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幸せが帰ってくる

 大変だ、スズランを買ってない。

 気付いたのは良かった。日直ちゃんと仕事しろよー。授業の始め、先生によって金曜日からずっとそのままだった黒板の日付が直され、五月一日になったのを由布はあんぐりと口を開けて見入った。
 そうだ、そういえば四月は三十日までしかないじゃないか。
 今日から五月だ。そして一日といえば由布とゆーまの間ではスズランの日だ。言い出したのは確か小さかった時のゆーまで、毎年、お互いにスズランを贈りあう習慣。二人にとってのメジャー度は、例えると母の日のカーネーション並みだった。

 ところが始まってしまった授業は七時間目。五時間目や六時間目ならその後をサボって買いに行くことも出来たが、七時間目になればもう、このまま放課後を待つしかない。始まってしまった授業をボイコットする度胸はなかった。
 ――別にやっても良いけど、後で生徒委員の彼女に怒られるのは目に見えてるし。彼女、美依はどうもクラスで浮きがちな由布のお目付け役を自任しているようだった。
 数Bのプリントの余白に知っているだけのお花屋さんを並べて、ついでにどう回れば効率が良いのか地図も描き出してみる。作業に熱中すれば先生の話は右から左に勝手に流れていき、書くことがなくなった最後の十分だけがやたら長く感じた。
 チャイムが鳴ると同時、委員会決めの時にしたかったようにぴゅーんと教室を飛び出す。
 今日は、由布を止めやがる人は誰もいなかった。

 由布とゆーまの最寄り駅は、そこそこ繁栄している市内でもそこそこ繁栄している街のど真ん中にある。
 普通に暮らす分の買い物には全然困らないし、もちろんお花屋さんも何軒かはあって、そのどこかに行けばスズランくらいあるはず、と由布は思っていた。何せスズランの日だ。プッシュしたり、いつもより多く入荷していたっておかしくない。
 電車の待ち時間を利用してお財布の中身も確かめてある。ラッキーなことに、お小遣いを補充したばかり。せっかく思い出したのにお金が足りなくて買えないとかヒサンすぎる。

 改札を出て三分、意気揚々と向かった駅から一番近くて大きなお花屋さんには、スズランの花はもうなかった。

 タッチの差で売切れてしまったのだとパートのおばちゃんは言った。
 今年はメディアでの宣伝が多かったらしい。お買い上げする方が予想以上に多く、これは閉店まで間に合わないと思っていた。お一人様何本までと制限をつけてはいたが本数が追いつかず、つい先ほど、最後の花を由布のお父さん世代と思われる年のころの男性が買っていった。
 ごめんねぇ。
 すまないとも思ってなさそうな表情で言うおばちゃんに頭を振り、由布は早々に次の店へと歩き出した。ここで理不尽な怒りをぶつけたってしょうがないし、売る側は完売を喜んでしかるべきだ。おばちゃんは悪くない。
 駅から二番目に近い、スーパーの外に併設されたお花屋さんでも、スズランの花はもうなかった。
 学生の間で、五月一日にはスズランの花を好きな相手に贈ると恋が叶うって噂が流れたらしい。正確には『贈られた相手に幸運が訪れる』だが、真偽を確かめる前につい買ってしまうのが人の性質で、今日は開店直後からどっと学生さんが買って行った。考えてみれば、このお花屋さんが面する通りの先に大学も高校もある。
 そういうことかと由布はしぶしぶ自分を納得させようとして、ついでに最後に買って行った人の特徴を訊いてみた。訊いたからってどうにもならないことは、当然由布も分かっている。バイトのお姉さんは少し首を捻って駅の方を見た。

 時間は十五分前くらいで、あなたのお父さん世代かな? 四十代くらいの男性でしたよ。
 ……また?

 三軒目も四軒目もスズランの花は売り切れていた。
 そして、最後に買った人を訊くとどちらでも同じ答えが返ってくる。四十代くらいの男性。由布のお父さん世代。
 三軒目の店員さんはその男性と少し会話して、贈る相手は家族だということと、今年は幸せがたくさんある年になって欲しいから、だと聞いたそうだ。
 由布は駅から近くて家に帰るのが楽な順にお花屋さんを訪れていたが、その男性は逆に、駅から遠い順にお花屋さんを回っていた。つまり四軒目から順にカウントダウン、だんだん駅に向かって行く感じ。
 もしかしたら、電車を利用する人だったのかもしれない。でも、匂いの強いスズランの花束をいくつも、暖かい電車内で持っているのはかなり目立ちそうだ。
 けれどこれで捜索は終わり。四軒目で由布の知っているこのへんのお花屋さんは底をつき、一縷の望みをかけて花が売ってそうなスーパーやコンビ二に入ってみてもスズランは売り切れ。ゆーまに贈る分のスズランは、ゆーまと交換するはずだったスズランは、どこにもない。

