ハルヒSSの部屋
オキノイシノ 8
さて、話の流れで俺がどこに連れて行かされたのかはなんとなくお察し頂けるかも知れないが、ホテルである。
アミューズメントホテル、である。
「ラブホテルってこんな風になっているんですね。キョン君、知ってましたか?」
どことなく、はしゃいでいるように見えなくもない一姫を眺めつつ、まるで敵城に乗り込む忍者の如くに息を潜め辺りを伺う男子高校生は、誰あろう俺で間違いない。
無意味にゴテゴテした外装に相反して、建物の中はシックというか簡素というか、そこそこ落ち着きの有る感じでまあ、一安心と言った所だろうか。
いや、誤解を招かないように先んじて言っておくがここはごく普通のアミューズメントホテル、である。
「あ、ティーパックなんて有るんですね。それもお茶と紅茶……あ、コーヒーも有ります。なんだか、もっとこう猥雑なイメージを持っていたのですけれど、ラブホテルって案外普通なんですね」
室内に流れている控えめな有線はクラシックで、余りその方面に詳しくは無い俺であっても「これはちょっとな……」と苦笑いしてしまいそうな上手いとは言い難い演奏ではあるが、しかしこれもホテル側の「安らいで貰いたい」という持て成しなのかも分からない。
まあ、無音よりは理性の保ちようが有るというものだろうか。
重ねて言う。アミューズメントホテル、である。
「ふふっ。緊張してるんですか? この部屋に入ってからちっとも喋ってくれませんけれど。でも、どこまでも着いて来てくれると言ったのは貴方ですよ? ほら、ラブホテルなんて言っても、そんなに面白い施設が有る訳でも有りませんし。硬くならないで下さい」
アミューズメ……ああ、そうだよ、俗に言うラブホテルだよ、何か文句でも有るのか、コノヤロウ。
大きく息を吸って、吐いて。
オーケー。俺は冷静だ。
「……この状況で緊張するな、と言うのがどれだけハードル高いか分かってるのか?」
室内を物珍しそうに物色する一姫の背中に向けて、そう問いかけた。ふむ。どうやら、本当に俺と一緒でこういう所に来るのは初めてであるらしい。
それにしては入室の際の部屋決めやら何やらが堂々としていた気もするが……まあ、こういうのは肝の据わらない俺なんざと比べる方が間違っているのかも知れんな。
「まあ、それとなく貴方の心境は理解しているつもりです。大方、いざという時に使い物にならなくなってはどうしようなどと……ふふっ。男性は大変ですね」
「そこまでは深読みして貰いたくなかったがな……」
後、身体の線が丸分かりなスリムデニムで前屈みになるのは……背後に居る俺としちゃ目のやり場に地味に困る。
ちなみにこの日の一姫は上が黒に縦線の入った凛々しい感じのジャケット、下は灰色ベースに斑模様のジーンズと白のミニスカートを重ね着していた。ジャケットから覗くフリルの付いたドレスシャツの襟元が見習いたいくらいに良い感じである。
惜しむらくは、肩に掛けたストールが少し浮いて見えてしまっている事か。まあ、それにしたって十分に美人なのは間違いないのだけれども。
ああ、俺の方はどうなんだ、って? 聞くな。三時間空回って結局普段通りだ。察しは付くだろ。
「大丈夫ですよ。私は一樹の事もあって、それなりに殿方にも理解が有るつもりです」
「そういう理解は要らない! 頼んだ覚えも無い!」
「もし、未遂に終わってもちゃんと慰めてあげますよ。だから、安心して下さい」
「その、自分の優しさをアピールしてる感じの物言いが逆にわざとらしくて苛立たしいぞ、一姫」
「まあ、故意ですから」
少女は鮮やかに振り向く。一拍遅れで揺れるポニーテールに俺の視線は浅ましく追従しちまって。
「……萌えませんか?」
……くっ、少女の問い掛けに即答出来ない俺が居る。突然、素に戻る、というのもそれはそれで演技の一部なんだろうが……なんだろう。これが、俺の弱点を全て知られている、という事なのだろうか。
