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彼女――中学二年生の不動沙凪(フドウサナ)は、この画廊でバイトを始めてそろそろ半年近くになる。
まだ14歳だが、通っている学校が学業に支障をきたさない程度という条件のもとに、アルバイトを許可していたのが彼女にとっては幸いした。
おそらく一目惚れだった。
過去この画廊に一度足を運んだとき以来、バイトするならここ!と心に決めていたという。
それはただ純粋に、沙凪は絵を描くのが好きだったからだった。
加えて彼女の描画能力は、天性の才もいっても差し支えないほどのものだった。
幼稚園の頃に落書感覚で描いていた絵が保育士の目に留まり、それからは個別指導を受けながら個人の趣味の範囲で腕を磨いてきた。
好きなものを好きなだけ、その感覚を素直に絵筆に乗せて、まっさらな白い世界に乗せていく。
その指が産み出した絵を目にした人々は口を揃えてこう言ったという。
『生きているようだ』と。
「店長ぉ〜時間になりましたけど、どしますかぁ?」
沙凪は画廊の奥にある暖簾の向こう側にのんびりと声を掛けた。
すると奥から普段は滅多に姿を現さない店長が首だけをのっそりと覗かせ、
「後は私がいるから大丈夫だよ。もう日が落ち始めてきたから気を付けて帰ってね」
半分ずれ落ちた眼鏡を掛け直した。
細い黒縁眼鏡を掛けた彼は細面の優男で、まだ30代中盤と若い。
もともとが笑い顔のせいか物腰も穏やかに見え、一人称の『私』にも違和感がない。
若くして死に別れた両親から引き継いだこの画廊を一人で切り盛りし始め、もう10年程が経つという。
(店長って結構ステキなのに、なんで結婚しないのかなぁ)
それはなかなか口にできない、ささやかな疑問でもあった。
独身主義というやつだろうか。それとも単に頓着しない性格なのか。
エプロンを脱ぎながらぼんやりとそんな事を考え込んでいる沙凪に、店長が柔らかく続ける。
「最近、君の描くトリップ似顔絵がけっこう評判いいらしいよ。良かったね」
「エヘヘ、ありがとうございますー。じゃぁお先に失礼しま〜す」
小さなポシェットを襷掛けにしながら、沙凪はぺこりと会釈した。
そして薄橙の空の色を背面に鐘をカランコロンと響かせ、扉の向こう側へと姿を消した。
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