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短篇
楽々の話5
どうぞ、と座る様に勧められた椅子にはちょうど熊人並みの体躯で無ければ凹みはしない様な、何十度と座った痕が残っている。
当然熊人の記憶の中においては初めて目にする様な椅子、しかし椅子の色合いと塗り薬の禿げ方は十年以上は使わなければそうはならない、かの様な。
ジャガー人は特に何も変わっている様子もなく、こと驚いても居ない。こうして話す事を待ち構えていたか、練習でもしていたのか?

「初めて貴方が剣を持つ時には、ただバランスを取るだけでも大変だったでしょう。ダンスをする時の基本のステップも。どっちも知らないとは言わせませんよ、貴方は戦士にして、立派にいい人ですからね、表向きには」

ちくりと刺した言葉はまるで熊人に一言一句聞き漏らさせないとでも言いたげに優しくゆっくりとした口調で送られ続ける。
思わず肘掛けを握り締めたくもなったが、その形さえも四角形ではない。熊人が握り締めたかの様に、手を置いた箇所だけが僅かに、凹んでいる。

「最初の最初は全てを考えてから動かざるを得ない。誰だってそうでしょう。きっちりと支えられたからには…そして、理解する。身体をどう動かせば良いのかを考えて、念願の動きが出来る様になる」
「……っ…何を言っている、そんな筈は…」

幸いな事に熊人の聡明さとは実に見知っているものだから、汗を掻いた毛並みを逆立たせる様な緊張と衝撃も早々に現れた。
ジャガー人はこれと言って悪びれもしない、言葉を止めようとする動きも何も無い。生活臭を帯びたローブの色合いも少しばかり変わっている。

「やがて考えずにも身体が動く。心身に完全に結びついた動きは美しく力強い…だがしかし、しかしながら、しかし。これが他人の自尊心を奪い、調教を行った場合にも起こり得るとしたならばどうなるかって話です。あ、貴方の話ですけど」

肘掛けを握り潰して堪えようと思った途端に、中に隠れていた硬質な感触に掌の方が痛みを覚える。
木材にコーティングされていた鉄板はへし曲げられるのを防ぎ、熊人がどう動いたのかを予測していた様に露出して視界の中で鈍く輝いている。

「……人は、剣の扱い方や、踊りとは多いに異なるもの、だろう?」
「しかしながら境遇、体格、種族、他者との関係性…それらはすべて『情報』であり、何処を突き崩せばいいのかとはパターンには当てはまりはしないだろう…と思ってたんですけどね」

落ち着いた口調ながらも興味は全く絶えていないというかの如く。
他人がどれだけ崩れて壊されていくのかならば、少しはこの気分もマシになったに違いない。
語っているのは、他ならぬ熊人本人だ。何よりも当てはまるものが多過ぎて、他人であったら気分が悪い。
話を聞き続けるのは、もっと気分が悪くなっているのに。

「ある種の防衛本能なんじゃないかな、と思ってました。こういう壊れ方もあるんですねって…ああ、すいませんね、貴方の話なのに。気分を悪くされました?」
「……ああ、実に、滑稽で、何を言っているのか。話を聞いてこの俺が、お主を手に掛けていないのがまるで嘘の様だ…」

不機嫌な態度を見せるだけで、裏の顔を知っている者は恐れ慄いていたのに、ジャガー人の調子はまるで萎えていない。

「ですけど本当なんだから仕方ないのですよ。貴方は多くの人を調教し、尊厳を奪い、墜落せしめ、情報を搾り出し…やがては幾らかのテンプレートに全ての人材を当てはめてしまった。つまり貴方は微塵も頭を動かさずに事を運んでいるんですね、道具動作言葉人質拷問薬物の調合、全てひっくるめて」
「だから…それが何だというのだ?」
「それで済んでたのならまあ良かったんですがね。貴方の生活までありふれた内容としてやれている訳でしてー…貴方の認識してる時間と実時間にずれが出来始めてるんですね」

有り得ない。考えている間にジャガー人は今この部屋に連れ込まれているのは、貴方が尋問しようとしていたのは誰ですか、と問い掛ける。
隻眼の剣士であり流れの傭兵、確保の際に六人を殺傷せしめた札付きの荒くれにして。

「ああ、その方はもう二週間ぐらい前に全て終わってますよ?」

ジャガー人の片手には透明な瓶、中で浮かんでいるのは何かの片目。えぐり取ったばかりの様に視神経が繋がっている。
血走った様子まで見える眼球は先程捕らえたばかりの剣士の瞳の色と同じだった。同じである訳も無い。まだ、何も始まっていないのだから。

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