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ノジェス(伊三)




「俺が僧を続けている理由?」
 佐助と甚八に、右から左から詰め寄られた伊三は、目をしばたかせて二人の質問を反芻させた。
「だってサ、修行してないんでしょ。山に戻るわけでもなさそうだし」
 実に、適切な指摘だ。伊三は苦く笑っている。
「んん、まぁな。だが、読経くらいは毎朝やっているぞ」
「だけどさ。清海は還俗してるじゃねぇか。お前もすりゃいーじゃん。いろいろ面倒なんだろう?」
「んー、そりゃそうだけどよ、」
 伊三の返答は曖昧だ。二人の質問に答えかねているようでいて、まるで答える気がないようでも、ある。
 飲酒や女遊びを心より好む伊三だが、決して殺生はしない。他の十戒も(前述の二つを除いては)破ることはない。常に身に纏っている僧衣も、自らを戒めるためなのだ。
「理由なんてねぇけど……面倒なんだよな、強いて言うなら。還俗するのさえも」
 そう言って息を吐く姿は、酷く自嘲じみていたけれど、その実、彼の顔は穏やかだった。







「おめえが還俗しない理由が、面倒くせェからだって?」
 佐助と甚八が『おやつ』の言葉につられて部屋を出ていくと、いつから聞いていたのか十蔵が入ってきて嘲笑を見せた。
「何だよ」
「役者だねィ。心にもないンだろう、面倒だなんて」
 くつくつと喉を鳴らして言う彼だが、目が無表情に凍っている。伊三は十蔵がなぜそんなことを言うのか、といぶかしむように眉をひそめた。
「アンタに何が分かる」
「なんにも知らねェさ。俺が知ってるのは、おめえの嘘の見破り方くらいかねィ」
「俺が嘘を言っているとでも?」
 食い下がる有髪僧に、十蔵は再び笑い声を漏らす。
 幸村と海野以外の人間との関わりを避けがちの十蔵にしては、このように執拗に声をかけるのは、おおよそ彼らしくない行動であった。伊三がいぶかしみ、返答に困るのも無理はない。しかしそうとて伊三の、返答の歯切れの悪さもまた『彼らしくない』のである。
「還俗をせずに僧籍に入ったままでいるのと、還俗をしてしまうのではどちらが面倒か、と聞かれりゃア還俗をした方が良いに決まってるサね」
「だから、それは」
「幸村様のためなんだろう?」
 いらいらと言い返そうとした伊三の言葉を遮って、十蔵は目を細めた。
 口を緩く開いたままの形で固まった伊三は、不覚だと感じる間もなく目を見開いた。背中をひやりと脅かされるような寒さに、思わず笑みを貼り付けた顔を晒す。
「ハ……、ハハ! 馬鹿言うんじゃねぇや」
「あァ、馬鹿なことだねィ。俺には理解なんてェ、できそうにもねぇさな」
 殊更明るい高笑いは、肯定される形でなお、一層の否定を孕んだ。笑声を途絶えさせた伊三が苦々しげに黙りこむと、十蔵も十蔵で、
「馬鹿は死んでも治らねぇとはよく言ったモンだねィ」
 穏やかな声音に僅かだけ嫌悪を滲ませている。否、嫌悪というよりは呆れだったのかもしれない。
 伊三は弁明することをやめて、なにゆえ十蔵がこんな話をするのかと頭の片隅で考えてみた。彼がすべてを見透かしているようである、その理由も考えた。しかし答えは出ぬまま、十蔵もそれきり口を閉ざした。―――十蔵はなにゆえこの部屋からでていこうともしないのだろう?
 疑問は増えるばかりだ。







 確かに伊三は、己の解脱などを望んで仏門を去らないのではなかった。おのが身の自由など『仏の御心』に頼るまでもなく自ら手に入れることもできるし、何時訪れるかも分からぬ自由よりも、『いま』の悦楽を追求するだろう。
 自他共に認める生臭坊主でありながらも仏籍に在り続けているのは、彼一人では如何ともし難い状況を考慮してのこと。
 己が生きている限りは、命を賭けても『あの方』を守り抜く覚悟はある。伊三が死んだ後の『あの方』は、仲間たちが守る。そして『あの方』が命を落とした時―――伊三が御仏に、加護を乞うのだ。
 こんなことを話せば笑われるかもしれない、その一心で佐助と甚八の答えを曖昧に濁したのだったが、もしかしたらこの考えに幸村は気付いているのかもしれなかった。誰よりも優しい主君は自分の為に自らを戒め束縛する家臣を咎めるつもりで十蔵を遣わしたのかもしれない。確証などないけれど何となく、そんな気がした。


―――あなた様の、


 伊三は小さな仏像に向かって、日課の読経を始めた。首にかけた数珠を指でもてあそべば、硬質な音を立てた。








 あなた様の御霊の自由を約束されるのならば、この身に課せられる戒めなど、十でさえ少ないものだというに。









Story is the end...


あきゅろす。
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