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MOTH and CHAIN18




 初めて「生きている」ということを実感した日。
自分にとってのそれは、長い昏睡状態から兄が目覚めた、冬の最中のある日の夜であった。
二日ほど降り続けた雪がようやく溶け始め、少し前とは打って変わって晴れ間が続いていた頃、数週間に渡ってずっと眠り続けていた兄が、ようやっと目を覚ました、その日。
兄を担当した医者はずっと大丈夫だ、命に別状はない、と言っていたが、幼い自分には、もう二度と額を割った兄が目覚めないような気がして、恐ろしくて悲しくて、兄の横たわるベッドの傍らで、毎日のように泣きじゃくっていた。
そんな兄が予兆もなく、呆気なく目を覚まし、痛々しく幾重にも頭に包帯を巻かれてはいたが、記憶障害になった様子も見せずに隣で泣いている自分に笑いかけてきたので、自分は嬉しさと申し訳なさとでいっぱいいっぱいになり、ますます大声で泣きわめき、目覚めたばかりの兄を困らせてしまったと思う。
兄は、そんな自分の頭を弱々しい力でぽんぽんと撫でてくれ、「大丈夫だ、ほら、あったかいだろ?」と、慰めてくれた。
兄ちゃんは生きているだろう?と、なかなか泣きやまない自分の手を、当時はそんなに大きさの変わらなかった掌で包み、ぎゅう、と握り締めてくれた。
その手は暖かかったけれど、やけにかさかさとしていて、握る力もとても弱かったことを覚えている。
普段、兄の手は健康的な肌色を誇っていたのだが、長い間寝たきりだったのですっかり全体的に色素が薄くなってしまい、指先まで青白くなってしまっていた。

「そんなに泣くなよ」と、兄は言う。
自分が泣くと、兄まで悲しむ。それがとても嫌だったから、涙を止めようと頑張ったけれど、まるで瞼の中で眼球が溶け出しているのではないかと思うくらい、流れ出るものを止めることができなかった。

「ルフィ、ごめんな」と、兄が眉尻を下げる。
兄は、これっぽっちも悪くなんかないのに。
寧ろ悪いのは、兄をこんな目に合わせたのは、自分が無防備であったからなのに。
そう言いたいのに、どうしても言葉が出てこない。
結局頭を弱く横に振るしかできなかった自分に、優しく微笑みながら兄は言った。
「ルフィ、兄ちゃんはな、」と切り出されたその言葉に、腫れぼったくなった重たい瞼をぱちりと瞬かせて、自分はようやく兄の顔を見ることができた。
その拍子に頬に流れた一筋の涙の温かさを、自分はきっと、一生忘れることができない。
































日がな一日家の中にルフィがいると安心しているからか、このところエースは、四六時中ルフィにくっついているということをしなくなった。
ルフィ自身が特に欲しがったわけではないのだけれども、何もしていないのはさすがに退屈だろうと気にしたエースが、先日大量に娯楽物を買い込んできてくれたので、今寝室の中にはたくさんの漫画や週刊誌、ゲームなどが所狭しと置かれている。
あれからサンジからの連絡も、朝の訪問もぱたりとなくなり、この家は完全にルフィの檻となり果てた。
すっかり外への欲求がなくなり、ひたすら居間か寝室でぼんやりと過ごす時間が多くなったルフィの事を、エースは手厚く、大切な宝物を守るように囲っている。
もう弟が自分から離れていく不安がなくなったからだろうか、それまで毎夜のように行われていた性交も、今は日をおいて求められることが多くなった。
それでも、交わるときは全身全霊を以て加減なく兄のすべてをぶつけられるので、ルフィの心や体に何も負担がかからなくなったとは、とても言えないのだけれど。

あれからすっかり気が抜けてしまったらしいエースは、意外なことに、携帯をルフィに返してくれた。
その代わり、一日に数回は中身をチェックされるのだが、再びナミやウソップ、それにたまにしか電話がこないがゾロとも、連絡がとれるようになったことをとても嬉しく思った。
みんなは、何故ルフィがこんなに学校に来ないのかとこぞって質問してきたが、それにはっきりとした言葉で答えることはとてもできなかった。けれど、エースに言われるがまま「なかなか完治が難しい病にかかってしまった。しかし日常生活には何ら支障はない」と説明すると、遠慮も手伝ってか、三人ともそれ以上突っ込んではこなかった。
久しぶりにみんなの声が聞けて嬉しかったけれど、自分が一番待ち望んでいる声は、あれからずっと聞くことができないでいる。

決して自分のせいではないとはいえ、あのとき快楽にかまけて負けてしまった自分を、憎らしく思った。
性的な衝動が、あんなに耐えられないものだったとは考えもしなかったのだ。
空港でのことといい、先日の電話といい、サンジはどんな気持ちだっただろう。
今、熱が冷めた頭で考えてみても、途端にいたたまれなくなって体をその場で縮こまらせてしまう。
あんな状況で、気付かれない筈がない。
自分と兄が、この家の中で何をしているのか、なんて。


「………」


ベッドに寝そべったまま、膝を折って体を小さくした。

このまま、誰にも会わず、外に出ることもなく、ずっと兄に飼い殺されるのだろうか。
一生?何年も何年も、長い間?ずっと?
そんなの、そんなのは、


「………そんなのは、嫌だ、」


みんなに、サンジに会いたい。
サンジにおいてのみは、もう関係の修復はできないだろうけれど。
エースのことは憎めないが、この先ずっと二人でしか生きていけないだなんて、死んでもごめんだ。
いや、死んだ方がましだった。

