もういいよ(骸綱雲) ※『まあだだよ』の続き 欲情するんです、と自分が正直に本音を漏らすと、目の前でこちらをきつく睨んでいる雲雀に、最低、と苦々しく詰られてしまった。 「君の貞操観念は一体どうなってるの」 「心は綱吉君だけのものですよ」 「ほざくんじゃないよ。あの子が何も言わないのをいい事に、好き勝手やりやがって」 雲雀の珍しい口汚い台詞に、皮肉気に微笑む。 何を言おうが所詮は負け犬の遠吠えなのだ。 この男はそれに気付いていないのだろうか。愚かな。 「君は、いいえ誰もがそう言うけれど、僕のこの行為はむしろ、彼への多大な愛がなければ出来得ない事なのですよ」 「言ってる意味が分からない。君のその性分の、どこが愛だ」 「君に分かる訳がない。分かる筈がないでしょう。だって君は、彼に愛されていないのだから。僕のように、彼の深部を知っている訳ではないのだから。君は彼の、何も知らない」 鷹揚に両腕を広げながら、これ以上ないという程陶然と言ってやると、雲雀は悔しそうに下唇を噛み、ますます憎悪のこもった目でこちらをぎろりと見た。 この男の胸の内は手にとるほど分かる。 かつての自分もそうだった。 雲雀もあの子が欲しくて欲しくて堪らないのだ。 なのに手に入らない。おそらく、嫉妬と所有欲で気が狂いそうであるに違いない。 しかも今あの子の隣にいるのは、他でもないこの自分だ。 もしこれが逆の立場だったら、とてもじゃないが堪えられないだろう、と思った。 彼が他の誰かの、しかもこの男のものにでもなろうものなら、きっといや確実に、気が狂ってしまうだろう、と。 そういう意味では、同情している。 この、十年前から憎くて憎くて仕様がない男に、同情すら感じるのだ。 今の雲雀の引きちぎれそうな心情を思えば、それは更に。 「残念でしたね」 「は?」 「君も彼が欲しくて欲しくて、仕方がないのでしょう?雲雀恭弥」 唇の端をあげたまま笑い混じりに言うと、雲雀の拳が握り締められたのがちらりと見えた。 殴り掛かってくるか、と思ったが、男は意外にも衝動を寸でのところで抑え、その代わりとでもいうように、睨みつけていた目を逸らした。 ああ、なんて愉快で、堪らない。 「でも君の愛しい彼は、僕を愛している。この僕、だけを。彼は絶対に、僕を見捨てない。いえ、見捨てられないと言った方が正しい。僕が、このファミリーにマフィアとして存在している限り」 何故なら彼は、そういう人間だから。 彼がドンとしてファミリーのボスの座についてから早数年、いまだあの若いボスは、自分をこの世界に引きずり込んだ事に負い目を感じている。 だからあの子は、自分の全てを受け入れてくれるのだ。 自分が何をしても、例えどんなに落ちぶれ汚れようとも、絶対に見切りをつける事はない。 自信があった。 しかし何も、仕事中の女遊びはそれが原因という訳ではない。 そもそも、『女遊び』をしているつもり自体が自分にはない。 浮気だとか不貞だとか、そんな低俗な問題ではないのだ。そんな、如何にも人間くさくて下らない問題では、 「要するに君は、あの子のそういうところにつけこんでるって事だろう」 「いいえ違う、違います。最初こそそうだったかもしれませんが、今は。彼は心から、僕という個人を受け止めてくれている。例え僕が何をしようと、誰を殺そうと」 「…何それ」 逸らしていた目をもう一度戻し、雲雀はまたもこちらを睨みつける。 だが先程までとは違い、その瞳には憎しみの他に哀れみのような色が滲んでいた。 「あの子を聖人君子とでも勘違いしてるんじゃないの。馬鹿馬鹿しくて気が萎えたよ」 「…何を、」 「あの子はただの人間だよ。肩書きを奪ってしまえば、何の取り柄もない弱い人間だ。心だってちゃんとある。優しくされれば嬉しいとか、嫌な事をされれば悲しいとか、恋人に浮気をされれば傷付く、脆くて柔らかい心が」 君も本当は、それを分かっているんじゃないのかい、と男は言う。 何を言っているのか、この負け犬風情が、 「だからそんな高尚な事を言っている癖に、女遊びしてる事実を必死に隠してるんだろう」 「…馬鹿な事を…。彼はただ、」 「盲信はあの子を傷付けるだけだよ」 すっかり冷静さを取り戻した雲雀の言葉に、自分は何と返したのだったか。 