二重トラップ



深夜のイタリア郊外。住宅の窓から漏れる電気の明かりも弱く、等間隔に灯された街灯だけがほとんど、頼りだ。
父親からは遅くならないようにと言われていた、いつもは守っていた。なぜなら父がマフィアのボスであり娘の私は少なくとも自覚を持って気をつけなくてはいけないから。でも、今日だけはなんとなく羽目を外したくなって。いつもよりのんびりとアクセサリショップや自宅で予めチェックしていたドレスショップを訪れたり、一人でカフェに行ってみたり。有意義な一日で終わるはずだったのに。落ち着いた茶の煉瓦で組まれた歩道を歩いていると、急に脇の小路から腕が伸びてきた。決してマフィアの娘と云えど大した護身術は身に付けていないし、強い力では抗えるはずも無かった。


「や、めなさい…っ」
「ほう?人質にしようかと思っていたが…なかなかの上玉じゃないか?」
「はは、そうだな、少しくらいいいか?」


男の人は苦手だった。こうやって、女を制する事をさも当然のように思っている人が。だからなのかな。格好いい人、心から心酔するような素敵な人に逢えた事が無い。仕方ないと思いつつも、本当は溺れるほどの恋だってしたくないわけじゃない。彼らが何をしようとしてるかくらいは解っているつもり。ギリギリと握られた腕を振り払おうと抵抗し、男のスーツの上から噛み付いた。
(なんで、ビクともしないの!?)
私なんかを辱めて、何の得にもならないだろう、という自己を貶し、あたかも自分の物として扱う男に怒りを感じ、そして怯えの色を誤魔化せなかった。腕を引き寄せられて、その瞬間に思いっきり目を瞑った。


―ズガン!バンバンッ

サイレンサーは装着されているだろうが、それでもこの狭い小路に響く大きな音が一発。そして早撃ちが追って二度、発砲される。その直後に拘束されていた腕が開放された。足元には私を捕らえようとしていた男二人が血を流して倒れている。私を掴んでいた男の手の辺りとそれぞれ心臓の辺りに……一発で仕留めたの?
音がしたであろう方向に視線をやると、全身黒尽くめのスーツを着た男がスッと立っていた。頬が、無意識に引き攣る。

会いたい、でも会いたくない、人が、いた。


「…… セニョール、貴方は」
「Ciao.俺を知っているのだろう?」
「知らないわ」
「嘘なんざ無駄だぜ?」


カツ リ、カ ツリ、敢えて焦らしているようなスローテンポで此方へと距離を狭めてくる。私の後ろは行き止まりになっていて、逃げ道などない。
リボーンの事は知っている。記憶に薄っすらとしか残らないいつの日かのパーティーで、あの男の事だけはしっかりと、脳裏に刻み付けられていた。深く被られたボルサリーノと全身黒のスーツに浮かぶ眩し過ぎると錯覚しそうになる程の鮮やかな黄色い帯とシャツ。帽子の鍔から気紛れに覗く怜悧でキリリと、それでいてどこか艶美で見るもの全てを揶揄するような、奥底の読み取れない漆黒の瞳。


「知ってるけど?それが、何」
「まあ、そう睨むなよ。美人が台無しだろうが」
「…ほらまた。貴方はそうやって何人もの女性、口説き落としてきたのでしょう?そんなセニョールの事が私は嫌いよ」


相手にどんなに迫られても、それを受け入れる貴方は暇を潰したいのでしょう。一種の遊戯なのでしょう。どんな女性でも一発で落としてきた彼に、私だってドキリとしないわけがない。けれど、世界中の女は俺の手中にあるのだ、そう云う態度と隠そうとしないフェロモンを浴びせられると私は逆に苛立ってしまう。気に入らない。


「俺はリラの事を好いているがな」
「……貴方こそ、嘘吐きよ」
「どうして?」
「あのパーティーの日。私が貴方に擦り寄らなかった、靡かなかった。それが珍しいんでしょ。貴方は大層おモテにになるみたいだし、知らない者はいない、殺し屋さんだものね」
「俺には子猫ちゃんが気を引こうと態と拗ねているようにしか思えないぞ」
「もう…嫌いっ。私の気を引きたいなら見下した態度やめて、強請りの一つでもしてみなさいよ」


先に掴まれた男に乱された服の皺をぴしゃり、と張るように伸ばす。視線を逸らそうとリボーンに軽く背を向ける。早く帰ってくれ。眉を顰めながらいると、不意に背中に自分のものでない体温を感じた。
他に人影なんか無かった。
いつの間に仕舞ったのか手に銃は握られてはおらず。背後からリボーンの吐息を感じつつ前へ回された腕に抗わんと身を捩る。細身の身体つきからは想像がつかない程、強い力は私の中の悔しさを増大させる。


「は、離せ!セクハラで訴えるわよ!」
「心外な。強請れと言ったのはオマエだ」
「こんな事までしてなんて…言ってな」
「リラが愛しくて堪らない。なあ、俺の女になってくれ」


折角伸ばしたムートンのダッフルコートと中のカッターシャツをリボーンの手が捲くり上げる。まるで痴漢のようだ。その這い上がってくる手が肋骨の骨を追うようになぞる。寒くは無いのにぞくりと震えが走り、肩が竦む。
流されちゃいけない。唇をぎゅ、と血が出そうなほどに噛み締める。


「それにな、俺、助けてやったのに報酬貰えないなんておかしいと思わないか?」
「助けてなんて言ってない」
「否、報酬なんて要らねえな」
「人の話聴いてるの!?」
「…報酬を要求したところで普通、オマエ等には到底支払えない様な額なのは知ってるだろう。ちょっとでいい、褒美を寄越せ」
「っ…貴方ともあろう人がそうやって人を脅すの?」
「そりゃ、俺も余裕はねえからな」


ピリ、と云う音とともに口の中に鉄の味が広がる。切れたみたい。クツクツと喉で笑う男のどこが余裕無い、よ。私よりよっぽど余裕綽々たる声音じゃないか。


「リラ…」
「な、によ」
「お、ね、が、い、」
「っあ、ぁ…」


耳をねっとりと舐め上げられ、耳朶を食まれる。あの激甘なケーキでも、ドルチェなんて言詞でも表現できない程にしつこい甘さで全身を覆い尽くされたような感覚、で。口内に広がる血液さえも甘く錯覚する。断れるわけない。最初からリボーンの思う壺だった。今となってはもうどうでもいいけれど。


「好きになさいよ…」
「そのつもりだ」


世界一性質の悪い男に、私は囚われてしまったらしい。



Double Trap
(逃げられ は、しな い)


20091116






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