「だーれだ」
「きゃ……!」
ある時間帯、アリスが森を歩いていると、突然誰かに目を覆われた。
(だ、誰?)
近頃めっきり襲われるという事がなかったからだろうか。この事態に酷く慌ててしまう。
抜け出したいのに、声を出したいのに、動揺した頭が体を硬直させた。
(こわい)
それ以外の感情が霧散する。
「……ッ!」
目を塞がれたまま、後ろに引き寄せられた。後頭部には、恐らく男の胸。
体格差を感じて、アリスは更に戦く。
(私、どうなるの……?)
不思議な国へやってきた当初、幾度も感じたこと。ここに慣れすぎて、危険に疎くなっていたのかもしれない。
もし、背後の人物がアリスを殺そうと思っているのなら、武器も何も持たないアリスにはどうすることもできない。
(サーカスに行こうとしただけなのに)
付いて行こうか?と言ってくれた人の好意を無碍にしてしまったのが悪かったのだろうか。
(でも……)
一緒に行くとなると、目的を知られることになってしまう。それはアリスにとって、何が何でも避けなければならない事柄だった。
物思いに耽っていたアリスは、男の体が動くのを感じてびくりと肩を跳ねさせた。
ついに、終わってしまうのか。
アリスは無意識に、その名前を呟いた。
「ジョーカー……」
「えっ?」
頭上から、驚いたような声。
いやに聞き知った声だ。
「……え」
「……まだ何も言ってないのに、よく俺だって解ったね、アリス」
「え!?」
弛んだ拘束に任せて、その場で振り向く。
そこには、やはり驚いた顔でこちらを見下ろすジョーカーがいた。
今一番会いたくて、会いたくなかったひと。
「うーん、どうして解ったのかな? 俺、目隠ししかしていないよね」
あ、ジョーカーは今居ないんだっけ、などと自問自答している道化のジョーカー。
「君の怯えている様子が可愛いから、もう暫く堪能した後で『だ〜れだ?』って言うつもりだったのに」
謎解きの答えを求める子供のように、アリスにどうして?と問う。
アリスは答えられないままジョーカーを見つめ続けていたが、はっと我に帰ると見る見るうちに顔を赤らめていった。
「? アリス?」
「なっ、何となくよ! こんな馬鹿げた遊びをするなんて、あなたくらいのものだと思ったの!」
それよりこんなところで遊んでていいの?とアリスは続ける。
この話題の逸らし方は不自然だっただろうか。内心冷や汗が流れた。
「あぁ、君が来る頃だと思って迎えに来たんだよ」
普通の受け答えが帰って来たことに安堵して、アリスはサーカスへの道に向き直った。
「それなら、早く行きましょう」
「……待って、アリス」
先ほどのように両手で目を覆われ、引き寄せられる。
先ほどと違うのは、この心臓が痛いほど脈打っていること。
「な、に……?」
「嘘をつく子は面白くて好きだけど」
耳元、吐息がかかる距離でジョーカーが囁く。
「今は、本当のことが知りたいな」
視界が遮られている所為なのか、声に、息に、過剰に反応してしまう。
その間に、ジョーカーの左手が胸……心臓の上に被せられた。
「ねぇアリス、本当はどうして俺の名前を呼んだの?」
「……っ」
「こんなに心臓が動いているのはどうして?」
「それは……っ」
「もしかして……」
――助けを呼んだの?
身体が大きく揺れ、一層鼓動が激しくなった気がした。
「〜〜っ!」
恥ずかしくて何も言えない。
きっと、触れられた場所から全部伝わってしまったから。
ふふ、と笑う気配がする。
「こんなに可愛い反応してくれるなんて嬉しいなあ」
次はどんな風に出迎えようか、と上機嫌なジョーカー。
その唇を頬に受けながら、アリスはため息を吐いた。
「心臓が保たないから、程ほどにしてちょうだい……」
おわり。
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