ハルヒSSの部屋
雲を食むもの 6
『After of Starry Sentimental Venus "Start-free Straight Vector"』


七月八日。土曜日。晴天。
ハルヒのヤツはいつも通り、一方的に本日予定の不思議探索を明日に回した。ああ、この場合の「いつも通り」ってのは「一方的に」に掛かってくるんだけどな。
アイツが不思議探索を一日とは言え延期するなんてそう無い事だったが、まぁ、気紛れと書いて涼宮ハルヒと読んだ所でどこからも非難は来ないだろうよ。そして、そこに俺の意思が介入する事など当然ながら有る筈も無いのさ。
アイツが休みといえば休み。やると言えばこちらの都合なんかまるっと無視して呼び付けるのにだって、もう慣れっこだ。
とは言え、休みである事には特に異論も無い。やる事も無かったが、テスト終了後の開放感に浸って一日部屋でゴロ寝も学生の特権だと思う。
世界は今日も良い日和だ。ああ、エアコンの効いた部屋から一歩も外に出たくない程度には、な。

昨日、全てが終わった後。二十四時ジャストを回った時点で先ず古泉から電話が有った。内容は分かり切っていた通り。聞く意味すら無かったかも知れんくらいだった。
世界は継続の意思を示した。
その祝電と労いの言葉は後から後から、半ば俺がうんざりするくらい続けられた。全く、どこからそんなに謝辞の言葉が出てくるのかと。今度から金田一先生とでも呼んでやろうか。冗談だが。
世界を守り切った自負なんざ有りはしないが、それでも「どんなもんだ」と少し有頂天になっていたのは事実だった。しかし、アレだけ褒め千切られて、それでもまだ得意を口に出すほど俺は自意識過剰ではない。
奥ゆかしさは日本人の美徳だ。
よくやってくれた。花火が上がるタイミングはバッチリだった。俺も一緒になって感動しちまった、などと逆襲してやったらアイツは電話口で苦笑してやがったっけ。
だが、仕事ですから、は返答として不適格だったな。お前らしくも無い。情緒に欠けるぜ、副団長。
そこは「SOS団の実力ですよ」くらい言っておくべき所だろ、なぁ?
古泉との長電話が終わったと思ったら、今度は朝比奈さんからまたしても祝電が届いた。あのロリボイスで「ありがとうございました」と言われるのは決して悪い気分じゃない。
彼女が説明してくれた今回の事件の詳細はいつもの通り、禁則事項の連発で俺には要として知れなかったが、辛うじて聞き取れた部分だけを抽出すると「全て規定事項通りだった」「花火を上げるのは初体験だったがとても楽しかった」となる。
初体験。誰あろう我らが団の癒しキャラの口からそんな言葉が聞けただけで今回の色々なモヤモヤは吹き飛ばせるというものだ。俺の方こそありがとうございます、朝比奈さん。これでジオンは後十年戦える。
諸君らの愛してくれたガルマ=ザビは坊やだからさ!
……いかん、なんか違うな。

正直、今回のなんやかんやはどこかで誰かに謀られたような気はしないでもない。だが、まぁ構やしないさ。
因果って言葉が有る。結果から原因……この場合は理由と目的を指すな……を推察するにソイツは、ハルヒの笑顔を望んだだけなんだろうから。毛嫌いする程、悪いヤツでもないんじゃないかね。うん。
そう思うくらいは許されるだろ。それに値するだけの横顔を、俺は見たしな。

Fate is kind.

運命ってのは、きっとベートーベンの曲みたいに残酷なものでもないんだろうよ。
そんな事をぼんやりと思いながら、俺はベッドの上で惰眠を貪っていた。
週明け、程なくして期末試験の答案が返されるのだけが、若干「運命ってやっぱり残酷かも知れん」と考えさせなくもない。
だが、そんなのは未来の俺に任せておくとしよう。怒り狂った母親の相手はジョン=スミス、あんたの仕事さ。
少なくとも、今日の俺の仕事じゃないね。そう、現実逃避を決め込んで寝返りを打った。

噂をすれば影が差す、だっただろうか。そんな言葉が有った筈だ。普段は気にも留めない下らない運命論だったが、今日、この日に限って言えばそれが的を射ていた。
運命ってのは後出しの予言じゃなかったのかい、ブラザー?

