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祈【1】

 一成が言った本当の意味を理解したのは、夏夜が紫苑学園の中等部に入ってからだった。

 古典の課題として読まされた文章の中に『玉響(たまゆら)』という古語が出てきたからである。

 意味はちょっとの間、一瞬。

 造語である恋響の意味は、ほんの僅かな時間に消える恋――おそらく一成はそう言いたかったのだ。

 そして、あの時一成が浮かべた笑みを『自嘲』と称することも、夏夜は知った。
 他ならぬ自分の行動によって。



 夏夜十三歳、中学一年生の冬――。

 一年のうちで茶道を家業とする仁科家が最も賑やかになるのは初釜、つまり六条本家・その他分家を招いての新年のお茶会が催される日である。

 客は完璧に配置された冬の日本庭園に一人残らず目を見張り、当主やその親類らが披露する和楽器の音色に魅了され、仁科家と専属契約を結ぶ茶園の最高級抹茶を味わう。

 それなりの地位と財産を手にした者の中では、風雅を具象した仁科の茶会に招かれることが一種のステータスになっていた。


 しかし、連れてこられた子供にとっては退屈極まりない。
 いたくないのにいなければいけない夏夜にとっても、だ。

「夏夜ちゃーん、一緒に百人衰弱しようよぉ」
「とーやくんもおいで? 遊んであげる」
「二人だとつまんないもんー」

 縦に四畳分ほど離れたところから、七、八歳ほどの女の子二人が夏夜と冬哉に向かい口々に呼びかけた。

「百人衰弱って何なんだ」

 独り言めいた響きで尋ねたのは、壁にもたれて本を読んでいた冬哉だった。
 誘った女の子二人は向かい合わせに正座し、百人一首の札を全て伏せ散らしていた。緑の裏面が見える。

「百人一首の札で神経衰弱やるんだって。場所が分かっても歌を覚えてないと取れないっていう新感覚頭脳派ゲーム……私はやらないよ」
「ふぅん」
「冬哉くん、行ってくれば?」

 夏夜は前に聞いた説明をそのまま繰り返して勧めた。
 絵札読み札をごっちゃにする百人衰弱は夏の園遊会でもやらされ、記憶力のなさを嫌ってほど自覚したのだ。

 一成は完勝して格好良かったがそれは関係ない、アレで遊ぶのはもう御免だ。

 それに夏夜には、子供達の監督義務という大義名分がある。

「ああ。……二人とも断るのはどうかと思うし」

 そして、こちらは断れる理由がない。冬哉は面倒くさそうに腰を浮かせ、夏夜の隣を離れた。

「行ってらっしゃい、頑張って」
「応援する気ないのが見え見えだぞ」
「ファイトー!」

 誤魔化すように笑って手を振った。

 お喋りに花を咲かせる女の子達、小型ゲーム機での対戦に熱中するグループ。
 広い和室から出て庭園を探険しに行く子もいれば百人一首の札を使った遊びを開発する子もいる。

 自分の役割を理解した小さな紳士淑女達は思い思いに暇を潰していた。

 そして一応主催者側に名を連ねる夏夜は、お茶会に参加しない子供達のお目付役を任された。

 理由は簡単、茶道の腕前が壊滅的だからだ。
 仁科家当主――家元の姪として生まれていても無理なものは無理だった。

「退屈……」

 今頃、一成は補佐の役目を果たしているだろうか。そういえば三味線と筝の演奏を終えてから一度も会ってないな――。

 夏夜は考えに耽りながら足を正座からお姉さん座りに替え、何とはなしに外を眺めた。
 池にかかる赤い反り橋、その奥に東屋。

 いつもより人が多いだけだ、全然面白くもない。



 ふいに、空気が変わったように思えた。

 ざっと和室を見渡し、危険がないことを確認して膝歩きで縁側に出る。
 視線を左右に巡らせると思った通り、和服を着た一成がすぐ近くまで歩いてきていた。

 まだ、一成の出るお茶会は続いているはずなのに。

「……どうしてこっちに。お茶会は抜けちゃって大丈夫なの?」
「どーだって良い」

(一成くん、すっごく機嫌悪い)

