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MOTH and CHAIN22




 誰かに守られていると実感したときのあの心地よさを、何と言おう。

兄が好きだった。
寝ぼけ眼なままのふわふわとした意識の中で髪の毛を撫でてくれる優しげな所作や、襟元の乱れを正してくれる繊細な指使いも。
テレビを見る時膝枕をしてくれる体の温かさや、料理や洗濯をしている時に浮き出る背中の逞しい肩甲骨も。
自分が名を呼べば、例えそれがどんなに小さな声だとしても、必ず振り向いて笑ってくれるその顔も。
大好きで愛しくて、自分にこんなにもかっこよくて優しい兄がいるということが、ルフィの密かな自慢だった。

兄が好きだった。
何をおいても自分を第一に考え大切に扱ってくれる、兄のことが心から好きだった。
だから、いつしか兄弟の枠をはるかに超えた思いで見つめられるようになったとき、こう思った。

何故自分は、こんなに自分のことを想ってくれる兄に、同じ想いを返してやれないのか。
何故、自分の中を占めるこの愛は、家族の域を超えることがどうしてもできないのか。
どうして、あのブラジルで出会った幼い兄妹のように、同等の愛情を兄に抱いてやれないのだろう。
どうしてなのだろう。
何故。

兄は、そんな自分の考えを「常識に囚われているからだ」と思っているようだけれど。
多分、それは違うのだ。
そんな言葉でどうにかなるくらいの気持ちだったら、今頃とっくに兄に堕ちている。
自分のこの気持ちはつまり、そんなに複雑なものではなくて。
つまり、もっと単純なものなのだ。


(……俺は、エースを………)


つまりは。






























サンジ、ナミ、ウソップ、ゾロの四人は、朝霧が立ち込める静寂漂う住宅街に、ひっそりと集まった。
全員、今日は学校をさぼる算段である。
サンジは、銀杏並木が連なる突き当たりに全員が集まったことを確認すると、そこから見える兄弟の家を一瞥し、軽く深呼吸をした。

「…じゃあ、ここからは計画通りに」
「おう」
「ああ」

サンジの台詞に、三人とも神妙な表情で頷く。

「ナミさん、さっきも言ったけど、こいつらが仕掛けた後あいつがいなくなったら、すぐに打ち合わせした場所に逃げてね?万が一あいつが動かなくても、大丈夫。俺が何とかするから」
「うん、分かってる」
「…ほんとはこんなことに、ナミさんまで巻き込みたくなかったんだけど…」
「あら、今更何言ってるの?私なら平気よ。ただちょっとお兄さんとお話しして、気を引いてればいいんでしょ?そしてお兄さんがいなくなったら、すぐにこいつらと合流する。大丈夫、何も心配いらないわ」

絶対うまくやるから安心して!とウインクするナミに、それでもサンジは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
あの男のことだ。必要と感じれば、例え相手がナミでも迷わずに攻撃を加えるだろう。
ああいう手合いは常に警戒を怠らないだろうし、あまり上等とは言えないこんな計画では、ちょっとした弾みですぐに見破られてしまうかもしれない。
証拠さえ揃えばあとは自分一人でと思っていたのだが、どうしても最後まで協力したいと引かない三人に、サンジはいまだ不安を拭い去ることができずにいた。

「なーによサンジ君。まだまごまごしてるの?大丈夫だってば。私たちは私たちのやるべきことを、しっかりこなすだけなんだから」
「…でも、もしナミさんに何かあったらと考えると、俺ぁ…」
「って、俺たちのことはどうでもいいんかい!」
「心配すんなグルマユ。念のため、ナミが来るまで俺が家の塀の影に隠れておいてやる。それなら文句ねぇだろ?」
「は?文句大有りですが。藻類ごときにナミさんを任せられる筈ねぇだろ誰がグルマユだこのクソ藻ヤローが。しかしまぁ、確かに長っ鼻よりはまだ1ミクロンほどはマシだからな。しょうがねぇしっかり守れよ」
「ぁあ?てめぇこの期に及んで何のつもりだアホエロコック」
「なぁ俺の扱いちょっと酷くないか?一応今回一番の功労者だと自負してるんだけども」

