも爆笑を誘えるわ。さっすがネコ。冴えてるう」
瓜生舞一(ウリウマイヒト)はいかにも態とらしい軽佻浮薄を装いそう言って。僕をにやにやと、意地の悪いたれ気味の目で見つめて来る。
にやにや。にやにや。意味深に、笑う。
……ああ……ああ、そういう事ですか。
なるほど、理解した。双一に瓜生。コイツら二人して、僕に「面白い話を披露する役」を押し付けやがった訳か。巡り巡る無茶振り。まるで爆弾ゲームの如しである。誰か解体班を呼べと、僕は声を大にして言いたい。
ふむ、困ったな。弱ったな。
黒檀のテーブルに座っている僕以外五名の視線が一カ所に集中していた。言うまでもなく注視のベクトル方向は僕。そんなに見つめられて穴が開いたら、一体僕はこの中の誰を相手に損害賠償の裁判を起こせば良いのだろう。
中でも一等、眼力に優れた狒々里要(ヒヒサトカナメ)の視線が高威力。などと下らない事を考えつつ、仕方なしに覚悟を決めて喋り始める事とする。
口から出任せ、嘘八百はこう見えても僕の十八番だ。そういう意味で双一と瓜生の人選は間違っているとも言えないのがまた……それはそれで癪に障るな。
「面白いかどうかは各々の判断に任せるとして、まあ、確かに双ちゃんの口からは言いづらい話題では有るかな。分かった。分かりました。僕から皆さんにお話しましょう」
と、前置きをした次の瞬間に瓜生が吹き出した。察しの良さはこの面子で一番の彼であるからして、僕はそれを然程疑問にも思わない。恐らくは、どんな話題がこれからこのテーブルで展開されるのかを、前置きの時点で理解したのだろう。
察しが良過ぎるのも考え物だ。
全員の視線が僕から苦しそうに腹を抑える瓜生に移行したが、彼はすぐさま平静を取り戻して「何でもない。只の突発性記憶邂逅だ」と手を振った。
分かり易く噛み砕くと「思い出し笑い」だそうである。無論、そんな訳も無いだろうが。
しかし、そんな言葉で一同を納得させてしまえるのが瓜生舞一という男子学生の人となりだった。流石、授業中に不自然なタイミングで沈黙が訪れたというたったそれだけの理由で大爆笑を披露した少年は待遇が違う。
良く言えばマイペース。悪く言えばスプーキ。
類は友を呼ぶなんて言葉は欠片も信じていない僕だった。信じて堪るか。
さて、全員の視線が瓜生から僕に戻って来た事を確認して発言再開。
「最近、どうも調子が悪い。何かに憑り憑かれているんじゃないだろうか。……本音を言えば夜中にそんなホラーテイストな相談は勘弁して欲しいのだけれど、金曜日双ちゃんからそんな電話が有ったんだ。まあね、僕だって薄情じゃない。声音からどうやら本気で悩んでいるらしいと判断してしまえば、電話を早めに切り上げる事も躊躇うというものさ。で、よくよく聞いてみる訳だ。いつから不調なのか。どの様に不調なのか。こういった事は岡目八目、本人よりも客観的な第三者の方が得てして的を射るものでね。僕は双ちゃんの話を粗方聞き終わった後にこう結論付けた。それは気のせいだ、ってさ」
この時点で真剣に聞いてくれているのは要と静間のみであり、面白い話を寄越せと言った張本人、有理は早々に僕の話などどこ吹く風で自身の長い黒髪を弄んでいた。
……話術スキルの乏しさに泣けてきそうだ。
とは言え、一旦話し始めてしまったのであるからこれはもう後には退けない。例え二人だけであってもオーディエンスが居る以上は壇上に上がった役者は喋り続けなければならないのである。
エンターテイナな自身の性格が恨めしい。
……まあ、いいか。唯我独尊少女、有理と言えど本気で面白い話を望んでいる訳でも無いのだろうから。
きっとただ、退屈なだけなのだ。いつもの事さ。分かってる。
「さて、電話を終えた後で思う所が有った僕は再度電話を掛ける訳だ。何分、人一人の脳内では主観というものを省く事は出来ない。以上、出来れば複数人の視点をもって見た方が物事とは本質を露呈させ易いというのは如何な天邪鬼であっても首を縦に振る所だろう? で、僕がその時相談相手に選んだのが……瓜生だ」