「ただいま」
「あ、キョン君……あれ? いつ外に出てたの?」
「さっき。ちょいとコンビニに行ってきた。アイス食うか?」
「うわーい、キョン君大好きー!」

妹よ。大好きと言われるのは構わない。むしろ兄妹の仲が良いのは喜ばしいんだ。だが、そんな言葉はいつか出来るであろう彼氏に言ってやれ。
そろそろ色気付いてくる年頃だろ、お前も。決して連れて来る彼氏の顔が見てみたいとかそんな理由じゃないが、それでも兄はお前の情緒が人並みに育っているのか心配でならない。
……あれ?
オカしい。何かが間違っている。俺は今現在時間を浪費するのに一生懸命だった筈だ。
インドア派な訳では決して無いが、テスト明け、事件明けの今日ぐらいは家から出ずにゆっくりとしていようと少しばかり意固地になっていた感も否めなくは無い。
結果、俺はTシャツに半ズボンという非常にラフな格好でトドの様に寝転んでいるのだ。当然として家から一歩も出ていなければ、コンビニに行った覚えも無い。
そもそもテスト明け、来たる緊縮財政に備えて今の俺には無駄遣いをする様な余裕など無いのであり……なら、階段を上ってくる足音は誰の物だよ、と。ま、この場面で顔を出す奴なんか一人しか心当たりは無いけどな。
アンタの出番は終わったんだと思っていたんだがね。
「ういーっす。WAWAWA、忘れ物ーっと。のわっ!?」
なんだ、谷口か。下手な所見られちまったな。どうすっかな。……うん、芸達者じゃないか、未来人。
俺は将来、こんなノリの良い男になってしまうのかと、そう思ったら軽く生きるのが嫌になった。何でも良いが、部屋の入り口でフリーズするのはその辺で止しておいたらどうだ。
「たっぷり五秒は口を開けっ放しで立ち尽くすのが、この時間軸における俺の規定事項だから、もう少しやらせてくれ」
「いや、嘘だろ。時間軸とか規定事項とか言ってみたかっただけだろ、テメェ」
「流石、俺。嫌になるくらい頭の中を読んでくれる」
……死にたい。どっかにコイツとは違う未来を俺が進む分岐点は落ちていないものか、半ば本気で朝比奈さんに問い質したくなった。
「俺の部屋だが、お前の部屋でもある。取り敢えず上がったらどうだ?」
「俺の台詞だ、馬鹿野郎」
世界は今日も狂っている。前言撤回。運命なんざクソ食らえだ。ラプラスとやらの悪意が目に見える形で、男の頬に笑い皺を刻んだ。
投げて寄越された缶コーヒーを受け取って俺はベッドに座り直す。ソイツは何様のつもりか、俺の机に腰掛けた。ああ、未来人様?
「まぁ、飲めよ。俺の奢りだ」
それも将来的には俺の金だと言ってやりたい。そして手の中の缶は当然の様に引き続きまして悪意の有るチョイス。
「なんでお前はブラックで俺は微糖なんだよ。取り替えろ」
「ガキにブラックなんざ三年早い」
ジョン=スミスはそう言って缶を開けて口を付けた。
「それとも、自分との間接キスでもやってみたいナルシストだったか?」
「自分の胸に聞いてみろ」
仕方無く俺も飲み物に口を付ける。プルタブを引く時の清涼感有る音は、風鈴よりも余程効果が有るに違いない。……何度でもプルタブを開ける気持ちを味わえるグッズとか商品化したら売れるんじゃないか?
ああ、現実逃避だよ。言われんでも分かってるさ。ほっといてくれ。
「何の用だよ」
ソイツはニヤニヤと眼を丸くして俺を眺め、そして笑った。
「だから、忘れ物をしたんだっつの」
忘れ物。はて、何の事だろうか。俺の前に昨日現れた時のコイツは手ぶらだった筈だ。つまり物を忘れた訳ではあるまい。
「折角過去の自分に会いに来たんだ。海外旅行よりもレアな体験だぜ? 土産の一つも持って来なきゃならんだろうよ」
海外旅行の経験よりも時間旅行の経験の方が圧倒的に多い筈の目の前の男が言っても説得力は無い。が、貰える物は貰っておかないでもないさ。
俺は俗物なんだ。神様やら超能力者やらとはまるで立ってるステージが違う。
正直、未来人のプレゼント、ってのにも興味は有ったしな。
で、何を持ってきてくれたっていうんだい? 過去三年の競馬の結果なりを載せたスポーツ年鑑がこの場合のお約束だと思うんだが。
「それは禁則事項に引っ掛かるだろ、幾ら何でも」
「冗談だ」
分かってる。何せ自分の事だからなとソイツは笑う。……よく笑う男だ、本当に。笑う門には何とやらと言うが、ひょっとして超能力にでも感染したのではないかと疑っちまった俺を誰が責められようか。
「ま、禁則なんざ俺には一つも掛かってないんだけどな。なんせ俺は正規の時間遡行許可者じゃないし」

