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MOTH and CHAIN




 夢というのは、深層心理の表れだ、という謂われがあるらしい。
だから、ルフィの見る夢には、大好きな食べ物をたらふく食べるという、うっとりとするような内容が多い。
ある専門家が言うには、人間は毎晩夢を見る生き物らしく、そのなかでも特に印象深いものを記憶に残す、らしい。
夢というものは、そのほとんどが大抵漠然としているために、人間の脳の中には残らない。
だが、より深い心理の中から派生した夢は、わりかしストーリー展開もしっかりとしているため、人間が「夢を見た」と認識できるほどの影響を与えるというのだ。たとえば腹いっぱいに食べ物を食べるという、ルフィのその夢のような。





その男の背後にうつる光景は、赤と黒とのぐちゃぐちゃとしたまずそうなマーブル模様のようで、何だか気持ちが悪かった。
自分の目の前に聳える、そう、まるで木のように聳えているのだ。その男は。
その男は、手に持った拳大の石を、自分に向かって振り上げていた。
全身が黒く煤けていて、まるで全容が分からないその男に、自分は今殺されかかっている。
まるで他人事のようにその一部始終を見ている自分だが、体が面白いくらい震えているのが分かる。多分、自分は怖いのだ。こんなに震えているくせに、体がまったく動かないのだから。
そして、今まさに石が振り下ろされようとしたその時、男の背後から何か怒鳴り声がして、その背中に小さな体が飛びかかった。
兄だった。まだ幼いが、あれは確かに、血を分けた自分の兄だ。
掴みかかろうとする男に振り回されながら、幼いながらも必死な形相で兄が叫ぶ。
子供特有の高い掠れた高い声が、自分の名を呼ぶ。逃げろ!と言う。
弾かれたようにその場から駆け出す。男と兄の横から、滑り出るように走り抜ける。
全身の神経が麻痺してしまったみたいに、うまく体が動かせない。がむしゃらに足を動かしているから、もつれて転んでしまいそうだ。
けれど必死に走った。後ろでは、まだ兄の声が聞こえている。
もう何て言っているのかも分からなかったが、とにかく自分は走り続けた。
何が何だか分からないが、兄が助けてくれた。いつものように。守ってくれたのだ。
だからきっと大丈夫。ただ少しだけ、日常と違う事が起きただけだ。だから大丈夫。大丈夫。
だって兄が助けてくれたんだもの。これまでだって、何があっても兄が何とかしてくれたもの。
だから大丈夫。絶対に絶対に、大丈夫だ。

後ろから、何が鈍い音がした。嫌な音だ。
思わず振り向いた。
真っ赤な湖の中に、兄がぐったりと横たわっていた。


















浮遊していた体が、一気に落下する感覚。
びくっと痙攣して目を開けると、ひやりとした掌が額に乗せられた。
じっとりとした、不快な汗を体中にかいていた。心臓が早鐘を打っている。胸がとても息苦しかった。

「ルフィ、ルフィ、大丈夫か?」

掌で影がかかった見慣れた天井の前に、兄の顔が覗いた。
そばかすの浮いた、穏やかなその表情にほっとする。
また、あの嫌な思い出を夢に見た。
ルフィはそう思いながら、からからに渇いた喉を咳払いで整え、張りのない声音で兄の名を呼んだ。

「…エー、ス」
「おはよう。今朝はいい天気だぜ。朝飯作ったから一緒に食べよう。兄ちゃん特製のふわっふわなオムレツだ。好きだろう?」

あてがわれた手がそのまま上に伸び、前髪をかきあげられてさらされた額に、兄であるエースが啄ばむようなキスを落とす。
指先でこめかみに滲んだ汗を拭われて、ルフィはようやくにこりと笑った。
エースの、真ん中で分けられた前髪の合間から、痛々しい傷の痕が見える。
ケロイド状になった肌が、額の上を縦に走るように隆起して、その縁を間隔をおいて枝のような痕が走っている。
あの時、ルフィを助けた際に負った、ルフィにとって忌々しい傷だった。

「ずいぶんうなされてたな。またあの夢を見たのか?」
「………」
「さすがに夢を見るなとまでは言えねぇが、あんまり気にすんなって言ったろう?もう10年も前の話だし、何より兄ちゃんはちゃんとこうして生きてる。な?ルフィ」
「うん…悪ぃ、エース。もう大丈夫だ。おはよう」

さっきのお返し、とばかりにエースの頬へキスを贈り、ルフィはベッドから身を起こした。
汗で湿った寝巻が、肌にまとわりついて気持ち悪い。
部屋の窓を開けて空気を入れ替えているエースは、ルフィの起床に上機嫌だ。
スリッパを履きながらその後姿を意味もなく見ていたルフィの耳に、「今日の予定は?」という、歌うような声が届いた。

「えーと今日はー、授業のあと補修があって、帰るのいつもより遅くなる」
「そっか。補修は誰と受けるんだ?」
「んー、ゾロと、ウソップ」
「ははは、またいつものメンバーだなぁ。そういうのも変わり映えしねぇとつまらねぇだろ。補修なんてすっぽかして、帰ってきちまえばいいのに。勉強なんて、いつでも兄ちゃんがみてやるのになー」
「つまんなくねぇよ。いや、勉強は嫌ぇだけど、あいつらといるのは凄ぇ楽しい」
「そっかそっか。そうだよな。ルフィは友達、たくさんいるもんなー」

変わらず歌うような調子で話すエースをしり目に、顔洗ってくる、と部屋を出ようとしたルフィの体を、二本の腕が包んだ。
汗に濡れた寝巻に、兄の体温が染み込んでくるように伝わる。
一瞬、体が強張った。背筋に悪寒が走る。
これはただのスキンシップだ。仲のいい兄弟の、単なる親愛を表したスキンシップなのだ。
そうやって、必死に自分に言い聞かせた。


「でも、俺が一番好きだろ?なぁ、なぁそうだろ?ルフィ」
「………」
「ルフィは俺がいないと生きていけないもんな?何よりも俺が一番大事な筈だろう?そうだろう?そうだろう?ルフィ」


兄が自分の事を「俺」と呼ぶときは要注意だ。
反射的に浮かんだ自分だけの条項に、ルフィの顎が震えた。
「そうだね」と、やっとそれだけを絞り出す。
エースの体温がまとわりつく。
気持ち悪い。いや気持ち悪いなんて思っちゃいけない。
エースは自分のただ一人の兄で、家族で、
命の恩人、だ。


「そっか、よかった。兄ちゃん安心した」


ルフィの言葉を聞くなり、いつもの朗らかな笑顔を浮かべたエースが、「先にキッチンに行ってる」とルフィの頭を一撫でし、部屋から去っていった。

兄の生温かい体温が、いまだに寝巻の下の肌に残っている。
さっき目覚めたときの同じように、心臓が激しく鼓動を打っていた。















































エースへのこの煮えたぎるような愛情をいったいどうしてくれようか。
さのばびっち!

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あきゅろす。
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