ファーレ・アマーレ*艶ルンバ2 誰かに「友達になってほしい」と言われたのは、初めてのことだった。 幼稚園のときも小学生のときも中学生のときも、高校生になっても大学に入った今だって、友人らしい相手ができたことなど一度もない。 自慢じゃないが、このAMPに強制勤務させられるようになって初めて、人とまともなコミュニケーションをとれるようになったのだ。常人には信じ難いことかもしれないが。 それでも、一匹狼を地でいくような度胸も度量もなかった自分は、進学する度必ずそのクラスでドンケツのレッテルを貼られ、酷いときはイジメの格好の標的になったりした。 今までの学生生活でのことは、正直言って思い出したくもない。 自他共に認めるほどの要領の悪さ。取り柄など一つもない自分。一番悪いのは、変わるための努力もしようとしない自分だと十分に分かっているが、それにしても厳しい世の中だ、と思う。 だからという訳ではないが、単純に綱吉は嬉しかったのだ。 古里炎真が確かに自分を指さして「お友達になって」と言ったとき、例えようもない嬉しさが綱吉の全身を支配した。 二の句も告げずに了承したのは、きっとそういうことなのだろうと理解する。 こちらに向けられる古里少年の手を両手で包み込むと、じんわりとした温かさが綱吉に伝わった。 「こんな俺でよければ…!」と綱吉が言うと、古里炎真は微かに笑顔を浮かべる。 その瞬間、二人の周りの音が消えた。 あの後、初めてできた「友達」というものに、ふわふわとした心持ちのまま会社を出た綱吉だったが(社長室を出る際、背後で“ツナァァァ!”と悲痛な兄貴分の声が聞こえたような気がした。そういえばお見送りができなかったぁと思う。今度きちんと挨拶をしなければ)、古里炎真の通う至門大と、綱吉の通っている私立大が同じ路線沿いにあるということで、時間が合うときは古里少年と一緒に通学するようになった。 もしかしたら駅や電車内ですれ違ったことがあるかもね、のような些細で和やかな会話をこれまで何度も交わしたし、古里炎真は無口で物静かな性格だったが、あまり騒がしい物事が苦手な綱吉にとっては、一緒にいてとても安息な気分に陥ることのできる相手だった。 容姿も雰囲気も似通った二人は同じように趣味も似ていて、カラオケやゲームセンターには寄りつかない代わりに、駅付近の喫茶店や互いの自宅などで、ネットゲームやミニゲームに勤しんでいた。 ときにはレンタルショップで映画を借り、日柄一日一緒に観たりもしたし、様々なことで共通点のある彼と遊ぶのは、本当に楽しいのだ。 古里炎真はあまり表情を変えたりもしなかったけれど、ころころと笑う自分を見て、本当に時々にこりと微笑んでくれた。 その笑顔を見ると、何だか胸の中がほんわかとあったかくなるような気がして、綱吉は嬉しくなった。 古里少年は初めてAMPの社長室にやってきたとき本当に気絶していただけだったらしく、夥しいほどの 顔の傷はその前からついていたらしい。 あれから三日と日を開けずに彼と会って遊んでいるが、綱吉と似た幼いその顔に、傷がなくなる気配はいまだない。 それについては古里炎真も何も語らなかったし、何となく訊きづらくて綱吉も尋ねなかったので、何故常日頃からそんなに傷だらけなのかまったく分からなかった。 とはいえ、彼と自分はどことなくよく似ていると自覚していたので、その理由には大方予測がついていたのだが。 古里少年は実家に住んでいて、驚いたことに随分格式の高い家柄の出身のようであった。 都内では珍しい昔ながらの日本家屋で、年季は経っているが決して衰えている訳ではなく、むしろその古めかしさが威厳な空気を齎し出している。 中学の修学旅行で行った、某江戸村で見たようなからくり屋敷にも似ている古里家にはもう二、三度足を踏み入れているが、少年の両親にはち合わせたことは一度もない。 