今日もベクトルは逆向き直進。未来は目の前の男の言動一つで十重二十重に分岐する。そう考えると、少しだけ気分は良かった。
コイツが今から何を言い出すのかは知らない。けれど。
未来は今の俺に、未来の俺に委ねられてる。それは少しだけ……いや、とても愉快だった。
まるで、世界の中心に居る気分で。こんな汚い部屋が、しかしそれでも……宇宙で一番重要な会合の場である事なんて疑いようが無い。
今は今を生きる俺のものだ。なんて過去の俺は上手い事言ったと思うよ。いや、割とマジでな。

「禁則事項が適用されていない。イコール俺はなんでもお前に未来の事を教えてやれる」
未来人はそう言ってウインクした。男がやっても気色悪いだけだぞ、そんな仕草は。別の未来人を連れて来い。なるべく可愛くて守ってやりたくなる感じのな。
言外に「朝比奈さんを連れて来い」とリクエストしてやる。お呼びじゃなかったかね、とソイツは苦笑した。
「だが、何でも教えられる反面、全てを教えちまっては面白みも何も無いだろう。既知の未来を歩むのは、きっと今の俺にだって無理だ」
いわんや過去の俺ならば、と続くんだろうな。ま、否定はせんし、その意見には全面的に同意させて貰う。
退屈は嫌いじゃないが、絶望とは別物だと思ってるからな。白紙の未来が無いと俺達は生きていけねぇって某スピルバーグも言ってるさ。
「だが、一つ二つなら知っておきたいのも人情ってモンだろうよ。違うか、俺?」
ノーコメント。ただし、この場合は沈黙を肯定と受け取ってくれて構わない。
「って訳だ。一つだけ、どんな質問にも答えてやる。ま、俺が知っている範囲、三年先までの内容に限られるんだが」
メフィストフェレスはそう言って、心底楽しそうに笑った。俺の質問で未来は千変万化。神様にでもなったみたいで気分は上々。
けれど、道は一本なんだ、結局。
出来過ぎているシナリオってのは嫌なモンだよ、全く。あんまりソイツが上等なモンだから、演者はアドリブすら許されない。
まるで、俺が何を質問するか分かっているように未来から来た未来の破壊者は口端を上げる。いや、事実知ってるんだろう。
そうさ。そんな事を言われちまったら俺にはこう答えるしかないじゃないか。

「……惜しい事をしたかな」
ベッドに寝転がって低い天井を見る。机の上には空き缶が二つ。夢の残滓、もしくは未来の残り香とでも言うべき琥珀色の芳香が部屋に漂っている。
「だが、アレで良いのさ。アイツも笑ってた。きっと、正解だったんだろ」
在るべき時間に帰っていった男は、言っていた。だが、その意見には賛同しかねる。あの映画はやはり2のラストが最高なんだ。
3のラストじゃない。でも、3も嫌いじゃない。そう言えば1だって大好きだ。だったら、どれが一番でも然したる変わりは無い気もする。
ならば俺も、いつか意見を翻す日が来るのだろうか。でも、そんな事はどうでもいい。
未来は、白紙だ。少なくとも、俺の未来は。

