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 白い掛け布団の上に、臙脂色のお手玉が落ちる。受け取ることを諦めた私は残りの二つもぼたぼたと続けて落とし、空っぽになった手の平を夫に見せた。二つまでなら出来るけれども、三つを同時に動かすお手玉は一回も続かない。
 最初から分かっていたのに、それでも良いからやって、と願ったのは彼だった。
「ですから、下手だと言いましたでしょう?」
 こうも盛大に笑われては、不機嫌になるのも仕方ない。
「くっ……あぁ、ごめん。大人になって少しは器用になったのかと思ってた」
 背中を見せていた体がこちらを向き、ぴんと伸ばされていた敷布に皺が出来る。

 私をからかって遊べるまでに回復したのは良いのだけれど、どうも腑に落ちない。篠崎医師が来てから三日、酷い時はうなされるほどだった彼の熱は着実に下がっている。
 私はお手玉を拾って、自分の横に三つまとめて置いた。お手玉をするのなんて何年振りだろう。確か、前にも彼に同じお願いをされていた気がする。
「不器用なのは今もそう変わりませんわ」
 思い出した、あの時もお手玉が明後日の方向へ飛んでいた。何気なく眉を顰めると、それをどう解釈したのか彼は小さく笑って布団から腕を出す。何か欲しいのかと思いきや、彼は寝巻きの袖を軽く引っ張って。
「知っているよ。君の和裁の腕前は努力の賜物だからね」

 それも一応、私の仕立てたものだった。
 一応というのは初期の初期、和裁を始めてすぐに作ったものだからで。夜更かししてどうにか完成したものを次の日に渡し、更にその次の日には後悔した。
 完成したことで気分が高揚していたとしか考えられない、縫い目も寸断も酷い出来。今もこうして使ってくれているのは、私の反応を見て楽しむためとしか考えられない。
「その通りです」
 苦笑交じりの返事には何も言わず、彼はすっと手を伸ばしてお手玉を弄ぶ。座布団型でほどほどに小豆が入ったお手玉の感触が懐かしいらしく、握り締めたり軽く放ったりしてから、微かな声で呟いた。

「しかし、お手玉三つくらい出来そうなものだけど」
 カチンときた。
「……そこまで仰るならお手本を見せて下さいませ。私に言ったのと同じ通り、お手玉三つと歌一曲ですよ?」
 きまりは指定した曲を歌い終えるまで、三つ全て落とさずにお手玉をし続けること。私の場合は最初の小節を言う間もなく落としてしまったが、器用な夫は簡単にこなしてしまいそうだ。
 案の定、彼は「いいよ」と二つ返事で。両腕を布団について体を起こし、ひょいひょいとお手玉を空中に投げ。悪戯をする子供のような表情で笑い、問い掛けてくる。
「何の曲が良い?」
「京都の通り歌を」

 お手玉の数え歌は他にも知っている。一番はじめが一宮、一かけ二かけと有名なものは母から伝え聞いたが、同じように彼が知っているとは限らない。寧ろ知らないのが当然と言えた。
「東西と南北、どっち?」
「どちらも続けてお願いします」
 全く動揺の色を見せない「分かった」という言葉と同時に、聞こえてくるのは耳慣れた歌詞。
 臙脂色のお手玉は規則的に危なげなく宙を舞い、吸い込まれるように彼の手の平へ落ちていく。落ちてくる前にもう一つを投げ上げ、お手玉を渡す動作が何度も繰り返されて。
 どうして彼は何でも出来るのだろう。

 少し年が上だからといって、こういう遊びに大きな差が出てくるとは考えたくない。くるくると綺麗な輪を描くお手玉を見ながら、悔しいと無性に思った。
 まるたけえびすに、から始まる東西の歌が終わり。
 南北の歌が半分を過ぎた辺りから、私はお手玉に横から手を出したい衝動を必死で堪えていた。
 機を伺って手を出す。お手玉を叩くか落とすか、もしくは掠め取る。
 彼は座っているのだから、指先が触れただけでも軌道が逸れ、崩れてしまうのが簡単に想像出来た。ひくひくと片手が反応するのは、まるで獲物を狙う猫のように見えたことだろう。
「……にーしじん。はい、終わり」
 最後に落ちてきた臙脂を片手で掴んで、彼は手の平の上に乗せたお手玉三つを私に返してきた。
 結局、終わるまでに危ない場面すらなかったし、歌詞があやふやになる時もなかった。完璧だった。

「そこは出来ないのが私への気遣いだと思いますっ」
「まあまあ。――懐かしいな、昔はよくこうして遊んだっけ。みかづきしんげつまんげつの、って替え歌も作ったよね」
 母屋の部屋の並びを通り歌になぞらえたものだった。
 この家には様々な遊び道具が揃っていたけれど、彼が遊ぶ友人は私含め三人と大抵同じ。更に彼の体調を考慮すると、あまり激しい運動は出来なくて。――室内で静かに過ごすか、私を代わりとばかりに外に出し、彼からの指令に挑戦している姿を眺めるのが専らだった。
 思えば、あの時から私をからかうのは定着していたと思う。
「はい。……私は昔から誠さまに無理難題を言われておりました」


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あきゅろす。
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