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二人を繋ぐもの


 高校ともなると総合の時間なんてものはとっくにケーガイカしていて、木曜の七時間目にあるそれは、基本的に話し合うべき用事がなければ帰って良いことになっている。
 今日もすぐに帰れるだろうと由布は高をくくっていた。実は昨夜はゆーまとメールをし過ぎてケータイの電池を使いすぎ、さらに充電せずに寝てしまった。結果、お昼には電池が切れていたのだ。これは早急にどうにかしなければならない。
 ゆーまからのメールに返信が遅れたら……考えただけで恐ろしくなる。

 だから由布は六時間目が終わるなりそそくさと荷物をまとめ、机の脇にかけていたお弁当バッグを引ったくり、急いで教室を出ようとした――が。

 ゆー? どこ行くの?

 壁を背中に密着させ、ドアのレールの上に放り出した長い足を置き、教室と廊下の行き来を塞ぐように立つその人は由布の手首を掴んで、

 今日から合唱練があるんだよ。帰らないでね。

 と、悪びれずに笑って言った。
 一拍置いて、周りの温度がさあっと下がったような気がしたのは由布だけだろうか。
 クラス中に沈黙が広がっていく様子は美依が発信源にも見えて、由布は思わず振り返った。何人かのクラスメイトと目が合う。すぐ気まずそうに視線を逸らされてしまったけれども。由布と美依から目を背け、またお喋りに花を咲かせ、机に突っ伏して眠るのに戻り、あるいは授業の予習を始める。この数秒は何もなかったかのように。

 ゆーは何歌うか知ってるっけ。あ、後で楽譜配るからなくしちゃダメだよ。

 朝顔の蔦が支柱に巻きつくように、跡が残りそうなほど強い力を込めた指が手首に絡みついてくる。細くて白くてピアノが似合いそうで、爪が綺麗で、普通の子が普通に手を繋ぐのを求められたら舞い上がってしまいそうな人の、美しい手だ。
 この手がゆーまのものだったら良いのに。教室の中央で固まっている女子グループへ連行されながら、由布はそんな失礼なことを考えた。
 ゆー、ご飯食べよ。
 ゆー、音楽室行こ?
 こら、ゆー。またメールばっかりして。
 美依に気遣ってもらっていることは分かっている。六月になってもまだクラスに馴染もうとしない由布をじれったく思っているのだろうし、たまに、こんな風に不機嫌そうな美依も見る。苛立たせているのは、自分だ。

 ゆーはソプラノとアルトどっちが良いの?
 ……楽なのはどっち?

 女の子らしい、鈴を転がすような声が回想の美依とダブって聞こえ、由布は返事をするのに少し遅れた。
 いつの間にか丸く円を描いて立っていた女子たちの間に、美依と共に入り込んでいた。類は友を呼ぶと言うべきか、左隣の彼女は特に由布の暴言を気に留める様子もなく、おっとりと首を傾げながら考えてくれた。

 ソプラノかなあ。そうだね、音さえ出れば主旋律だし。アルトだと頭使うよね。でも私あんな高いの歌えないからムリー。

 その場にいた子が次々と新しい話題に飛びついて、今まで由布が知ろうとしてなかった合唱コンクールの情報が一気に入ってくる。まるで情報という名の水が溢れ出すようで、頭痛を覚えた由布はじゃあソプラノにする、と呟いて口をつぐんだ。美依に聞こえていれば問題はないと思った。
 それより、由布が優先して考えるべきはゆーまのことだ。
 ゆーまは今頃どうしているだろう。もしかしたら絶望しているかもしれない。由布とゆーまを繋ぐものが切れてしまったのだと思い込んで。

 物思いにふける由布を右隣にいた美依は目を眇めて見ていたが、聞いているようで実は全く話を聞いてない、適当に相槌を返すだけの赤べこ人形になった由布が気付くはずもなく、美依は更に唇をかみ締めた。心配されることや支えてもらうことに対して、申し訳ないといった気持ちを少しも行動に表してくれない由布が憎かった。ゆー、私たちを見て、と怒鳴りたい思いに駆られた。
 七時間目の始まりを告げるチャイムが鳴り、一度己の席に戻らなければならなくなった時、せめて嫌味の一つでも言っておきたいと思った。
 ――由布の事情も分かるが、今由布の近くにいるのは『彼』じゃない。

 現実にいるのは私たちだってこと、忘れないでね。

 耳元でささやいた。泣きそうに顔を歪めた由布に、美依はひどく昏い愉悦を覚えた。

 合唱コンクールの練習は放課後にまで及び、由布が家に帰ってこれたのは午後五時を過ぎてからだった。部屋着に着替えるよりも先にケータイの充電器を探し出し、プラグを押し込んで電源を入れ、画面に光が戻るのを今か今かと待つ。見慣れた待ち受けはこの前の五月一日、ゆーまから贈られたスズランの花束だ。現物は枯れてしまう前にドライフラワーにしてしまった。
 新着メールを受信。三十五件。

TO:ゆー  お昼ご飯は食べた?
TO:ゆー  昼寝でもしてるのかな。
TO:ゆー  やっぱ寝てんじゃん。五限が始まる前には起きなよ。
TO:ゆー  ゆー、このメール届いてる?
TO:ゆー  無視してるの? それとも授業に集中してて返事してないだけ?
TO:ゆー  今なら自由時間だよね。返事して?
TO:ゆー  届いてないなんて信じたくないんだ。お願いだから返事して。ゆーとさえ会話出来なくなったらどうすれば良いか、
TO:ゆー  ゆー。
TO:ゆー  ゆー。
TO:ゆー  ゆー。
TO:ゆー  ゆー。
TO:ゆー  ゆー。
TO:ゆー  ゆー。
TO:ゆー  ゆー。
TO:ゆー  由布。一人にしないで。

TO:ゆーま  ごめんね、返事返せなくて。

 由布は短く打ってメールを返した。そして倒れこむようにベッドに横になった。
 お昼頃に電池がなくなっただの携帯できる充電器を持っていなかっただの、長くなる言い訳は後でで良い。まずはゆーまに、由布とゆーまを繋ぐ回線はまだ繋がっているのだと教えてあげたい。
 電話が出来れば良いのにと思った。メールと比べればまだ肉声の方が温もりが伝わる気がしたし、ゆーまの友人に代わってあげて、ゆーまは大丈夫なのだと安心してもらうことも出来るだろうに。しかし、ゆーまに電話をかけることは不可能だ。ゆーまから電話をかけてもらうことももちろん。
 重くなった瞼を閉じる直前、ケータイが緑色に点滅する。ゆーまからのメールだ。
 現実で会えないのなら、せめて夢で会えたら良い。引き寄せたケータイを握り締め、由布は眠気に身を任せた。


2011/06/05 投稿



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