「お前は、今、楽しいか?」
俺の問い掛けに、未来人は真面目な顔でしっかりと縦に首を振った。
なら、それで全てに決着を付けるとしようじゃないか。

「俺の仕事は……実は別に有ってな。今日お前に会いに来たのは、ほんの片手間だったりするんだよ」
聞いてもいない事を勝手にすらすら話し出すのは何らかの属性をその身に受けた人間に課せられた業なのだろうかといぶかしむ。ったく、どいつもこいつも脈絡って言葉を知らんらしい。
「ハルヒが言ってただろ。願い事は既に二つ叶ったと。なら、そんな短冊は残しておくだけ無駄だ。最悪、十六年ないし二十五年後にまたこんな事が起こりかねない」
そんなんは真っ平だ。そう言って手の中で赤い紙切れをひらひらと揺らす男。
「星に近い方が願いが叶うのも早くなる、だったか。あの馬鹿、本当に叶えたい願いだったのか知らんが八mは有る笹の一番上に吊るしてやがったんだぜ。どうやって吊るしたかは……想像するしかないが」
ああ。だが、商店街のおっさんに無理難題を言っているハルヒの姿が目に浮かぶ様だよ。命綱括り付けてデカい梯子に登っている所とかな。
「全く。お陰様でこっちは骨が折れた」
ご苦労な事だ……って、真実、他人事じゃないのか。そんな七面倒臭い事をいつかやらねばならない自分に同情を禁じ得ないね。
「そうだな。大いに同情してくれ」
「今更何をいっても仕方ないな。どうせソイツも規定事項なんだろ? ……で、だ。それよりも俺はその紙切れになんて書いてあったのかの方が気になるんだけどな」
「あ? 予想が付かないか?」
片方だけで良いのなら。ジョン=スミスに会わせろとかそんなんだと予想しているんだが。
「ご明察。もう一つに関しては……ま、こっちはプライバシーだな。三年後を楽しみにしてろってトコだ」
そうかい。つまり三年前にお前はここでその中身を見なかった、って意味だな。
「そう取ってくれて良い……と、そろそろ時間だ」
そいつはお早いお帰りで。まだぶぶ漬けも出してないのに殊勝な心掛けじゃないか。
ああ、家から出る時に妹に勘付かれるなよ? キョン君、なんで家に居るの? なんて悲しい事を言われるのは願い下げだ。
「残念だったな。玄関からは出て行かねぇよ」
……だったら、朝比奈さん(大)でも迎えに来るのか? それとも時限式で有無を言わさず時間移動が発動とか?
「その答えもノー。今回の事件は、某時間移動映画がモチーフなんだよ。だったら、俺の帰る手段も自ずと知れる、ってモンじゃないかい?」
男はそう言って、窓を開ける。生温い、夏の夕暮れの風が一気に部屋に雪崩れ込んで来て不快指数は急上昇。せめてエアコンを消してから行動してくれないかね。エコだなんだと叫ばれて久しいご時世なんだ。
三年後はどうか知らないが。
そんな下らない事をぶちぶちと口にする俺を背にして、ジョン=スミスは肩を震わせ笑った。
「じゃあな、俺」
窓の桟に足を掛けたと思った次の瞬間には男の姿は消えていた。窓から下を覗きたかったが堪える。ここでそんな真似をしちゃ、負けな気がした。
全ては台本通り。だが、醜態を晒して口をあんぐり開けるのぐらいは拒ませて貰おうか。
窓の外、男の姿がスクロールアップしてくるのはきっと規定事項。と言うよりは未来へ帰る輩のお約束だな。
「未来の車は三年で本当に空を飛ぶのかよ?」
「禁則事項だ。ま、精々期待してろ」
助手席に乗り込む男。車がデロリアンじゃなくてどこにでも有る様な軽四なのは未来人流のジョークかい?
「古泉、話は終わった。出るぞ。ユウコピィ?」
「アイコピィ」
運転席の少しだけ大人びた顔の超能力者が俺に向かって親指を立てる。
「遮蔽シールド継続動作中。時間移動における介在要因は無し。大丈夫」
リアシートの宇宙人は水色のワンピースを着ていて。
「TPDD、空間座標指定完了しました。いつでも構いません!」
モノホンの未来人はピンク色のウインク。
そして……そして。