馬鹿馬鹿しい、と同じ言葉を投げたのだったか、それとも話にならない、と放ったのだったか。 兎に角、今目の前に広がる光景が、あの忌々しい男の言葉に起因しているのかどうかは定かではない。 それでも、自分でない誰かの手で、誰かの熱で、翻弄されている彼を見るのは、確かに耐え難いものだった。 いつか彼が綺麗だと褒めてくれたこの目を通して見るものは、何だって美しいのだと、そう思っていたのに。 美しい、筈だったのに。 光はもうない、 おそらく心因性によるものだろう、とファミリーおかかえ医師のシャマルは、場にそぐわない軽やかな口調でそう診断した。 いまいち深刻さの感じられないその態度は一先ず置いておき、診断結果は誰もが予想していた内容だったので、リボーンをはじめとするその場にいた面々は、渋面ながらも何も口は出さなかった。 「…そうか。まぁ想定内じゃあったが、シャマル」 「あ?」 「治んのか、ありゃあ」 いつもより青白くなった顔を珍しく強張らせながら、リボーンが言う。 シャマルは大義そうに頭を掻くと、溜め息混じりにこう答えた。 「何とも言えん。心的外傷によるああいうのが一番厄介だからなぁ…。目に見えてよくなるもんでもねーし、何より俺は心療内科医じゃねぇ」 確かな事は何も言えねぇ、と言うシャマルの胸倉を、憤った獄寺が掴み上げた。 余裕なく釣り上がった目の縁に、濃い隈ができている。 獄寺だけでなく、この場に集まる誰もが、いつまでも気の抜けない緊迫した状況に、憔悴しきっていた。 「それを何とかするのがてめぇの仕事じゃねぇのかよ!もし十代目が一生あのまま治らなかったりしたら…!」 「やめろ獄寺、ツナに聞こえちまうぜ」 山本に宥められて獄寺は一層顔を歪めたが、結局それ以上は何も言わずに、医者の胸元から手を離した。 投げ捨てるようにシャマルを放った後の、やり切れない獄寺の舌打ちが部屋中に響いた。 思いもがけなかった非常事態に、皆どう対処すればいいのか分からないのだ。 微かに残る動揺を抑えようと必死に努めながら、雲雀は思った。 二日前、急に綱吉の目が見えなくなった。 機能に何の問題はない。先程シャマルが診断したように、心因性の問題だという。 しかし、そうなった原因は全員既に思い当たっていて、寧ろそれしかない、と言い切れるくらいに、明確だった。 もう一月は前の事だったか。 六道骸のくり抜かれた色違いの両目が、綱吉の手元に贈られてきたのは。 解剖の結果、その両目は明らかに人の握力によって体から捻り出されたものだと判明した。 しかもおそらく、自ら自分の目をくり抜いたのだろうと。 いまだ誰もその目でしかと骸の安否を確認した者はいなかったが、両目をくり抜いて無事でいられる生き物はまずいない。 すぐさま処置すればまだ助かるのだろうが、骸の場合それは考えにくかった。 おそらく、そのまま放置すれば出血多量でただでは済まないだろう。 六道骸の生存の可能性が、ほぼ皆無であると囁かれる中での事だった。 ただでさえ精神的ショックの大きかった綱吉の目が、光を失ったのは。 「綱吉、」 ノックもそこそこに、雲雀がボスである綱吉の部屋に入ると、キングサイズのベッドに上体を起こして座る綱吉が、声の行方を探してきょろきょろと視線をうろつかせた。 とは言え、今その淡い色を持つ目は、白い包帯に幾重にも巻かれて隠されているのだが。 見えないが、それでも物事をつい目で追ってしまう仕種は、最早生きとし生けるものの癖なのだろう。 雲雀はこっちだよ、と言いながらベッドに歩み寄り、青年の少し痩せた頬に、そっと手を添えた。 「…雲雀さん、」 「うん。調子はどう?綱吉」 「すみません…声のする方は分かるんですけど、まだ距離感が掴めなくて…。体調は悪くないです。目が見えないだけなので。不便は不便なんですけどね」 苦笑い混じりに鈍臭くてやんなっちゃいますよねぇ、と話す綱吉に、そう、と優しく相槌を打ちながら、雲雀は包帯の下にある青年の琥珀色を思い浮かべ、悔しげに唇を噛み締めた。 死して尚、巨大マフィアを束ねているようには到底見えない頼りないこのボスの一部を、またも奪い去っていったあの男の事が許せなかった。憎いのだ。 