ハルヒSSの部屋
オキノイシノ 6
デートに関しての古泉の追及が一段楽した所で、手の中のホットコーヒーは空になった。
ちらりと横目で少年を見ると、ソイツは一度眼を合わせてにっこりと微笑んだ後、恐らくは俺に合わせたのだろう、残りのコーヒーを飲み干した。
変な所で律儀なヤツだ。
「一姫は、良い子でしょう?」
「……そう、だな。誰かさんとは比較するまでもないくらいに性格は良い」
「これは手厳しい」
ははは、と苦笑しながらソイツは俺を薄目で見つめ、そして二の句を継いだ。
「よろしく、お願いします。僕の代わりに」
そう呟いて頭を下げる少年。
代わり。
その言葉の意味する所を理解した瞬間、俺の喉は知らずぐびりと鳴っちまっていた。
コイツは、消える事を許容している。
運命。
予め定められた道筋。
それはつまり、近い未来に訪れるハルヒの力の消失であり、そしてイコール超能力少年の消失でもあった。
自分の未来が決まっているというのがどんな気分なのか。隣で空を見上げる少年を横目で盗み見するものの、ソイツの表情は読めない。
まるでいつも通り――過ぎる。過ぎて、俺の眼には不気味に映った。
そんな古泉との間、一メートル有るか無いかの距離を一陣の秋風が吹き抜ける。冷たく、湿気った風。
それはさながら、線引きの様で。
「そんな顔をしないで下さいよ」
古泉は言うものの、生憎、常日頃から鏡を持ち歩いているおしゃれ系男子では俺はないので、自分がどんな顔をしているのかなんてのは分からない。
……分かりたくもなかった。
「僕の存在は元々がイレギュラーなのですから。気を回して頂く程の事では決してありません」
「イレギュラー? そんな言葉で納得出来る訳が無いだろ?」
大体そんな言葉で、なんでお前は納得しちまえてるんだよ?
「こればかりは……そうですね。割り切ってくれと言う僕の方に無理が有りますか。僕の場合は覚悟を決めるだけの時間が用意されていましたから。ええ」
「四年前だかに産まれたって言ってたな。その時からもう、消える運命に気付いていたのか? ……いや、その言い方だとそうなんだろうな」
俺の質問に古泉は頷く。
「はい。なぜそんな事が分かるのかと問われれば……これは中々説明しづらいのですけれど」
「また『分かってしまうものは仕方がない』ってか」
「その通りです。つまり、僕は四年の歳月をかけて覚悟をとっくに済ませてしまっているのですよ。ただ……貴方に同じ境地を強要する気は有りません」
そう言って、肩を竦める。その姿は秋晴れの青い風に今にも消え入りそうだった。
眼の錯覚だと、思いたい。
「心残りは……無いのかよ」
「当然、有ります」
素っ気無く。さらりと言うその口振りに「なぜお前はそんなに悟っちまえてるんだ」という類の憤りを少しも感じなかったと、言ってしまえばそれは、ああ、嘘になるさ。
「貴方との事。涼宮さん他SOS団の皆さんとの事。そして……一姫の事」
右手で紙コップを握り潰している俺を見て、古泉は……それでも相変わらずに微笑んでいた。
まるで何も思わぬように。
まるで感情など端から持ち合わせていないように。
人形のように貼り付けた笑みを、崩さない。
「でも、だからこそ。未来を鑑みれば。貴方に全ての下駄を預けて僕のような半端者は早々に壇上から降りるべきではないのか、などと思ってしまっているのもまた事実です」
「そいつは無責任って言わないか?」
「いいえ、信頼、と言うのです。こういうものは」
「ソイツは……詭弁だ」
「真実です。何にしろ、僕に出来る事はもう余り無さそうですし。精々が貴方と一姫のしあわせを願う。……それくらいですよ」
消えるというのが、一体どういった心境なのか理解出来ない俺としては、古泉の遺言にも似た台詞に対して黙り込むしかない。
「貴方に……託しても?」
首を傾げてこちらを覗き込む少年エスパー。でもさ。なあ、その問い掛けに一体俺は何て答えれば良いんだ?
