ハルヒSSの部屋
オキノイシノ 7
なあ、笑ってくれても良いぜ。たった三回デートをしただけで、俺は心を奪われちまってたんだからな。彼女の見せてくれる笑顔に、掛け替えの無いものを感じちまうように、いつの間にだろう、俺の脳みそは見事に調教されちまってた。
でもそれは……きっとそれは同情を多分に含んでいるんだろう。
共感(シンパシー)なんて抱けるような共通の土台は持っちゃいないのにも関わらず、な。
しかしそれでも、俺は「この少女が、俺の守るべき対象なのだ」と。こう思う。何の疑いも無く思えてしまうみたいだ。
宇宙人でも、未来人でも超能力者でも、ましてや異世界人でもない、完全無欠に一般ピーポー、どこにでも居る男子高校生の俺だけれど。
けれど、それは決して無力って訳じゃないんだろうか。それにどうせ、無力だなんて言って諦めちまったら、それこそ本当に無力になっちまうんだ。
出来る事は、きっと有る。
それは例えば、好きになった少女の隣にずっと居るなんて簡単な事だったり。
それは例えば、好きになった少女にずっと好きで居て貰うなんて難しい事だったりする。
では。
俺に出来る事ってのは、一姫の為に出来る事なんってーのは、他に何が有るのだろう?
とりあえずの所は俺のスタンスは変わる様子を見せちゃいない。
彼女を、恋人を心の底から笑わせてやるのが目標だ。

「何か、やりたい事は有りますか?」
ファミレスで軽い昼食を取っていると、一姫が俺にそう問いかけてきた。ので、俺は口の中のパスタを手早く咀嚼して口を開く。
「いや、特に無いな。……すまん」
「え? 何を今、私は謝られているのでしょう?」
「えっと……その、なんだ。デートすんのが一週間前から分かってるんだったら、プランくらい練っておけって話だろ」
我ながら甲斐性の無い男である事実は否めない。
しかし、言い訳をさせて貰えるならば。異性と一度も恋愛をした事の無かったこの、どこからどう贔屓目に見ても冴えない男子高校生にエスコートが出来る素養が果たして有るだろうか。
いや、無い。反語。
以上、言い訳終了。
「違ったか?」
「ん……いいえ。それを言ってしまえば私だって似たようなものではありませんか。貴方と一緒に居る事さえ出来ればそれで満足だと。そこで思考停止してしまっていましたから」
「だから、そういうこっぱずかしい事をのべつ幕無しに言うなっての」
俺の要求を少女は正面から突っぱねた。
「嫌です」
「その心は?」
「貴方の恥ずかしがる表情が可愛らしいのが、いけません」
「……」
古泉一姫。この女、超能力者じゃなくて魔法使いなんじゃないだろうな。
口を開けば沈黙の状態異常を俺に付加する呪文とか、正直洒落になってないぞ、オイ。
その内に俺が言わ猿になっちまったらどうするつもりなのか、そこんとこをちょっと詳しく聞いてみたい。
超能力者らしく、テレパシーでの意思疎通とかを始めやがるつもりじゃないだろうな。
「では、午後のプランは無し、と。そういう事で構いませんか?」
「ああ、構わないけどさ……ん? 一姫、なんかやりたい事が有るのか?」
有るんだったら言ってくれれば幾らでも付き合うんだが。俺で良ければ……あ、こういう事を言っちゃいけないんだったか。難しい。
自分を卑下するのは、これはもう俺にとっちゃ癖みたいなモンなんだが、それをしてしまうとその俺を好きになってくれた少女まで蔑む事になる……うーん。
モノローグに縛りが掛かってくるってのは初めてで、中々、なんっていうかこう、生き難いな。
いや、好かれているのは悪い気持ちではまるで無いから嘆く必要はきっと無いのだろうけれども。
「やりたい事は特に有りませんけれど、見て貰いたいものは有ります」
「見て貰いたいもの?」
「はい」
はて、なんだろうか。コイツが俺に見せたいもの……ねえ。少し首を捻って、そして一つ、これじゃないのかな、ってのには行き当たる。
俺はまだ、古泉一姫の体から古泉一樹が出て来る現場に遭遇してはいない。という一点。それは俺自身、引っ掛かっていた所では有った。
これからもずっと一姫と付き合っていく心算ならば、古泉一樹と古泉一姫が表裏の二重存在だという事は折り合いを付けなければならない一線だろう。