 ゆーまに幸せは、やってこない。

 帰るしかなくなって家路をとぼとぼ歩いていると、ふいに、アスファルトに濃い色の染みが落ちた。由布が目を見張ると二つ三つ、それから一気に数が増え、雨粒が地面に叩きつけられる音がする。空は灰色に白い絵の具を一滴たらしたようにかげっていた。夏にある豪雨の暗闇ではない。でも、太陽が隠されて光が見えない。
 カンカンカンカン……。
 踏み切りが鳴り出した。小走りで渡っていく多くは傘を持ってない人達だった。やっぱりね、と言わんばかりに折りたたみ傘を広げた親子連れはゆっくりと歩いて行って、黄色と黒のしましまの前で立ち止まる。
 由布はといえば急ぐことも電車が通り過ぎるのを悠然と待つことも出来なくて、濡れるのを甘受して立った。長袖の白シャツが腕に張り付く。水気を含んだ髪は頬に。由布は眉間にしわを寄せ、けれど気持ち悪さから逃れるための行動には出なかった。今の由布は、どこかで雨宿りしようと思うのですらおこがましい。
 このまま風邪引いて熱出して寝込んじゃえば良いんだ。ベッドから起き上がった時にはゴールデンウィークなんか終わっちゃってて、学校に行ったら当たり前のようにゆーまがいて世話焼きな美依に細々言われる、そんな毎日に戻っていれば良いのに。

 由布ちゃん?
 電車の音にかき消されそうになりながらも、その声はきちんと由布に届いた。聞き覚えのある、否、毎日のように聞いている声だった。虚ろに振り向いた先にいたのは、赤と黒の色違いの傘を差し、それぞれ二つずつスズランの花束を抱えた、一組の――。
 おじさん、おばさん……。
 ゆーまの両親だった。

 ゆーまの家では、毎年、五月一日にスズランを買ってくるのはゆーまの役目だった。しかし、今年はゆーまが買いに行けない事情にある。贈られた相手に幸せが訪れるというジンクスにすがって沢山買いたいと思う事情を、由布は知っている。申し訳なさそうにしている二人を責める気持ちはなかった。
 ゴールデンウィークに合わせて前倒しの休暇を取り、スズランが品薄になってくるだろう夕方を見計らって買い物に出かけた。買うのはおじさん、それを受け取って持ち歩くのはおばさん。道理でいくつも買っていてもお花屋さんの方から断られないわけだ。おばさんはお花屋さんに見えないところでおじさんを待っていたのだから。
 譲ろうかと訊かれたが断った。
 由布から渡さなくてもどうせゆーまの手に渡る、なんて自己中心的な理由じゃない。おじさん達からスズランを貰ったとしても、それは本当に自分からの花なのだと、胸を張ってゆーまにあげられない。そんなのはいや。……だったらゆーまに誠心誠意謝って、そして非難されよう。
 おばさんに相合傘してもらう。由布が素直に甘えられたのはそのくらいだった。

 そのままゆーまに会いに行くのは叶わず、由布は一度自宅に戻ることになった。
 びっしょり濡れたベストもシャツも脱いで洗濯機に放り込み、シャワーを浴びて体を温める。頭を冷やすために水を頭からかぶって滝修行、もやれないことはなかったと思う。傘を差していなかった由布を見て、自分の体をいじめちゃダメだとおばさんに釘をさされさえしなければ。
 お湯は、心までは温めてくれなかった。

 私服でゆーまの家に行く時は、いくつか考えてた組み合わせのパターンから選ぶことが多い。可愛くて、かつ、おばさんに会うのを考えて肩の力を入れすぎてないの。あらまあオシャレしちゃって、とかおばさんに思われるのは気恥ずかしい。
 由布が一人でまるまる使っているクローゼットの一角には、そういう服が最初からセットで引っ掛けてある。由布は特に考える必要もなく――おかげでゆーまのことばかり頭を占めていられた――その中から一つ二つハンガーを取り出して着て、髪を軽くタオルで拭いただけで準備を終えた。向かうは、ゆーまの部屋。あの寝ぼすけは今もたぶん寝てて、由布を待っている。
 出かけようとスニーカー風のパンプスを履きかけ、おっと、呼び鈴が鳴る。フラワー便でーす。
 ……フラワー便?

 ゆーは来年もまた忘れそうだね?
 何それひっどーい。
 現にもらってから『そうだ、スズラン買わなきゃ!』って思い出したんじゃん。
 む、今から来年のフラワー便予約するし。直接ゆーまの家に届くようにするから。
 じゃー僕も。

 急ぎすぎて足がもつれた。ちゃんと履いてなんかいられなくてパンプスのかかとを潰した。玄関のドアを開けようとして金属がぶつかる音がする。先ほど、自分で鍵をかけたのを忘れていたんだった。縦になっていたつまみを横に戻すのももどかしい。そして由布は、ドアを勢いよく開け放った。
 由布がすっかり忘れていた、去年の今日に予約した分のスズランの花束は、お互いからお互いの家に届くようにしたものだった。だから当然由布に来たのはゆーまが贈ってくれた花。それを持ったまま隣家へ行くと、同じようにスズランを受け取ったおばさんと目が合った。
 泣き笑いに似た表情で、二人は微笑みあった。

TO:ゆーま スズラン届いたよ。ありがとう。
TO:ゆー  こっちにも届いたみたいだね。見えた。……ありがとう、ゆー。


2011/05/01 前編投稿
2011/05/03 後編投稿



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