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少女的セダクション
「――今夜は、帰さないで下さい」

 そう言って抱きつかれ、男はドキッとしながら少女の体を受け止めた。
 大学合格祝いを兼ねた外食デートを終え、少女の家の前まで送ってきたところだった。
 といっても二人はお隣さん同士なので送ってきたも何もないが。

 とにかく事情を聞く他ない。
 仕事柄か話を聞くのに慣れている男が俯く少女の頭を撫でて宥めると、少女は一層男に縋りついた。
 パーマをかけたウェーブヘアから最近ストレートに戻した、長い黒髪が揺れている。

「どうしたの、いきなり」

 笑みを堪えた男の口元なんて、下を向く少女には見えやしない。
 声も穏やかに聞こえるよう装っているので尚更だった。

「両親は二人揃って出張です。明日の昼まで帰ってきません、だから」

 少女は一度言葉を切って、潤んだ目で男を見上げた。

「一緒にいたいんです」

 外から見る限り、少女の家に明かりは灯っていない。
 そもそも少女は無闇に嘘をつく性格ではないと知っていたし、男の恋ゆえに盲目になった目でも少女の真剣さは本物だと察せられた。
 言っていることは本当なのだろう。

 ゆえに、男は手袋に包まれた手を少女の頬に添えた。
 冷たさにぞくりと身を震わせても少女はその手を払おうとはしない。
 むしろ嬉しそうに微笑む始末だ。

 伝えたのは了承の意だった。

「……ありがとう。嬉しいよ」

 パッと少女の表情が華やぐのを見計らい、見方によっては美味しそうにも見える白い頬を軽くつねった。

「帰さないで、じゃなくて。鍵がないから帰れないんでしょう?」
「ばれましたか」

 子供がするように小さく舌を出す己の彼女を見やり、男はわざとらしく溜息をつく。
 少女の手を引いてそう遠くない隣家へと歩きつつ、「知ってたよ」と、まずは真相を明かした。

「さっき電話がかかってきたよ。鍵を持っていくのを忘れたらしい、悪いが娘を一晩泊めてやってくれ、と」

 その『さっき』がちょうど少女が化粧室へ行って席を外していた時だった。

 少女が家を出たのは両親よりも先であり、帰ってきたのは彼らが旅立った後。
 鍵を忘れた娘をその恋人に託したわけだ。
 隣家に住む昔馴染みだからと全面的に信頼されるのは男にとって喜ばしいのか悲しいのか。

 案の定、少女はがっくりと肩を落とした。

「パパったら……」

 言わなかった言葉が、怒りのこもった「余計なことしてくれて」だと男が気づくはずもなく、単に少女を前におろおろする自分を楽しみたかったのだろうと男は幸せな想像をする。
 鍵を差し込み、少女よりも先にドアを引いてその奥へと誘った。

「一晩同じ屋根の下で過ごしても君には何もしない僕で良ければ、どうぞ?」

 にこ、と男が余裕を見せて笑えば全く対照的に紅い唇を尖らせる。
 不機嫌顔をし、文句を言いながらファー付きロングブーツを脱ぐ様は器用としか言いようがなかった。

「ケチ。減るもんじゃないし」
「いやいや確実に何か減るから」
「私は気にしません」

 少女はきっぱり言い放った。
 勝手知ったる他人の廊下を迷いなく進んでいき、これまた位置まで分かるリビングの照明とエアコンのスイッチを入れれば毅然とした態度で振り向く。

 ハンガーにコートをかけていた男は少女の変化に戸惑い、また見惚れた。

 すんなりと伸びた四肢の艶かしさ。
 薄く刷いた化粧やほのかに香る甘い香り。
 少女と女性の間をゆらゆら揺れ動く、振り子のような美しさに。

「――でも、良いです。お言葉に甘えて泊まらせて頂きます。パジャマはワイシャツを借りますが宜しいですよね」

 それに気付いた少女は小悪魔めいた笑みを浮かべて言った。

「君には何もしない、ということは私がする分には構わないってことでしょう? ……誘惑しちゃいますから、覚悟しておいて下さいね」


【終】


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