僕の対面の制服をだらしなく着崩した少年が名前を呼ばれて「はあい」と手を上げる。あくまでも軽い、人を小馬鹿にしたような態度を取る彼であるが、慣れている僕達はこれを如才なく受け流す。
その鬱陶しいと言って何の問題も無い仕草に一々、気分を害しているようではこの少年と友達として付き合っていく事など到底不可能だろうし。
「そして電話越しにああでもないこうでもないと相談か問答かを繰り返した僕達はある結論に達する」
口の端を上げる僕に対して、矢張り同じ様に。楽しそうにいやらしく笑う瓜生が言葉を継いだ。
「それ――恋なんじゃねえの、ってな」
瞬間、ガタンとテーブル全体が揺れた。立ち上がったのは要であり静間であり……そして、話題の渦中、僕に無理難題を押し付けた張本人、双一だった。
ざまあみろ。
「ぬあんですとおおおおお!?」
青が吼えて、双一はだらしなく口を「は」の形で開け放っていた。全く持って予想外と、その表情で雄弁に語る。
ふん、人に無理難題を振った報いだ。もう一度言う。
ざまあみろ。
「ぬおおおおっ! それは本当なのかに、ネコちゃん!?」
狭い店内に響く、およそ遠慮などという言葉を知らないかの大音量で僕の隣に座る静間が雄叫びを上げる。まあ、店内は顔見知りしか居ないから、別に誰もそれを咎めたりはしないけれど。
「後蜜月」という喫茶店は名店は名店なのだがしかし隠れ家的な名店であり、隠れ家的とは要約「知る人ぞ知る」お店だった。裏を返せば「知ってる人間しか来ない」という資本主義に真っ向から喧嘩を売ったような経営スタンスで、それ故にここの客というのはほぼ固定だ。
今更、大声程度で気分を害するような人はそもそも客として来店しないのであるからして、この程度の騒ぎは言ってしまえば日常茶飯事だったりする。あのおぞましき「失せ物大戦」の主戦場となった喫茶店という不名誉な過去は、しかし伊達でも飾りでもないのである。まあ、経営者が騒ぎを迷惑にまるで思わないという変わり者であるが故に出来上がった風土なのだろうが。
……理解の有る近隣にも感謝。
話を戻す。女の子らしくも無く、いや、女の子であるからなのだろうか。テーブルの上に身を乗り出してまで双一に詰め寄っているニコニコ笑顔の静間と、頬を似合わない朱に染める渦中の彼。いつも、こういった話題では自分に被害が及ばないからと高を括っているからこうなるのだ。
ああ、他人の不幸で珈琲が美味しい。後蜜月の珈琲は全く、絶品だ。ここのものよりも美味しい珈琲を淹れる店についぞ出会った事が無い。
溜息を伴いつソーサーにカップを置く時、要と目が合った。要は微笑とも苦笑とも取れる、曖昧な目で僕を少し見つめた後に、口紅でも引いたんじゃないのかと誤解してしまいそうな赤いその口を開いた。
「遂に来ましたね、コイバナ……高校生でありながらそういった話題がこれまでまるで出てこなかった事にワタクシ様、実は実際、ちょっとした危惧を感じていたのですよ」
何を考えているのか読めない感じに口元を緩ませて目を瞑りながら要はそう言った。「心中強要」なんて不吉な二つ名の面目躍如とでも言おうか、狒々里要の妖艶な表情は同性異性問わずに惹き込む。
暗い海の様だ。
……。
おっと、危険と分かっていながら若干見蕩れちまった。
……あっぶねえ。
「ちょ、ちょっと待て、シオ! お前、そんな話!? 恋、だ!?」
「ああ、こんな所で話題に出すな、って言いたいんだろう? ああ、そんな結論に達していたなんて初耳だと、そう言うのだろう?」
僕は心配無用と、柄にも無く慌てている双一の顔の前に手のひらを晒す。
「だが、これは僕だけじゃなく瓜生とも共通の見解なんだ」
「そうだなあ。うん、確かにネコはクソ真面目だから自覚は無いだろうと思っていたけれど、しかし、ここまで朴念仁だとこれはもう、意識させたくなくなる位に天然記念物だねえ」
発言内容からも大体分かるだろうが、瓜生舞一という少年は底から意地が悪い。これはもう本人自身が胸を張ってそう言うのだから間違い無い。