「ねぇ綱吉、その事で提案があるんだけど」 「はい」 「さっき赤ん坊にも話をつけてきたんだけどね、今日から僕が君のそばについて、身の回りの手助けをしようと思って」 「え…雲雀さんが、ですか?」 「うん。君の忠犬は最後まで渋ってたけどね。嫌?」 頬から細い手に手を移し、軽く持ち上げながらベッドの縁へ腰を下ろす。 スプリングの音もしない、重厚なベッド。 この子はまるで、ベッドに寝させられてるようだ、と雲雀は、窓から漏れる日光に淡く輝いている、綱吉の輪郭を見ながら思った。 白い真っさらな寝巻が、余計にはかなさを助長している。 ともすれば、何か重い病を患っているようにも見える青年の、ひょん、と四方に跳ねている柔らかい髪をもう片方の手で梳いてやると、包帯の下の目がきゅ、とすぼめられたのが分かった。 「赤ん坊もね、君には僕が一番気も安らぐだろうって。ねぇ、そうしよう」 「そんな…あの、でも雲雀さんにも仕事が、」 「仕事なんてどこででもできるし、全然構わないよ。そんな事よりも今は、君の方が大事」 「で、でも、迷惑じゃ…」 「そんな訳ない。分かってるくせに」 綱吉の煮え切らない態度に、もしかして本当に嫌なの?と、雲雀は若干寂しそうな声を出した。 「四六時中一緒にいるって言っても別に、もう遠慮する間柄でもないじゃない。君のボス業だって教えてくれれば代わりにするし、癪だけど他の守護者の奴らも手伝うって言ってる。それとも、僕が嫌?僕にそばにいられるのが嫌なの?」 「いえ、そんなんじゃ、」 「心配なんだよ」 「…雲雀さん」 「僕が。君のそばにいてあげたいの。ねぇ、お願いだから」 どこか、焦りにも似た感情なのだと思う。 綱吉が異様に他に気を遣う性格だという事も、今回の事で六道の身の上を気に病んでいるという事も分かる。 分かるけれど、こんな時に場違いだとも思っているけれど、雲雀は悔しいのだ。悔しくて堪らないのだ。 あんな男のために、自らの目を潰すほど悩んでいる綱吉を見て、不安で、悔しくて、苛々して堪らない。 どうしてあんな奴のために、君がそこまで身を窶さなければならない、と、言えるなら言ってやりたかった。 一日中、それこそ監視するかの如くそばに張り付いていないと、このほとばしる感情が溢れ出してしまいそうで、何も悪くない綱吉にまで八つ当たりしてしまいそうで、不安で不安で仕方ないのだ。 死んだ人間に何ができる訳ではないと、頭では理解できているのに、 「君が…僕から離れて行ってしまいそうで、」 「………」 「あいつに奪われていってしまいそうで、怖い」 だから、 そう囁くように言って、ぽかりと無防備に開いている唇に口づけようと、顔を寄せた。 が。 「…すみません」 触れるか触れないかのところで、顔を背けられてしまう。 雲雀の細い手にすっぽりおさまってしまうまろい頬が微かに震えているのが分かって、微弱ながらも確かに拒絶された事実に、雲雀は冗談でなく本気で泣きそうになった。 「すみません…俺、本当はまだちょっと混乱してて…目先の事とか考えられない。ごめんなさい」 「…でも、」 「ごめんなさい。雲雀さん、ごめんなさい」 暫く一人にして下さい、と真摯な声音で言われ、胸が張り裂けそうになりながらもそれに従うしかない雲雀は、拳と唇を強く引き締めながら、さっと綱吉から離れた。 見えない視界の中、足早な足音と扉が閉まる音を聞き、綱吉の体が僅かに強張る。 雲雀が部屋を去ったのと同時、周りに漂う空気が少しだけ冷えたのが分かった。 ただならぬ、しかし綱吉にとっては慣れきった気配が、いつの間にか背後に現れる。 目が見えないために異常に発達している他の器官が、全神経を以てその気配に集中している。 微かに震える細い顎に、ひやりとした掌が添えられた。 全身から一気に汗が噴き出す。 「賢明ですよ、ボンゴレ」 その声でその名を呼ばれるのは、随分と久し振りだった。 蛇のように長い指が、とぐろを巻くように自分の顔にまとわりつく。 「そう、そうです。君のそばには僕だけいればいい。僕以外はいらない。特に雲雀など、冗談じゃない。よく分かっていますね、ボンゴレ」 艶のある声。温い吐息。滑らかな肌に、さらりと聞こえるのはきっと髪がシーツを滑る音だ。 今は暗い眼の淵で、それでもありありと思い出す事ができる。 