秋の風は冷たくとも、俺の頭をクールダウンさせてくれるには温くて。
とても、嫌な感じだ。
「後を託しても……良いですか? 貴方がこの質問に頷いてくれさえすれば、僕の心残りは綺麗に全て霧散するのですけれど。どうか、余命僅かなこの哀れな男の我が侭を聞いてくれません?」
頷いてやりたいという、そんな気持ちは確かに有った。ああ、有ったとも。
それはいなくなっちまう友人への、俺に出来る限りの手向けってヤツだと思ったよ。
だけどさ。
俺はそれでも、生きていて貰いたかったんだ。
俺までがそれを容認しちまう訳には、絶対にいかなかったんだ。
自己中だと罵られても構わない。エゴの押し売りだってのも、そこまで馬鹿じゃないんだ、理解してる。
だけどそれでも。
失くしたくなんかなかった。
古泉一樹っていう名前の……戦友を。
驚天動地で空前絶後な時間を一緒に駆け抜けてきた、唯一の同性を。
もしもここで俺が少年の頼みに頷いて、ソイツの心残りを引き受けちまったら。
そうしたら、そのまますうっと少年が消えていってしまうような気がしたんだよ。
「悪いが、頷けない」
なあ、古泉。自分の死に納得なんて、しないでくれ。
「お前の荷物を俺に押し付けるなよ」
理不尽な未来予想図だったら、抗ってくれ。
頼むから。
俺で良ければ手伝ってやる。一緒に抗ってやるから。
「勝手に死ぬな、馬鹿野郎」
俺の言いたい事が果たして伝わったのかどうかは知らない。結論だけ言えば、古泉は首を横に振った。
「出来れば、僕だって生きていたいですよ。一姫のしあわせを……見届けたかった。でも、無理なんです」
屋上の柵に体をもたれさせて、古泉は空を仰いだ。
「僕には、それは出来ないんです」
その表情は、俺にそれ以上踏み込む事を許さない。
余りに不変過ぎて。
「今、ここにいる事の方が、僕の場合は奇跡なのですから」
そこに居て、重さも匂いも温度も有っても。
それは神様の悪戯。
「古泉一樹」とは人の名前ではなく、一不思議現象の名前だと一姫は言った。
少女もまた、その未来を覚悟している。
「居なくなる時には、ちゃんとお別れは言いますから。ご心配なさらず」
少年の悟り切った言葉に、吐き気を伴う強い嫌悪感を覚えた。だけど。
だけど、それでも俺には……何も出来ない。
それで話は終わりと、俺を先導するように通用口へと向かった古泉はドアノブに手を掛けた所で「ああ、そうでした」と言って振り向いた。
「次のデートは、いつにしましょうか?」
その言い方では交際をしてる相手が少年エスパーに聞こえなくもないと、そんなことに気付いた俺の心中は……まあ詳しく説明する必要も無いだろう。
この色んなモンでぐちゃぐちゃした胸の内を、伝える言葉だって生憎見つかりそうにない。

十月も早折り返しを終えた某日。
三回目のデートはやはり日曜日で。当てもなく街をぶらぶらと歩いていた俺と一姫がなんとなく立ち寄ったセンター街のゲーセンは、同じような年頃の少年少女で賑わっていた。
まあ、外は寒いし、余り歩き回りたくないって……皆、考える事は同じなんだな。
「ゲームセンターですか。初めて来ました」
「そっか。あー……っと、人によっちゃ騒音で頭が痛くなるとか聞くな。一姫は大丈夫か?」
少女は頷く。
「大丈夫だと思いますよ? 私は初めてですが、一樹はたまにこういった場所にも足を運びますから」
意外な話だった。まあ、確かにカードゲームであるとかボードゲームであるとかにアイツが地味に執心している事は知っているので、納得出来ない話ではないが。
少年エスパーの守備範囲はレトロゲーだけだと俺が思い込んでいた節も無くはない。
「ゲーム……遊ぶ事に対して結構ストイックなイメージが有ったんだけどな、アイツには」
イメージ先行が過ぎただろうか。にしたってゲーセンではしゃいでるニヤケスマイルはちょっと想像が難しい。
一姫は俺の言わんとしている所に如才無く気付いたようで、口元に手を当てて笑った。
「貴方の想像で間違っていませんよ。一樹はゲームを好きなタイプではありませんし、ゲームセンターに来るのは……きっと私の為なんでしょうね」
「一姫の為?」
「そうです。私を退屈させないように、彼としては出来る限りの娯楽を提供しているのでしょう」
「なるほどな」
つまり、感覚は共有してる引き篭もり少女(この言い方も語弊が有るような気がする)にアイツは何とか外の世界の面白さを教えようとした、って所だろう。
「だから、色んな経験だけは有るのですよ、これでも」
少女の笑顔に、浅ましい俺の喉が鳴る。色んな経験、というそんな一言で何を想像しちまっているのか、俺の脳みそは。ええい、煩悩退散煩悩退散。
眼を閉じて首を振る。鎮まれ、俺の下半身。大体、一姫がそんな意味を込めて言った訳じゃない事くらいちゃんと理解してるだろ?