「さ、帰るわよ、SOS団! あたし達の時間に!!」
黄色のカチューシャも雄々しく、全てのシナリオを書いたであろうラプラスな彼女が号を発した。
……ああ、そうさ。俺達に抜錨を指示するのは、誰あろうお前の役目だろうよ。どうやら三年経ってもソイツは譲って貰えなかったらしい。
そんな未来の欠片。全く持って、俺達らしいと言わざるを得ないね。
「……やれやれ」
聞くまでもなかったな。そりゃ、未来は楽しいに決まってる。

俺の視線の先で車が空を切り裂く。夕焼けに似合いの赤い炎の筋を平行に二つ残して、ソイツは影も形も無く消え失せた。
紅いラインは真っ直ぐ。行き先は未来。
なんてイカれた、ストレート・ベクトル。
「空を飛ぶ車でも持ち出さなきゃ、高所の短冊は回収出来ないよな」
呟いて、笑った。笑顔で、見送った。

俺達の未来へ続く、矢印はいつだって直進(Go straight)。

さて、オチは残しておかなきゃいけないって事で七月九日、大オチはパス。先にその後の話をさせて貰う。

怒涛の七夕も過ぎ去って翌週水曜日。テストの結果が返ってきた。出来ればいつまでも返って来なければ良いと、しかし天は俺の言い分を聞いてはくれなかったらしい。
雲を払ってやっただろ。コレで今期は店仕舞いだ、とでも言いた気な爽やか極まる水色。雲の一つだって有りゃしない。
ええい、忌々しい。
家に帰れば国木田辺りからお袋へとテスト返却の情報はリークしている事だろう。さらば、先三ヶ月の小遣いよ。この夏休みはバイトをする必要が有りそうだ。
……と、まぁ点数を見る前から諦めていた俺である。なにせ、今回は懸案事項を抱えていた所為で碌に一夜漬けも出来なかった始末。悲観的になるのもむべなるかな。
だがしかし、量子力学の実験に使われた可哀想な猫を引き合いに出すまでも無く。箱の中身とは開けてみるまで分からないもので。
結論から言う。全教科で俺は平均点を越えていた。日本史に至っては古今見た事も無い高得点。殿、ご乱心召されたか、って感じで。
……ここまで来ればいくら楽観的な俺だって怪しむさ。
さっきまで悲観的って言ってたのはどこの誰だって? いや、そこは置いとけ。
さて、最初に俺が考えたのは機関なり宇宙人なりの裏工作が有ったのでは無いか、という事である。自分に自信が無いとは情けないが、しかし事実として俺には独力でこんな点数が取れるとは思えないんだ。
自分の事は自分が一番よく知っている。
と言う訳で、点数を見た後にその内容を疑って答案を確認したさ。だが、テスト問題に不審は無く、薄っぺらな紙に書かれている文字も間違いなく俺のもの。
この丸が付いている解答も、赤ペンでレの字が上から書き込まれた苦々しい解答も、確かにこの右手で書いた記憶が有った。
やれば出来るじゃんか、俺。そう言ってしまえればどんだけ楽だっただろうか。だが、あえて胸を張って言う。俺の脳味噌はこんなモンじゃない。無論の事、悪い意味でな。
種明かしに気付いたのは翌週。一学期最後の数学の時間になる。
その日もやはり溢れる眠気を噛み砕き、暇潰しにとパラパラマンガの続編作成を手掛けようと職人気質を存分に発揮しようとした訳だが。
前作を見返してどこか違和感が有った。この間、見た時にはもう少し面白い内容だった筈だ、というコミッカーとしての自負でも有ったのかも知れないが、この際それは放置。
それが断じて親の贔屓目では無かったのだと知ったのは、最終コマに辿り着いた時だ。
可愛らしい丸文字で「未来の学習促進技術は役に立ちましたか?」と、棒人間の代わりに書いてあったのには思わずガタリと椅子を揺らしちまって。
今期最後の授業中に寝るなと教師に言われたのは屈辱でしかない。
……未来流のフォローか恩返しかは知らないが。とりあえず感謝はしておきます、朝比奈さん。でも、もう少し心臓に優しいモノに、今後はして頂けたらと思うのは高望みでしょうか。
俺に七十ちょいで寿命が来たら、間違い無く未来人のせいだろう。うん。