それ程触れた、触れられた。見て、感じて、覚えた。 「……むく、ろ」 骸だ。 ほんの数ヶ月前までそばにいるのが当たり前だった存在。 骸、 「むくろ…」 「はい」 「骸…なのか…?」 生死の分からない存在の名を半信半疑で呼べば、はい、ボンゴレ、と嬉しそうに返事が返ってくる。 つつ、と喉仏辺りを意思ある手つきでなぞられて、無意識に肩がひくりと上がった。 「くふふ、やっと気付いてくれました、ボンゴレったら」 「………っ」 「ずっと見てたのに、ずっと見てたんですよ?僕ずっと、ずぅっと君の事見てたのに、ボンゴレときたら。雲雀とばかり仲良くして、僕が見てたのに、僕が見てる前で、気付きもしないで、雲雀と、雲雀と、雲雀と、雲雀と、」 「むくっ、ろっ、」 「雲雀と!」 雲雀なんかと! 背後でそんな叫び声が聞こえたのと同時、突如回された腕に力がこもって、シャツに手を入れられ股間をまさぐられた。 服の上からとは言え薄手の衣服ではそれもきつい。 久しぶりの慣れた感触に、綱吉の下肢は意に反してだくだくと先走りを零しだした。 「くはっ、…どんなに他のクズに汚されようと、体は覚えていたようだ。ねぇ、ボンゴレ、僕の手が一番気持ちいいでしょう?馴染む筈だ、君の体にはこの手が一番、」 「ぃあっ…く、ぅ…っ」 「ん、濡れて、ますよ…?こんなに、ほら、雲雀の時より、いい反応をする…!」 「ふっ、ん、ぅ…!っ、」 やめろともがくが、確かにそこにいて自分をがんじがらめにしている筈の男の存在を、うまく掴む事ができない。 本当に亡霊のようだった。いや、亡霊、なのか。 自分や、雲雀や、マフィアを、憎んで恨んで死んだ、骸の、十年連れ添った恋人の、十年、連れ添った、恋人、 骸、 「…ふざ、けんなっ…」 裏切ったのは、恨まれるべきなのは、 お前の方だろう! 綱吉は激昂した。 「最初に俺を裏切ったのは…お前の方だ!何人も女の人と寝た癖に!俺を…蔑ろにした癖に!」 「………」 「俺が知らないとでも思ってたのかよ!馬鹿にすんな!だから離れたんだ!そうじゃなかったらあんな事言わない!惨めだったんだぞ俺は!凄く!お前といて幸せだった事なんかこの数年全然なかった!だから…!」 だから、雲雀を受け入れたのだ、自分は。 雲雀は本当に、綱吉だけを見て、愛してくれたから。だから安心した。 ぜいぜいと、肩で息をした。 「よくもぬけぬけと…そんな事が言えたなっ…!」 「………」 「雲雀さんはっ、お前とは違うんだよ!お前とは…っ、」 ぐいっ、と体を引かれて、乱暴にベッドに叩きつけられた。 目が見えない分衝撃が凄まじい。 痛みこそないが、いきなりの事に体が備えられず、内臓がひっくり返る思いをした。 「よくもぬけぬけと…だと?」 「ぐっ…は、」 「それは君の方だ!沢田綱吉!」 怒声が、うわん、と脳髄にまで響き渡る。 何が何だか分からなくて、綱吉の思考はもうぐちゃぐちゃだった。 浮気をされ、更には死なれ、目まで見えなくなって、そして尚何故こんな事までされなければならない。 訳が分からなかった。手首を掴まれ引き攣る皮膚の痛みの他に、胸も痛んで涙が滲んだ。 「僕が浮気をしたと…君まで本気でそう言うのか!確かに女とは寝ましたよ、ええ、それこそたくさんの女とね!マフィア、スパイ、娼婦、召し使い、色んな女と寝た!それもこれも君が、僕を離そうとするからだ!遠方の仕事などを僕に与え、さも当然と言わんばかりに僕を離そうとしたからだ!しかもそれだけに止まらず、あの雲雀と共に出向かせた時もあった!あの時ほどなかったですよ…遠くの君へと想いを馳せ、満たされない欲求にうちひしがれ悶えたのは…!僕がどれだけの愛を君に向けていたか、君は分かっていた筈だ!それなのにどうして…どうして僕を離した!ボスになってからの君はどうして、僕を離そうとする!どうして!」 「…むく、」 「だから生身の君を想像して女を抱く以外、僕を救う手立ては他になかった!」 半狂乱だ。見えなくても分かった。 どすんどすんと顔の横に響くのはきっと骸の拳なのだろうし、ぱらぱらと顔に降る冷たいものも、間違いなく骸の涙だ。 綱吉はたちまち、骸の事が堪らなく不憫に思えて仕方なくなった。 骸が自分に向ける愛の深さも勿論知っていたが、それだけにそんな恋人の不貞が不可解でならなかった。