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3


その日は彼が永遠に一人になってしまった日でもあった。



――屋上は静まり返っていて風の音すらしない。

その代わり先程から何かが鼻先をさわさわと撫でている。雲で陽光が遮られてしまったのだろうか、顔に影りを感じる。

雲…雲なんてあったか?

それはふとした疑問だった。ゆっくりと意識を覚醒させながら薄く目を開いていく。


「…………。」


寝起きの虚ろの中で、しばらくぼんやりとそれを眺めた。

――人の顔があった。

すぐ傍らから誰かがこちらを覗きこんでいて、逆光で顔は見えないが、髪のシルエットから女子生徒なのだと分かった。

少し起き上がれば接触してしまいそうな距離に少女の顔がある。

どうやら、肩口から流れる長い黒髪が鼻先をかすめていたようだ。


「あんたが河合聖?」


少女は聖の目を食い入るようにじっと見下ろしながら、遠慮会釈もなく尋ねてきた。


「違う。人違いだ」


あっさり否定した聖は、少女に接触しないように体を捩って起き上がり、鞄を手に出口へ向かおうとする。

明らかに接触を避けたがっている態度はしかし慣れていて、自然な動作だった。

…何だこいつは。

遠慮もなく寝ている人間を至近距離から覗きこみ、前置きもなく名前を尋ねる。

まるで距離感を間違えている少女の行動に、聖は少しばかり苛立ちを覚えていた。


「落し物。受けとれ」


ふいに聞こえた声と、何かが投げられる気配を感じ、聖は振り返った。
ゆるやかな放物線を描いたそれを反射的に受け取る。

見ると、それは学園指定の白い折り畳み傘だった。
柄の部分に『河合聖』とネーミングされている。

最後の雨の日、公園に置き去りにしてきたものをたまたま学園の生徒――目の前の少女が拾った、ということだろうか。

まさか自分の手元に戻ってくるとは思っていなかった。

ほんの今しがた堂々と人違いを名乗ってしまった手前だったが、ひとまず彼は、


「…どうも」


とだけ返し、ちらりとだけ少女を見た。

…まただ。
彼自身は必要最低限やらないよういつも気を付けているのに、なのに不自然なくらい自然に、嫌になるくらい自動的に――

無意識に〈覗いて〉しまっていた。


「……………。」


聖は佇んだまま黒髪の少女を凝視してしまっていた。早く逸らせばいいのに、目がいうことをきいてくれなかった。


――もう後味の悪い思いをするのは嫌なのに、なぜ愚かしくも同じ事ばかりを繰り返してしまうのか。

どうせ自分には何も出来ず、見過ごすしか術がないというのに。

様々な嫌悪感が肺腑に押し寄せて、体のどこかが鈍く痛んだ。

不自然にならないように何とか顔を逸らせ背を向けると、そのまま屋上から離れた。



消えていった背中を、黒髪の少女はじっと見ている。

そして何かを考え込むようにゆっくりと頭を後ろへ反らしていき、空を見上げた。

腰までもある長い黒髪を陽光に煌めかせながら、誰にも届かない小さな声で、少女はぽつりと呟いた。




≪ SATOSHI SIDE ≫


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