「……恋愛経験だけは、させて貰えませんでしたけれど、ね」
俺のピンク色の頭の中を見透かしてかそうでないかは知らないが、少し悪戯っ子のように少女は言う。
「それも意外だな。古泉……いや、男の方だが。アイツ、かなりモテてなかったか?」
「モテる」が「恋愛経験豊富」とイコールで結ばれない事は俺にだって分かるが。それにしたってちょいと不自然な気はするよな。
「古泉一樹は私の付属品なのですよ、キョン君」
唇に指を当てて、彼女は妖艶に笑った。
それが当然と。
それで平然と。
一姫は一樹を付属品と言い切った。
「例えば貴方は異性視点の恋愛なんてしてみたいですか? 性行為をしてみたいと思いますか? 私を愉しませる事が目的の一樹がそんな事を私に経験させる筈が、無いでしょう?」
「性行為って……一姫、あのなあ……」
もう少し恥じらいを持てとかそんな事を続けて言おうとしたのだが、それを少女は横から遮った。
「私はしてみたいですよ、貴方と」
「なっ!?」
絶句する。何を言い返せば良いのかと必死に頭を巡らせるけれど、少女の唐突な台詞に俺の頭は熱ダレを起こしちまっている。
なんだ、これ? どこのギャルゲーの台詞だ?
「ふふっ」
慌てふためく格好悪い俺を置いて、少女はゲームセンターの奥へとするする入っていく。彼女の肩に掛けられたストールの裾がひらひらと、俺に「此方へおいで」と手招きしているようだ。
足取りに迷い無く、進む超能力少女を俺は少し早足で追いかける。程なく彼女の隣に辿り着いた時、彼女は人気の無い一角で、とある筐体の前に立っていた。
……シューティングゲーム?
「お好きですか、シューティング?」
「そりゃまあ、人並みには。最近は下火だけどな」
「では、どうぞ」
一姫は椅子を引いて、俺の着席を促す。
少女の意図が読めないまま、筐体に着くとチャリン、小銭の音が鳴った。壊れたようにプレイデモをずっと流していた画面がオープニングに切り替わる。
「やれ、ってか?」
少女は何も言わない。俺の隣で、俺を見つめている。にこにこと。やれやれ、分かったよ。何をさせたいのか、何をやりたいのかは知らないが、これでもゲームは嫌いじゃないんだ。
第一、ゲームセンターに来てまでゲームをしない道理も無いさ。
それは初めてやるタイトルだったが、しかしシューティングゲームなんてのは基本、一緒だ。俺は操作を一通り確認してスタートボタンを押す。
ゲームはライフ制ではなく残機制の、まあ、よく有るタイプのものだった。ボタンはそれぞれショット、ミサイル、ボムに対応して同時押しで必殺技が発動。
奇を衒っている訳ではない、分かり易いシステムで、これなら初挑戦であってもそれなりに良い所は見せられそうな気もする。
一番癖の無さそうな機体を選択して、ステージスタート。
二、三分程何事も無く進んだ所で、隣で立っていた一姫が口を開いた。
「お上手ですね」
「まあ、こういうのはパターンってのが有るからな。あんまりそれを外してくると覚えゲー認定されちまうから、序盤じゃそんな事はしてこないモンなんだよ」
「序盤、ですか」
「ああ。この分だと三ステージ目くらいまではいけるんじゃないか? 谷口がこういうのを結構好きでな。俺もよく付き合ってる内にそこそこ遊べるようにはなったんだ」
百円で何分遊べるのか、ってのは割と男子高校生に必須のスキルではないだろうか。電車待ちとかちょっとした暇なんかの充実度がこのスキルの有無で変わってくるからな。
なんてどうでもいい事を喋りながら一ステージのボスキャラをボムを二つ使い撃破する。ステージ合間のちょちょっとしたストーリーパートが始まった事を確認して、視線を画面から一姫に移した。
「シューティング見てるの、好きなのか?」
「嫌いではありませんが、好きと言う程でもありませんね。ただ、折角ゲームセンターに来た訳ですし、貴方の理解を促す上で一番分かり易い形を取らせて頂いたに過ぎません」
少女はどことなく空ろな目で、画面を見つめ続ける。
「理解?」
「ええ。あ、ストーリーパートが終わりますよ」
一姫に言われて再び筐体へと向き直った俺の、視界に少女の白く細い人差し指が映り込む。
それはまっすぐに伸びて、俺の動かす近未来装備満載の飛行機を指し示した。
そして、彼女は言う。
「これは、一樹です」
「は?」
意味不明にも程が有る。けれどゲーム中に余所見は出来ないので、俺には少女の顔を見る事すら出来なかった。