それも、なるべく早くに。
俺も絶対お前から逃げないから。
口ではそんな事を言ってはいたものの、しかし実際にそんな状況(一姫の身体からスマイルゼロ円がぬるりと這い出てくる様を目の当たりにする状況の事な)に置かれちまったらどんな反応をするのか分からないのが人間だ。
つまり、これは警告。
自分はこういう特殊な女だが、それでも自分と一緒に居てくれるのか、という。
つまり、それは分かり易い、怯えだ。
「少し驚かれるかも知れませんが、それでも見て貰っておきたいのです」
そんな風に言わないで貰いたかった。驚かない、怯えない、苦しまない、覚悟はとうに決めてるんだぜ、俺は。これでも。
だから、辛そうな顔なんか、しないでくれよ。
「分かった」
そう言って笑いかけてやる。「俺はそんなモン見せられても断固としてお前の傍に居続けるぞ」と、そんな意思が通じたかどうかは知らないが、目を合わせた一姫は俺に微笑み返してくれた。
そして、顎に手を当てて中空を見つめるという分かり易い考える人のポーズを取った後に(俺がやっても間抜けなだけだが、美少女がやると大層絵になるポーズではあった)、少女は事も無げに言った。
「では……そうですね。食べ終わったらホテルに行きましょう」
「ぶふっ!?」
口を付けていたコーラがものの見事にグラスに回帰した瞬間である。余りに唐突で、それでもグラスは取り落とさなかった自分を自分で褒めてやりたい。
「げほっげほっ! がはっ!? ホ……ホテっ!?」
噎(ム)せ、涙目になりながら少女を見ると、彼女は俺に向けておしぼりを差し出しながら可愛らしく頷いた。
「はい、ホテルです。私の部屋は監視カメラや盗聴機その他が有りますし」
言われて古泉の部屋を思い出す。ああ、そういやそうだったな。機関のエキスパート、古泉一樹にとって唯一と言っても良いだろう、泣き所である目の前の少女は、自室では厳重に監視保護されている。つまり、あの部屋での逢瀬は全て機関に筒抜けって事で、それは俺にとっても余り歓迎したくはないさ。
いや、分かる。分かるよ。でもって変態超能力者を体から出す所なんか罷り間違っても大衆の目には晒せまい。
だから、この場合はホテルを公開の場に選んだ少女の選択で正しい。
むしろ間違っているのは俺で。それは分かるんだ。だが……しかし……。
勿論、ここまで来て公序良俗がどうとか青少年育成条例云々なんて言うつもりも無い。だが、そうではなく。
受け取ったおしぼりで口元から顔までに付着したコーラを丹念に拭って俺はゆっくりと問い掛ける。
「良いのかよ、一姫?」
「何がですか?」
首を傾げて一姫。チクショウ、贔屓目抜きにその仕草が可愛らしいので余計に腹立たしい。異性と二人でホテルに入るってのが一般にどういう意味を孕んでいるのか、それに少女の思考が行き当たっていない筈は無いんだ。俺が盛大に飲み物を吹いた理由だって、絶対に分かっている筈なんだ。
だって「古泉」なんだぜ? 一を聞いて要らん事まで頭を回すその察しの良さは男女共通だって、俺は知っている。
額を押さえて目を閉じた。ああ、頭痛がしてきそうだ。右目だけで少女の様子を伺えば……はあ、思わず溜息もこぼれ出ちまうってなモンで。あの顔はよく知っている。これでもかと見慣れてるさ。
そこに誰かさんの存在をダブらせずにはいられないニヤケスマイルだ。
「一姫……分かっててやってるな、お前?」
「ええ、まあ」
事も無げに少女は頷く。
「私も、年頃の少女ですから?」
「異性と一緒にホテルに行くって事の危険性ぐらいはキチンと認識してくれているようで、兎に角俺は頭が痛い」
「いえ、手を出して下さるのでしたらば、私としては拒む理由はありませんが。むしろ、正直に言うのならば手を出して頂きたいとすら思っています」
「……あのなあ。お前は少し恥じらいを持て」
「キョン君こそ少しで良いから男らしく、私にがっついてくれても良いのではありませんか?」
「違う……そんなのが男らしさだとは俺は断じて認めない……」
性別の役割が逆転してやがる……。普通は逆だろ? 逆だよな?