いっそのこと、死んで消えてしまおうか。
ここで死んだりなんかしたら、確実に祖父から殴られるだろうけれど、きっとこんな汚れた自分は祖父と同じ場所には行けないだろうから、そんなことはもう構わないで済む。
死んでしまったら、もうサンジにも誰にも、会えなくなるけれど。
この状況から抜け出すことができるのなら、いっそ、
いっそ、



































「ウソップ、頼みがある」

夏休みが明けても、馴染みの面子で屋上で昼食をとることは、変わらない日課だった。
ただそこにルフィの姿がないだけで、学校生活と言う日常は、何の変哲もなく普段通りに進んでいく。

今日はウソップの大好物であるらしい秋刀魚の酢漬けをたっぷりと弁当箱に押し込み、更にお絞りまで持参して、恭しく広げて手渡しまでしてやった。
ウソップは、男である自分にそこまで尽くすサンジの姿に不審なものを感じたのか、何だか変な表情をしながらも、いつものように食べ物をかきこんでいる。
ナミとゾロも、妙な面持ちでそんなサンジの行動を見つめていたが、やがて頃合いを見計らって冒頭の台詞をサンジが言いだすと、ああそういうことか、と、目を逸らして一様に食事を再開した。

少し前の朝、ルフィの携帯を使って電話をかけてきたあの兄の思惑通り、サンジは鈍器で頭を殴られたようなショックを受けてしばらく立ち直れなかったが、あれは確実に合意の上ではない行為だと確信し、その後はただ、ルフィを取り巻くあの環境をどうにかしなければ、と、そればかり考えていた。
かなりの確率で、兄はあの行為を日常的に行っているのだと思う。
それが事実だとしても、あの男をあそこまでの狂行に至らせたのは、おそらく自分のせいなのだろう。
弁当を口実にした自分が、毎日のように圧力をかけ続けたからだ。
最低な予想を考えてはいたが、まさかあそこまでとは思いもしなかった。いや、というよりも信じたくなかったと言った方が正しい。

「兄を愛している」と言ったルフィの言葉にまったく傷付かなかったわけではないが、それでも実の兄に強引に組み倒されていた友人は、確かにあのとき、小さく「嫌だ」と言ったのだ。
そこから先の兄の戯言はもう思い出したくもないが、そこでサンジは頭の片隅で、級友のウソップがエンジニアを目指していることをはたと思い出していた。
確かウソップは、ルフィの祖父を巻きこんだあの事故には、不審な点がいくつかあると言っていたのではなかったか。
電話が切れたとき、サンジはまず市営の図書館に駆け込み、ネットで片っ端から事故のことを調べ上げた。
そこで、あるニュースを取り上げたウェブサイトの中から、「自殺」というキーワードでリンクされているサイトを見つけたのである。
そういえば、ルフィの祖父のトラックに頭から突っ込んだ男が、実は自殺するためにわざと事故を起こしたのではないかと少しだけ噂されていたのを思い出し、サンジはそのサイトに入り込んで内容を見てみた。
その中身を確認した結果、サンジはある確信を持ち、他に何か情報はないかと隅々まで調べ上げてから、数日後にこうしてウソップに掛け合っているのだ。

ウソップは、サンジからの珍しい懇願に目を丸くしていたが、サンジの表情からそれが本気だと分かったのだろう、やや渋々ではあったが、最終的には分かった、と頷いてくれた。
渋るのは当たり前だ。今サンジがウソップに頼んだことは、犯罪すれすれのことなのだから。
それでも、さすがにルフィの立場が危うくなるので皆までは言えなかったが、ルフィが兄にあの家で軟禁されているらしいことを話すと、三人とも驚いた顔はしたが、それは瞬く間にどことなく納得したような表情に変わった。
どうやら事態が深刻であるらしいことをサンジの説得から分かってくれた友人たちは、非常に危険な手段であるサンジの目論見に、協力してくれることとなった。
できるなら今すぐにでもあの兄からルフィを救い出してやりたいが、決定的なものを手に入れるには、まだまだ時間がかかる。
歯がゆい気持ちを何とか抑え付けていると、隣でナミが「私のせいかしら…」と、不安そうな声を出したのが聞こえた。

「私が、強引にルフィをボランティアなんかに誘ったから、お兄さんに拍車をかけちゃったのかしら…もしそうだとしたら、私、ルフィになんて謝ればいいの…?」
「それは違うよ、ナミさん。俺だって、ずっとあいつの様子がおかしいことに気付いてたってのに、結局何もできなかったし…」
「俺も…あいつのじいちゃんが死んだってニュースで知ったとき、無理にでも帰ってお悔みに行ってたら何か変わったかもしれねぇのにな…」
「あの兄貴、自分のじいちゃんが死んだって様子じゃ、まったくなかったからな…。それにしても俺の動物的第六感でいくらでも…」
「…あーっ!!とか言ってここでぐちぐちと落ち込んでても仕方ないわよあんたたち!まずはルフィを学校に来れるようにしてあげないと駄目でしょ!悩むのはそれから!」
「いやお前が一番に落ち込んでたからだろ!」
「相変わらず変わり身の早ぇ女だなてめぇは!」


ぎゃあぎゃあと賑やかなその顔ぶれを見ていると、どんなに気分が塞ぎこんでいても救われる気がす
る。
ルフィは、賑やかなことが大好きだった。
だから早く、みんなで楽しく過ごせる空間に連れ戻してやりたい。
「私たち、何でもするからね、サンジ君!」とナミに肩を叩かれて、サンジは弱くだが、頷きながら微笑んだ。




































































ナミはサンジの気持ちに気付いていますよ。
今回はちょっと短めになっちゃったかもなぁ。←余白で誤魔化した感。

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