「質問します。何故、超能力者は複数で神人を狩るのでしょうか?」
「そりゃ、安全の為だろ」
まさか仲良しこよしがしたいから、って理由ではあるまい。
「正解です。それは安全の為。つまり」
薄っぺらいモニタの上。敵の撃ち出して来る弾が俺の機体の周りを覆った瞬間を、見計らったように少女は空いている右手で俺の目を覆った。
続けて、分かり易い撃墜音。
「神人狩りとは、危険なのです。超能力者であっても。神人の拳を避け損ねれば、たった一度でご覧の通り」
画面では今まさに、俺の操縦する飛行機が錐揉み回転しながら墜落していく所だった。
たった一度で、この有様。
たった一度で、ご覧の通り。

これは、一樹です。
そう、先刻少女は言った。

神人。緩慢に腕を振り下ろす、たったそれだけの動作でコンクリート建造物をノートのページを引き裂くみたいに砕くバケモノ。
避け損ねればどうなるか、なんて簡単なハナシで。
「一樹は優秀ですが、しかしそれは危なくないという訳ではありません。去年の夏、一樹がどれだけ憔悴していたかは、覚えていますか?」
「……ああ」
「優秀で有るが故に、呼び出される回数は増える。より危険度の高い閉鎖空間へ召集される。当たり前ですね。そして……シューティングゲームとはたった一度の操作ミスさえ許さないもの」
「だけど」
必死になってレバーを操作する。それが古泉ではないのなんて見れば分かるが、けれど、その頼りない飛行機が超能力少年の存在とダブって見えたのはなぜだろう。
分からない。
「だけど、古泉は死んじゃいない」
ワンコインツープレイ。二機目の機体は奮戦する。プレイヤの意思をよく汲んで、弾の雨を掻い潜る。
懸命に。
それを見て、一姫は言った。
「だから、言ったではありませんか。『それ』は『一樹』だと」
画面上を少女の指がつうと、上がっていく。それはある一点で動きを止めた。

残機表示。

「古泉一樹は、残機制なんですよ」
ああ、確かに。
そりゃ、シューティングゲームほど、それの理解を俺に促すのに適したモンもないだろうさ。
一姫の、客観的に見れば漠然として訳の分からないその一言であっても。
俺は理解しちまっていた。
なるほど、「これ」は「古泉一樹」だ。
気持ち悪くて眩暈がしちまうくらいに、適切な比喩じゃないか。
事ここに来てようやく知る。自分の考えの甘さ。
……甘さ。
それと。
現実の理不尽さ。
ソイツの置かれている状況は、日常的に死の危険に晒されている、なんて「生易しい」ものじゃあ、決してなかった。
どうして気付かなかった、俺?
ヒントは有って、有り過ぎるくらいで。
使い古された救急箱は俺に何を語り掛けていた? 何を気付かせようとしていた?
『血腥い抗争に明け暮れている筈の、しかも敵対勢力から一番狙われてしかるべきである人間……それは、神のすぐ近くに送り込まれた工作員だ。
普通に考えれば、ソイツは無傷で居られる訳が無い。この世界で一番命を狙われている人間と、言っても言い過ぎてはいないんじゃないだろうかと考える』
そう、気付いていたじゃないか。
無傷で居られる、訳が無いんだ。それなのになんで、俺はソイツの事を考えてやれなかったのか。
友人なんて言っておいて。
何も慮ってやっていない。
結論として考えられるのは、逃避。
俺は、ソイツの置かれている現実とやらにビビって、目を閉じ耳を塞いで、知らない振りを決め込んでいたんだ。
ずっと。
ずっと。
アイツは。
古泉一樹は。
へらへらと笑っている、その裏で。
ともすれば、俺が「世は全て事もなし」とか呟いちまっている、その線の向こう側で。
日常的に。
死んでいた。
その事実。現実。
そして、俺は。
友人の死を。
みすみす見過ごしちまってたクソ野郎だ。

腕に力が入らない。操縦者のいなくなった飛行機は、程なく呆気なく、撃墜されて画面にはコンティニューが表示されている。
「死んでしまっても、一樹はコンティニューが出来るのです。だから、危険に立ち向かう事が出来る。だから、涼宮さんの傍に居る事が出来る」
ハルヒの傍。それは機関の構成員にとって地雷原以外の何物でも、ない。
「何度一樹として死んだのか、なんてもうとっくに数えていませんけれど」
少女は俯いて目を閉じた。その表情は一つの事実を俺に思い出させて。
感覚共有。
少女の経験を少年にフィードバックさせる事に関しては、それの遮断が可能だと聞かされていた。
しかし。
果たしてその逆はどうなんだ?