その代わり、少年の身の回りの世話をしているらしい鈴木アーデルハイトという女性とは、何度も顔を合わせた。 目元の涼やかな、豊満で背の高い女性だ。 彼女は古里少年に対してとても厳しかったが、ふとした瞬間などではまるで姉のように温かかった。 本人は何も語らなかったけれど、見る限りあまり家族の温もりに触れたことがないらしい古里炎真の、たった一人の大切な人間なのだろうと、何となく綱吉は思った。 あれから二人は携帯の情報を交換し、講義やバイトの合間にちょくちょく会った。 近頃綱吉にも依頼らしい依頼が入ってこなかったので、殆ど雑用しかすることがないAMPからは、午後七時には出ることができる。 綱吉がその日の仕事の内容から帰宅時間を割り出し、大体このくらいの時間だと古里少年にメールをすれば、綱吉がエントランスに向かう頃には、古里炎真はその出入り口付近で綱吉の登場を待ちわびている。 最近急激に親密になり始めた二人にリボーンがずっと何事かを呈したそうであったが、さすがにそこまで突っ込むような不躾な真似は憚れるのであろう、結局は何も言わずに、黙って綱吉を見送る日々がここのところ続いていた。 それにしても、自分が帰るときのリボーンのあの眼光は本当に怖い。 そのときのリボーンの目は、数週間前ディーノをねめつけていた、あの目つきに似ている。 とにかくとても怖い。そんなふうに睨みつけるくらいだったら、逆に言いたいことをはっきりと言ってもらった方が楽なのだけど。 とにかく今日も例外に漏れず、すっかり恒例となりつつある仕事後のメールを古里炎真に送ると、綱吉はいそいそと帰り支度を始めた。 こんなにも依頼がない期間は初めてのことなので少しだけ(主に今後のリボーンの動向が)不安だったが、彼が昨日手に入れたばかりだという新作のゲームを早く試したくて浮足立っていた。 今日は入っている講義もなく、バイトもたいした用事がなかったので、まだ時刻は昼前である。 古里少年は朝に一つだけ受けなければならない講義があるというので、今日は綱吉が彼を迎えに至門大学まで向かう約束となっていた。 相変わらず鋭く背中に突き刺さるリボーンの視線を何とか受け流し、社長室から出てスタッフルームに置いてある荷物を取りに行った際、ついでにと思って備え付けの冷蔵庫から二本のペットボトルを抜き取った。 何やら見たこともないパッケージだったが、コンビニなどの新商品にも疎い綱吉には大して気になることでもない。 赤紫色のような地に、ピンクのハート柄という妙なラベルに巻かれているボディ。しかし、中身はいたって普通の清涼飲料水のようだ。 時々、スカル辺りが何だか不思議な店から奇抜なデザインの飲食物を購入してきたりするので、大方その類のものなのだろうと思う。こういうのは大概、内容物がメジャーだったりする場合が多い。 十分に冷えたそれを適当にバックの中に突っ込んで、綱吉は早足で室内を後にした。 早く行かないと、約束の時間に間に合う電車に乗り遅れてしまう。 最寄りの駅に向かうべく、綱吉は足を素早く前後に動かした。 そのすぐ後入れ違いでスタッフルームに入ってきたヴェルデが、そのペットボトルがなくなっているのを見て、いやらしく笑うことになるとも知らずに。 『今日はこっちまで来てくれることになってどうもありがとう。正門だと人の出入りが激しいしうちまでの方向とも真逆になっちゃうから、裏門で待ってるね。コンビニのある通り側の、大きな銀杏の木のあるところだから、すぐに分かると思う。もし迷ったら電話して。じゃあ、12:30に。気をつけて来てね。』 電車に乗る前に受信したメールでは確かに裏門と記してある筈なのに、いざ綱吉が到着すると古里炎真の姿はその場所のどこにも見当たらなかった。 「あれ?おかしいな〜。裏門ってここだと思うんだけど…」 これまで何度もメールの内容を確認したし、厳かな校舎の裏門の銀杏もあるので、確かにここで間違いないと思う。 