「ですが、考えてもみて下さい。仮にも恋人である異性と」
「仮じゃないだろ。あと『である異性』も必要無い。俺は至ってノーマルな感性の持ち主だからな」
同性の恋人とか、そんなんは都市伝説だ、都市伝説。
「そうでした。訂正します。恋人とホテルに入って何もしないというのは、後から思い返すと酷い汚点になってしまう事。それくらいは分かるでしょう?」
後悔はどこまで行っても先には立たないものだという話。だが、果たしてそれはこんなあっさりと通過してしまって良いイベントなのか?
否! 断じて否だ!
「武士は食わねど高楊枝、って知ってるか?」
「いつから貴方は高校生から武士に鞍替えなさったのでしょうか? 私の知る限り、貴方は武士ではなかった筈なのですけれど。しかし、男性ではあるのですから、据え膳食わぬは男の恥。こちらならば当て嵌まりますよ?」
「そんなに俺と……その、そういう事になりたいのかよ、一姫?」
「そんなに私とそういう関係になりたくないのですか、キョン君?」
……七方塞がり。
……ダメだ。何を言っても勝てる気がしねえ。
「そういう訳じゃ……ねえけど。だが、なんっつーか、だな……」
「言葉にも出来ない曖昧な思いで私を拒絶するのですか、貴方は?」
言いよどむ事すら許されやしないとか、一体この世はどうなっていやがるんだ。俺の知らない内に待つ優しさを失っちまったのか?
……バファリンのCMっていつから「半分は優しさで出来ている」と謳わなくなったか知ってるか?←現実逃避
「私の思いは単純にして明快ですよ。好きな人に抱かれたい。この上無く原始的でしょう。それとも」
少女は顎を引いて、上目使い気味に俺を見る。俺の頭ン中で警報が鳴る。
ヤバいヤバいぞ、これは。
「それとも、貴方は私を優しく抱いてはくれないのですか?」
クリティカルヒット。俺の体勢が崩れる。ファミレス仕様の背凭れ椅子がガタンと大きく音を立てた。
ちっ……コイツ……俺のツボを完っ璧に心得ていやがるとか、有りかよ! 反則だ!
「……クソッ……いたいけな青少年の『もしも彼女が出来たら上目使いに言って貰いたい台詞ランキングトップテンin北高(谷口調べ)』を何の出し惜しみ無く使ってくるんだな、お前は!?」
「言ったでしょう? 一樹の記憶は共有している、と。でしたら、貴方が女子のどんな仕草、台詞が好きなのかなんてお見通しですよ、私は」
きょ……強敵過ぎる。炎と斬撃が弱点の相手に炎の剣持って挑むような抜け目の無さをひしひしと感じずにはいられない! リアルに布の服しか装備してない俺に対して磐石過ぎるぞ、そのウェポンは!
「そして、それを利用しない手は有りません。ほら、私は恋する乙女ですし。貴方を篭絡するのに手段など選ぶと思いますか?」
勝つ為には手段を選ぶな。勝てば官軍。ああ、この恋人に言ってやりたい。既に俺の心は八割方お前のものなのに、って。
……まあ、言える筈もないが。
「望むなら……私はどこまでも貴方好みに染まってみせますよ?」
「そ……それはランキング第四位、『どこまでも貴方色に染めて下さい』の変則系か!? そんな器用な真似まで出来るのかよ、一姫!?」
「ええ。とは言え、八割ほど本音です」
「八割もかよ!?」
……どれだけ自分に素直なら気が済むんだ、コイツは。……なんだ? 今、流行りの「素直クール」ってこういうのを言うのか?