多分、そうなんだろうな。
こんなことなら古泉(♂)と異性の趣味について熱く討論しなければ良かったと後悔したところで、それこそ真実、後の祭り。
……誰だ、変態超能力者の趣味を聞き出そうとか下らない事を考えた馬鹿は。俺か。俺だな。俺なんだけども。俺で違いないのだが。
朝比奈さんに頼み込めば過去を変えられるだろうか。いや、きっと無理だな。
「まあ」
ソファに座った一姫は一転、声のトーンを落とす。
「萌えて頂いても、この場では少し困りますけれど」
「……だな」
そうだ。俺たちは決してピンク色の妄想を形にしに来た訳ではない。
ラブホテルに来たのだって、ここしか条件に合致する場所が無かったからであり。そこの所はどうか理解しておいて頂きたい。
機関に知られては、困る。一姫はそう言った。
どうやら、俺と一姫のこの逢瀬は機関の与(アズカ)り知らぬものらしく。働き者の超能力少年がなんとかかんとか俺と一姫からマークを外して秘密裏に行われているもの、らしい。
実は俺に四六時中尾行なり監視なりが有ったとかは出来れば知らずに過ごしていたかった……と、まあ、それは置いといて。
つまり、機関御用達のホテルは最初から選択肢には無かったらしい。同様の理由で盗聴機やらカメラやらが有る古泉のマンションも没。
普通のホテルが何の事前連絡も無しで、高校生男女二人組に部屋を貸してくれるかと言えば、これもノー。
カラオケの個室とか、そんなんは見られる危険性が有るから最初から却下の方向で。
となると。
つまり、こういった場所になってしまうのである。
個室が必要だったのであり、それがラブホテルである必要性などは無かったというのはお分かり頂けただろうか。
……。
だから、何だ、って話なのは俺も認めるに吝かではないが。
一つ咳をして桃色脳みそに仕切り直しを告げ、ダブルベッドの脇に腰掛けた俺は少女と対峙する。
「俺に見せたいものが有る、って話……だったな」
「はい。そうです。どうしても、見て貰わなければ、ならないものが、有ります」
「その言い方だと、出来れば見せたくない、って風に俺には聞こえるんだが」
「本当に、気付かれたくない所にばかり貴方は気が付くのですね。ええ、その通りです」
そう言って、少女は苦笑する。
「見せたくないなら、無理に見せなくても、良いんだぜ?」
俺だって、こんな場所で超能力少年と対面したくはないしな。ラブホテルで古泉(♂)と二人きり……不可抗力では有ったとしても、それは流石に背筋が寒い。
けれど、俺の思いは珍しく察して頂けず「そんな訳にも、いかないでしょう」そう言って一姫は笑った。彼女の座り込んだ黒い合皮のソファは二人掛けで、不自然に少女が片側に寄って座っているのには気付かない振りをしておく事とする。
自然に隣に腰掛ける事が出来る度胸は持ち合わせていないんだ。そんなスキルもな。
俺の次の言葉を待っているみたいな、一姫。さて、何を言い出そうか。そんな事を考えて、自然に会話が止まる。車がそうであるように、一度止まったものを再び動き出させるのにはとてもエネルギーが要るものであり、この時もそれは例外ではなかった。
有線だけが流れる室内。口を開くタイミングを見失って、沈黙する俺達。なんとなく、気まずい。
自然に会話を再開させるには、どう切り出せばいいのかと少しだけ思案していて、そうしていて、ふと気付いた。
なぜ、俺の目の前の少女は何も言い出さないのだろう、と。
元々、見せたいものが有ると言い出したのも彼女なら、ラブホテルに入ろうと言い出したのも彼女である。であるならば、会話のイニシアチブも彼女に帰属するのが筋というものだろう、うむ。
いわば少女にとって今の状況はホームである。言うまでも無いだろうが、俺にとってはアウェイこの上ない。
……どうやら、俺に見せたくない、ってのは本当らしい。
一姫は、俺の見てきた限りではどちらかと言うと繊細な部類にカテゴライズされるのではなかろうか。少女をぼんやりと眺めながら、つらつらとそんな事を考える訳だ。
