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story
幼い寝顔C


俺たちが辿り着いた時、この不落宮の最深部で二人の男が口づけを交わしていた。
一人は赤い隊服を着た、かつて騎士の鑑と呼ばれた男。
もう一人は、橙の隊服を身にまとう自分の兄。

けれど、口づけの際僅かに開かれたその翡翠には、なにも映ってはいない。兄は、十年前に蘇生されてから一度だって目に光を宿したことがないのだから。

目は、機能しているはずなのに。


「はるばるこんな海の底へようこそ」

不意に赤い瞳が、横目でこちらを見た。言いながら、片手で兄の髪を掴みあげ、俺たちの前へ晒した。


「お前もこいつのように素直に言うことを聞けば良かったものを」

「てめぇ、どれだけクソ野郎だったら気がすむんだよ」


一番前でユーリが剣を抜く。けれど俺は―兄の様子にそのような気にもなれない。仲間たちが武器を手にする際、俺だけが呆けたように兄を眺めていた。

髪を掴みあげられているはずなのに、兄は身動きどころか表情一つ歪めない。
翡翠の瞳にはただ、虚空に浮かぶ10年前が閉じ込められているだけであった。



掴みあげた髪を解放し―アレクセイは俺達に向けて目を細め、怪しげな笑みを浮かべる。解放され床に膝をつく兄と同時に、彼らのいる周囲だけが浮かび上がり上空へと向かっていくではないか。



「まじかよ…ッ」
先に走り出したのはユーリだった。長く黒い髪が揺れ、続けて青、桃、金、茶、それぞれの髪が揺れていく。気がつけば誰もが走り出していたのだ。
「皆、跳べッ」

ユーリの号令が空を切って、全員の耳に入る前には、すでに皆がアレクセイに飛びかかっていた。
計算済みであろうに、アレクセイは自分に向かってくる武器を見ても、何も行動を起こさない。

(一瞬でも弾き飛ばせるってことね、たいした余裕じゃない)

苦虫を噛み潰したように、俺は顔を歪ませた。だが、その一瞬は近接である彼らの武器に集中しているはずだ。俺の指が羽織の内から一本の矢を掴み、違う指が変形弓のボタンを押す。

一瞬にして形成された弓の弦を、矢を摘んだ指が引いていく。矢先が向かうは―かの者の首。


音もなく放たれた矢が、狙い通りの軌跡を辿り彼の首を貫く、その僅か一瞬前。赤い残像が、矢を弾き飛ばす。矢だけではない。剣も、斧も、槍も…魔術でさえも。


「わあぁあ!」


カロルの幼い叫び声が木霊した。彼の他、弾き飛ばされた面々が、受け身をとって再びアレクセイへと目を向ける。
しかし彼は剣にすら手をかけず、術式を展開し何やら解析のようなことをしているようだ。

ならば、なぜ?


答えは彼の手前に存在した。
術式に目を向けたまま、アレクセイの唇が弧を描く。

「御苦労、シュヴァーン」

低くした踏み込みの姿勢からそれが立ち上がる。翻ったせいで鞘に掛かった隊服の端を片手で払い、また虚ろな瞳を向けてきたのは―兄である、シュヴァーン。


「…兄ちゃん」

俺の言葉にも、兄は反応しない。かわりに愉快そうに微笑んだアレクセイが、術式から目を離し、こちらを見た。

「申し訳ない、私は今解析をしていてね。君たちの相手は彼にさせよう。せいぜい楽しんでくれたまえよ?さあ、シュヴァーン」


「御意」


アレクセイの呼び掛けがスイッチかのように、シュヴァーンの口からたった一言だけ紡がれた忠誠の言葉。
俺とおんなじ、けれど少しだけ俺より透き通る綺麗な声で。

「レイヴンさん!」

叫んだのは、きっとフレン。はっとした時には、すでに遅い。
一瞬にして距離をつめた兄が、躊躇なく俺の喉元目掛けて赤い刀身を振りかざしていた。


何が起こったかわからない。


その刀身は俺の喉を、動脈を斬り裂き、兄に俺の返り血がつく。


はずだった。
ギィン、と金属同士がぶつかり合う嫌な音が響く。眼前には金髪。兄の斬撃は彼の盾によって塞がれ、彼は―フレンは兄を前へ押し戻すため、盾で弾き飛ばした。

「お怪我はございませんか?」

優しい声で、フレンは言う。しかしあの爽やかで、整った顔は前を向いたまま。当たり前だ、ちょっとでも気を許せば兄は一瞬にして間合いを詰めてくる。

フレンに弾かれたことで、兄は標的を彼に定めた。斬撃の速さが尋常でないことは確かだが、フレンには盾がある。盾で流した攻撃を自分の攻撃の間に変えることはできたはずだ。

