勝者の祝福
「ねぇ、アリス」
「……」
「アリス?」
「おい、聞こえねえのか、がきんちょ!」
「うるっさいわね! 気が散るでしょ!」
仮面に向かって怒鳴ってから、アリスはまた手元へ視線を戻す。
そのあまりの気迫に、ジョーカーは勿論仮面でさえも、一瞬呆気に取られて押し黙った。
練習中の団員達で賑わうサーカスの森。そこへアリスは季節を変える為にやってきていた。
今回のゲームはClover&Heartだ。
しかし、この荒れ具合からも予想できる通り、彼女はこれまでに類を見ないほど連敗を喫していた。
アリスの感覚では、既に1時間程は経過しているであろう。サーカスでは時間が流れないとはいえ、流石に焦ってイライラもする。
今は一勝一敗の重要な駆け引きの最中ということもあるが。
「……じゃあ、これにするわ」
悩んだ末にアリスが選んだカードは12。こちらがAを出すと予想し、13を避けて10を出して来るだろうという読みだ。
まずは裏返して場に差し出す。彼も同様にカードを置いた。
掛け声で二人同時にカードを捲ると、ジョーカーは少し困ったように微笑む。
「俺の勝ち」
相手のカードは、13。アリスはがっくりと肩を落とした。
これで何度負けたのか。
ジョーカーも、アリスが楽しめない勝負は本意ではない。苦笑しつつ、カードを集めている。
その重くなり始めた空気を蹴散らすように、甲高い声が響いた。
「ケケッ、今回の嬢ちゃんはとことん弱ぇえな!」
「……っ! も、もう一度!」
「無駄無駄! いくらやっても勝てねぇよ!」
「そんなことないわ! 次こそ勝ってやるわよ!」
どう聞いても馬鹿にしている仮面の言葉に、目を釣り上げて反論するアリス。
これでは売り言葉に買い言葉だ。
こらこら、といつものように仮面を諌めて、ジョーカーはアリスを見据える。
「アリス……、何だか自棄になっていない?」
「自棄にでもならなきゃやっていられないの!」
既に目が据わっているアリスには、もう何を言っても無駄なようだ。
―――――――
「こんなに勝っているんだから、俺も何かご褒美が欲しいよね」
流石に連戦していると疲れてしまい、息抜きにお茶を飲むことになった。一瞬で用意された紅茶を一口飲んだところで聞こえた言葉に、アリスは首を傾げる。
「ご褒美?」
「うん、そう」
柔らかい、ともすれば胡散臭くも見える笑みを向けるジョーカー。
スッとアリスを指差すように腕を挙げて、
「例えば……これとか」
軽く、唇へ触れた。
「え……。 っ!?」
その意味に気付いた瞬間、アリスの頬が真っ赤に色付く。
キスをしろと言うのだろうか。
……どこに?
意識してしまうと、心臓が一層うるさく鳴りだした。
そんな彼女の過剰な反応に、ジョーカーは楽しそうに言う。
「ふふ、冗談だよ。このくらいで赤くなってくれるなんて、可愛いなあ」
からかわれたと知ると、アリスは赤い顔のまま眉間に皺を寄せた。目の前で笑う男が憎らしくて堪らない。
意地でも見返してやる、と決意を新たに勝負を再開するのだった。
――そして。
「勝った……」
数えるのも馬鹿馬鹿しくなってから、一体どれほど戦ったのだろうか。少なくとも50回は負けた気がする。
やっと勝てたと呟き、アリスは深く溜め息を吐いて机に突っ伏した。
「おめでとう、アリス。……って、疲れているみたいだね」
「……当たり前でしょう」
「だらしねえな、嬢ちゃん」
心配そうに話し掛けるジョーカーと、悪態を吐く仮面。これが腹話術だと言うのだから、腹は立つものの感心する。
特に、疲れている今は後者の度合いが勝り、比較的素直に感動できた。
皮肉なものだ。
「少し休んでいったら?」
優しく笑うジョーカーが、アリスの顔を覗き込む。
「大丈夫よ、そこまで柔じゃないわ」
「そう? 残念だな。俺はもう暫く君と居たかったんだけど」
一瞬どきりとしたアリスだったが、先程もからかわれた事を思い出した。半眼で睨み付け、騙されないわよと口を開く。
「また、からかうつもりでしょう」