傍目には捌けているように見える。冗談も言うし会話も上手い(この辺りは古泉によく似ている)。だがしかし、その実、それはただの仮面なのではないだろうか。
強がっている、だけ。そんな感じで。
ただのどこにでも居る、恋する乙女、女子高生。それが少女の本質な気もする。そんなに一姫と長い訳ではないが(何せ、正味四日だ)、しかし、恐らく間違いではあるまい。
だから、見せたくないものがあれば動揺もするし、ラブホテルに二人きりという状況下で何も感じていない筈も無いのだろう、きっと。
俺と同じように。
それでも。意を決したように一姫はすう、と一度深呼吸をして立ち上がる。
「お見せしたいものが有ります、キョン君」
そう言った。
「ああ。あんまり気乗りしてないみたいだし、そういうのはさくっと終わらせちまおうぜ?」
少女の勇気に対して、あくまでも軽いノリを装う俺。これで少しでも一姫の気が楽になればいい。
「な、一姫?」
「はい」
彼女は一つ頷いて、テーブルに置かれていたハンドバックを手に取った。
「では、私は準備が有りますので。貴方はここで待っていて下さい」
「了解だ」
一姫が洗面所に消えていくのを見送る。バタンと扉が閉まったのを確認して俺は一つ、大きな溜息を吐いた。
「ふう」
それにしても。ガラス張りとかそんなんじゃなくて本気で助かった。俺の考えるラブホテルって言うとどうも透け透けであるだとか、ベッドが回転するだとか、そんなんになる訳だが、どうやらただの都市伝説だったようで結構な事だ。
……普通にこじんまりした個室じゃねえか。
一姫が居た手前、あまりきょろきょろと部屋を見回す事も憚られた俺であるが(俺にも男の子としての面子と言うものが有ってだな)、しかし恋人は今、洗面所だ。となれば、俺が物珍しい面持ちで室内を物色する事に何の弊害が有るだろうか。
いや、ない。
大型のテレビに冷蔵庫。電子レンジに電気ポット。後洗濯機でも有れば普通に生活出来そうだ。ちょっと拍子抜け。テーブルに置かれていたホテルのインフォメーションは確かに「それっぽく」は有ったが、しかし、眺めている所を一姫に見つかってもつまらないのでこれは放置。
ダブルベッドは、まあ、これは仕方が無いのだろう。元々、そういう事の為に有るホテルだし。
……枕元に置いてある小箱が存在感をこれでもかと放っていたが、いやいや、君子危うきに近寄らずである。
色即是空。空即是色。
お茶でも淹れておくかな。
電気ポットの中には水が入っており、後はスイッチを入れるだけとなっていた。それを押して電源が入った事を確認すると、どうしたことだろうか、途端、手持ち無沙汰になってしまった。
……ラブホテルのテレビはエロ番組がやっているらしいし、そこに逃げる訳にもいかないよなあ。
不思議なもので人間は暇を持て余すと色々な思索に耽ってしまうものであり、そしてそれは無論、俺も例外ではない。
あれやかれや何やかんやを考えてしまうのである。いや、それ自体は別に何を言う事も無いさ。しかし、だ。
今回に関しては場所が悪かった。
ラブホテル。
男女がナニする目的で利用するホテルの一室。
考えまい考えまいとすればする程逆効果。俺の心臓は徐々に回転数を上げていく。ええい、者共鎮まれ、鎮まれい!
何か手頃な差し迫った問題に思考回路を向かわせてどうにか精神の手綱を取ろうと一人、躍起になる。だけど、出て来るのは一姫の俺に見せてくれた幾多の表情ばかりで……ん?
そういや、なんでアイツは洗面所にハンドバックなんか持っていったんだ?
まさか超能力少年を体から出すのに口紅を落とさなければならない訳でもあるまい。少年が少女の体にその身を沈ませていく時には特に準備的な事はやっていなかった気がする。
逆パターンの場合は違うのだろうか。だとしたら、薬を服用するだとか注射を打たねばならないのか?
