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勿忘草(平助+総司)



 嗚呼、忘るる事勿かれ我が朋輩よ。
 供に過ごしける輝きし日々を
 我ら喰らひける長々し夜闇を
 供に傷付き合ひしかの痛みを
 我が声を
 我が顔を
 我が刀を
 我が命、を
 どうか、忘るる事勿かれ。











 行李に身の回りの物を詰めるのは一刻もかからなかった。上洛してくるときに必要なものを選って持ってきたのだからそれは当然かもしれないけれど、この数年間を物理的に証明するものなどほとんど数えるほどしかないと気が付いて、少しばかり虚しさなんかを覚えた。
 明日、俺は新選組を離れる。江戸で世話になった伊東甲子太郎先生が孝明天皇の御陵衛士とやらを仰せつかった為の離反だった。
 局中法度には隊を脱すれば即ち切腹とあるけれど、局長・副長が離隊の動機の適切さを認めた場合にはそれを免れる『例外』もあるとのことだ。
 今回隊を離れる者はその多くが伊東先生を慕い『伊東派』を名乗る連中ばかりで、俺や斎藤一のような、新選組創設以来の隊士である『近藤派』と見なされる者は少なかった。俺はその、『伊東派』だとか『近藤派』という区分が嫌いで堪らなくて、誰がそんな風に呼び出したのだろうかと常々思っていた。しかしその傾向はかつて俺たちがまだ壬生浪士組だった頃にもあったことで、その時は『芹沢派』と『近藤派』だった。もしかしたら、派閥で区分したがるのは、その頃からの風潮なのかもしれない。

 俺は伊東先生に感謝をしているし、尊敬もしている。それは江戸で剣術を教えてくれたからということも、伊東先生の博学ぶりも原因している。先生は完璧という言葉が誰よりも似合う人だ。でもそれは、俺が新選組を離れる決断をした理由には、決してなり得ない。
 人物で言えば、俺は伊東先生よりもずっと、近藤さんの方が好きだった。
 突然試衛館に転がりこんだ俺を快く居候させてくれて、稽古もつけてくれた近藤さんは、俺がそれまで受けたことがないほどの愛情を時には兄のように、時には師匠のように、そして時には父のように注いでくれた。近藤さんは完璧というには程遠いひとだけれど、その分あたたかくて、大きい。いつだって俺を正しい方向に、日の当たる道に導いてくれた。感謝と尊敬の度合いから言えば、俺の中では近藤さんに並ぶ人間なんていないし、それは伊東先生も例外ではない。
 新選組は―――近藤勇は、試衛館以来の他の連中がそうであるように俺の唯一の居場所だ。それはずっと変わらない真理ですらあった。だから、俺が新選組を離れる理由なんて、俺自身にさえ分からないのだ。









 どうにも手持ちぶさたで部屋を出る。この屯所とも今日でお別れか、なんて思うと不思議と感慨がわいてくるもので、柄にもなくぐるりと一周をしたくなった。
 屯所の中は、いつもよりざわついているように感じた。それは当たり前のことで、『伊東派』が揃って隊を離脱するという事実は平隊士たちの間にも波紋を投げ掛けているのである。

 厠の近くまで来るとそこから出てきたらしい総司と鉢合わせした。総司は少し驚いた顔をしてから、相変わらずの笑顔を浮かべて、平助も?などと聞いてくる。思わず吹き出した。
「なんだよ、そこ、笑うとこじゃないよ」
「や、笑えるって!」
「具体的にどの辺が」
 むぅと顔をしかめた総司は俺に対面して臨戦態勢に入っている。そんな姿がまた総司らしくなくて、俺は腹を抱えた。
「笑うなよー、おれは真面目なんだから」
 呆れたような声で肩をすくめる総司は、俺が明日隊を離れると知っていても、『総司』だった。それは下手に気を使われるよりもずっと自然で、ともすれば離隊の話なんてはじめからなかったんじゃないだろうかと思わせる。俺にとってはとてもありがたいことだった。
「総司が真面目なんて、明日は雹(ひょう)でも降るんじゃないか」
「雹ってさあ、なんだか大きな金瓶糖みたいみたいだよね。甘かったりするのかな」
「食べたことないから知らないけど……甘くはないと思うぞ」
 そんな馬鹿な会話を交して、何処へともなく二人同時に歩き出す。こうやって総司とサシで話をするのなんていつ以来だろう。久々の話題が雹の味についてだなんて滑稽な気もしたけれど、悪くはなかった。