またもやくだらないことでぎゃあぎゃあと諍いを始めた友人たちの頭を、「やめろ!」とナミが殴って止めた。
女の力とは思えないほどの威力なので、三人はぶっ!と目を丸くする。

「って…てめぇ何しやがるナミ!」
「め、目から星屑が…!」
「大きな声出すんじゃないわようるっさいわね!今はそんなことでああだこうだやってる場合じゃないでしょうが!ちょっとあんた!サンジ君!」
「は、はい!?」

ウソップと同様、衝撃でちかちかと明滅する視界に四苦八苦していたところを、ナミに胸元から締め上げられた。
ひ!と悲鳴をあげながら反射的に返事をすると、その翡翠色をした勝気な瞳と目が合う。
ナミは怖い。強いから、怖い。
優しく強い女性は、それだけで美しい。


「いい加減腹くくりなさい!何のためにここにこうしているのかもう一度ちゃんと考えて!あんたが一番しっかりしなくちゃダメでしょう?!」


ナミに言われて、はっとする。
そうだ。一体何を戸惑って、弱気になっていたのだろう。
穴だらけの歪な計画だが、周囲を納得させるだけのものならこの手元におさまっている。
それに、絶対にしくじるわけにはいかないのだ。
何のために、ここにいるのか。

そんなの、決まっている。















家から顔を出した兄とナミが会話している間、サンジは開かれた玄関扉と家壁の間に挟まって、そのときが来るの息を顰めながら待った。
ナミの声が聞こえたと同時に、家の裏手へ回ったゾロとウソップが、何らかの悪戯をして兄をそちらへと引きつけてくれる手筈となっている。
しばらくすると、裏の方から凄まじい音がして、意外なほど慌てた様子で兄が家の中から転がり出て行った。おそらく、何らかの機器的な物を破壊したと思われるが、それにしてもあの慌てようは、いささか大袈裟にも感じた。
思いの外あっさりと引っかかり、少し呆気なくも思ったが、ナミが玄関先に立っていたことで開け放たれたままの家の中に、すぐさま入り込む。
すれ違いざま、先に去った筈のゾロとウソップのもとへ行くよう、ナミに促した。ナミは一つ頷くと、心配そうな眼差しで一度家の中に目をやり、小走りで通りの方へと駆けていった。

サンジは、気がはやりながらもナミが無事に逃げたことを確認すると、そのまま真っ直ぐ二階へと続く階段を登った。
二階の部屋を寝室に使っているということは、大体予想がついていた。
階段を登りきると、右に一室、左に二室部屋がある。
左の二部屋は衣類などの生活必需品がしまいこんであるのか、秩序的ではあったが粗雑に物が置かれているのが薄く開いた扉から見えた。
廊下側から見れば二部屋あるように見えるが、二つの部屋は一枚のスライド式の壁で繋がっているらしく、奥の方の部屋にはステレオと、本棚のような家具が置いてあった。
そうということは右手の部屋かと思い、階下の様子を気にしながらドアノブに手をかけ、静かに扉を開ける。
ギ、と音がした途端、薄暗い室内の中央に置かれたベッドの上でごそりと何かが動いたのが見えたので、弾かれたように中に入った。

一瞬、目を疑った。

ベッドには、タンクトップにハーフパンツを身にまとったルフィが、両手両足をベッドにくくりつけられながら、ぐったりと横たわっていた。
ふ、ふ、という呼吸音が聞こえるので生きてはいるのだろうが、元々細かった体が更に痩せ細ってしまっているし、縛られている個所が赤黒く変色してしまっている。
左手首に包帯が巻かれているのが気になったが、それよりももっと、左肩から流れている血の方が目についた。
暗くてよく見えない空間の中、ベッドの足元に敷かれたビニールシートの上には鋸やナイフ、注射器などが乗っているおぞましい光景が広がっていて、改めてあの兄の異常性に身の毛がよだつ。
背筋に何か冷たいものを感じながら、ルフィの顔を見やる。
嗚咽のような忙しない呼吸のわりに、体の動きが鈍く思えた。
ぼろぼろと涙を流してはいるが、悲しみや恐怖で泣いているというよりは、瞼を思い通りに動かすことができないがために、自然と流れてしまうという様子だった。
注射器の傍らに、薬品を入れた瓶のようなものがいくつか転がっている。
何らかの薬を打たれ、体の自由がきかないのかもしれない。
とはいえ受容器官はしっかりと機能しているらしく、サンジが部屋に入ってきたのには気付いているようだ。
しかし顔面が蒼白で、唇が小刻みに震えている。
久しぶりに見たその顔は、血の気がなく、ところどころ不健康にくすんで見えた。
なるだけそっとそばに近寄り、小さな声でルフィの名前を呼ぶと、強張ったルフィの表情が、幾分か緩んだ気がした。