 触れたらびくっと身を竦めてしまうほどの、ひどく冷たい声だった。雰囲気も夏夜の父や伯父が怒った時によく似ている。

「どうだってって……」

 幸いに、その怒りは夏夜に向けられていない。

 おかげでまだ落ち着いて考えることが出来た。
 ……お茶会が始まってから今までの間に、この仁科家の次期当主を不機嫌にする何かがあったのだろうか。

 人間の行動だとすればよほどの礼儀知らずだ。

 もしかしたら自分のせいかもしれないと一通り身なりを整えてみたが違うようで、一向にピリピリと張り詰めた空気は元に戻らない。

 そもそもタートルネックの長袖セーターにロングスカートの組み合わせだと衣服の乱しようがなかった。

 それなら、考えられる可能性は。

「お茶会で、何があったの」

 確信を持って問いかけると、一成はふいと視線を母屋の方に向けた。
 ここと一成達が暮らす居住区を繋ぐ母屋は屋敷の中心部で、今日はお茶会の会場としても使われている。

「想像つかないか?」

 夏夜は無言で従兄を見上げた。

「父さんも母さんも、よくあんな自分のことばっか考える汚らしい奴らの中にいられるよ。本当、尊敬に値するね」
「……遠縁の人たちが」

 一成は目を逸らさないまま浅く頷くと、真下の夏夜に不敵な笑みを向けた。

「俺が当主になったらあいつら全員追い出すな。仁科は勿論、六条含む全部の家の敷居を跨げないようにして親戚の縁を切ってやる」


 恐ろしいほど深く暗い、漆黒の瞳。
 

 それはそれで、悪魔の如く美しい微笑だった。
 歪められた口の端には『お手伝いします』と即答させてしまうような魅力があり、嫌でも強く惹きつけられる。

 ぽうっと頬を染めて見惚れていた夏夜は、背後から聞こえてくる幾つかの声で現世に引き戻された。

 そうだ、和室には子供達がいる。

「ちょっとっ。聞こえるよ?」
「聞こえた方が今後の為なんじゃないか? 自分が阿呆な親のようにならないためにも、ああ、後は『人の嫌がることをしちゃいけません』って幼稚園児レベルの初歩的なルールを理解するためにも」

 あけすけな物言いに唖然として、それから一成の着物の袖を引っ張った。
 立ち上がって室内を覗き込み、訝しげにこちらを見ていた冬哉にアイコンタクトで伝える。

 ――お願い、後は宜しくね。

 察しの良い幼馴染みはあからさまに眉をひそめて、渋々とばかりに頷いた。

 さて、と夏夜は十二月にあった期末テストの数学以来に頭をフル回転させた。

 今使われてない、ある程度大きくて行くまでに人に見つからない部屋はどこだろう。
 出来れば自分も熟知していて鍵もつけられるところ、となるとあそこしかないか。

 数秒後、動かないままでいてくれた一成を真っ直ぐに見つめ、夏夜は抑えた声で言った。

「こっち来て。夏夜の部屋で話そう」

 幼い頃から仁科の屋敷に入り浸りだった夏夜は、一成の父母の計らいもあって自分の部屋を与えられていた。

 暖冷房付きで広さもそれなり、簡易キッチンがあればソファも小さめのテレビも置いてある。
 冷たい風が吹き荒ぶ外よりかは格段に過ごしやすいはずだ。

「……分かった」

 溜息をついた一成を、幸か不幸か夏夜は見ていない。



 目立つのを避けるためそれぞれ別の道を通り、部屋の前で落ち合った。

 襖を開けスカートのポケットから鍵を出してドアに差しこむ、面倒な手順を踏む部屋は和風の外観を重視して二重構造となっているのだ。

 当然とばかりに一成がドアを開け先に入るよう促した。
 自分が呼んで連れてきたくせに、夏夜は中に入るのを僅かに躊躇って斜め上へ視線を送る。


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