3
沙凪の両目には今何が映っているのだろうか。
変わり果てた母の姿か。もう見えない遠い日への郷愁か。それとも別離の折だろうか。
…ただ涙もなく静かに泣いていただけなのかもしれない。
――ぱしゅ、
抜けた音がしたと同時に、わずかに沙凪の体がよろめいた。
赤い飛沫が一瞬で白い壁紙を染めあげる。
弾丸をこめかみに受け、反動で大きく首をのけ反らせた蛍子は、どさりと絨毯に倒れ伏していった。
しばらく弾痕の穴からとくとくと血を滴らせながら小刻みに痙攣していたが、その動きもやがて止まる。
重い静寂が染みていく。
痛いほどのしじまを重ねた寸刻後――ぴしぴしと小さな音をたてながら全身を皹割らせる変化が蛍子の肉体に訪れた。
体の末端からゆっくりと形が崩れゆき、ふわりと風のない空中に霧散していく。
…そしてやがて消滅した。
そのあとには――彼女の身につけていた服や装飾品だけが無機質な姿をその場に残していた。
「…………。」
沙凪はゆっくりとその痕に歩み寄ると膝を折って屈みこみ、小さな何かを指に摘んで掌に乗せた。
じっと手の平に視線を落とし――そしていつまでも微動だにしない。
沙凪が自ら母親を撃ち抜いた光景、
撃たれた人間が溶け消えた情景、
あまりにも信じがたいそれらの出来事を、完全に茫然自失とした表情で瞬きすら忘れて、永遠のような短い時間を網膜の奥へと映しこみ、歩はその場に棒のように立ち尽くしていた。
――ふいに静けさを感じ、小さく身震いする。
やがて歩はのろのろと、沙凪に吸い寄せられるようにして近寄っていった。
「…指輪」
沙凪の手の平を覗きこんだ歩がぽつりと呟く。
視線は手の平に落としたまま、沙凪の左手にぎちぎちに固く握りしめられたままのリボルバーを、指をほどきながらやんわりと抜き取った。
小さな子供が作ったのだろう、それはパールを模したビーズをテグスに通しただけの簡素な指輪だった。
沙凪がそれを右手の人指し指にはめると、その細い指は隙間なく淡い白に彩られた。
「…私が子供の時に作ったプレゼント」
そう言う彼女の目には何も映っていない。
瞳は寒々しいくらいに昏い色をしている。
その目を見た瞬間、歩の顔が大きく歪んだ。
「畜、生……!」
どうにもできなかった。どうしようもなかった。
臓腑から込み上げてくるどうにもならない悔恨に苛まれ、何度も拳を床へと強く打ちつける。噴出してしまいそうな感情の焔を力任せに床に叩きつける。
歩は幾度となく床を殴りつづけ、ときおり歯の隙間から掠れた呻きを漏らした。
沙凪は指を飾る淡い光をじっと見詰めたまま動かない。
遠くから――住民の談笑が微かに聞こえた。
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