うーん、確かにそれは余り彼氏に見られたい光景ではないだろう。
俺の右手関連で救急キットっぽいのは鞄の中に入っていたし、あの中にそういったものが一緒に収められていたとかは、まあ、考えられない話でもない。
などと考えていると電気ポットが湯気を吹き始めた。お茶か紅茶かコーヒーか。はてさて、一姫はどれが良いだろう。まあ、無難にお茶と紅茶を一つづつ淹れておいて、選ばせれば良いか。
卓袱台サイズの低いテーブルの上に飲み物入りのマグカップを二つ、用意した所で洗面所の扉が内側からノックされた。
「キョン君?」
控えめな少女の声。怯えているように、聞こえなくもない。気持ちは分かる。
「お。準備ってのはもう良いのか?」
「はい。貴方も……心の準備はよろしいですか?」
「おう、いつでも来い」
そう言ってソファに腰掛ける。視線の先で外開きのドアがゆっくりと開いていき、その端から一姫が顔だけを出した。
能面のような、無表情。笑顔さえ、貼り付けず。
ぞくり、とした。
「……嫌いに、ならないで下さいね」
「今更、何を言ってやがるのかね、このお姫様は。ならない。あんまり俺の覚悟を甘く見ないでくれよ。悲しくなるからな」
何かを言いかけた口を、しかし閉じて一姫は、ゆっくりと扉の影から姿を現す。
そして、俺は……軽口も何も、言えなく、なってしまった。
肌色というには白過ぎる、およそ太陽の存在を知らないような、肌。
声を出す方法をすら忘れてしまったのは少女が一糸纏わぬ裸体を晒したから……ではなく。
裸だったからでは決してなく。

その裸体の至る所に、尋常ではない数の
ぶちまけた絵の具にも似た
疵(キズ)跡が
有ったからだった。

きちんと話を整理すれば、それは分かる道理だった。
道筋は、ちゃんと付けられていた。
古泉一樹は日常的に、恒常的に、死んでいる。殺されているという事実。
古泉一樹は死んでも生き返る事が出来るというルール。
古泉一樹の体に、しかして傷跡なんてものを見た記憶は無いという現実。
そこから導き出せる推理は以下の通り。古泉一樹は死ぬほどの傷を負っても生き返る際に綺麗さっぱり再生する。恐らく、この考えで間違いないだろう。
でもさ。
だったら。

使い古された救急箱は一体誰が利用していた?

一つの体を二人で共有する、古泉一姫と古泉一樹。
少女と初めて出会った晩に、彼女は言った。
「身体情報を半ば共有する関係の私には、彼が摂取したアルコールがどうしても引き継がれてしまう」。
そう、確かに言った。
よく考えれば気付けた事。引き継がれるものが、アルコールだけで有る筈が無い。
身体情報を半ば共有するってのが、具体的にどういう意味を持つのか……俺の目の前で佇む少女の体が、その答え。
雄弁なる、回答。

「醜い、でしょう?」
少女は裸体を隠す事無く、自嘲する。
その肌は、びりびりに切り裂かれた新聞紙のように傷跡だらけだ。
縦横無尽に。
縦横無残に。
首から下を大小様々な傷跡が……その身体を「覆っている」と。俺にはそう表現するしかない。
裂傷。火傷。銃傷。潰傷。打撲傷。
傷。
傷。傷。
傷、傷、傷、傷……。
「見て、いられないでしょう?」
そうは言われても、眼を反らせられない。ソイツは斥力と引力を同時に発生させていた。
「でも、見て貰わなければ……いつかは、知られてしまうものなら、早い方が、きっと貴方の為に良い」
肩口、二の腕、乳房、腹部、腰、太もも、ふくらはぎ。
傷の付いていない場所なんて見当たらない、彼女の体。
「こんな身体、嫌でしょう?」
産まれたままの姿で少女は、俺に悲しげに微笑んで問いかける。こんな時でも微笑んで、問いかける。
「こんな女、嫌でしょう?」
世界は、こんなにも、無慈悲だ。
「私は、気持ち悪い……でしょう?」
こんな事を彼女に言わさせる、言わざるを得ない状況に追い込む、世界は、こんなにも……ふざけんじゃねえ……ふざけんじゃねえぞ!
俺の恋人に。
初めて出来た恋人に。
こんな事を強要して、こんな台詞を強制して……一体、何が楽しいってんだよ、クソッタレが!!
「こんな女、貴方は欲してはくれないで……」
限界だった。
理性なんか、ブチ切れていた。
それ以上、自嘲させたくなかった。それ以上、自虐を繰り返させたくなんてなかった。
もうこれ以上、少女を不幸になんてしたくなかった。
だから、一息に距離を詰めて。
だから、唇を塞いで。
だから、その華奢な身体を抱きしめて。
そして、その傷だらけの身体をベッドに押し倒した。
余りにも悲しくて。
余りにも悔しくて。
「悪い。俺は結局、自分の事しか考えられそうにないらしい。ぐだぐだ言ってたの、アレ全部撤回させてくれるか?」
唇を触れ合わせたまま、目を見つめ、逸らさず、言う。少女は何かを言いそうになって、瞳を右へ左へとふらりふらり、させた後に、ゆっくりと目を閉じた。
「でもってもう一つ頼みが有る」
抱き締める腕に力を込める。
喉が、震えていた。震える声で、呟いた。
「抱かせろ、一姫」


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