……自覚が有るなら性格を直すべきだと僕は思う。まあ、人の事は言えないけれども。
「舞一! 裏切ったな!?」
「おやおや、酷い言い草じゃないの、ネコ。俺は君の事をそれなりに高く評価しているつもりなのだけれどねえ。もう少し俺の事を理解してくれていると思っていたのに、ガッカリだよ、あーあ」
テーブル中央のクッキーを摘む、そんなどうと言う事も無い筈の仕草すら人を不機嫌にさせる特殊な才能に満ち溢れまくっていた。瓜生、恐るべし。
敵に回すと一番厄介なタイプだよなあ、コイツ。
「大体ね。俺は裏切らねえってば。裏切らねえよ。最初っから誰の味方でも無いんだからさあ。裏切る事がそもそも出来ねえの。敢えて言うなら……俺は俺の味方、ってトコだな」
かかかか、と笑う少年に頭を抱える双一。僕に無理難題を振って来た事を思えば良い気味だと考える反面、ちょっと可愛そうになってきた気がしないでもない。
「素敵。ワタクシ様はうりうり(瓜生のニックネームだ)の生き方嫌いじゃないわ。享楽主義者の本領発揮ねえ」
ポツリと口にしたのは、男の趣味の悪さには定評が有る要だ。人間だけではなく、その他諸々に関しても趣味が悪いこの同級生はしかし、何度周りからその事を指摘されても自分の嗜好を崩そうとしない頑固な所が有る。
でもさ。それにしたって珈琲飲むのにお茶請けに納豆とかは正直僕には意味が分かりません。
さて、改めてテーブルを見回してみれば双一の左には瓜生、右に要と、そして何よりかにより対面に興味津々の静間。こんな雰囲気で彼の味方になりそうなパーソナリティは最初からこの場には居ないのだが、しかし、偶然とは言えそれは考えられ得る最悪の位置関係である。
金子双一コイバナ包囲網は気付けば完全に出来上がっていた、って感じか。
ああ、双一とはこの中では一番長い付き合いだし、死んだら僕が骨くらいは拾ってあげようかな。
「で、肝心の相手は誰なのかな、ネコちゃんやー?」
初手から核心を突く素直な良い子だ、静間青。ボードゲームで常に最下位を独走するのも頷けるという話。搦め手とか知らないもんなあ、この女。
「いや、だからそんな話を真に受けるとか静間、そもそも恋愛云々がシオと舞一の騙りだ」
と。双一が怒涛の弁解を始めようとした、丁度その時だった。
「ぎゃはははは!!」
店内に響く高笑い。こんな笑い方をするヤツはこの場に一人しか居やしない。
「オイオイ、そんな訳無いだろうよう、ネコよう。高校生だぜ? 小学生じゃないんだぜ? 好きな異性の一人や二人、居ない方がそりゃどうかしてるんじゃねえの?」
寝た子を起こすな。起きちゃったら仕方ない。ずっと眠そうに沈黙していたお姫様のお目覚めである。
ってか、興味無さそうな顔して、その実、僕らの話をしっかり聞いてたのかよ、有理。
「はっ! この程度で一々オタついて。金玉付いてんのかよ、マジで。ちゃんと動作してんのかあ? ねんねのエノキですか、子猫ちゃん?」
エグい。
ひたすらエグい。
紛れも無い美少女の、その口から出て欲しくない言葉ばかりを狙い済ました様に選択する言語センスは一体どこで御獲得なされたのか。
親の顔が見てみたい。いや、見た事有るけども。
「葛西……お前、折角見た目がそれだけ良いんだから、その言葉遣いはどうにかしようとは思わないのか?」
うんざりと問う双一。しかして有理は「思わねえな」と。今日も切れ味抜群の一刀両断。いっそ清々しい。
「でも、確かに有ちゃんの言う通りじゃないかな、ネコちゃん。もう高校二年生なんだもん、恋の一つくらい経験していて当然だよ」
うんうんと頷きながら言う彼女には申し訳無いのだが……ごめん、静間。僕、そういうのまるで無いや。恋心って言ったら幼稚園時の先生相手が最後であり、そしてそれをカウントしてしまうと色々な方面から怒られてしまいそうだ。
いや、僕だって性的能力に問題は無いし、恋愛モノもコミック、小説、ドラマ問わず嫌いじゃないのだけれど。正直に言えば恋愛に憧れも十分に持っているのだが。
だが。
「したい」で「出来る」のならばそもそも憧れなどは抱いていないという話。