だとしたら、面倒な属性も有ったモンだなあ、オイ!
こうか は ばつぐん だ !
クソッタレ、計算尽くだと分かっていながら萌えずにはいられない!
美人系の外見で恋に貪欲とか、相乗効果で攻撃力三倍な事に気付いてないのか、コイツは? オーバーキルも良い所だぞ、マジで!
「そもそも、本気で私を抱く事を躊躇っていらっしゃるのであれば、貴方が自制すれば良いだけのような気がしますが。ふふっ。しかし、やせ我慢は体に良くないとはよく聞く話では有りますね」
やせ我慢? そんな器用な真似が出来れば最初からこんな話題で慌てふためいていたりしてないんだよ、俺は。ああ、意志の弱い男だと笑うなら笑え。俺だって笑いたくて仕方が無いんだ。
意志薄弱。しかし、健康な男子高校生彼女イナカッタ暦十六年強なんだから、そこは勘弁して貰いたい。
ああもう、これじゃ本気で据え膳食わぬは何とやらだ。
一姫の怒涛の攻撃にぐるぐると回り回る俺の頭の中は高速回転し過ぎてどっかの虎みたいにバター寸前。真っ白になっちまっていて。
果たしてこの時の俺がどんな表情をしていたのかなんて想像もつかない。しかし、恋人の表情だけは捉えていた。しっかりと。
見逃さなかった。
一瞬だけ、少女が見せた陰りを。
「けれど……ええ、多分。私にとっては都合の悪い話ですが、貴方は私に手を出されないと思います。きっと」
そう言って、少女は食後のコーヒーに手を伸ばす。どうやら動揺していたのは俺ばかりのようで、一姫はお喋りの合間にも自分の前の皿を片付けていたようだった。
……全然気付かなかった……って、この場合の問題はそうじゃなく。
「手を出せない、ってどういう意味だよ、一姫」
「そのままの意味です」
少女は言う。
「私の持つ疵(キズ)を見て、それでも貴方がそういった気分に陥る事は」
少女は、諦めたように、言う。
「有り得ません」
顔に貼り付けた微笑を見て。それが悲しさを押し殺している表情だと気付いておいて。
そこでようやく俺は我に返る。
何やってんだろうな、ってな具合に。我に返る。
どこまでも、どこであろうと、隣に居続けるって。そんな決心を固めたばかりじゃないか。
それが現実はどうだ? 地獄へのお供どころかホテルに一緒に行くのすら戸惑う始末。
薄っぺらい人間にも程が有るだろ、俺?
「なあ、一姫」
「はい」
「手を出したくない、ってのは……好きじゃないとか、そういう意味じゃないんだ」
ああ、でも仕方ねえ。俺は薄っぺらい人間だ。太陽に翳すまでも無く、見透かすのなんざ簡単な、裏も表も有りゃしない、セロファン紙みたいな人間だ。
「そもそも、出したくない訳ですら無いんだ。健全な青少年の枠に漏れず、俺だって当然のように異性に興味は有るし、それが……一姫みたいに綺麗なヤツなら尚更だ」
だったら本音を隠した所で勘の良い恋人相手にどうせ隠し通せるモンじゃないし、洗いざらい、すっきりはっきりゲロしちまっても良い気がした。
「でも、それでも俺はお前を大事にしたい。今までたくさん失った分、それを取り戻せるくらいにとまでは言わないし、俺じゃそんな大それた事、役者が不足してんのだって分かってる」
けれど、それでも。只の人間は諦めない。
綺麗な綺麗な、少女のヒーローになる未来だけは、諦めない。
「だけど、慰みにくらいはなってやりたいんだ」
それくらいしか出来ないってのも有る。だけど、出来る事が有るのなら、何を差し置いてでもしてやりたい。
そう、俺に思わせたのは他ならぬお前なんだよ、一姫。
「大事にする、ってのが具体的にどういう行動を指すのかは俺は頭が悪いからよく分からん。けどな。それは俺の劣情をお前にぶつける、っつーのとは絶対的に繋がっちゃいない。それくらいは分かるつもりだ」
「……だから、我慢なさるのですか?」
「ああ。ヘタレだと言っても良いぞ。だけど、何を言われても俺はお前を一番に考える、このスタンスだけは変えない」
まるで告白だな、なんて思った後に、告白じゃなけりゃ何だってんだ、と思った。
そっか。
そうだな。
期せずして、これは告白なんだ。
俺からお前に宛てた、格好悪い、覚悟の表明。
「お前が、何も憂わず何も悲しまず何も苦しまない、そういう風になれたら、初めて俺はお前を抱きたい。なあ、そもそもセックスってのはそういうんじゃないのか?」
俺の考えが青臭い? そんなんは言われんでも分かってる。けどな。
青臭くたって結構だ。
青二才で、上等だ。
だって、俺は文字通りの青少年なんだぜ?