「ルフィ…俺だ。兄貴は今下にいる。お前これ…何された」
「……、…、」
「…喋れねぇのか?クソ…お前の兄貴どんだけなんだよ…!待ってろ、今、外してやるからな」

床に放置されていたナイフを掴み取り、ルフィの四肢を戒めている縄を切ってやる。
解放はされたものの、だらりと脱力したまま動けない様子のルフィの体を横抱きにし、「逃げるぞ」と短く告げた。
ルフィの弛緩しきった目が、僅かに見開かれたのが分かった。
サンジの胸元を、力の入らない腕でルフィが押し返してくるのを微かに感じる。
外に出ることを拒否しているのか。
ルフィのことだ。きっとあんな兄でも一人残していけないだとか、そんなことを考えているに違いない。
サンジはルフィの肩を強く抱きながら、顔を突き合わせてやや強い口調で言った。
今まで虱潰しに調べて得た確証を、ルフィにも教えてやりたかった。
これを知れば、ルフィもきっと思い知る。あの兄は、普通ではないと。例え兄弟としてでも愛される資格のない人間だと、思い知ることができるのだ。
何故ならあの兄は、


「ルフィ、お前の兄貴は、お前のじいちゃんを殺したんだ…!」
「………」
「証拠もある…ウソップが裏をとってくれた。もう全部知ってる。こんなところにいたら、お前も何されるか分からねぇぞ…!?」


あの日、市営図書館で、サンジは「自殺推進サイト」というページに辿り着いた。
それは、自殺したい人間が集団自殺をする相手を募るという悪趣味な趣向のウェブサイトで、更にそのリンクページには、同じような類のページがいくつも貼られていた。
主要ページは掲示板が主で、書き込まれている内容も大体が、「一緒に死にませんか?」といったものだった。
しかし、中には「楽に殺してくれませんか?」や、「自殺に巻き込みたい人間はいませんか?」などの書き込みもちらほらと見受けられ、それに何か引っかかるものを感じたサンジは、血眼になりながら、いわゆる自殺サイトと呼ばれるたくさんのサイトを、隅から隅まで覗き込んだ。
数日後、予想が当たった。
その書き込みを見つけたとき、確かな手ごたえと、複雑な思いが胸中を巡った。
書き込みの内容は、「一瞬で死にたい人を募集。条件として、要大型免許。希望者は至急連絡されたし」という簡単なものだったが、機械に詳しいウソップにそれを調べてもらってみたところ、書き込みの発信源が特定できたのだ。
更に、少々危険な行為ではあったが、事故があった地元の警察署の情報からも裏を取り、その書き込みにレスをした数人の個人情報を秘密裏に漁ってみた。するとなんと、その内の一人が、兄弟の祖父と衝突事故を起こした男のものであることも判明したのである。
おそらく兄は、普段からちくいち祖父の今の現在地や、これから向かう移動先の報告を本人から受けていたのだろう。そして、掲示板で知り合った金に苦悩している男としめしあわせ、故意にあの事故を起こしたのではないか。
利用するために選んだ男は、ただ漠然とした自殺願望のある相手ではない。
借金に悩んだ、家族ともども明日の生活も分からないほど切迫した相手なのだ。
そんな人間が、言葉巧みに「あなたが今ここで事故などで死ねば、どれくらいの保険金が家族に残ると思いますか?」などと説得されたとしたら、それこそ神の御言葉の如く、自分を誑かす人間の言葉に心酔してしまうのではないだろうか。
そのあたりは最早サンジの憶測に過ぎなかったが、事実がどうであるにしろ、言いえて妙には変わらないという確信がある。
現実に、ルフィは普通なら考えられないような劣悪な環境下で、虐待を受けていると言っても過言ではない状況に陥っていたではないか。
こんなところに、あの男の手元なんかにいてはいけない。
自分の欲望を果たすためなら、身内ですら残酷に殺す男だ。しかも自分の手は一切汚さない、何も関係のない他人を巻き込んだ、そんな卑劣な手を使うような。