だから苦しかったのだ。 まさかそんな事が理由だったとは。 呆れを通り越して、いっそ哀れだった。 「…僕は君を、僕のすべてを受け入れてくれる、神だと思っていた…」 先程までとは一転、落ち着きを取り戻した骸の声が聞こえる。 ベッドをひたすら殴っていた手は、今では優しく、汗で湿った綱吉の前髪を撫でていた。 骸の長い指が、綱吉の目を覆う、白い包帯に触れる。 神、という単語に反応しようとした綱吉より先に、またも骸が口を開いた。 「僕の、この目の能力を知っていながら美しいと評する人間など、ましてや好きだなどと言う人間など、それまでいませんでしたから…。だから君は、僕のすべてを受け入れてくれる、神のような存在だと…ずっとそう思っていたんです」 「………」 「でも君は、人間だった。一人の弱い、小さな人間だ。僕と言う枷を背負うには、その背中は少し小さ過ぎた。そうでしょう?こんな…僕のために両目まで潰して…君という人は、本当にどこまでも…」 もしかして見えているのか。 包帯越しに瞼をなぞられて、綱吉は思った。 だが確かに自分は骸の両目をこの手でしっかりと握り締めたし、今でも病棟のラボにある筈のあの眼球が、幻覚によるものとはとても思えない。 だとすればやはり、 綱吉がそこまで思い至った時、唇に冷たい柔らかなものが触れた。 それが骸の唇だという事は、考えなくても分かった。 「ねぇボンゴレ、愛してますよ」 「………」 「本当ですよ。他人が君に見えてしまうくらい、君のために目玉をくり抜いてしまえるくらい、君が好きだ、ボンゴレ」 だからね、また最初に戻って、やり直せばいいと思うんです僕達。ね?離れるのが怖ければいっその事一つになって、同じ気持ちや時間を共有すればきっと、 骸の譫言のようなそれを耳の片隅で聞きながら、綱吉は突如自らの体を襲った異変に、目が覚めたように抵抗した。 瞼の奥が、目が痛い、痛い! 「あああ痛い!痛い骸!骸、目がぁ、あ!」 「ボンゴレ、沢田綱吉、綱吉君、綱吉…ほら、十年の間にこんなに呼び名も変わった」 「やだ、痛っ…やめて!やめろ骸痛い!痛いよ!やめろ入ってくるな!骸!」 「大丈夫です綱吉、これから一つに、僕が君の目となって、」 「うぁあああああああああっ!!」 「君のすべてを見てあげる」 ほら、もう安心だ。 光が戻ってきたでしょう? 「綱吉?」 絹を裂くような悲鳴が聞こえた気がして、雲雀は一人にしてと言われていながらも、思わず扉を開けてしまった。 想像していたのは、精神が崩壊してしまった綱吉の姿という、最悪のパターンだった。 が、予想に反し、綱吉は至って穏やかに、静かにベッドに座っていた。 しかし、それまで巻いていた筈の、目を覆っていた真っ白な包帯を外して。 綱吉、 雲雀は目を見開き、命令も忘れて青年に歩み寄った。 「綱吉…!ダメじゃないか、勝手に包帯を外したりして…」 「…雲雀さん?」 「煩わしいのは分かるけど、念のためなんだよ。ほら、巻き直して…」 「大丈夫です」 ぴしゃりとした言い方に、少しだけ違和感を感じた。 綱吉の顔に包帯を巻こうとした、雲雀の手が止まる。 「…綱吉?」 「はい」 「…君は本当に、」 「………」 「綱吉?」 二日振りに自分に向けられた琥珀色の瞳は、確かに彼のものだった。 しかし、何故だ。その目に愛しさを感じない。 どうして。この包帯に隠される前までは、青年の丸いブラウンの目がとても好きだったというのに。 愛しいどころか忌ま忌ましさまで感じるそれに、雲雀は柄にもなく冷や汗をかいた。 すると、動揺する雲雀の様を見てか、綱吉の口元がく、と釣り上がる。 華奢な顔も、笑うと猫のように細まる目元もあの子のものとまったく変わらないというのに、その憎らしい程嫌な笑いは、 「残念でしたね」 ああ、軽やかなその声も、確かに彼のものなのに、 「君もあの子が欲しくて欲しくて、仕方なかったのに。ねぇ?雲雀恭弥」 くふふ、と笑う綱吉の右目に六、の文字が浮かんでいるのを見て、雲雀は今度こそ絶望した。 どうしてどうして、愛しかったのに fin. 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