僕とて周りと同じく思春期である。実はも何も無く高校生真っ只中なのだ。ああ、出来る事ならば恋だってそれは勿論したいともさ。
しかしまあ、その為には恋愛経験値を積んでレベル上げ、だろうか。そう結論付けて、テーブル上で繰り広げられる恋愛談義に耳を澄ませる事とする。少しでも何かの足しになればと躍起になる、年齢イコール恋愛未経験年数の浅ましい僕だった。
「だから、俺は……」
「おやおや、ネコ。好きな人が居ないなら、居ないとハッキリ言ってしまえば良いんじゃないの? それとも何? この場で発表する事に何か不都合でも有ったりするのかい?」
「殴られたいのか、舞一」
「まっさかー。殴られたくはないなあ。だけどね、ネコ。俺は君の困っている顔が大好きなのさ。いや、君だけじゃなく、俺は誰の困っている顔も大好きだがねえ。ああ、ちなみに。俺にはちゃんと好きな人が居るよ?」
「ええっ!? それは爆弾発言かも! 何々! 誰々!? うりうりが好きになるってソレ、どんな魔女ですかっ!?」
静間青。大概、歯に絹着せぬ乙女である。有理に比べればどこまでも可愛らしくはあるけれど。
しかし、「魔女」って……うん、気持ちは分かるけどさ。瓜生という、このどこまでも人を食ったような男に釣り合いそうなのは、それは確かに魔女と呼ぶべきであろう事は僕だって認めよう。
「んー? 人聞きが悪いねえ。人の可愛い片恋相手に変なフィルタ掛けないでくれる、青。それから、俺の好きな人を本気で聞き出したいんだったら、その邪魔な服を全部脱いでからにして欲しいねえ」
幾らにこやかかつ朗らかに言おうとも、それは完璧完全一分の隙も無いセクハラ発言。訴えるなら今だよ、静間。他は知らないが少なくとも僕ならば証人として法廷に立ってやっても良い。
一同が瓜生の想い人に対して推測を巡らせ、そしてふと訪れた沈黙に一石を投じたのは、これもやはり瓜生本人だった。
「ま、ここで話を終わらせてもつまらないし、ヒントくらいはあげようか。……その子はねえ」
まるで悪巧みをする悪代官という比喩がぴったりの、邪悪極まる顔でにんまりと。少年は楽しくて楽しくて仕方が無さそうに言葉を継ぐ。
「虐めると、とっても『そそる』顔をするのさ」
僕はとっさに要を見た。どうやら思う事は皆同じ様で、静間も双一も有理も、一様に僕から見て対角線上、テーブルの端へと顔を向けていた。
さて、視線を集中された要はと言えば一同に向けて、にっこりと妖艶に笑う。
性別問わず虜にする、月さえ蕩ける様なその微笑は、「初恋搾取」のニックネームが逆に安っぽく思える程だ。
「皆さん」
開いた口から覗く舌は唇に負けず劣らずで艶かしく赤く。見入ってしまう、蟲惑的な肉の色。
腐り落ちる寸前の柘榴にも似た唇から零れ出る声は、まるで水夫を海へと引きずり込むローレライ。
「ワタクシ様にうりうり如きが、果たして『間に合う』と思われますか?」
一言の破壊力で言えば、場の誰よりも凶悪。
存在がエロティシズム。
それこそが言葉少ない狒々里要の、この濃厚な面子相手であっても埋もれない理由だろう。
余りに高圧的なその台詞に沈黙する僕らの中で一人、有理だけが「違いない」と爆笑していた。

僕。
金子双一。
葛西有理。
瓜生舞一。
静間青。
狒々里要。
一年前に数奇な縁から巡り合った僕達六人はいつも、いつでもこんな感じ。
こんなこんな、変わり映えの無い、けれど穏やかな日常がずっと続いていくのだと思っていた。
十六年も生きていて恥ずかしい話だけれど、僕は本当に心の底から、この関係がいつまでも変わらないんじゃないかなどと思っていたんだ。

さて、気付いて貰えたかは分からないが、始めに言っておくとこれは僕が人を好きになるお話だ。
ただそれだけの、どこにでも有る、恋物語。
月夜を二人で抜け出す程度の、ほんのその程度の、そこかしこに有りふれた恋愛譚。

『うしみつっ!』


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