さあ、言いたい事は言った。上手く伝えられた自信なんざ無い。最悪、只のヘタレの方便としか取られていないかも知れない。一姫が口を開く。
「……貴方は、本当に優しいんですね」
「違う。わがままなだけだろ、こんなのは。一姫、俺はさ。お前に後悔させたくないんだ。こんな事くらいは、後悔しないで貰いたいんだ」
せめて、一生に一度の、こんな事くらいは、後ろめたい思いを持たないで貰いたい。
そんな俺のエゴ。また、押し売りしちまってる、俺。つくづく自分が嫌になるけれど止められない。
なあ、神様さんよ。聞いてくれるか。
さんざ不幸だった分だけ、俺の恋人は幸せにならなきゃ、そんなのは嘘だよな。そんなんじゃ、冗談にすらなっちゃいないぜ。
ああ、俺は思うんだ。この世には神も仏も無いけれど、救いと希望は有るんじゃないかと。
そういうものに、彼女にとってのそういうものに、俺はなりたい。ちゃちなプライドは捨ててやる。どんな格好悪い役柄だろうと演じてやる。その代わりと言っちゃなんだが、後生だ、神様。
コイツにしあわせを思い出させてやってくれ。
「しませんよ、後悔なんて。貴方を相手に、後悔なんて」
「そうかい。なら、俺にそれを確信出来るだけの時間をくれるか?」
一姫に好意を抱いて貰っているという、確信が欲しかった。
少女の顔から悲しい道化の仮面を剥ぎ取るまでは。
俺には手を出せそうに無い。
「貴方は……優しくて、優しくて優しくて、でもとても残酷なんですね、キョン君」
「理解してる。どうしようもないエゴイストだよ、俺は。しかも、女の子にそこまで言わせておいてそれでも尚踏み止まろうとするとか、情けなさ過ぎて涙が出そうだ」
お涙頂戴の人生を歩んできた少女と、涙無くして語れない俺という人となり。案外、お似合いな気がしないでもないか。
「だけど」
だけど、少女の涙の追加は頼んでないし、頼む気も無いね。オーダーミスだ。ニコニコ笑顔のウェイトレスさん、申し訳無いがテーブルから下げてくれ。
「それが俺だからな。そんなんが、俺だからな。幻滅すんなら今の内だぜ、一姫」
腹の底まで晒しておいて。場に置いたカードは全部表向き。切り札なんか持っちゃいない。
しみったれの自己満足の塊。薄っぺらで浅はか。中途半端に破滅的。
一姫が話してくれた、悲しい過去に代わりまして。
弱いトコをまるっとひけらかして、さあ、プレゼン。

「こんな男だが……悪いな。お前を好きになっちまった」

瞬間、零れる涙。
少女は声一つ上げず。まるで時が止まったんじゃないかと俺が錯覚するくらいに不動のままで。
ただ、涙を流した。
ただただ、涙を流した。
ぽろぽろと。
はらはらと。
眼をこれでもかと見開いて。
その網膜に俺を、俺だけを焼き付けてるみたいに。眼球が乾いちまうのもお構いなしに。眼球が乾く間も無いほどに。
涙を、流した。
ただただただただ、涙を、流した。
じっと。しゃくりあげることも無く。
涙腺が壊れちまったような。
放っておいたら全身の水分を涙に換えて、その内に干乾びてしまうんだろうとか馬鹿な事を考えるくらいに。
その姿は、綺麗で。綺麗で。
俺は思わず、息を飲む。一緒になって、凍ってしまう。
