年賀状の秘密
それは、二学期の期末テストが終わって数日経った昼休み。
夏夜とエルは聖堂の外にいた。
「プリ撮りに行こう」
「え?」
頬を弄る冷たい風にも負けず、お弁当を食べることに集中していた夏夜は驚きに顔を上げ、ついでに自分の耳を疑った。
朱塗りの箸に突き刺したタコさんウインナーを芝生に落とさなかったことが唯一の幸いである。
それよりも今、エルは『プリ』と言った気がした。しかも誘っているのではなく断定系で。
前にそんな約束をしていただろうか? いや、意識がある時の夏夜なら頷いていないはずだ。
寝ている時の発言に責任を求められても困る。
「……うーんと、プリって」
(プリクラのことだよねぇ?)
似合わないというかイメージじゃないというか、まさかこの人からこんな単語が出てくるとは思っていなかった。
夏夜にとってのエルはどこまでも世俗と離れた王子様なのだ。
じっと凝視し説明を求めてくる夏夜に、エルは幾分か目元を柔らかくさせて微笑む。
エルのお昼ご飯であるパン三つはとっくに消費され、几帳面に捩られてきゅっと端と端が結ばれていた。
「だから、プリクラ。女子は略してプリって言うらしいね」
これはのんびりお弁当を食べながらじゃあいけない話題である。
そう判断した夏夜は一度お弁当箱の蓋を閉め、膝の上に置いて再びエルを見上げた。
「ゲームセンターにあって一回400円とかくらいで美白とか目が大きく見える作用とかがあるやつ、だよね」
「……あのさ、夏夜。もしかしなくても撮ったことない?」
指摘は鋭く、実は父も一成も断固として許してくれなかった。
が、話が脱線することは目に見えているのでそこまでは言わない。
「ない。でもエルくん、それって女の子の方から言うものだと思うよ。第一エルくんは嫌いじゃないの? そういうの」
「君と一緒なら是非とも撮りたい」
その理由が夏夜にはさっぱり見当付かないが、エルは真面目に言っているらしかった。
「……ありがとう」
何にせよ、プリクラ初体験でしかも相手は信頼出来るエル。
誘ってくれているのに嬉しくない訳がなく、夏夜ははにかみながら頷いた。
「それで今日の放課後で構わない? ダメなら明日でも明後日でも良いけど、出来るだけ早く」
「じゃあ、今日の放課後」
『プリクラ』というものは意外にも楽しくて、選んだ機械が最新であることと何事にも器用なエルの手助けもありスタンプやお絵かきまで凝りに凝った。
ポーズは定番のピースから女王様とその従者、相合傘や指名手配風まで様々。
付き合っている二人としか見えない出来栄えだ、とプリクラを見たメグは人知れずそう呟いた。
◇
元日、夏夜は仁科の屋敷に泊まっていた。
本当の所を言えば泊まっていたのはクリスマスが終わってすぐからであり、宿題を屋敷に持ち込み、こちらの大掃除やおせち料理の作成まで手伝っていた。現当主の姪どころか娘も同然だ。
与えられた自室にて、ソファに寄りかかりながらハードカバーの本を読んでいた夏夜はノックの音に気付き、「はぁい」と返事をした。
和風の外観を保つため襖との二重構造になったドアには、今は鍵がかかっていない。
ドアがそろりと開かれ、お手伝いの一人が頭を覗かせた。
片手にハガキを持っている。
「夏夜さまに年賀状が来ております」
思わずぼとっと本を落とした。
文庫本ならまだ良いがこれは結構痛い。
「――私に?」
夏夜が動揺するのも仕方のないことだった。年賀状ならば実家――この言葉を使うと誤解を招くような、に届くはずであって夏夜の本籍はここではない。
しかし夏夜の苗字も『仁科』であるから、届いても別におかしくないとは思った。
案の定、彼女はあっさりと頷いて年賀状を差し出す。
「住所はこちらとなっていますが、間違いなく夏夜さま宛てです」
「そっか、ありがとーミケさん。エルくんからかぁ」
差出人の欄には久我ヒカルと書かれている、エルの本名だ。
夏夜は受け取ったハガキを何の気なしに引っくり返し、また元に戻すと出て行こうとする彼女をすかさず呼び止めた。
『ミケ』はお手伝いは苗字を名乗ることを許されないここでの通り名である。
「ミケさん」
夏夜の目が潤んだ。
もし、これがあの人に見られていたら。
「何でしょうか」
「これ、他の誰かが見た可能性はあるのかな?」
住所が違っていても確実に相手に届く方法は一つある、郵便局を介さずに自分で直接相手の家のポストに投函すれば良いのだ。
エルからの年賀状には消印がなく、その代わりに表にはプリクラが貼ってあった――約一ヶ月前、一緒に撮った『仲良し』と赤いペンで書かれてあるもの。
ハートを書き加えたのはエルだった。
心配が杞憂になってくれれば良い。でももし、これを見ていて何も言わないのだとしたら。
夏夜の不安は最悪の形で的中した。
「ポストから出したのは一成さまでした。たまたま私が近くにおりましたので、夏夜さまに渡すよう頼まれたのですが」
「何か言ってた?」
「いえ、何も」
「……そっかぁ」
「出て行って良いよ」と笑ってミケを見送り、完全に彼女がいなくなったのを確認してからベッドに倒れこんだ。
目に涙の膜は張っているのに、一向に零れ落ちる気配はなく泣きそうで泣けない状態を保っている。分かっている、自分が悪い。
一成が怒ろうとも……見捨てられようとも、夏夜には何も言う権利はない。
それなのに、一成が無反応であるのが怖かった。
出来ることなら今すぐ会って泣いて縋って、ごめんなさいと謝って気の済むまで傍にいさせて欲しかった。
自分勝手もいい加減にするべきだ。
「もぅ、やだよ……」
一成を慕うのが嫌になるなんて、今まで考えたことすらなかったのに。
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