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短篇
1
気が付くと、その彼の顔にはケーキが直撃して居たのだ。マジパン製の人形菓子が目元に突き刺さったりする事は無く、多少のアラザンの粒々は感じながら、甘ったるい風味がべったりと。
何が悪いのだろうか?解けて足元に零れ落ちて踏んづけてしまった靴紐だろうか?それとも、踏んでしまった上にバランスを崩してケーキを顔に叩き付ける事になった張本人か?

「……すまない」

少々の間を置いてケーキを叩き付けた張本人が口から漏らした言葉は一本調子の平坦な、ごく短いものでありながら確かな謝罪の意を込めたもので違い無かった。大柄なその肉体を丁寧に折り畳んで頭を彼よりも深く下げて答えた。
涼しい気候ながらその身体に纏った筋肉の層が有るからだろうか、未だにシャツ一枚に薄手の長ズボンという出で立ちで有り、色合いから落ち着いた印象を何処か漂わせて居た。
獣人らしい屈強な体躯の中でも飛び抜けて大柄な、合わせてその首周りにはふさふさと天然のマフラーにも似た鬣が手入れを怠らぬ様にとふさふさ輝いて見えて居たのである。
獅子人である彼は頭を下げてから、ケーキを直撃した彼が未だに動かず言葉すら放たないな、と不思議に思い、手持ちのハンカチをポケットから取り出すとケーキを拭い取り始めた。
今や砕けたスポンジにクリームとカットフルーツを混ぜ合わせた代物である。ああ、勿体無い。何と勿体無い事か。ハンカチに付着してしまえば洗うか生ゴミに払い落とすしか無いというのに。だが、彼の不快感を消し去るにはこれしか無い。

「……む」「…………」

そこで獅子が気付いたのは、彼の口元がケーキを通じて動いた事と、若干量のクリームの類が目の前で消失した事である。更に口は動き、辛うじて見える視線は口元に向けられて居た。
仕方無い、仕方無いと思いながらハンカチではたく様では無く、ハンカチ越しにスポンジ類を握ってあくまで取り除く様に。粗方取り除く事に結果として成功し、彼の顔もおおよそ確認出来た。
頭に生やしたのは角でも三角形の耳でも垂れ耳でも無く髪である事に、首元に少しの毛も生えて居ない肌が見えて居るのはあからさまに人間であった、筈なのだが。獅子人の瞳もほんの僅かに大きく見開かれる。
人間の中でも細身に入る様な撫で肩に、獅子人の胸元にまで至らない様な、矮小という言葉が失礼ながらも似合ってしまう姿。
その鼻と唇の間には、比較的丸っこい子供にも似た顔立ちの割には、髭が生やされて居たのである。

「……美味しかった、です」

平喘と答えたその人間に合わせて、髭が僅かに揺らめいて居た。獅子人や犬人のそれとはまた違った髭なのである。細かに口元を覆うものでは無く、龍人のそれの様に左右に二本、長く硬いそれが纏めて揃えられた物であった。

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あきゅろす。
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