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季節外れの長雨がじっとりと街を濡らしていく中、聖はいつものように公園の桜並木道をひとり、景色を眺めながらゆったりと歩いていた。
彼の自宅は駅を越えてさらに十分ほど歩いたところにある。幾度となく通り慣れた道程だ。
「…………?」
ふと彼は何かに気づいたように立ち止まり、周囲を見回した。
人気はない。公園内に居るのは聖一人だけだ。
なのに何故だか誰かの視線を感じたような気がしたのだ。
雨足はもうかなり弱まっていたものの、それでも幾重にも重なる雨垂れに視界を遮られる。
その隙間を縫うようにして周囲を見通していた彼の目が、ある小さなものの姿を捉えて止まった。
しばらく遠いところからそれを眺め、やおら90度方向転換すると淀みのない足取りで歩み進める。
その小さなものは彼と目が合うと直ぐについ、と視線をそらし、雨水を浴びるように灰色の空をじっと仰ぎ見ていた。
――子猫だった。
雨晒しになりながら、公園の真ん中に位置する大きな時計台の縁にちょこんと座っていたのだった。
ブルーグレーの珍しい毛並だったので、動物の知識に疎い聖にもすぐに分かった。
確かロシアンブルーとかいう外来種の猫で、あまり鳴き声をあげないことからスパイ工作に用いられることがあるだのと評されていたような記憶がある。
恐らく飼い猫だろうに、なぜそんな場所で濡れているのだか分からない。何かを待っているのだろうか。
聖がすぐ側まで近寄っても逃げもせず、猫らしいふてぶてしさで空を仰いだままでいる。
しかし、いくらかまだ暖かみを残す季節とはいえ、濡れそぼったその小さな体は小刻みに震えているようだった。
聖は子猫の様子をしばらく見下ろしていたが、やおら腕を伸ばしてその体を無造作に掴みあげると、その場にしゃがみこむ。
残った片手で鞄からフェイスタオルを取り出し、ぐしゃぐしゃと子猫の肢体を拭い始めた。
子猫は拭かれながら、ふにー、と篭った声で鳴いている。
聖はなるべく雨水が流れてこなさそうな所に傘を立掛け、子猫をその下に置いた。
彼の意思が伝わったのか子猫は逃げようとはせず、くるまれたタオルから小さな顔を覗かせて、聖の顔をじっと見上げている。
瞳の色は硝子玉のような鮮やかなエメラルドグリーンだった。よく見ると右目の色が違う。地に沈む直前の陽の色をしている。
「俺はマンション住まいでな」
聖はぽつりと呟き立ち上がると、鞄に専用のカバーシートを被せ、湿った前髪を掻き上げた。
別に走ったりはしない。
濡れたところで迷惑をかける人間もいないし、自分を心配する人間もいない。
深緑に包まれた公園に残された彼の傘だけがぽつりと白く、それは澱んだ空から差しこむ小さな光のようでもあった。
そしてその子猫は――
聖の後ろ姿を目に焼き付けるかのように、聖が公園から姿を消した後も、じっと彼の残滓を見つめ続けていた。
――明くる日にはすっかり雨は上がっていた。
空に敷き詰められていた灰色の雲も、いつの間にか完全に彼方に吸い込まれ消え去っている。
陽が差し始めた明け方。
聖は登校時もその公園を通るのだが、既にそこには、彼の白い傘も、子猫の姿も――何も残ってはいなかった。
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