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「ああそうだ。偶然にもこの部屋だったな、この素晴らしい能力を頂いたのは。さすがに軍人相手は手こずったが」
「……その…軍人とやらには首にタトゥがなかったか」
「あ?そういえばあったな。趣味の悪いタトゥを、首にも腕にもつけていたか…だったらどうした。まさか知り合いか?」
そりゃ悪いことをしたなァ?へらへらと朔夜が薄ら笑いを浮かべる。
歩も笑った。くつくつと。それはもう愉快そうに。これまでの中で最も底の無い昏さを目の奥に揺らめかせて。
ゆっくりと吊り上がった口角が異様な雰囲気を醸し出す。目の色が変わる。
低く、ねっとりとした歩の呟きが空間に響いた。
「なぁオイ…。さっきのもっぺん言ってみろ」
「あ?天使とハートマークのタトゥなんかクソダセェのくだりか?」
朔夜は気づかない。この状況でなぜ歩が場違いな微笑みを浮かべているのかまだ気がついていない。
「くくっ…そっか…くっくっくっくっ…」
歩は笑い震え始めた。ひきつるような異様な笑い方に、さすがに朔夜の眉間が寄る。
「気持ち悪い女だな。さっきの衝撃で頭までどうにかなってしまったか?」
ふつ、と歩の笑みが急に止んだ。わずかに俯かせていた顔がのろのろともたげられていく。確かにある意味狂ってしまったかのような表情がそこには浮かんでいた。見るものに怖気を感じさせるような、そんな狂気の表情を。
歩の双眸に、どす黒い喜色の炎がゆらゆらと燃え盛った。
「そっか…テメェだったのか…あたしの兄貴を殺しやがったのはよぉ…」
地を這うような、けれど異様に優しげなその声に、朔夜は一歩後退った。
朔夜が過去にこの部屋で能力を奪うためだけにおびき寄せ、命を絶った相手は歩の兄その人だったのだ。奇しくも同じ部屋で繰り返されているこの殺しあいは――偶然導かれたものなのか、それとも。
「お前が死にぞこないでよかった。何回殺しても殺し足りねぇや…」
「チッ……ほざけ!」
歩の気迫に圧されてか、朔夜は焦ったように腕を振り上げ、ふたたび具現化された『クリムゾン』を歩に向けて投げ放った。しかし今度は素早く身を翻され、行き場を失った衝撃波は背後の壁に衝突し爆音を轟かせる。
『クリムゾン』は不可視であるはずなのに…なぜこうもあっさりと躱されてしまったのかが不思議で仕方がなかった。まさかわずかな空気の流れを読まれていることなど、朔夜には知る由もない。苛立ちに冷たい汗を背筋に滲ませる。
「クソが…!」
歯噛みする朔夜に突き付けるように前に突き出されたスタンガンが、きらりと艶めかしい光沢を放った。
「テメェは指一本でもあたしに触れられれば殺せるらしいが…それはこっちだって一緒だ」
静かに対峙する二人。グッとグリップを握りこむ音が響く。なおもぎしぎしと歯を軋ませギアチェンジを謀る朔夜に、黒い衣服に包まれたしなやかな体をわずかに前傾させる歩。
この女の覚悟は本気だろう。本気で朔夜を殺すつもりでいる。それは嫌というほどに伝わった。しかし――だからといって、そんな程度の覚悟を決められたからといって、何が変わるのだろう。それでもまだ圧倒的にこちらが有利であることを解っていないのだろうか?
確かに殺傷力のあるスタンガンの威力は脅威だ。しかしそれでも、そうと解っていれば命をひとつ囮にしてでもなお掴みかかれば確実に仕留められるのだ。相手にとっては、たった一度の接触でさえも命取りになるのだから。
――あの、不動蛍子のときのように。
なのになぜこの女は恐怖も畏怖も抱くことなく、敵対するものに何の根拠もない絶対の自信を見せ付けてくるのか。なぜこうも自信に満ちているのか。
「少し体術に長けているからって調子に乗るなよクソアマが!この俺をどうにかできると本気で勘違いしているのか!?」
「もちろん」
歩は自信たっぷりに答えると、電流を再充填させたスタンガンのスイッチを親指でカチリとスライドさせた。ジジジ…と冷たく滞留する黄色の光を、挑発するように眼前でゆらゆらと揺らす。
「チッ……!」
「…………。」
腹立たしげに舌打ちをする朔夜に歩が小さく笑いかける。
このがらんどうとした部屋の中心で対峙する二人は、静かな殺意を張り巡らせ、お互いのわずかな隙も見逃さんとばかりに鋭く睨み合った。
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