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3


「あの、あのね。実は私…嘘つきかもしれない」


 またもや曖昧な話が始まった。朔夜は内心うんざりしながら、


「不動さんは素直な人じゃない。嘘っていってもきっと自分で思ってるほど酷いものじゃないんじゃないかな、きっと」


 不思議そうに微笑んで首を傾げてみせる。同時進行で頭の隅では思案に耽る。
 どこか表情の欠け落ちた眼差しで正面にある何かを見つめ、沙凪は緩く首を振った。


「ううん、ずっと嘘ついてたんだ。今までも、きっとこれからも…お母さんとの約束だって、もう何回も破っちゃったし…」

「約束?どんな?」


 問い掛けに、ゆらりと少女は表情の抜け落ちた顔を朔夜に向けた。
 自分から言い出した話なのに、閉ざした口が再び開かれることはなかった。けれど目だけはしっかり開いて朔夜を網膜に映している。都合の悪い部分になると閉ざされる唇。色を消す瞳。…こいつにはまだ正気が残っている。


「…お母さんとの大切な約束なんだね」


 どの部分に反応したのか、あるいは全てか、沙凪の瞳がかすかに揺らいだ。朔夜は沙凪を気遣って話題を変えようとした素振りのままに、明るい声で話を切り出す。


「――ああ、そういえばさ、連絡とか入れなくて大丈夫?こんなとこにいつまでも隠れてるわけにいかないし、いきなり家を飛び出してきたままだし…心配するんじゃないかな」

「…え…?」


 びく、と沙凪の肩が揺れた。声が掠れている。


「いや、だからさ、連絡をね、君のお母さんに」


 朔夜はその言葉を、沙凪が聞き逃さないようにしっかりと言った。言葉を鼓膜に刻み込まれた瞬間凍りついたように動かなくなった沙凪の瞳の奥を、あくまでも優しい彼氏の仮面をかぶったまま、優しい表情で、優しい眼差しで、じっくりと味わうように覗きこむ。
 沙凪は唇を半開きにして、言葉を失ったように茫然と朔夜を見つめ返してきた。


「部屋が目茶苦茶になってたし、そういえば鍵も閉めてなかったような気がするし…きっと帰ってきたとき部屋の惨状を見てすごく驚くんじゃないかな。しかも君の姿も見えないとなると大騒ぎになっちゃうかもしれない。娘が誘拐された、とか…」


 自分が発する言葉のひとつひとつに、毒ナイフで何度も傷口をぐりぐりと抉る効果があることを分かっていながら、朔夜は篤実そうな眼差しをぴったりと沙凪に縛り付けて喋った。
 …沙凪は何も言わない。ただ、半開きになった唇がほんのわずか、ふるふると震えている。そうしながら、首の骨を折り畳んでいくようにゆっくりと俯いていく。


「…お、母さん…?」

「そう、お母さん。…あ、もう10時だ。さすがにもう帰ってきてるんじゃないかな」


 沙凪の声は、ひっくり返ってしまいそうなくらい頼りなく震えていた。垂れた横髪から覗く両目は一時も留まらず、ずっとふらふらと揺れている。


「お母さん…は…」

「お母さんは?お母さん、今日は帰ってくるの遅そうなの?」


 言いながら、今にも崩壊してしまいそうな沙凪の様子に朔夜は大爆笑してしまいそうな衝動を押し殺すのに必死だった。堪えすぎて目尻に涙まで溜まる。涙、涙…ああ、そうだ。


「お母さんの帰りが遅いとなると心細いよね…電車が動くうちに、県警まで行ってみるっていうのはどう?」


 もう永遠に帰ってこないし、この世のどこを探しても肉片ひとつ残っていないけどな!そうしたのは他でもない不動沙凪、おまえだ!
 心の内で嘲笑する。あああ楽しい。反応の一つ一つがたまらない。言いたい事が湯水のように脳裏に溢れでてくる。



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あきゅろす。
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