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祈【3】
 絶対に手に入らないからこそ欲しくなる気持ちを、一成に近い立場である夏夜には容易に理解できた。

 後継ぎの重責を負うことも、常日頃から『家』を意識しなければならない必要もない平凡で穏やかな日常――それを彼女は持っているのだ。

 また溢れてきそうになる涙を必死で堪えた結果、
「……うん」
短くしか返せなかった。

「始めに言い出したのは仁科の傍流、俺にもお前にも遠縁に当たる奴だった。名前は言っても良いが、聞くか?」

 穏やかな口調の中に隠された悪意を鋭く感じ取り、夏夜はびくっと身を竦ませた。
 傍流で主催者側に回れない末端に連なる家となれば大分限られてくる。

 あの人か、それともこの人か。
 頭の中で顔写真を次々にスライドさせていったが、皆やりそうな気がして該当する人物を絞りきれなかった。

「どっちでも」
「そうか、なら止めとく。茶会があらかた終わって、そろそろ次と交代になる時間だった。その場にいた接待役は俺と母親、それから慧さん」

 思わず頭を捻る。伯母と自分の父親の組み合わせ……珍しいというか、ペアが間違っているような。

「伯父さまは一緒じゃなかったの?」
「一つにそう多く人数をかけられないからな。父さんは別のとこ」
「ああ……」

 とすると、当主夫人とその息子、当主の弟が一つのお茶会に集まっていたことになる。
 それだけでも客人がどの程度の重みを置かれているか、後はプライドの高さまで窺い知れた。

 当主が自ら茶を立てるほどではないが、それと同等の扱いをして欲しいと考える人達が集まっていたのだろう。

 一成が眉間に皺が寄るほど固く目を瞑るのを見て、胸がぎゅっと締め付けられるような心地になった。

「初めは高校生活の話だった。学園出身者ばっかだから自然と思い出話になって、それから現役の俺に飛び火。
うるさく質問責めにあってそれでさえ渋々答えていたのに、いつの間にか俺の恋愛にまで話が及んだ」

(もしかして、それって)

 推測が正しければ、同じようなことを自分も言われたことがある。

 あれは十二歳の秋にあったお茶会で、ちょうど夏夜の母親が父親と婚約していた年齢と季節で。
 『何もない』ことを知った人たちに――。

「……うちの娘は年も近いしお似合いじゃないかしら」

 間違っていれば良いと思った。
 お前何言ってんの、って笑って否定して欲しかった。

 それなのに、目の前の人は口角を緩く吊り上げて頷いてしまう。

「次第にヒートアップして本人の意見なんか聞いてない状態になってさ。大人の醜い部分を見た気がする」

 そんな、酷いことってない。

「パパは止めてくれなかったの」
「ああ」
「どうして!」
「俺があの場から出て行かないと収まらない事態だったんだよ。だから二人は追わなかった。その代わり今頃、俺のフォローをしつつ皆に嫌味を言ってるだろうね」
「一成くん自身には何も言わずに?」

 いや、と一成は頭を振る。

「慧さんが耳打ちして、夏夜がどこにいるか教えてくれた」

 己は攻撃だけを選び、援護を娘に任せた。
 夏夜が一成を放っておけるはずがないと踏んだのだろう。

 そして、二人が攻撃している様子がありありと目に浮かんだ。

 伯母はともかく、夏夜の父ならば相手が謝罪してくるまで追及し続ける。
 真綿で首を絞めるようなやり方もお手の物だ。

 ……でも、謝られたとしてもきっと、この人が負った心の傷は癒えないまま。

「だから暫く、ここにいさせてくれ」

 一成はそれきり何も言わず、呼吸が次第にゆっくりとしたものへと変わっていく。
 本格的に寝る態勢に入ったようで、夏夜はベッドの端で三つ折りにされていた毛布を広げて上からかけた。