しかし、友人の少年はここにはいない。 彼が時間に遅れたことは今までないし、やはり自分が間違っているのだろうか…。 そう綱吉が迷い始めた、そのとき。 銀杏の木の方から、何やら騒がしい声が聞こえているのに気が付いた。 「だぁから、金出せって言ってんだろー?お坊ちゃんよぉ」 「ほらほらどーしたの?威勢がいいのはその派手な髪色だけですかー?それとも勝手に荷物から取ってっていいのかしら?人間ATMの古里くーん」 「ぎゃはははっ、おいマジ、それ最高!どうせこいつ、金出すしか能ねーもんな!」 粗野な声とともに鈍い殴打音も聞こえてきたので、綱吉は慌てて裏門を抜けて大学の敷地内に入り、大銀杏の下まで駆けた。 案の定そこには、三人の青年に囲まれて地面に這いつくばっている、古里炎真が見えた。 服や体をぼろぼろに泥で汚された彼は、ところどころ血が滲んだ顔をスニーカーの裏で踏みつけられている。 初めてできた友人の不遇なその光景に、一気に頭に血が昇った綱吉は、振り返る強面の今時なチャラ男三人の恐ろしい眼光にも怯まず、「炎真君に何するんだ!」と大声を出した。 おそらく、綱吉が怒鳴ったのが意外だったのだろう。古里炎真も、脚蹴にされながらも目を丸くする。 「炎真君はお金なんて出しません!とっととその足をどけて下さい!」 「…ぁあ?」 「何だ?こいつ…」 怒りという感情は怖い。 ボルテージが最高潮に達すると怖いことなどまるで何もない気分になれるけれど、ある瞬間我に返るととんでもないことをしでかしていることがある。 今が正にその状況で、綱吉は三竦み状態になって初めて、自分がさっきの古里少年と同じような境遇に陥っていると自覚した。 さっきは怒りのあまり思わず怒鳴ってしまったけれど、自分も蛇に睨まれた蛙の弱者の方の立場だということをすっかり忘れてしまった。 これはやばい。確実に殴られる。 「何なのお前。お坊ちゃまのお友達?」 「こいつ、ダチなんかいやがったのかよ。意外ー。だけど、こいつならなるほど、らしいわ」 「お坊ちゃまと同じで見るからにひ弱そうだもんな。ちょーどいいや。お坊ちゃまの代わりにお小遣いもらおーぜ」 前から右から左から、にやにやとしたしたり顔がどんどん近付いてくる。 男たちの背後では、古里炎真がふらふらとした様子で立ち上がるのが見えた。 三人の男に周囲を固められている綱吉を、危機が迫ったような眼差しで見つめている。 「ツナ君…!」 古里少年に名前を呼ばれたのと、手前にいる一人が綱吉の胸倉を掴んだのはほぼ同時で、彼のささやかな声は更に、「ひぃ!」という綱吉の引き攣った悲鳴にかき消されてしまった。 男の、骨ばった手が握り締められたのを視界の片隅に捕えて、ああ、いよいよだ、と、本能的に目をつぶる。 もう一度、だが今度はかなり大きな声で「ツナ君!」という古里炎真の声が聞こえたのと同じくして、ガツッ、という嫌な音が耳の奥をつんざいた。 綱吉はしばらくがたがたと宙ぶらりんのまま縮こまっていたが、待てど暮らせどやってくる筈の痛みと衝撃がまったくやってこないので、おずおずと瞼を開けてみる。 まず目に飛び込んできたのは自分を掴み上げている男の驚愕の表情で、その視線は綱吉から外れて真横を向いていた。 一体何事だろうと綱吉もつられて目をそちらに向けてみれば、そこにはだらりと地面に伸びている三人のうちの一人と、黒とシルバーで彩られたギラギラとしたデザインのバッシュが見て取れた。 その靴の印象に覚えがあった綱吉は、まさか、と思いながら視線を更に上に向ける。 途端、光彩を刺激する日に煌めく銀色の髪。 綱吉を脅す三人に仁王立ちしている形でそこに佇んでいたのは、眉間に皺を寄せたブティック店員の獄寺隼人であった。 あ、獄寺君がしかめっ面してるの、久しぶりに見た気がする。何か懐かしい。 