「意外に変わってないんだね」
「何が」
「平助が」
「俺が?」
 台所から拝借してきた饅頭を二人で頬張りながら、無人の道場で寝転がっていた。総司は頷くと寝そべる形に体勢を直してから、続ける。
「最近平助、伊東さんにべったりだったろ。洗脳とかされてたら嫌だなあって思ってた」
「伊東先生は異能者かよ……」
「うん、おれにはそう見える」
 総司がどういう意味でそう頷いたのかは、俺には分からなかった。もちろん本当に異能者だと思っているはずはない。
「おれなりに考えてみたんだ、」
「何を」
「平助が、伊東さんに付いていく理由」
「…………うん、」
 あまりに明るい調子で言うものだから、俺は大人しく頷いて話の続きを促すことしか出来なかった。同じ話を真剣な口調で新八っつぁんと左之に問いただされた時は、お前たちには関係ないと、はねのけてしまった。親友だったのに―――否、親友だからこそ、だ。
「近藤先生を嫌いになったんじゃないと思うんだ。あと、土方さんも」
「うん」
「伊東さんに心酔してるようにも見えないね。そりゃあ、尊敬はしてるだろうけど」
「そう見えるか?」
「うん。…………そしたら、理由なんかなさそうだよなって思えてきて。強いてあげるとしたら、山南さん……、」
 総司の言葉に、俺は日溜まりのように穏やかだったその笑顔を思い描いた。ふと見れば、総司はどこか遠くを見つめるような目をしている。彼の眼裏にも、山南さんがいるんだろう。
「山南さんを思い出す人たちといるの、嫌なのかなって思ったんだ。平助は、山南さんとは試衛館に来る前からの知り合いなんだろう? きっとおれたち以上に辛かっただろうし」
 当たってる、と訊いてくる総司に、俺は頭を殴られたような気分だった。思いもよらなかった。確かにそう言われてみれば、その通りかもしれないと思う。
 脱走して連れ戻された山南さんは俺たちに、すまない、と言って笑ったけれど、どうして脱走したのか、詳しい理由は知らなかった。―――誰も。山南さんは自分が脱走した理由を誰にも、一等仲が良かった近藤さんにも、土方さんにも教えずに、墓の中に持って行ってしまった。水臭いとも思ったし、どうしてあんなに好い人が死ななくちゃならなかったんだろうと、悔しかった。
 総司と二人、山南さんに漢文を教えてもらったことだとか、近藤さんはすごく楽しそうに山南さんと話しをしていたことだとか、土方さんと山南さんはよく言い争いをしていたなあ、だとか。左之と新八っつぁんの馬鹿噺に呆れるくらい真面目に応対していたり、源さんと二人でのんびり茶をすすっている山南さんなんかも、よく見た。―――試衛館以来の面々の間には、山南さんとの思い出が、溢れている。
「はは、すげぇな、お前はやっぱり」
 そう笑った声は思いの外渇いていて、まるで自嘲のような響きをたたえていた。だけれどそれは俺の本心だ。―――俺はいつも、総司の背中を見ていた。
「すごくないよ。おれもおんなじこと、考えてたから分かるだけ」
 総司が少しだけ泣きそうな顔をした気がした。きっとそれは、気のせいだろうけれど。
「思い出って大切だと思うんだ。誰かが覚えていなきゃ、それはなかったことになっちゃいそうで。…………だから辛いけど、おれたちは山南さんのこと、今も思い出さなきゃないよ。思い出して、辛いなあ、かなしいなあって思ってる限り、山南さんは確かに生きてたんだって、確認できる」
「………総司は、」
「なに」
「強いな、と思って。俺は耐えきれなくなって逃げるんだ」
 俺の言葉に総司は少し不思議そうに目を丸くした。すぐにどうして?と首を傾げて問い返される。
「おれは平助の方が強いと思うよ。―――一人で仲間の元を離れるなんてこと、おれには出来ないから」
「…………俺と総司は、本当に昔から意見が合わないよなあ」
「そうかな。おれはこれで、釣り合いが取れてると思ってたけど」
「ちがいねぇや」
 顔を見合わせたら、自然と笑いが込み上げてきた。今まで抱いていた総司に対する妙な劣等感のようなものがすっかり消え去った心地だ。











「明日俺は新選組を離れる」
「うん。ごりょう……なんだっけ?」
「孝明天皇御陵衛士。―――お前にひとつ、頼んでおきたいことがあってさ」
「なにを」
「俺のこと、忘れないでいてよ。……さっき荷物詰めてたらさ、俺がお前らと一緒に馬鹿やって、京都に来て、新選組隊士だったっていうのを示す物、何にもないんだ。何にも残らない」
 総司は何か言いたげだったけれど、何も言わずに頷いてくれた。それがすごく、すごく嬉しかった。
「新八っつぁんや左之にも伝えておいて。ああ、それから近藤さん、土方さん、源さん、島田さん…………」
「そんなの、平助が言えばいい」
「俺はいいよ。総司から伝えて。―――それも含めてお前に覚えてて欲しいんだ」
 総司は、俺の唯一の好敵手だ。いつも総司に追い付きたくて、総司より先を行きたかった。そんな彼が覚えていてくれたのなら、きっと俺は、―――逃げずに死ねる。
 局中法度に例外などない。伊東さんは知らないかもしれないけれど、俺はそれを、知っている。―――だから、総司には、俺のことを何としてでも覚えていてもらわなくてはならない。

「忘れないよ。頼まれたって忘れるもんか」
 総司は起き上がり、俺に背中を向けて言った。声が震えていた。
 俺もその背にもたれるように起き上がる。背中合わせは決別を表すのでは、ない。
「……ありがとな」
 今まで、と付け足したら俺の声まで震えてしまった。









 嗚呼、忘るる事勿かれ我が朋輩よ。
 供に過ごしける輝きし日々を
 我ら喰らひける長々し夜闇を
 供に傷付き合ひしかの痛みを
 我が声を
 我が顔を
 我が刀を
 我が命、を
 どうか、忘るる事勿かれ。









Story is the end...






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