 ピンクとイチゴ柄で似合わないけれどこの際仕方ない。
 苦しくないように和服の襟も緩めて。
 空気の循環も必要だから窓も少し開けておこう。

 思いつく限りの世話を焼くと、ほんの五分足らずで夏夜の仕事はなくなってしまった。

 これからどうしようか。

 お茶会に来ていた子供たちのお目付に戻るのはどうだろう、でもタイミングが悪ければ迎えにきた大人たちと鉢合せしかねない。

 それに叶うなら、もう少しだけ好きな人の寝顔を見つめていたかった。
 寝ているなら穴があくほど見ていても叱られないのだ。


 夏夜は時間の流れを忘れたかのように長い間一成を見下ろしていたが、やがてフローリングの床に膝を着き白いシーツに指先を添え、くしゃりと握りしめた。

「一つだけ聞かせて」

 曖昧な響きが返ってくる。
 本当に寝ているのか寝たふりをしているのかは分からない。

「夏夜のことは好き?」

 親戚たちが嫌いでも、仁科の家が嫌いでも、従妹としてしか見てもらえなくても。


「…………ん、好き…だ」


 それなら、良い。

 彼女とはいつか別れるかもしれないが血の繋がりは切れない。
 疎遠になっても家系図の上なら一緒だし急に連絡取っても不自然じゃないし、何十年でも同じ仲でいられる。

 幸せな立ち位置じゃないか。

 力を入れて白くなった指先が色を取り戻していく。寄った皺を数回撫でつけるとほぼ元と同じ状態に戻った。

「夏夜もだよ」

 微笑んで、夏夜はそっと部屋から出て行った。



 一成のために夏夜が利用できるものなら、何でも使ってみせようと思った。
 与えられた血筋も人が希少だと言う身分もその手段の一つでしかない。

 やってやれないことはないはずだ。

「ごきげんよう皆さま。従兄がご迷惑をかけたそうで、本人に代わってお詫び致します」

 ザッと玉砂利の音がする。

 一成も途中まで出席していたお茶会が終わり、広大な庭園の散策をしていた傍流の親戚方に向かい夏夜が微かに笑いかけると、大人たちは一斉にハッと息を呑んだ。

 見くびっていたのかもしれない。
 表に出てこない当主の姪、両親に甘やかされたせいで茶道の腕はさっぱり。
 名前だけの存在だと。

 だが、何を武器にすれば良いか知っている。
 その点で夏夜は愚かではなかった。

「けれど皆さまは分かってらっしゃらないご様子。現当主には息子が一人、我が父は継承権を放棄したため権利は姪である私に回っている。
加えて祖父には兄弟がいない、つまり当主へと担ぎ上げるだけの血を持った子孫もいない」

「なっ……いきなり何を」

 声を上げたのは一番左にいた小父さまだった。

 年の頃は四十代後半、でっぷりと太ったラ・フランスのような体型で。
 新年のお茶会にしか来ないのか名前を覚えていない。

 顔はかろうじて見たことがある程度だ。

「違いますか? 違わないでしょう」
「失礼な」

 今度は似合いもしないアクセサリーをジャラジャラつけた女性。
 立て爪のダイヤモンドリングをこれ見よがしに嵌めていて、成金みたいで品がない。

 夏夜の母や伯母は飾り気こそないがいつも綺麗にしているのに、どうしてこう差が出るんだろう。

「お茶会での一件は既に聞きました。次期当主に配慮のない行いをしておいて、どちらが失礼ですか」

 親戚達が身分と血筋を引き合いに出すのなら、お望み通りに対処するのみ。
 夏夜は押し黙ってしまった親戚方を冷ややかな目で見つめた。

 身長ではなく、態度で見下していた。

「私は従兄に全面の信頼を寄せています。従いこそすれ、今後旗を翻すことはないでしょう」

 当主の継承権を真っ先に持つ二人が、うるさい傍流の排除に乗り出したらどうなるか――。
 それを暗に示して、夏夜はクスクスと面白そうに微笑んだ。


「敵に回さない方が良いですよ?」

 
 その血を持つ多くの人がそうであったように、誰彼構わず魅惑する美しさと目的のためには手段を選ばない無慈悲さと狡猾さを手に入れて。

 これが後に夏夜が『あの時はスーパーキノコを食べた無敵状態だったの』と語り、一成の次期当主としての地位をより確実にした一つの事件だった。


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あきゅろす。
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