少年が受けた死の経験を、少女は受け取らないで済むのか?
心の中に湧き上がった疑問は、けれど少女の表情を見れば簡単に察しが付いちまう。……付いちまった。
「残酷でしょう、現実って?」
一姫の見せた苦笑いは、超能力少年にそっくりで。
「残酷でしょう、涼宮さんって?」
だけど、悔しいけれどそれでも、その横顔は凄惨なまでに綺麗なんだ。
……ああ。
……ああ。
理解、した。
古泉一姫。
彼女の本質。
涼宮ハルヒが嫌い、ってのは。嘘偽りの無いコイツの本心だ。
嫌い、なんて生易しいモンじゃない。
憎い、なんて心苦しいモンでもない。
この少女は、涼宮ハルヒに。この理不尽な世界を創った神様に対して。その絶望的なレールを引いた運命ってヤツに対して。
殺意すら、抱いている。
それは、どうしようもない事なんだろう。
「……一姫」
「はい、なんですか、キョン君?」
破天荒な非日常を、うだうだと文句を言いながらそれでも楽しんでいたヤツが居る。
一人だけ、居る。
その裏で誰がどんな目に遭っているかも知ろうとしないで。
俺には関係無い。
そっちで勝手にやれ。
そんな言葉で。
有耶無耶にして目を背け続けていたヤツが居る。
俺には、ソイツが許せない。
「お前が嫌だって、そう言うまで俺はお前の傍に居る」
贖罪……のつもりなのかも知れない。
そんな気持ちで付き合われても迷惑なだけかも分からない。
だけど。
だけど、それでも。
俺にはこんな真似しか出来やしないから。
椅子に座ったまま、見上げる俺にふんわりと、少女は微笑みかけた。
「だったら、ずっと一緒ですね」
なあ、どうしてそんな表情が出来るんだよ。
俺だったらとてもじゃないけど、無理だぜ、そんなんは。
こんだけ……こんだけ滅茶苦茶に世界から見限られて世界から見捨てられて世界から見放されて。
それでも、なんでまだお前は笑う事が出来るんだ、一姫?
「望むなら、ずっとでも俺は構わない」
例え世界が彼女にとって苦しいものでしかなくったって。
俺は自分の生きている筈の世界を「自分とは関係無い」と言い切っちまえるガキだから。
例え世界が一姫にそっぽを向いたって。
俺はその「世界」ってヤツと一緒になってお前を傷付けたりはしない。
そう、誓う。
俺は、俺だけはずっと一姫の味方で居ようと。
そう、決める。
「ねえ、キョン君」
少女は髪を掻き上げながら少しだけ腰を落とし、俺の耳元でそっと囁く。
「我侭を、言っても良いですか?」
「勿論だ」
「先刻の台詞……『ずっとでも構わない』の部分を『ずっと一緒にいたい』に直して、もう一度言って下さい」
そう言って。変わらずの口調ではあるけれど、耳元だったせいで喉の鳴る音は聞こえたんだ、はっきりと。
恋人の隣というポジションに緊張しているのは、俺の方ばかりではないと知る。それが少しだけ、嬉しかった。
彼女にそんな感情を抱かせてやれる事が、ほんの少しだけ、誇らしかった。
「構わない、なんて言葉で文末を濁さないで、下さい。もしも貴方から欲して貰えたのならば、それだけで、薄くて安上がりな私はしあわせになれてしまうのですから」
「分かった」
少女の呟きによって俺の胸に去来したこの思いを、さてどんな言葉で言い表せば良いのだろう?
ハルヒ以外に恋愛感情を持つ事が出来ない? なあ、それってーのは嘘なんじゃないのかい?
だって、俺は。
俺はこんなにも。
「一姫。俺はお前とずっと一緒にいたい」
この決心を恋愛感情と、そう呼ばないのならば。
きっとそんなものは世界のどこにも無いのだと、そんな風に思った。


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