綱吉は何となく拍子抜けしてしまい、場違いで意味もないことを頭に思い浮かべた。 「…てめぇら、どういう了見でその人に触れてやがる」 獄寺の噛み締められた口元から、吸っていた煙草のフィルターが切れて落ちた。 壮絶なイケメンが凄むとその迫力も相当なもので、気絶している男以外の二人は、その迫力にすっかり戦意を喪失してしまったらしく、手の力を抜いて綱吉を解放する。 あまりにもいきなり、且つ呆気なく離されたものだから、地面に思い切り尻を打ち付けてしまった。 ううう、こんなに尻を痛めつけていると、その内とんでもないことになってしまいそうだ。例えば、痔とか痔とか、痔とか。 「ぅわっ…あだ!」 「さ、沢田さん!大丈夫ッスか!?」 「だ、大丈夫…痛いけど」 「そこのてめぇえ!何落としてやがんだ果たすぞだらぁぁ!」 「ひっ!す、すみませんっしたぁ!」 「おい、もうい、行こうぜ!」 「お、おう!」 「待てコラてめぇら!土下座して詫びやがれこの野郎!」 正に脱兎の勢いというのか、起きている男二人は気絶している友人を引きずりながらその場から逃げ出した。 あんなどうしようもない連中でも、友情には厚いらしい。ちょっと見直した。 獄寺は一瞬追いかけそうな仕草を見せたが結局行かず、地面に尻を打ち付けた綱吉に駆け寄ってしゃがみ込んだ。 「大丈夫ッスか?」と壊れ物を扱うような所作で手を差し伸べてきたので、思わずその手に手を乗せる。 獄寺は、甲斐甲斐しく綱吉を支えながらゆっくりと立ち上がらせてくれた。 「あ…ありがとう」 「いえ。大したことにならなくてよかったッス」 「あの、獄寺君は…どうしてここに?」 「え?あ、実は俺ここに通ってるんスよ。言ってませんでしたっけ?」 え−−−っ?! あまりにも意外な情報に、綱吉は心の底から驚愕する。 このイケメンヤンキーが難関でエリート至高な至門大に?!まさか! 獄寺は先程男たちに見せたあの表情とはまったく違う顔で、にこやかににかっと笑った。 「今日はこの後講義があるんでちょっとここで一服しようと思って来たんですけど、まさか沢田さんにお会いできるとは!さっきの奴らは必ず見つけ出してきっちりと落とし前つけさせますんで、ご安心を!」 「いやそんな、落とし前とかはほんといいから!ていうか君、頭よかったんだね…凄いや」 「えっ、いや…全然ッスよ!でも、沢田さんに褒めていただけて光栄です…!」 見た目と中身のギャップがかけ離れすぎてるよ…!ここまでくると最早詐欺だ。 頬を染めて照れくさそうに頭をかく獄寺をしばらく呆然と見つめていたが、そこではっと古里炎真の存在を思い出した綱吉は、瞬時に思考をそちらけと切り替えた。 慌てて顔を少年に向けてみれば、彼は少し寂しそうな様子でこちらの方を見つめている。 「それであの…沢田さん、この後もしよかったら、一緒に学食で昼飯食いませんか…?俺奢りますんで!うちの学食、なかなか旨いンですよ!」 「あ…ごめん獄寺君!俺今日は、ちょっと約束があるんだ!また今度ね!」 「え!?ちょちょ、沢田さん、待って下さい!」 せっかく会えたのに…!という悲痛な獄寺の声を背に、古里少年の元まで走り寄った綱吉は、痛々しく血の浮かんだその口の端にハンカチを当てて、止血をした。 「大丈夫?炎真君…歩ける?」 「……うん」 「早く手当てしなきゃ…!獄寺君、ほんとごめんね!また後でね!」 俯いたまま綱吉を見ようとしない古里少年を促し、綱吉は裏門から通りへと歩き出した。 綱吉が「さっきはほんとにありがとう!」と頭を下げると、獄寺はこちらに手を差し出したまま、何とも言えないような微妙な引き攣り笑いを浮かべた。 きっと、行ってほしくない想いと、お礼を言われた嬉しさで胸中がないまぜになっているのだろう。 ディーノさんもそうだけど、後でちゃんとお礼を言わなきゃ。 あれ、でも俺、獄寺君の携帯番号もアドレスも知らないや。 続 [*前へ][次へ#] |