そして、見蕩れる頭で、気付くんだ。
ああ、そういえば。俺から「好きだ」と言葉にしたのは初めてだったという事に。
今更、気付いて。
それで少女は泣いている。そんなメロドラマの一シーンみたいなのが目の前で起こっているのは、そりゃあなぜかって言ったら、決まっている。
少女が本気で俺に恋をしてくれているからだろう。
誰かが言っていたのを思い出した。
恋をする少女ほど、絵になるものは無い。ああ、なるほど。どっかのいつかのご高名なセンセイ様よ。今なら俺にだってその気持ちが分かろうってモンだ。
確かに、今の少女は世界で一番、絵になるよなあ。
綺麗な綺麗な、俺の恋人。
涙というのは周りに自分の感情を伝える為に流れるんだそうだ。だとしたら、彼女は口を噤みながらも、大声で叫んでいるんじゃないだろうか。
世界へ向けて自分の恋を誇っているように、俺には見えた。
そうだよ。
お前は、誇って良いんだ。
どんなに世界に傷付けられても、それでも負けなかったお前は。どんなに世界に苦しめられても、作り物であっても笑顔を貼り付けられるお前は。
残酷な神様に平伏さなかったその高潔な精神を誇って良いんだ。
少なくとも。俺にとっちゃお前は、最高に誇らしい彼女だぜ、古泉一姫。

見蕩れて、凍り付いて。もう一生開けないだろうなと思っていた俺の口は、けれど持ち主の意思なんて見事にシカトして勝手に言葉を紡いでいた。
「一姫」
恋人の名前を呼ぶ。俺の視線の先で薄紅の乗った唇が柔らかく開いていく。
「はい」
「どこまでも、隣に居るから」
「……はい」
「しあわせにはなれないかもしれない。もしかしたら不幸になっちまうかもしれない」
「……はい」
「勿論、出来ればしあわせにしてやりたいとは思ってるけど、こればっかりは……俺たちはちょいと特殊だからな。叶わないかもしれない」
「正直ですね。そこは『必ず幸せにする』と口にするのが殿方の甲斐性ではありませんか?」
俺だって言えるモンなら、言ってやりてえよ。
「茶々を入れるな。……で、だ。でも、だ。俺は一緒に居る。お前が望む限り、ずっと一緒に居る」
「言ったでしょう? 私は貴方を嫌いになんてなりませんよ」
「だったら」
だったら。
「一緒にしあわせになろう」
一緒に。
「一緒にふしあわせになろう」
一緒に。
どこまでも。
いつまでも。
一緒に。
いよう。
そういう覚悟。
「古泉に……俺の友人に、伝えてくれるか」
「何を、でしょう?」
コーラを一気に飲み干して、そして潤った喉から、引き絞って俺は放つ。
乾坤一擲。愛の言葉。

「確かに預かった」

これだけ伝えれば、察しの良いアイツの事だ、全て理解してくれるだろう。
「まあ、そうは言ってもアイツの事を諦める事なんて、出来ないけどな」
これが本当に出来の悪いメロドラマなら。ソイツはハッピーエンドじゃないといけないんだ。
そして、俺のハッピーエンドは、誰も欠けさせないのが大前提。
「……預かられました」
察しの良い俺の恋人はそう言って。やっぱり少しだけ涙を流した。
正直、かなり萌えた。


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