サンジは、感情の浮かばないルフィの呆然とした顔を見つめながら、必死に説得をした。
表情筋まで委縮してしまっているのか、ぽかんと口を開けたまま何も反応しないルフィに向かって、それでも真摯に「警察に行こう」と言う。
うまくしてルフィを助け出したあと、今の話をどうやって警察に伝えようか考えあぐねていたが、今のこのルフィの状態を見せれば、間違いなく何らかの行動を起こしてくれるに違いない。
サンジが今しがた話した事実を、ルフィがどう受け止めたのかはまだ分からないが、とにかく外に出ようと、軽い体を抱えながら立ち上がった。




瞬間、後頭部に鈍い衝撃が走る。
鈍い脳の揺れはすぐに重い痛みへと変わり、サンジは抱えていたルフィの体を再びベッドへ落としてしまいながら、その場に崩れ落ちた。

頭の中が、ぐわんぐわんと揺れる。
覚束ない視界で弱く周りを見渡してみると、方向性の狂った視線の中で、自分の背後に佇んだ兄の姿が見えた。
その手には、木製のバッドが握られている。年季の入ったバッドだった。
グリップのあたりに、ルフィの名前がマジックで書かれているのが目に止まった。

こめかみのあたりを、生温い液体が伝っていく。
そんな自分を見て、無表情を決めていた兄の顔に、薄い笑みが張り付いたのが分かった。
生気の感じられないその笑顔の額に、生々しい傷の痕が浮いて見える。
サンジの背後に立ちはだかった兄が、ゆっくりとバッドを振りかぶった。


−−−−殴られる、


思考が揺れて次の動作に移れないサンジの予測はしかし、はずれた。
目をつぶる余裕もないまま網膜に焼き付く情景に、ああ、と感嘆なのだか驚嘆なのだか、よく分からないような声がもれる。

サンジにバッドが振り下げられる直前、いつの間に拾っていたのか、ナイフを両手に持ったルフィが、軽く、本当に軽く凭れかかるようにして、兄の懐に飛び込んだ。

一瞬、世界が止まる。


まるでビデオのコマ送りのような光景の中、きょとん、としたような顔のままの兄が膝をつき、そして倒れ伏す。
兄とともに座り込んだルフィは、それをだらんとした姿勢のまま、ぼんやりと見つめている。
うつ伏せの姿勢で床に倒れた兄の腹部からは、血溜まりが広がっていた。
赤い色のそれは、ゆっくりと、徐々に、徐々に、大きくなっていく。


「………ル、フィ、」


表情は何も感じてないようなのにも関わらず、ルフィのもとまで伸ばされた手は、がくがくと震えていた。
数秒後、兄は痛みに耐えるような顔をして、ごほ、という咳払いと同時に、少量の血液を吐く。
サンジはそこでようやく、ルフィが兄をナイフで刺したのだということを、理解した。


「……大丈夫、だ…兄ちゃんなら、大丈夫だ、痛くない…」


薬のせいなのかどうなのか、ルフィはただ、ひたすらにぼぅっと、兄を見つめているだけである。


「ルフィ……愛してる、から……」


手が、力なくぱたりと、床に落ちた。


「…ずっと、そばにいる…一人には、絶対に、しない…。約束、したもんな…ずっと、そばに、って…」


咳混じりの声と、呼吸する音が小さくなり、兄はやがて動かなくなった。
血にまみれた薄い唇が、緩く弧を描いている。

弟に刺された兄と、そんな兄をぼんやりと眺める弟と、
そして、まるで部外者のような自分だけが存在する空間に、サンジは何故か孤独感じみたものを感じた。

時間だけが過ぎてゆく。
家の外が段々、騒がしくなる。
この箱庭とも呼べる空間の中で、何が起きているのか。外にいる彼等は誰も知らない。



そうして今日もまた世界では、いつもと変わらない日常が始まる。






































































あと一話!あと一話だけお付き合いください!だらだらとすみません!;;
どうでもいいけど、難産過ぎて過去最強に支離滅裂ですね!

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