だがフレンはそれをしなかった。

「、どうして…シュヴァーン隊長……!!」


先ほどの俺のように、攻撃を一切しなかった。悲痛な彼の声は、兄へは届かない。彼の背中が、悲しそうに見えた。


「私にも目を向けてほしいわ。お兄様?」

すると、場違いなゆったりとした声が俺達の上空で聞こえた。兄は一瞬頭上へと目を移すと、攻撃を止め後ろへ飛ぶ。
その直後、兄のいた床に垂直になるように刺さった一本の槍。

数秒おいて着地したクリティア族―もといジュディスは、「あら外しちゃったわ」とにこやかに妖艶な笑みを浮かべた。
その柔らかな態度とは異なり、槍は床にヒビを入れ、抜いた時には大きな穴が出来ていた。


その頃、兄は切りかかったユーリ、カロル、ラピードを同時に相手していた。素早く横なぎに剣を振りかざすと、銃弾を飛ばすパティに届くほどの衝撃派が生まれる。

「おっさんの兄さんとは思えねぇ、なっ」

悪態をつきつつ、ユーリは刀を両手で構え、刀身をありったけの力で兄にぶつける。
「ぶっ飛べェッ!」


「―ッぁ!」


ユーリの攻撃は、カロルに剣を振りかざしたシュヴァーンの脇腹に命中する。小さな悲鳴を出し、小柄な体が後方へ吹き飛んだ。

だが、兄の眼光が僅かに鋭くなると、吹き飛んだまま空中で剣先を床へ突き刺し宙返りする。


「散れ」

「―な」

着地と同時に、目にも止まらぬ早さでユーリ目掛けて剣を振った。ユーリの目が大きく見開いている、しかし仲間の叫びも聞かず動きは止まったまま。

気がつけば俺は叫び、走り出していた。


「約束、したでしょ!!」

ユーリを斬る前に、血が出る前に。兄が誰かを殺す前に。
俺は、兄の攻撃を小太刀で受けながら、顔を眼前へ近づけた。鋭い兄の目が、僅かに見開く。

「約束した、じゃない…!!大人になったら、自分の大切な人を連れて、あの大きな木にもう一度行こうっ、て…!兄ちゃんから言ってきたのよ、」

小太刀が、兄の剣を弾く。気を許していた一瞬で、兄の手から剣が飛ばされた。数回回転し、それはリタ、エステルと俺たちの間に刺さった。詠唱していたリタが何やら叫んでいたが、聞こえやしない。

だって、こんなにも目から涙が出てくるのに、他のことなんて、考えてらんないじゃない。







「だから…俺の大切なこの子たちを、誰一人殺さないでッ!!」




言いながら、小太刀を逆手に持ち兄の頬に拳を入れた。さすがに吹き飛ばす力なんてない。しかし反動で横を向いた兄の顔が再びこちらに向けられた時、兄の瞳は僅かに揺らいでいた。


「…兄ちゃん」


「れ、イヴ……」


揺らいだ瞳が、焦点を導き出す。
差し出した手を、震える兄の手が掴もうとした直後であった。
兄の顔が凍りついたのは。


「君まで、私を置いていくのか…シュヴァーン」

全員の視線がアレクセイへ向けられる。彼は、すでに術式を完成させていた。
冷めた瞳でシュヴァーンを見、そして上空にある巨大な魔核を見やる。


「まあいい…術式は完成した。直に世界は生まれ変わる。余計なものを排除して。その時はきっと、君は私を見てくれるだろう。…見ろ」


まるで自分に言い聞かせるように、アレクセイは呟いた。シュヴァーンが振り返り、彼の名を呼ぼうとした時。リタの甲高い声がそれを遮った。


「な、何よ!あれ…!!?」


彼女の声に呼応して、俺や皆は遥か上空へ目を向け、息をのんだ。

不気味にうねる大きな触覚のような、黒い物体が空にまとわりつくように出現する。
その上には、隕石のような全てを呑み込めるほどの闇が、姿を現していた。


「星、喰み……?」


息の詰まったまま、ジュディスは声を絞り出した。あれを見て、声を発するだけでも大したものである。他の者も、声を詰まらせ口々に何かを言う。俺は、成すすべもなくアレクセイを見た。