「って事が有ったんだよ」
俺は隣で寛ぐ古泉に語りかけた。
「きっと、ご褒美でしょう。今回の貴方の活躍には目を見張るモノが有りましたから。少しくらいは見返りが無いといけません」
僕達の方でも用意していたんですがね、と首を竦める副団長。俺はテーブルの上のスナック菓子を摘みながらテレビに見入る朝比奈さんの後頭部を見つめた。
「何を用意してくれてたんだ?」
「次の七夕にでも取って置く事にします」
そうかい。ま、特に期待しちゃいないけどな。
「そこは期待して欲しかったですね」
笑う超能力者。その視線の先にはディスプレイ。
ハルヒを含まないSOS団は現在、長門の部屋に集まってビデオ鑑賞会と洒落込んでいる。
「しっかし、お前らの機関って結構人数多かったんだな。撮影係なんかに裂く人員の余裕が有るとは」
「運動会ではないのですから撮影係とは聞こえが悪いかと。記録役、ですよ」
どっちでも一緒だ。
「かも知れません」
部屋に持ち込まれた大型ディスプレイには今まさに半被(ハッピ)姿の朝比奈さんが大写しになっている所だった。ああ、どんな格好をしていても、この人は麗しい。
「全員、この格好だったのか?」
俺の問い掛けに答えたのは未来人だ。
「はい。皆で半被を着て、これがこの時代のお祭りなんですね。凄く楽しかったです」
それは結構でした。……そうじゃなくて。
どうにも、機関の人間が全員背中に「祭」の一字を背負ってるのに違和感を感じるんだが。俺だけか?
「スーツで花火を上げているよりは怪しまれないでしょう?」
古泉の言う事ももっともではある。だが、台風の中でそうそう人が河川敷を通るとは俺には思えないぞ。
「念には念を、と申します」
……古泉の作ったものでない笑顔を見て確信する。ああ、機関って案外ノリが良い人間で構成されてるんだな、って事に。
そう言や古泉、花火はあの暴風雨の中で大丈夫だったのか? 保管とか、大変そうに思えたんだけどな。
「ええ、バッチリでした」
そっか。湿って使い物にならなくならないかだけが懸念だったんだが。流石にそんなヘマはしないか。
「バッチリ三分の一が湿気でヤラれてましたよ」
そう笑顔で言う古泉……オイオイ。っつー事はあの花火は更にあの1,5倍は大掛かりなシロモノを予定してた、って事か?
「そうではありません」
なら、長門に急速乾燥でも頼んだとか? ま、最初からその事態を考えて万能選手はそっちに回したんだけどな。宇宙人なら情報操作とかで花火の量産も乾燥も楽勝だったろう。
「あ、古泉君の名シーンが始まりますよ!」
朝比奈さんが声を上げる。俺はディスプレイに意識をやった。画面の中では雨に打たれる古泉が、壇上に立っている。ソイツはまるで某髭の独裁者みたいに演説を始めた。
『今回の作戦、要(カナメ)は彼ですが、ヒーローは彼では有りません。戦争をするのは軍師ではない。兵士一人一人。歴史を作ってきたのは、いつだって只の人です。
彼は僕に言いました。神に只の人の手で夢をみせてやろう、と。僕達は超能力者ですが、閉鎖空間に居なければ只の人です。資格は有ると考えます。
皆様も知っての通り、花火の一部がダメになりました。勿論、ここで情報統合思念体の力を借りれば話は簡単です……が。
只の人にだって意地は有るんです。
人の手で、夢を見せようと彼は言った。ここに居る一人一人の手で、人間の力で、たった一人の子供の夢は紡げる。少なくともその機会を僕達は与えて貰った。
ここで奮わないで何が人ですか。何が機関ですか。何が大人ですか?
宇宙的インチキは最終手段です。大人の意地を僕達の大切な少女に見せてみましょうよ、皆さん。
一度くらいは僕達がヒーローになっても、バチは当たらないと思いませんか?』
「役者だな、古泉」
素直な感想を口にすると、副団長は苦笑した。
「役者なのは機関の他の人間ですよ。若輩の世迷言に、見事に付き合って見せてくれた。大人とはああいうものなのだと、痛感させられました」
踊らされていると気付きながらも踊った、か。スゲェな、大人って。
「本当に。近隣各所の遅延した花火大会用の花火を、たった半時で掻き集めてみせたのですから……頭が下がります」
そんな格好良い大人になりたいな。なぁ?
「なれますよ、きっと。彼らの背中はこれでもかと見せて頂いたのですから」
宇宙人の背中がディスプレイに映る。「祭」の文字に彩られた長門の姿は、心なしか楽しそうに見えた。
画面を無言で見詰めるその小さな背中よりも、少しだけ。

