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短篇
悪良丸硬-1
「ぐええっ」

目の前で獣人の姿が高らかに吹っ飛んでいく姿を、引っ越したばかりのその人間は初めて目にする事になった。先程まで人間を突然に呼び止めて、財布の中身をせびって来た狼人の身体が吹っ飛んでいく。
視界の端で見切れていたかと思えば、気が付けば狼人の身体は空中に浮き上がり、そのままアスファルトに強かに腰から落下してしまっていた。痛そうな鈍い音に、腰を押さえながらその場で丸まり転がっているのが目に入る。

「な、な、なぁにしやがっ……ぐへぇっ!」
「あっ……」

その場で身体を起こそうとした狼人の胸倉どころか奥襟をがっちりと掴み上げた狼人以上の、人間からしてみれば頭三つ程の体格の開きがあるその獣人は、軽々と片手で狼人の身体を持ち上げていた。
思わず開いた口元の奥歯に金歯が輝いており、粗雑に着込んだ姿はまさしく荒くれのそれである。一方で人間と狼人の間に挟まっていた存在は、異様に太い狸と薄汚れたジャケット、ズボンに至っては片方の裾に人間の両足が余裕で入りそうな太さを備えている。
今の内に逃げようにも、この目の前の名前も何も知らないが、狼人を掴み上げている掌から手首にしても、全身にしても奇妙な程に膨れ上がっているのが見える。大柄な服越しに背中の筋肉が盛り上がっている姿まで見えた。

「おう兄ちゃん…急にこんな人間にカツアゲするなんてだっせえ事してるなんてよぉ…ほれ、こっち来いっ…俺様直々にお仕置きしてやるっ!」
「な、おい、何言ってんだてめえ、やめ、ちょ、うわーっ!」
「…………」

何も分からないままに、口元から重低音を溢れさせながら狼人を掴み上げたまま、小路の裏側へと消えていく。横切った姿を目の当たりにして、やっと人間は彼の種族を理解する。
丸っこい耳に口吻は短め、黒檀色と黄色とが合わさった毛並み、にっと牙を剥いて笑みを浮かべている姿は紛れもない狸人のそれである。人の通りも疎らな中で、人間は少しの間ぼんやりとその場で立ち尽くしている。
手にしていた鞄の中身を取られる様な事も無く、狼人が何者であったのかもまだ何も分からないが、どうやら狸人は自分の事を救ってくれたらしいとは何となく理解出来た。少しの時間を掛けて。
このまま大人しく引っ越したばかりの部屋へと戻ろうか、お礼の一つでも言ってみようか、どちらが良いだろうかとこれまた二、三分程の葛藤を思考を経てから、やっぱり感謝の言葉くらいは送ろうと考える事にした。

元より獣人からカツアゲされるという行為自体が予想外の出来事で、それをまた別の獣人によって助けられるという出来事はそれ以上に飲み込みにくい非日常。
人間ばかりの暮らしから獣人と共存する事になる引っ越したてのこの場ではそんなに珍しくも何とも無いかなと思っていながら、狸人達が消えていった路地裏をこっそりと覗き込んだ。

「おらっ、ふんっ!どうだ、反省してないともうチンポくれてやんねぇぞぉっ……」
「はひ、きゃうぅぅぅっっ!?は、反省してますからぁっ…も、もっと、もっとチンポ下さいいぃっ……!」

人気自体はそこまでないが、人間の様に完全に存在していない訳ではない。細めで四階建て程の建物と建物との間、車が通るにも一車線で精一杯であろう空間の中で。
狼人が建物の壁に両手を付けて、はっはっと浮ついた吐息と共にはみ出した舌先から涎が滴になって落ちていく姿と、その背後で下半身の服をずらし、腰を揺さぶっている狸人の姿が目に入る。
豪快に聞こえている声色と男から放たれているにしてはあまりに高らかで、何と言うべきか雌っぽい雰囲気が常々漂っている言葉が狼人の口元から溢れながら、その尻尾が千切れんばかりに振られているのまではっきり見える。

お礼を言う雰囲気どころか絶対に近付いてはいけないという本能と合わさり、人間はその場でなるべく音もたてずにそそくさと立ち去るしかなかった。
そして数日後、新居である部屋の隣から出て来た狸人と、ばったりすれ違ったのであった。

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あきゅろす。
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