アレクセイを見て、全身の血の気が引いていくのを感じる。

あの、何事にも真っ直ぐに光る深紅の瞳が、狂っていた。瞳孔は開ききり、抱えた頭は今にも髪が逆立ちそうである。


「そうか、そういうことか……!!絶対的な死がくる。誰も、誰も逃れられん!ふふふ、…はははははッ、ははははは!」


「……アレクセイ様」

兄は狂ったように笑い続けるアレクセイを、悲しげに見つめていた。自分は捨てられ、道具のようにされたはずなのに。

アレクセイの笑いは止まらなかった。悲しく、虚しく。目元を覆うように笑い続ける彼に、フレンも、リタも、皆も…俺でさえなんとも言えぬ表情を浮かべていた。
ただ一人、ユーリを除いては。


「…いい加減、黙ってな」

銀色の光が斜めに構えられ、彼はそのままアレクセイへ走り出す。アレクセイが気づいた時には、ユーリはすでに彼の目の前に迫っていた。そして、もう一人の影も。

「アレクセイ様ァッ!!」

「兄ちゃん!」


その一瞬、耳に入った音を、俺は一生忘れることができないだろう。








数秒遅れ、銀に輝く一閃が血を飛ばす。血はびちゃびちゃと嫌な音をだし、彼らの足下を赤く塗る。
ユーリの持つ刀から、その血の一部が滴り落ちていた。肩は上下に揺れ、表情こそ見えないものの、彼の感じる恐怖心が俺にはわかる。


「あ…れくせい、様…」

間に割り込んだのは、兄であるシュヴァーンだった。
しかし彼は、赤く大きな体に包むように抱かれていた。兄は信じられない顔で自分が守ったはずの―アレクセイを見つめる。


アレクセイの背中から右胸にかけては、貫通した傷があった。もう治しようのない、大きな傷が。


「…盾になれとは、命じていない」

彼の狂った笑いは、治まっていた。代わりに出てきたのは、慈しむような、優しい瞳である。
兄の表情は髪に隠れてわからない。けれど震える掌で、必死に収まるはずのない血液を押さえ込んでいた。兄の手が、アレクセイの血で赤く染まる。

アレクセイはそんな兄の姿に、片手で彼の頬を包んだ。

「私は、君を片時も道具と思ったことはない…だが、最期にひとつだけ君に我が儘を言っても、いいだろうか」


口端から血が溢れ出す。兄はそれを戸惑うことなく指ですくって、舌で舐めた。
その瞳には、光が宿っている。


「……貴方の我が儘なら」

「そうか」


アレクセイの双眸から涙が流れた、まさにその時。奇妙な音がして俺は頭上を見やった。
音の発信源は、巨大な魔核。それが奇妙な音を立てて傾き、すぐ真下へと崩れていく。


確実に、ユーリと二人に届く範囲で。
ユーリは頭上に気づき、後方へ飛んだ。しかしアレクセイと兄は、知ってか知らずか、互いに見つめあうだけ。

「兄ちゃん!大将!!」

俺の叫びも、何一つ彼らの運命を変えることは出来なかった。
変わりにアレクセイが、たった一言、小さな声で呟く。涙と血液が、混ざり合う。



「一緒に、死んでくれないか」


魔核が床につく瞬間。逃げる仲間の中でフレンに引っ張られながらも、俺は手を伸ばす。嫌だ。そんなのなんていう不幸。
兄ちゃん、そう呼ぼうとした時だ。


一瞬、兄ちゃんの表情が見えた。
わかりきっていたように、アレクセイの頼みに驚きもせず。ただ嬉しそうに、柔らかな微笑みをその顔に浮かべていた。

そして、頷いた直後。爆音と共に、彼らは魔核の影に隠れた。




「兄ちゃん、大将、」



全てがそう、夢の中であればよかったのだ。






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[*BacK][NexT#]

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