20話 After story 理事長室から逃げるように退室した恭子は、その重厚な扉を背にしたまま、ほっと息をついた。 (危なかった…) どうにも基本的に目上の人物が相手だと、ついつい今まで通りの接し方になってしまう。 せっかく気をつけて『女子高生』らしく振る舞っているのに、これでは意味がない。 最近は、それこそやっと自然に立ち回れるようになってきたというのに。 恭子はそのまま深呼吸をし、緊張の糸をほぐすと、いつまでもこうしているわけにもいかないと思い、教室に向かい出した。 教室に鞄を置いたままなので、取りに行かなければ。 教室までの道行きがてら、孝佑の台詞が思い出される。 『最近の若い世代は成人式を迎えても、満足に敬語を使いこなせないもんだが…』 (本当かしら…) 日本人はおしなべて礼節を重んじ、礼儀正しいはずではないのか。 確かに同年代同士では砕けた態度で接しているが、きちんと時と場合を区別し、目上の人間には礼儀を払っているはずだと思っていた。 (………違うのかしら) だが、仮に違うとしても、それが現代の現役高校生なのだと言われても、恭子にはさすがにそれは真似できそうにない。 マスターしたと思っていた『世間の常識』を、まだまだ学びきれていないと痛感せざるを得なかった。 教室に戻ってみれば、室内には既に誰もいなかった。 恭子は鞄を手にし、丁度教室から出たところで、朔夜にばったり遭遇する。 「朔夜、今帰りなの?」 「まぁな。そっちもか?」 「ええ。朔夜のおかげで理事長さんと話がてきたから。ありがとう」 「いんや別にいいぜ。この借りは倍返しにしてもらうからな」 はっと気付く。そうだった。 「ちょっと! いたいけな女性の足元をみるなんてあんまりじゃない。朔夜にはサービス精神というものはないの?!」 「さあな。相手によるかな」 ニヤニヤ笑いながら恭子を見下ろす。 つまり、恭子に対しては朔夜のサービス精神は発揮されないと。 「もうっ! ケチ臭い男はモテないわよ」 そう言って気付く。 そのケチ臭い男がここではモテまくっているのだった。 世の中絶対に間違っている! 不貞腐れてぷいとそっぽを向き、すたすたと昇降口を目指すが、恭子の後ろからぴったり朔夜がくっついて来る。 「何?」 振り返って朔夜に問うも、平然と「俺も帰るし」と。単に目的地が恭子と同じ昇降口であるという。 恭子はうっと詰まり、朔夜はそれに対し、笑いをこらえている。 結局、二人並んで歩み出していた。 「朔夜は今の時間まで何してたの?」 図書館で勉強とか…? 「んぁ? まぁ、ヒマ潰しみたいなもんだ」 曖昧な答え方で恭子はピンときた。 ――きっと女だ。 「そう」 ならばと、恭子は特に追及せずにそのまま流すことにした。 朔夜の方も恭子が特に突っ込んっでこなくて助かった思いだった。 ラウンジの窓際から理事長室の入り口が見えるなんてことは、きっと恭子は知る由もないだろう。 理事長室の外で待ち伏せるのもあからさますぎるし、いつ出てくるのかすら判らなかったのだから、ラウンジで『ヒマを潰して』いたのだ。 何人か男女関わりなく声をかけられたが、巧く躱してやり過ごした。 やっと恭子が理事長室から出て来るのを確認し、中庭を突っ切って教室までやってきた。 あとは、さも今帰りと見せるだけだった。 情けない姿だというのは承知している。周りの女には見せられない姿だ。 第一、朔夜がこんなストーカー紛いな待ち伏せをしているなんて、誰も信じないだろうが。 (いや、一人いるな…) そうだ。我が学院ご自慢の生徒会長殿なら信じるだろう。あの中性的な顔をしかめながら。 朔夜が物思いに耽っていると、恭子が横からじっと朔夜を見つめてきているのに気が付いた。 「な、なんだよ」 「…………」 恭子はじっと見つめたまま、しばし無言。 朔夜の足がピタリ止まり、恭子もつられ、二人の歩みが止まる。 (もしかして、待ち伏せてたのがバレてんのか?) と、多少ならずも後ろ暗い朔夜はドキリとする。 (それとも、やっと脈アリか…!?) 少しの願望も心の奥から顔を覗かせるが。 (朔夜も『最近の高校生』よね。目上の人達に対する礼儀はどうなのかしら。訊きたいけど、高校生らしくないと突っ込んで返されるのも困るし…) しかし恭子は、当然ながら朔夜の事情など知りもしない。 (やっぱり亜紀をそれとなく観察して、それとなく言動を真似して、それとなく尋ねてみよう…!) 恭子は、自分の中で自己完結させると、不意に見つめ続ける視線を逸らし、再び歩みを始めた。 「………あ?」 身構えていた朔夜は拍子抜けしてしまい、立ち止まったままの朔夜に、恭子が怪訝そうに問う。 「どうしたの? 帰らないの?」 「い、行くに決まってんだろ!」 ほんの少しがっかりしつつも、朔夜は恭子を言いくるめることに成功し、彼女の自宅まで二人きりの至福の時間を過ごしたのだった。 END. |