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『さよなら』って何?
考えれば考えるほど…分からなくなった。
――最悪の目覚めだった。
昨日の放課後から校舎内のワックスがけのために業者が入っていた。翌日、リノリウムの床はしっとりとワックスを取り込みつやつやと艶めいていて、床だけ見ればまるで真新しい教室と入れ替わったような新鮮さがあった。心機一転、新しいものというのは目に楽しく映り、気持ちが奮い立つ。効果として学業により身が入る者もいるだろう。それはいいことだと思っていた。
今朝、午前8時5分、教室に駆け込んできた葵がつるっと足を滑らせ、聖に激突してくるまでは。
「いぎゃあっ!」
奇怪な叫び声は、机に突っ伏して二度寝していた聖の背中にどふん、と威勢よく降ってきた。衝撃と重みでぱっと意識が覚醒する。突っ伏した姿勢のまま、聖は何度かまばたきをした。目をまばたきながら起き上がろうとしたけれど……重い。何かが背中の上にどっしりと乗っかかっている。
「ごっ、ごめん聖!」
「…重い」
女の子に言ってはいけない台詞ワースト1を口にした聖がわずかに身じろぎをすると、葵は慌ててぎゅむ、と聖の背中を押して起き上がり体勢を整えた。
「何をそんなに慌ててたんだ。誰かに追われでもしたのか?」
「違うよ、遅刻しそうだったからだよぉ!ぎりぎりせーふ!」
「……………。」
微妙な空気が流れた。聖は寝起きの据えた眼差しを隠そうともせず、半分閉じかかったような目で葵をじっと見ている。そこはかとなく白けた雰囲気が、聖の全身から滲み出ている。
「…時計見てみろ」
「えっ?えと、8時28分!」
葵は額に汗を滲ませ肩で息をつきながら、ばっ!と腕をまくり元気よく答えた。
「俺の時計を見てみろ」
「へっ?えっと……あれ?8時8分?ねえ聖、その時計こわれてるよ」
「壊れてるのはお前の頭と腕時計だ。あっちの時計も見てみろ」
顎で壁時計のある教壇の上方を指し示すと、何故か葵は逆側に一回転しながら体ごと壁時計の方へと向き直った。
「8時…8、ふん…。え?あれ…?」
ええええええー?とか呻きながら、葵はムンクの絵画のように頬に手を当て嘆き始めた。「完全にお前の勘違いだ」とトドメを刺した聖は、すっかり眠気の醒めてしまった目をズーンと沈んでいる葵から逸らす。
三度寝するには時間が半端だったため、脳細胞を起こすことも兼ね、聖は一時限目のテキストをぱらりと開いた。開いたが、中身が頭に浸透してこない。眠気は飛んでいるのに…と思いつつ、窓の外に目をやる。
初夏の暑気を凌ぐため、大きく開放され自由に風をとりこむ窓。その先には、まだ柔らかみを帯びた太陽の照らすグラウンドがある。ゆるやかな風が吹くとグラウンドをさあっと砂埃が舞って、ふわりと沈む。そうして再び踊りだすその時を地から見上げて待っている。
――今朝はいつもより早めに目を覚ましていたからだろう。ふと違和感がすぅっとうなじを撫でていった。妙な感覚に少しだけ首を捩ってみたけれど、さざめく感覚が消えることはなく……そしてハタと気づく。
そういえば立花紫がまだ登校してきていない。聖は振り向き自分のすぐ後ろ――紫の机を見下ろした。時刻は8時28分。葵の壊れた時計と同じ数字を指し示している。
紫は転入してまだ数ヶ月だが体は丈夫らしく欠席したことがない。今は暖かい気候に包まれているため、体調を崩したというのも考えにくい。
…嫌な予感がした。
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