さて、と。そろそろ語るべき事も残り一つしかない。って訳でオチに入らさせて貰う。
未来ってーのは柑橘系の香りがするらしい。きっと纏めてしまえばそれだけの話。そう、俺は最初に言ったな。その台詞の回収作業を始めるとするさ。

七月九日、日曜日。太陽はナリを潜めた曇天だが、生憎という言葉を使う気にはならない。どっちかと言えばこれくらいの方が比較的涼しくて過ごし易いくらいだ。
本日は午後より不思議探索。矢張りと言うべきか待ち合わせ十五分前に着いた筈なのに俺は財布を持ち出す羽目になった。
……曇りとは言えこの暑い中を、お前らはいつから待ち合わせ場所に居るのだと、問いたい。問い質したい。小一時間問い詰めたい。
俺の財布の圧縮作業にどれだけの熱意を持って取り組んでいるのか、お前らは。

珍しい。そう口から零れ出た。赤い爪楊枝を引いたのは俺とハルヒ。
古泉は両手に花と。うん、替わってくれと口に出そうとしたら対面に凄い形相で睨まれた。
「お前、昨日何してたんだよ?」
不思議探索と言う名のウィンドウショッピングをしながら隣を歩く少女に俺は問いかける。手の中の三段アイスのバランスを器用に取りながらハルヒは俺を見上げた。
「事情聴取よ!」
……時折、コイツが同じ国の人間か疑わしくなる。スマン、解読役の優男が居ないこの状況では何を言っているのか分からない。
「一昨日の花火について、市役所に突撃してみたワケ」
そりゃ、窓口の人も迷惑千万だっただろう事で。彼らの給料は税金で賄われているとは言え、流石にコイツの相手は勤務内容外だろうよ。ご愁傷様です。
「で? 何て言ってた?」
「その様な事実は一切御座いません、って言葉を生で初めて聞かされたわ」
だろうな。古泉の機関がどんだけの規模を誇っているのかは知らんが、こんな小さな街の役所だ。圧力を掛けるのは然程の苦労でも無いように思う。
「どこかの組織の息が掛かっていて、喋れないとあたしは見たのよね。政府規模で暗躍する謎の団体の影が……隠していてもバレバレよ」
正解。恐らく常人では辿り着かない漫画の様な発想ではあるが、今回ばっかしはお前が正しい。
いや、宇宙人による情報操作の可能性も捨て切れんな。どっちでも良いが。
「素直に騙されておけって。大体、どこの世界の高校生がどんな根回しをすればドデカい花火を夜空に打ち上げて、かつ役所に口止め出来んだよ?」
前を向いて呟く。横顔にヒシヒシとハルヒの視線が突き刺さるが努めてシカトを決め込んだ。
「……なんかタネが有るんでしょ?」
「そりゃ有るだろうよ」
ただ、それにお前が気付けるかどうかは別問題だけどな。神様を騙す、ってのは中々に気分が良いね。日頃やり込められてる鬱憤も、これで少しは晴らせそうだ。
「言いなさい」
「言っても信じないから言わね」
これは本音。宇宙人や未来人や超能力者を、さてお前は信じてくれるかい?
百%信じて貰ったら、それはそれでこの世は不思議のオンパレードだしな。十%くらいで、丁度良いバランスなんだよ、この世界は。
なぁ、団長様。解明出来ない不思議ってのは、苛立ち半分。でも相当に面白いだろ?
得意のアヒル口で不満を顔に出しちゃぁいるが、それでもお前の顔は笑ってるぜ?
どうだい。コイツが、お前が神様の世界だ。自覚が無い誰かさんの代わりに胸を張ってやる。誇ってやるさ。