「えぇ? ちゃんと、本心だよ?」
「けけっ、信用されてねぇでやんの」
「……うるさいよ、ジョーカー」
ジョーカーは心外だと言わんばかりに苦い顔をした。
嘘吐き少年と同じ。今まで幾度となくからかわれているアリスにとって、彼は架空の狼の襲来を告げ続けた少年と大差ないのだ。簡単には信じられない。
少しは懲りてくれないかしら。思って、アリスはそっと溜め息を吐いた。
同じく溜め息を落とした彼が言う。
「はぁ、仕方ない。では、季節を変えてあげよう」
ジョーカーが指を鳴らすと、ふわりと風が吹いてきた。もう随分と肌になじんだ空気。森を抜ければ、そこは滞在地の季節になっているだろう。
「いってらっしゃい、アリス」
いつもと変わらぬ調子でアリスを送り出す声。その声に背を押され出口へと足を向けるが、数歩進んだだけで彼女はぴたりと止まってしまった。
なにやら神妙な顔で考え込んでいるようにも見える。
「アリス? どうしたの?」
「なんだ、『やっぱり疲れて動けない〜』とでも言う気かよ。根性ねぇ奴」
けけっ、とアリスの口調を真似た仮面が笑う。それに反応して、彼女はジョーカーへと勢い良く向き直った。
「違うわよ! ただ……」
怒気を含んだ声色は最初だけ。どうやら、他に気になることがあるようだ。
ジョーカーは、何か悩んでいるらしいアリスに近付くため、一歩足を踏み出そうとした。
だがその前に彼女の方から距離を詰められ、逆に一歩下がってしまう。後ろには、ゲーム中アリスが座っていた椅子。コツ、と踵が軽い音を立てる。
驚き彼女を凝視すれば、少々上気した表情を見せてくれた。意外に思いつつ、まばたきをしてしばらく見つめる。
すると、見つめられることが気恥ずかしかったらしい。アリスは一瞬視線をさ迷わせた後、意を決したように口を開いた。
「……ちょっと、そこに座って」
「え? 何、突然……」
「いいから!」
「う、うん……?」
なかなかの迫力で肩を押されたジョーカーは、言われるがままに背後の椅子へと腰掛ける。
逆転した身長差。一体彼女は何をしてくれるのだろうかと、そう考えてアリスを見上げた時。
視界が陰ったと同時に、額へと柔らかいものが降ってきた。
「……えっ」
一拍遅れて驚きが漏れる。
その頃には額の感触は離れ、頬を包んでいた両手も離れようとしていた。ジョーカーが思わず片手を掴むと、アリスはびくりと体を揺らす。
ふたり、赤い顔を見合わせて。先に話し出したのはジョーカーである。
「どっどうしたの、アリス」
驚きと困惑で言葉がどもる。道化の十八番、ポーカーフェイスを保つことも忘れて、ジョーカーはアリスを見上げた。
アリスも、照れからか上擦った声で返答する。
「さ、さっき、ご褒美がどうのって、言っていたでしょう」
ゲームの合間の小休憩のことだろう。
アリスの性格上有り得ないと、からかい半分で唇を要求した。
そう、有り得ないと思っていたのだ。
「だから、その……私から日頃の感謝も含めてご褒美よっ!」
早口に言い切った彼女は、ジョーカーの弛んだ手からするりと抜け出す。
絶対に無いと高をくくっていたことに直面し、彼は呆然としていた。
「じゃ、じゃあ、私、もう行くから!」
踵を返して走り出すアリス。普段なら『そんなに急ぐと危ないよ』等と言うところだが、面食らってしまった今はただ見送るしかできない。
彼女の背が木々に紛れて見えなくなる頃、やっと我に帰ると自然に口角が上がった。
「ねぇ、ジョーカー……」
「……んだよ」
「俺、もっとあの子が気に入っちゃったよ……」
「うわ、てめえ普段に輪を掛けて気持ち悪ぃぞ! 一回死んでこい! この××××!」
仮面の罵声も遠くに聞こえる。
高揚した気分は、当分収まりそうにない。
ふふ、と笑いを零し、
「早く、俺のものにならないかな……」
小さく低く呟いた言葉は、石造りの世界に反響していった。
おわり。
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