この世界は絶妙に最強に絶対無敵だ。

「どう有っても言わないつもり? キョンのくせに生意気だわ!」
オイ、掴み掛かられるのは慣れっこだが、左手のアイス落ちるぞ。
「良いから、素直に騙されておけって」
俺はハルヒの右手に手を添えてそれをどける。意外な程、簡単にそれは振り解けた。
「……事前に仕込が有ったんでしょ! 言いなさい!」
オイオイ、俺は只の高校生だぜ? そんな事が出来るかよ。……ま、出来るんだけどな。
人間、本気になれば月にタッチする事だって訳ねーんだ。
「なんかやった事に関しては否定はしない。だけどな」
俺は笑う。目の前の少女に負けないように。その輝きに応えられる様に。せめて、今、この瞬間だけでも。
「綺麗に騙されるのも、たまには気分が良いモンだぜ?」
出来れば、隣に居れる間中、ずっと。お前の輝きに負けない様に。
「俺は少なくともその仏頂面よりも、こないだの花火に驚いた顔の方が、見ていたいね」
ハルヒの手から、三段アイスの一番上が落っこちたのは……まぁ、見ない振りでもしておきますかね、っと。

「そう言えば、キョン、シャンプー変えた?」
「あん? いや、今日は午前中に床屋行って来たからそれじゃないか……って、どうしてだ? ……ああ、匂いか。あそこのシャンプーは市販品じゃないからな」
「アンタでも床屋に行く事なんて有るんだ?」
「生きてりゃ髪の毛だって伸びるに決まってんだろ」
「ふーん。そこって馴染みのお店か何か?」
「ま、ずっとそこのおばちゃんに切って貰ってるな。潰れん限り、あそこで今後も切るだろうよ」
「……ねぇ、キョン? あんた、前にいつ髪切った?」
「……覚えてないが三ヶ月前くらいじゃないか? ……それがどうした?」

なんでもないと、言ったハルヒのその笑顔には、前言撤回、並べるとはとてもじゃないが思えなかった。
以上、オチだ。何? ワケが分からない? 奇遇だな。俺もこのエピソードがオチになるのを知ったのは、この三年後なんだよ。
幕が常に綺麗に降りるとは限らない。そういう事だ。ま、たまにはこんなのでも良いだろ。語り部が悪いのだと、そうしといてくれ。


『ジョン=スミスにお礼が言えますように』
『アイツが心から笑えますように』


神様の願いは、ちょいとベクトルを逸らして叶う。まるでプリズム。でも、だから良いんだ。それで、良いんだ。
なぁ? 神様? お前の目に映る世界は今日も綺麗かい?
もしもお前がこの質問に百Wの笑みで頷くんなら、俺は今日もきっと苦い顔で笑えるんじゃないかと、柄にも無くそう思うんだよ。


「Starry Sentimental Venus」 is closed.

BGM by Shoji Meguro 「Deep Breath Deep Breath(Reincarnation ver.)」


←back next→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!